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甲田
(511)投稿日:2005年08月24日 (水) 15時19分
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一流といわれる「商社」の幹部社員が「排気ガス」の数値を偽り、詐欺の容疑で逮捕され、道路公団の「橋梁談合」容疑で幹部役員の元公団理事が逮捕された。 一流企業の犯罪である。商社員は「開発が間に合わないと会社に損害を与える」と天下りの元理事は「公共工事の談合は、この業界の慣行」と語っている。彼らの多くは一流大学といわれる大学の卒業生である。一流の会社ともなればそれだけ社会的にも、人間としても多くの人々から尊敬され、それだけの責任を果たしうるものとされた。一流とは何か。 幻想ではあったが。 「物の興廃は必ず人に由る」と空海が語ったが、教育のありように原因があるのではないか。何のための仕事であるのか、など肝心なことを吟味することがなくなったのが日本の社会である。他の全ての人々のことを顧慮し、他者の立場に自己をおく能力の欠如である。 敗戦後の経済的困窮の状態の中で経済の復興こそが鍵とされた。国民はその一点に集中することによって奇跡的な経済復興を遂げたといわれるが、アメリカの経済支援、朝鮮特需などという外的要因のあったことも忘れてはならない。 経済復興が一段落し「もはや戦後ではない」と語られた時、その段階で改めて「何のための仕事か」を問い直すべきだった。しかし「日本列島改造」土地ブーム、自己の利益のみをのみが優先されてきた。 受験戦争がその頃より激烈になり、それに勝ち抜いた秀才は、肝心のことを学校ではまなばず、受験のテクニックを学んだだけだ。経済が自立し、選択の自由が拡がったにもかかわらず、教育では詰め込み主義、受験主義が続き、一人一人が抱く願いや可能性を引き出す教育は閉ざされてきた。学校も、受験の成果のみで評価される。 個人的な立身出世と他者との競争に勝つことだけを学でいる。他者のために自分は何をなすべきかが欠けている。今の政治家もそうである。長期的視野に立って人間のもつ可能性を信じ、これを育むことによって、学校も、社会も人間としての底力を養うことができるはずだ。しかし、目先の一点、目先の利益に人々は埋没してしまっている。心は幼児のままで、自利主義で、他者感覚の欠如した、幼児性の肥大化した高校生が日本で大量に生み出されている。 もううんざり。幼稚な文部科学大臣。石原都知事等がその代表だ。慎太郎は「よだれ掛け」でもかけて記者会見したらどうだろう 総合的に学習することが必要である。空海は「(5味の内の)1味だけでは美膳はなり難い。(5音の内の)1音だけでは、妙なる調べは作れない」と語り、諸学を兼ね綜(す)べて学ぶこと、つまり総合的な教育の重要性を強調している。フィロソフィが欠如した今の日本の教育は欠陥だらけである。 教育の環境が大切である。『論語』に「仁の広がるところにおらずして、どうしてものごとを知ることができようか」とある。人間として他者に対する思いやり、愛情に満ちた雰囲気である。それは、個人的な立身出世を求める功利的な現代の教育、競争を強いる学校とは正反対である。 日本は衰退するであろう。希望見えない現実だが、未来は青年のものである。
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□同感です/けんちゃん
(513)投稿日 : 2005年08月25日 (木) 23時34分
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甲田様 引用する必要を感じないほど、同感です。 他に言葉はありません。 31歳の社会人として良識ある判断をしていく決意を新たにしました。 ありがとうございます。 |