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こんばんは、選挙について |
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けんちゃん
(501)投稿日:2005年08月19日 (金) 02時27分
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木村様
こんばんは、遅くに失礼いたします。 私は、どうにも納得いかない場合には、白票で投票します。
でも、主に政策以外でみる部分は、候補者の表情と、目の輝きです。なんだか、夢見がちですが、それとリアリティは別物として日々、一歩でも前進と思っています。
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□政策と政治信条イデオロギー/とほほ
(502)投稿日 : 2005年08月20日 (土) 09時26分
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どうも、昨今は政策とイデオロギーや政治信条を別物として政策を重要視すると言う傾向が強く、民主党などもそれを前面に地出しているわけですが、政策と言うのは政治信条やイデオロギー(理念)により以下にでも運用できるのです。ですから政治家のイデオロギーや政治信条は投票する上でとても大切なものだと思います。
例えば先日テレビで中曽根氏がこんなことを言っていました。
「当時は、自衛隊は軍隊ではない、と言うしかなかったから軍隊ではないと言う事で法案を通したが、国民はあれが軍隊である事はわかっていて指示してくれたのだと思うよ」
こう言う政治信念の人に投票できますか?
「あの時は強制しない、と言うしかなくて法案を通したが、国民は法案が通れば強制されることはわかっていて指示したのだと思うよ」
と言っているのと同じ事ですよ。 (言わなくてもこれが何の法案の事だかわかりますよね(笑)) |
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□狭い、偏屈、基盤なし/けんちゃん
(503)投稿日 : 2005年08月20日 (土) 15時20分
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政策論争が有名無実化していることを見抜きましょう。 イデオロギーが過去の遺物となりつつある現状を認識しましょう。 政治信条が、「政治」の枠でしかないことに気づきましょう。
それらすべての基盤は、生身の人間の判断になり、かつ生身の人間はあらゆる情報に振り回され続けている(私も含め)現実を認識しましょう。
1.政策 2.政治信条 3.イデオロギー
これらは、その基盤に候補者の人間としての哲学が根底になければ、すなわち、自分の生き様そのものをさらしていない限り、どの候補者も私は信任しない。
下手に議論だけして行動を伴わない人、痛みを実感していない人にいったいどれだけ、期待など込められるでしょうか?
現在の産業構造や、社会構造は、見事に崩壊しつつあるのは私はサラリーマンとして体験してきたつもりです。
学者論議は無駄なので、退散いたします。
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□それです。/とほほ
(504)投稿日 : 2005年08月22日 (月) 15時49分
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> これらは、その基盤に候補者の人間としての哲学が根底になければ、すなわち、自分の生き様そのものをさらしていない限り、どの候補者も私は信任しない。
「人間の根底としての哲学」このことを政治信条とかイデオロギーと言うのではないでしょうか。
> 現在の産業構造や、社会構造は、見事に崩壊しつつあるのは私はサラリーマンとして体験してきたつもりです。
まさに政権党に政治信条がないことの結果ですよね(^^; 社会構造に矛盾があれば必ず崩壊します、そうなる前に社会構造の矛盾を是正しておかねばならないのです。ところが矛盾のある社会構造で実権を持っている人が権力を握りますので矛盾を是正しようとはしません。これは民主主義ではないのです。
政治信条が政治の範囲内で、、、。って考え方そのものが政治と言うものに対する信条が薄いのですよ。政治ってのは駆け引きの事ではないです。
民主主義の根幹は、多数決やパワーバランスではなく、全ての人の人権が保証されねばならない、と言う政治信念やイデオロギーが大切なのです。木村さんがおっしゃるようにそれは大変に難しい事です。ですが、それを公然と否定するようなことを言う人間にいくら自分の得になるからといって投票してはなりません。 |
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□真摯なご意見に感謝いたします。/けんちゃん
(505)投稿日 : 2005年08月22日 (月) 20時31分
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人間の歴史はほとんどの場合以下の順序で劇的な変化が起こります。
1.既存の寿命を迎える社会構造のゆがみの認知(発見) 2.次世代の世界の骨子形成(構築) 3.骨子を現実に固める(運用)
1を実行した人間はほぼ異端児であり、実行後に消えます。 2の人間も役割を果たしたのち、表舞台から消えます。 3の人間が首長となり、次世代の社会の基盤を強化していく。
中国、日本、では方程式のようにそうなっていますね。
ローマではその方程式が「ローマ」という中で繰り返されたのですから。
これこそ、机上の学問でしたが。。。
ただ、無意味ではないと本音では思っています。
> 現在の産業構造や、社会構造は、見事に崩壊しつつあるのは私はサラリーマンとして体験してきたつもりです。
これは多くの方々が感じていることのはずです。それはまさに私たちが時代の転換点にいることを意味しています。
私は、次の社会が生まれる瞬間に生きていると自覚しています。 少なくとも今までは瞬間的な細部において単に対処療法がなされてきたのみだと認識しています。
いろいろな今までの言葉の定義が飛び交っていますが、その実態が言葉と結びつかないのが制度の疲労が限界に来るころの社会の当たり前の姿です。また、民主主義という今のところベストではなくともベターな制度が有効なのは理解しています。
民主主義もまだ人間が豊かになる上での通過点と位置付け、人間の試行錯誤が続いていくはずです。
私は、有史以来の人間の葛藤の歴史を大まかにしか把握しません。そして、今できることは、候補者をしっかり見極めることのみです。
>「人間の根底としての哲学」このことを政治信条とかイデオロギ >ーと言うのではないでしょうか。
「政治家」という範囲において私は上記に同感です。 ただ、これからは「政治家」という専門職的な用語は必要ないと思います。(個人的な意見) 多くの専門職は、権威を持ち、それを自分で制御できません。 専門職という肩書きが、その人間の精神に与える傲慢的要素は余りあるのではないかと思っています。
政治のみでなく、ビジネスでも、またあらゆる人間関係でも同じことが言えます。
この4ヶ月程度、経営を始めてから、いろいろな情報が交錯する中で何が本物なのか、大いに悩みました。
31歳です。勉強して大学にいって就職すれば安心して生活できるという神話を信じていやいや刷り込みの学習をしてきて、梯子を上りきってようやく安心できる・・・という瞬間に梯子をはずされた年代が、31歳、32歳という年齢です。
その後もいろいろですが、多くを記載するのも苦痛を思い出すのみですので、勘弁いただきたい。
もし、個別に対話ができるなら、うれしいことです。 選挙については特に語るつもりはございません。
一番最初の投稿で記載したことが私の今の立場です。
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