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甲田様
木村繁次郎です (522)投稿日:2005年09月02日 (金) 22時15分 返信ボタン

甲田様書き込み有難うございます、強い者だけの、世の中、それも又、意味があるやも、然し、弱い者をも、含んだ世界を、否、国を考えるのが人間の当然の心得ではなかろうか、八十五歳の私はまああ、耐えるとしても、若い人には、共に、極自然に、手を差し伸べるように、国、地方機関で、考慮すべきと思います。


□逝きし世の面影/甲田 (523)投稿日 : 2005年09月11日 (日) 21時58分

明治維新前後に日本にやってきた多くの外国人は「日本は子どもの楽園」と語っています。モースは「私は日本が子どもの天国であることを繰りさざるを得ない。世界中で日本ほど、子どもが親切に扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい」と述べている。今こんな子どもを見ますか。子どもたちは、小学校から塾に通い、辛そうに生きています。子どもたちから笑いを奪ってしまった受験第一主義、競争第一主義から人間らしい子どもの心を取り戻すことが大切です。
日人情をうたい文句にする総理大臣をついに選んだ日本人は恥ずかしいです。「日本人は親切で、礼儀正しい、彼らはあまり欲がなく、いつも満足して喜んでおり、気分にむらがなく、幾分荒々しい外観は呈しているものの、庶民階層にいたるまで、行儀は申し分ない」と駕篭かきについてブスケという人は感心しています。
日本人の本当のよさは、近代化という恐るべきアメリカの真似をする中で大切な心を失ってしまいました。
みな助け合い、お互いに他者を思いやって生きてきたのが日本人です。
それが、刺客を選挙で送るような冷たく不人情を売り物にする人たちが席巻してしまいました。

社会的弱者を大切にする国でありたいです。
甲田 (520)投稿日:2005年08月30日 (火) 22時12分 返信ボタン

公立高校に重度の身体障害者の入学希望があるとしても、多くの学校の現状は、申し訳程度に一階に障害者用トイレがあるのみです。授業を受ける教室は二階から四階です。公教育として入学は許可しても、障害者の教育が十分に行き届いたものになっていないのです。各階の移動は現実に不可能な状況です。
教育基本法第三条には「すべての国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない……」とありますが、健康に恵まれていない生徒は、現実に現在の公立高校の施設、設備では、教育を受ける権利は十分保障されていると言いがたいのです。
教育を受ける機会の平等に配慮することは、行政のもっとも大切な課題と思います。
教室で障害を持つ同級生とつき合うことは、立派な学習のプロセスだと思います。「教育」と「人生・生活」との統一を求めてゆくためにも大変良いことです。車いすの生徒が自己の意志に従って、自由に校内を移動できる施設、設備の整備はどうしても必要です。
現在の公立高校は健康な高校生が基準になっています。不幸にして健康を失った生徒、健康を損なった生徒と共に生きる中で、健康な生徒も奥行きのある人格を形成してゆけるのではないでしょうか。
社会的弱者も社会的強者も互いに助け合う社会に努力しなくては。健康を損なった僕には、本当につらい社会です。
それは現在の社会が、健康に恵まれ、バリバリ働ける人を中心にしか考えないところにあります。しかし、我々人はやがて老い、病にかかる、ことが運命です。しかし、そうした人間を切り捨てて行く冷たい社会は健全な社会とは言えません。
健全な社会は、幼年も、青年も、壮年も、老年も、互いに助け合って生きる社会と思います。
現在の公立高校では、ほとんど健康を損なった生徒は、受け入れることが極めて困難です。


甲田さん・けんちやん・とほほさん・
木村繁次郎です (518)投稿日:2005年08月29日 (月) 20時41分 返信ボタン

素晴らしいご意見有難うございました、返事遅れてすみません、資本主義って、やっぱり、悪なんかなー・シベリアで、日本新聞と言うのによく出ていました、然し、今の中国共産党見ていると、PCは自由にやれず、甲田さん・けんちやん・とほほさん・等の、記事書いたら即、刑務所行き、となると、お金はいくら獲ろうとも、法律、裁判に勝てれば良い、橋本も、だんまりでチヨン、お上正しからざれば、下必ず乱れる、人を簡単に殺す真面目な青年。この世からさりたいなんて言うと、私と一緒になんて言う人出たら困るよ・
私は85歳100万人に5人の、「再生不良性貧血」の難病・血の数値は超ミニマム・でもすぐに、死ぬこともない??薬で生かされていますが、毎日が覚悟の日々・・甲田さん元気だして、では又

/とほほ (521)投稿日 : 2005年08月30日 (火) 22時35分

> 資本主義って、やっぱり、悪なんかなー・シベリアで、日本新聞と言うのによく出ていました、然し、今の中国共産党見ていると、PCは自由にやれず、甲田さん・けんちやん・とほほさん・等の、記事書いたら即、刑務所行き。

しや、これは資本主義が正しいとか共産主義が正しいと言う議論の参照にはなりません。中国が良くないのは共産主義だからではなく、警察国家、全体主義、だからです。これと共産主義は関係ありません。もちろん共産社会実現の為にはどうしてもあーゆー全体主義が必要だと言う理論があれば木村さんのいうことももっともだと思います。

これはいつも私が言う事なのです。
自由社会と平等社会の対比として日本と中国を見なければ本質を見誤ってしまいます。自由と平等と言うのは実は大変に矛盾した相反する概念なのです。共産社会は平等を重視した社会を目指しますので自由が制限されていきます。一方自由を主張する社会は資本主義的自由を放任しがちです、これが資本主義社会の巨悪です。

民主主義社会と言うのはこの自由と平等をともに追求していかなくてはならない社会です。そこに中核として備えられているのが博愛です。そして博愛の実現の為になくてはならないものが「人権」と言う概念です。博愛の実現された社会こそが民主主義社会と言ってもよいでしょう、そのためには自由と平等のバランスが必要なのです。

私も中国社会にすみたいとは思いません(^^;
おっしゃるとおりに自由がないからです。インターネットでも私の投稿は刑務所送りになる前に中国サーバーでは検閲が入ります。ですから中国サーバーの日本語掲示板などには私は投稿しません。

最近も歴史認識問題で一番重要なことを投稿したのですが北京放送の検閲で投稿が反映されませんでした(^^;
中国当局への批判があったからだと思います。

しかし中国社会が優れている、日本社会が優れている、など地いう議論の建て方そのものが無意味だと思いますし、その上資本主義対共産主義という二項対立図式で見ていては本質を見誤るわけです。

共産主義だから、、、。資本主義だから、、、。ではなくて何を自分が嫌っているのかを見極めない事には、反共は良いのですが、反共の為に中国社会の自分が嫌っている部分を自分の国の体制の中に築いていってしまう、こう言うことこそ歴史に学ばねばならない、それが維新以降の日本の帝国主義なわけですから、帝国主義を嫌い帝国主義化したのです。

腐り果てた資本主義アメリカが富を独占しなければ。(先進諸国がこの地球の富を欲張り独占さえしなければ)
甲田 (515)投稿日:2005年08月26日 (金) 18時07分 返信ボタン

 二十世紀は「戦争の世紀」であった。人類は二度の世界大戦・植民地再分割戦争を体験した。日本もその侵略戦争に大きな責任を有している。
その責任が「日本国憲法」として世界の希望を担って制定された。今、その憲法を変えようとする人たちは、日本の侵略戦争に対していかなる認識をしているのだろう。
その後も朝鮮戦争やベトナム戦争、その他戦争・紛争は打ち続いている。
また、世界の人口六十億人のうち八億人が飢餓に苦しみ、生死の境目にある。そして五歳以下の子どもたちが、一時間に千五百人も餓死し、大地にうち捨てられ横たわっている。
「衣食足りて礼節を知る」と言われるが、モノが溢れる社会の日本、政治家の姿を見ると果たして礼節を知っているのかと思いたくなる。傲慢にして不遜な森首相、石原慎太郎都知事。人間として何一つ美しい所はない。
日本の財政は破綻しているのに、国債を湯水の如く発行する。公共事業により破壊される自然、借金ばかり膨らむ中であぐらをかく心貧しい政治家。果たして日本は豊かと言えるだろうか。
地球上に苦しむ多くの人々がいる一方、日本人の贅沢な食生活がある。われわれが廃棄する食料は毎年増える一方だ。(廃棄率1965年13%1997年30%)
日本では輸入食料の三分の一、コメの生産量の二倍に相当する二百万トンが食べ残され廃棄されている。豊かさと飽食がこの地の夢を奪い去っていると言える。
われわれは食卓を離れるとき、その食べ残された食物が捨てられる瞬間、飢餓に苦しんでいる子どもたちが腹をすかし苦しみ、そして餓死している姿を想像することができるのだろうか。
捨てられる食物が、どこの国の貧しい農民から買い取られてきたかを思い浮かべてほしい。その食物の一粒一粒に、かの国の農民の命が込められ、血が混じり、うめき声が打ち込まれているのだ。
21世紀、われわれは狭小な国家主義を克服し、世界の人々と共に生きることを考えねばならない。教育もそうした視野を持たなくてはならない。人間が人間として生きるためには、最低限の豊かさが保証されなくてはならない。食料の分配について平等を守る義務が必要だ。
先進国である日本などが、食料を買占めさえしなければ現代でも世界の人々を養う量の食料は生産されている。宮澤賢治が「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」と述べたが、二十一世紀はまさにこの心を胸に、日本人は努力すべきではないか。


□甲田さまへ/けんちゃん (517)投稿日 : 2005年08月28日 (日) 01時26分

私のメールアドレスを記載します。
想いを次世代の私にも生の声で伝えていただけませんか?
私がもっとも危惧しているのは、行間の想いが誤解を生むことです。なぜなら、それこそ以前甲田様が仰ったように、教育の現場において、実学の要素が欠落していると実感しているからです。

個別にメールいただければ、私の思いもお伝えできると思います。私は確かに大学を出ました。が、その教育世界に疑問を持っている人間です。

だから、独立しました。

何者にも振り回されない、自己を確立するには現実世界との確執や対決や和解がありうると思っているからです。

次世代を悲観しないでください。心よりお願いします。
お願いします。

だからこそ、皆様の声が記載されているBBSに記載しているのです。私は、理想を持つリアリストであるべきだと思っています。だからこそ、人間の生命や生き様を一番重要に思っています。

歴史学者ではありませんが、そういう見地では、ヒューマニズムは過去の方程式に収まってしまいます。

それでは、だめだと思っています。その意味では悩みは私も悩みはつきません。

どうぞ、お願いします。絶望は極論すれば悪になってしまいます。力ある善意ある人が必要なのに、その人が諦めてしまっては私たちの次の世代に引き継ぐことに自信がもてなくなってしまいます。

心よりお願い申し上げます。


絶望だけはいけません。私も精神科に10年以上通っています。
絶望だけは、いけません。

もうこの世に残りたくない。
甲田 (514)投稿日:2005年08月26日 (金) 02時45分 返信ボタン

血小板を含めすべての値がほぼ正常値の10分一の値。余命3年程と思われる。もう地上から消えるよきときか。
しかし、日本に生まれてきたことを情けなく思う。少しもよくならない。
昔、五島慶太(強盗慶太)子分に横井英樹
  堤康次郎(ピストル堤)
みな虚業家だ。ホリエモンも、ソフトバンクも同じ虚業家だ。こうした人間がいつまでもてはやされるのか。
まじめに働いても、病に倒れた今、年金、その他大きな不安を抱えている。そうした問題に真剣に取り組まず、1400億円強奪する人間を英雄のように語る日本人にほとほと愛想が尽きた。

□ですから(^^;/とほほ (516)投稿日 : 2005年08月27日 (土) 02時32分

> 1400億円強奪する人間を英雄のように語る日本人にほとほと愛想が尽きた。

強奪したのではなく1400億円で巨大な組織に丸め込まれたのです。現実にはホリエモンはそんな金は要らないのですよ。日本放送の経営権を握る事の方がほっぽど金になりますし、現在のマスコミ業界の一角を切り崩せるのです。大体それをポンと支払ったフジテレビの株主たちは猛抗議をしているでしょう。意味のない支払いなのです、ただただ自分の権勢を維持するのが目的です。株主の意思を全く無視したやり方なのです。

ホリエモンがなぜそれだけの株を集める事ができたのだと考えているのですか?株主がホリエモンを選んだのですよ。

表面上の印象操作に乗せられてはならない。現に和解移行のホリエモンの扱いがマスコミでがらっと変わったでしょう。だから今英雄視されている。今のホリエモンと巨悪に堂々と挑戦し勝った頃のホリエモンの評価は全く別物、今のホリエモンは巨悪の一員となったのです。

矛盾したルールの中で勝ったということの意味をわかりやすく説明しましょう。
徒競走で言えば挑戦者はチャンピオンより3秒後にスタートしなくてはならないと言う矛盾したルールーの中でホリエモンは挑戦者として勝ったのです。これ自体は英雄視されて良い事です。しかし以前に私が不安を表明したとおり巨悪に丸め込まれたのです。

今の孫さんもホリエモンも虚業家に転落したのは確かです、しかしその根拠を見誤っては絶対にいけません。そんなことでは何時までも人類に自由も公正さも実現しません。

そして、こうしたことは日本の産業界では常に行われており何時までたっても矛盾した社会構造が実現しない原因なのです。それを知らねばダメです。

ux:ued@q@e
甲田 (511)投稿日:2005年08月24日 (水) 15時19分 返信ボタン

一流といわれる「商社」の幹部社員が「排気ガス」の数値を偽り、詐欺の容疑で逮捕され、道路公団の「橋梁談合」容疑で幹部役員の元公団理事が逮捕された。
一流企業の犯罪である。商社員は「開発が間に合わないと会社に損害を与える」と天下りの元理事は「公共工事の談合は、この業界の慣行」と語っている。彼らの多くは一流大学といわれる大学の卒業生である。一流の会社ともなればそれだけ社会的にも、人間としても多くの人々から尊敬され、それだけの責任を果たしうるものとされた。一流とは何か。
幻想ではあったが。
「物の興廃は必ず人に由る」と空海が語ったが、教育のありように原因があるのではないか。何のための仕事であるのか、など肝心なことを吟味することがなくなったのが日本の社会である。他の全ての人々のことを顧慮し、他者の立場に自己をおく能力の欠如である。
敗戦後の経済的困窮の状態の中で経済の復興こそが鍵とされた。国民はその一点に集中することによって奇跡的な経済復興を遂げたといわれるが、アメリカの経済支援、朝鮮特需などという外的要因のあったことも忘れてはならない。
経済復興が一段落し「もはや戦後ではない」と語られた時、その段階で改めて「何のための仕事か」を問い直すべきだった。しかし「日本列島改造」土地ブーム、自己の利益のみをのみが優先されてきた。
 受験戦争がその頃より激烈になり、それに勝ち抜いた秀才は、肝心のことを学校ではまなばず、受験のテクニックを学んだだけだ。経済が自立し、選択の自由が拡がったにもかかわらず、教育では詰め込み主義、受験主義が続き、一人一人が抱く願いや可能性を引き出す教育は閉ざされてきた。学校も、受験の成果のみで評価される。
個人的な立身出世と他者との競争に勝つことだけを学でいる。他者のために自分は何をなすべきかが欠けている。今の政治家もそうである。長期的視野に立って人間のもつ可能性を信じ、これを育むことによって、学校も、社会も人間としての底力を養うことができるはずだ。しかし、目先の一点、目先の利益に人々は埋没してしまっている。心は幼児のままで、自利主義で、他者感覚の欠如した、幼児性の肥大化した高校生が日本で大量に生み出されている。
もううんざり。幼稚な文部科学大臣。石原都知事等がその代表だ。慎太郎は「よだれ掛け」でもかけて記者会見したらどうだろう
総合的に学習することが必要である。空海は「(5味の内の)1味だけでは美膳はなり難い。(5音の内の)1音だけでは、妙なる調べは作れない」と語り、諸学を兼ね綜(す)べて学ぶこと、つまり総合的な教育の重要性を強調している。フィロソフィが欠如した今の日本の教育は欠陥だらけである。
 教育の環境が大切である。『論語』に「仁の広がるところにおらずして、どうしてものごとを知ることができようか」とある。人間として他者に対する思いやり、愛情に満ちた雰囲気である。それは、個人的な立身出世を求める功利的な現代の教育、競争を強いる学校とは正反対である。
日本は衰退するであろう。希望見えない現実だが、未来は青年のものである。



□同感です/けんちゃん (513)投稿日 : 2005年08月25日 (木) 23時34分

甲田様
引用する必要を感じないほど、同感です。
他に言葉はありません。
31歳の社会人として良識ある判断をしていく決意を新たにしました。
ありがとうございます。

とほほ様・読んでいただき有難う。マックス・ウエヴァーの考えです。参考にしてください。腐敗した資本主義の前の時代の話かもしれません。
甲田 (510)投稿日:2005年08月24日 (水) 14時33分 返信ボタン

十七世紀前半のオランダ独立戦争当時、オランダの死の商人ベイラントは封鎖線をこっそり破り、敵であるスペインに武器を売りました。民衆が激怒しベイラントを非難しました。彼は『オランダでは商業は自由のはずだ。もし必要があれば地獄へでも船を乗り入れる』と言ったという。
本当の自由はそういう自由ではない。道徳とか倫理とか言うものを無視し、皆が悪いということを平気でする、したい放題の自由。近代の自由はそうしたものを押し潰すか、あるいは否定して近代の自由は生まれた。
近代の自由は、鉄筋コンクリートに例えるならば、鉄筋の骨組みにあたるような倫理の骨組みがある。ベイラント的自由は『倫理の骨組みのない自由』である。
倫理をものともせず突進できる自由は、一番金が儲かる方法に走る。濡れ手でアワ、金をつかもうとする。政治に結びつき政治の庇護を得て設ける、独占をやる、買占めをする、それにマネーゲームや投機をする。政治を志向する資本主義だ。
ワイロが横行するような社会では、近代的な合理的なマーケットも生まれない。合理的なマーケットが成立するためには、各個人がフェアに行動することが絶対に必要である。全体がフェアに行われるためには人間が目前の欲望をかなりの程度、抑えることができなければならない。
幕府に近づく政商として投機で大もうけをした紀伊国屋文左衛門型の商人は、イギリスのピューリタンの目には地獄の下のほうに落ちるとされた。イギリス等では、ピューリタン革命以後古い政商的自由は否定され新しい自由が勝利を収めた。そして産業革命へと発展していった。
日本は先進国をお手本にして資本主義制度を輸入する形で近代化が行われたが、結局新しい自由は生まれず、封建時代の古い商人や金貸しが現代まで流れ込んでいる。
名誉革命を成し遂げたジェントリ―の政治家は「経済に専心している経営者は経営に対する知識は深くなるが、全体を公平に見渡すこともできない。我々は自分で経営しないので全体を公平に見られる。だからわれわれの方がいい。高度の教育を受けていながら平気で倫理を無視する人が多いのは何故か。政治屋(ポリティシャン)は多いが政治家(ステーツマン)は日本にはいないようだ。




□マックス・ウェーバーの主張することとは何か?/とほほ (512)投稿日 : 2005年08月24日 (水) 19時23分

私が問題にしているのはホリエモンが行ったことのの評価についてなのですよ。
甲田さんが最初に為したホリエモンの行為に対する評価に対して全くマックスウェーバーの論理はその評価を支持してません。

具体的には、マックスウェーバーの論理は当時の資本主義経済の矛盾ルール違反を指摘したもので、そのこと自体は誤ってはいない、のだが、フジテレビもホリエモンもその資本主義経済のルールの中で行われたことであり、しかも私はホリエモンのしたことはマックスウェーバーの論理を実践するという評価はあってもその逆は成り立ちません、と主張しているのです。

現実にホリエモンがしようとしたことは資本主義経済のルールに従った真っ当な行為であり会社の合法的合併・吸収・乗っ取りは民主主義の理念に沿ったものなのですよ。逆にこれを阻害する事が独占資本や既得権やファシズムを生み出す体制を作る事になり、危険なのです。ですからフジテレビが逆にやろうとしたことのほうが商倫理的には明らかに不道徳な行為であり、違法性も疑われます。

甲田さんの評価ではホリエモンは大金をフジテレビに請求しそれに応じた。ですがこれは逆です。ホリエモンの成功を見て慌てたフジテレビが大金でホリエモンを買収したのです。このことによりlivedoorはフジテレビの傘下に入り巨大な体制に吸収合併されたのです。これがマックスウェーバーの言うところの

【ワイロが横行するような社会では、近代的な合理的なマーケットも生まれない。合理的なマーケットが成立するためには、各個人がフェアに行動することが絶対に必要である。】

と言う事です。

livedoorは全くフェアに競争して勝ったのです。それに賄賂を送ったのがフジテレビです。収賄は双方に悪性がありますのでホリエモンに一票を投じようとしている方は御一考ください、と私が言っているのはこのことです。

自由獲得へのあくなき要求は民主主義に与えられた使命です。他者の人権を侵さない限りにおいて人間はあくまで自由です。その為に法律がありフェアな競争の実現に向けて社会を変革させていかなくてはならない。ホリエモンはフェアに戦いフェアに勝ったのです。
甲田さんはただテレビ報道で受けた印象を語っているに過ぎないと私が主張したのはホリエモンが行った行為のどこが商倫理に反した不道徳な行為であったのか?を論証していないからです。株式会社と言うのは例え一代で築き上げたものであろうが社長の私物ではありません。株式を発行するとはそう言う意味なのです、それを条件に大勢の人から資金を集めるのです。

反論があるのであればホリエモンがアンフェアであったことを具体的に甲田さんは示さねばなりません、が、示せませんでしょう?実は報道もその具体例を一切示さずに印象操作をしたのです。マスメディア業界全体がです。これには具体的な論拠もあります。例えば「livedoorの参画は外国資本が日本のジャーナリズムに参画することであり、これには問題がある」として放送業界全員一致でこの声明に賛意を示しているのです。
こう言うマスコミの考え方自体に問題がありますが論点が異なるのでここでは避けます。この声明は業界が輸送船団方式で一致団結して自らの利権を守ろうとした、アンフェアな競争を宣言しているのです。

甲田さん、論点をそらした議論はいけません。livedoorのどこがアンフェアであったのか論証してください。

正直に言いましょう、IT業界のマスコミへの参画は民衆が期待している事なのです。最初にそれを裏切ったのがソフトバンクです。が、livedoorは見事に成し遂げた、だから期待が大きかったのですが、フジテレビに妥協した事でこれも期待を裏切ったのです。おそらくは孫さんの説得がかなり有効に働いたはずです。インターネットにも旧態前とした【矛盾した社会構造】が働き始めているのです。

些折 (507)投稿日:2005年08月23日 (火) 22時19分 返信ボタン

政治を私物化する時代。ホリエモンといってアイドルのようにテレビは報じていますが、本当にそれでいいのでしょうか。フジテレビから理不尽なやり方で1400億円払わせたのですよ。彼のような人が政治家になるとすれば、国民の税金が理不尽に私物化されるのではないでしょうか。ああ恐ろしい。理不尽にも脅されたフジテレビは1400億円払いました。
昔は、前尾繁三郎、灘尾末吉、椎名悦三郎など、城山三郎さんも尊敬し『三賢人』として作品にされています。てそれなりに人間と尊敬されるべき人格を備えた、風格のある大人の政治家がいました。今は皆無です。これでいいのでしょうか。

けんちゃん・とほほ・さん
木村繁次郎です (506)投稿日:2005年08月23日 (火) 20時44分 返信ボタン

非常に好いご意見を有難うございました、もし、衆院で、郵政民営OKで参院で又ケッチンならどうなるの??又選挙・こんな、幼稚な心配するように、なりました、木村繁次郎です。書き込みに、レス遅れて、御免ください。では又 

こんばんは、選挙について
けんちゃん (501)投稿日:2005年08月19日 (金) 02時27分 返信ボタン

木村様

こんばんは、遅くに失礼いたします。
私は、どうにも納得いかない場合には、白票で投票します。

でも、主に政策以外でみる部分は、候補者の表情と、目の輝きです。なんだか、夢見がちですが、それとリアリティは別物として日々、一歩でも前進と思っています。

□政策と政治信条イデオロギー/とほほ (502)投稿日 : 2005年08月20日 (土) 09時26分

どうも、昨今は政策とイデオロギーや政治信条を別物として政策を重要視すると言う傾向が強く、民主党などもそれを前面に地出しているわけですが、政策と言うのは政治信条やイデオロギー(理念)により以下にでも運用できるのです。ですから政治家のイデオロギーや政治信条は投票する上でとても大切なものだと思います。

例えば先日テレビで中曽根氏がこんなことを言っていました。

「当時は、自衛隊は軍隊ではない、と言うしかなかったから軍隊ではないと言う事で法案を通したが、国民はあれが軍隊である事はわかっていて指示してくれたのだと思うよ」

こう言う政治信念の人に投票できますか?

「あの時は強制しない、と言うしかなくて法案を通したが、国民は法案が通れば強制されることはわかっていて指示したのだと思うよ」

と言っているのと同じ事ですよ。
(言わなくてもこれが何の法案の事だかわかりますよね(笑))

□狭い、偏屈、基盤なし/けんちゃん (503)投稿日 : 2005年08月20日 (土) 15時20分

政策論争が有名無実化していることを見抜きましょう。
イデオロギーが過去の遺物となりつつある現状を認識しましょう。
政治信条が、「政治」の枠でしかないことに気づきましょう。

それらすべての基盤は、生身の人間の判断になり、かつ生身の人間はあらゆる情報に振り回され続けている(私も含め)現実を認識しましょう。

1.政策
2.政治信条
3.イデオロギー

これらは、その基盤に候補者の人間としての哲学が根底になければ、すなわち、自分の生き様そのものをさらしていない限り、どの候補者も私は信任しない。

下手に議論だけして行動を伴わない人、痛みを実感していない人にいったいどれだけ、期待など込められるでしょうか?

現在の産業構造や、社会構造は、見事に崩壊しつつあるのは私はサラリーマンとして体験してきたつもりです。

学者論議は無駄なので、退散いたします。


□それです。/とほほ (504)投稿日 : 2005年08月22日 (月) 15時49分

> これらは、その基盤に候補者の人間としての哲学が根底になければ、すなわち、自分の生き様そのものをさらしていない限り、どの候補者も私は信任しない。

「人間の根底としての哲学」このことを政治信条とかイデオロギーと言うのではないでしょうか。

> 現在の産業構造や、社会構造は、見事に崩壊しつつあるのは私はサラリーマンとして体験してきたつもりです。

まさに政権党に政治信条がないことの結果ですよね(^^;
社会構造に矛盾があれば必ず崩壊します、そうなる前に社会構造の矛盾を是正しておかねばならないのです。ところが矛盾のある社会構造で実権を持っている人が権力を握りますので矛盾を是正しようとはしません。これは民主主義ではないのです。

政治信条が政治の範囲内で、、、。って考え方そのものが政治と言うものに対する信条が薄いのですよ。政治ってのは駆け引きの事ではないです。

民主主義の根幹は、多数決やパワーバランスではなく、全ての人の人権が保証されねばならない、と言う政治信念やイデオロギーが大切なのです。木村さんがおっしゃるようにそれは大変に難しい事です。ですが、それを公然と否定するようなことを言う人間にいくら自分の得になるからといって投票してはなりません。

□真摯なご意見に感謝いたします。/けんちゃん (505)投稿日 : 2005年08月22日 (月) 20時31分

人間の歴史はほとんどの場合以下の順序で劇的な変化が起こります。

1.既存の寿命を迎える社会構造のゆがみの認知(発見)
2.次世代の世界の骨子形成(構築)
3.骨子を現実に固める(運用)

1を実行した人間はほぼ異端児であり、実行後に消えます。
2の人間も役割を果たしたのち、表舞台から消えます。
3の人間が首長となり、次世代の社会の基盤を強化していく。

中国、日本、では方程式のようにそうなっていますね。

ローマではその方程式が「ローマ」という中で繰り返されたのですから。


これこそ、机上の学問でしたが。。。

ただ、無意味ではないと本音では思っています。

> 現在の産業構造や、社会構造は、見事に崩壊しつつあるのは私はサラリーマンとして体験してきたつもりです。

これは多くの方々が感じていることのはずです。それはまさに私たちが時代の転換点にいることを意味しています。

私は、次の社会が生まれる瞬間に生きていると自覚しています。
少なくとも今までは瞬間的な細部において単に対処療法がなされてきたのみだと認識しています。

いろいろな今までの言葉の定義が飛び交っていますが、その実態が言葉と結びつかないのが制度の疲労が限界に来るころの社会の当たり前の姿です。また、民主主義という今のところベストではなくともベターな制度が有効なのは理解しています。

民主主義もまだ人間が豊かになる上での通過点と位置付け、人間の試行錯誤が続いていくはずです。

私は、有史以来の人間の葛藤の歴史を大まかにしか把握しません。そして、今できることは、候補者をしっかり見極めることのみです。

>「人間の根底としての哲学」このことを政治信条とかイデオロギ
>ーと言うのではないでしょうか。

「政治家」という範囲において私は上記に同感です。
ただ、これからは「政治家」という専門職的な用語は必要ないと思います。(個人的な意見)
多くの専門職は、権威を持ち、それを自分で制御できません。
専門職という肩書きが、その人間の精神に与える傲慢的要素は余りあるのではないかと思っています。

政治のみでなく、ビジネスでも、またあらゆる人間関係でも同じことが言えます。

この4ヶ月程度、経営を始めてから、いろいろな情報が交錯する中で何が本物なのか、大いに悩みました。


31歳です。勉強して大学にいって就職すれば安心して生活できるという神話を信じていやいや刷り込みの学習をしてきて、梯子を上りきってようやく安心できる・・・という瞬間に梯子をはずされた年代が、31歳、32歳という年齢です。

その後もいろいろですが、多くを記載するのも苦痛を思い出すのみですので、勘弁いただきたい。

もし、個別に対話ができるなら、うれしいことです。
選挙については特に語るつもりはございません。

一番最初の投稿で記載したことが私の今の立場です。





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