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「ゴエンの〔仮設〕ウェブサイト」掲示板(運用終了)

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北千住丸井を見て思ったこと
ジョー万太郎 (376)投稿日:2004年02月28日 (土) 23時51分 返信ボタン メール ウェブサイト
昨日開店した丸井北千住店に行ってきました。北千住店は他の店舗がファッションを中心としたテナントで持っているのに対して、ファッションに限らずさまざまなテナントが入居することで、一味違った丸井のように感じます。例えば、紀伊国屋書店や東急ハンズといった他の場所では、一つのビルとして持っている店は、これまで丸井というファッションビルの中では見たことがないような気がします。(ノジマは、丸井中野店に小さいながらも出店している)
同店は、丸井そのもののイメージ転換点にも思えます。新宿や池袋、渋谷、上野といったターミナル駅にある丸井は他デパートと差別化するためにファッション性の傾向が強く、丸井そのもののイメージになってしまうのですが、北千住の場合はただのファッションビルだけではもったいないというかやっていけない感じが見えます。北千住の立地そのものも、東武伊勢崎線・常磐線・千代田線・日比谷線が交差するターミナル駅で、東武線や常磐線沿線の足立区や葛飾区はもちろんですが、草加市や松戸市などといった広域的な集客も期待できるところにもあるのではないでしょうか。つくばエクスプレスが開業すれば、八潮市、三郷市など更に商圏が広がる可能性もあります。そもそも北千住自体が、ターミナル駅に関わらず、地域に密着した商店街でわざわざ途中下車してまで集客力の高い店がルミネ内の一部テナント以外にあるくらいで、広域集客力は小さかったようにも思います。丸井北千住店の意図はこの点にあるので、一味違った丸井であるようにも思います。
ところで、丸井完成で、直接対決となるルミネや周りのトポスやヨーカドーといった大型店や地域の商店街はどのような影響を受けるのでしょうか?商店街の方は、あくまでも地域密着を主に打ち出しているので、ゴーイングマイウェイの方針を貫いて欲しいと思います。また、北千住の場合は大型店と商店街の共存も十分可能なようにも思います。現住居の近くの中野や阿佐ヶ谷、荻窪といった所は、駅近辺に大型店もあるが、商店街も活気付いており、上手く共生しています。
地域とイメージを変える丸井北千住店。果たしてどのような結果が出るか楽しみです。

■「丸井北千住店」ではなく「北千住マルイ」といいます。/ゴエン(管理・責任者) (377)投稿日 : 2004年03月03日 (水) 00時38分 メール ウェブサイト
 仮称の段階では「丸井北千住店」だったのですが、正式な店名は「北千住マルイ」になりました。
 丸井って「丸井○○店」「マルイシティ○○」など店名にいくつかのパターンがあって、どういう使い分けをしているのか今一つ分からないものも少なくないんですよね。北千住以外で「○○マルイ」という店名なのは神戸だけですが、丸井の中では小規模店である神戸マルイと、丸井最大の売場面積を誇る北千住マルイに、一体どんな共通点があるのか…?

 それはともかく、私もこの前の日曜に行ってきました。開店後最初の日曜とあって混んではいましたが(初日の27日には開店時間を15分繰り上げたそうです)、都内では新宿高島屋以来の百貨店の新規開店だった割には思っていた程ではなく、客足が落ち着いてからの集客力にちょっと不安を感じました。また、丸井の自社ビルではなく再開発ビルに入居しているため、同じビルにコンビニや讃岐うどんの店、果てはパチンコ屋まで入っていて、百貨店としてのイメージにいささか問題ありかな…という気もしました。
 しかし、店全体を見て、丸井という百貨店が今後どういう店舗展開を目指しているのか、何となく分かる感じがしました。
 そもそもは月賦百貨店である丸井。「○│○│」のロゴを導入したり、芸能人を通じたPR戦略で若者向け高級ファッションに強い印象を広めたりした事で、イメージチェンジに成功した丸井。そして革命的な急成長を遂げたと経済界でも高く評価された丸井。…しかし百貨店協会には加盟しておらず、格としては“二流百貨店”の評価を脱していない丸井。
 その丸井が百貨店としては偏ったブランドイメージから脱し、老舗系や電鉄系に肩を並べる百貨店に脱皮するにはどうしたら良いか、その模索が「北千住マルイ」に現れている感じがします。ジョー万太郎さんの指摘された東急ハンズや紀伊國屋書店の出店ばかりでなく、丸井としては珍しい総合食料品フロアの設置など、大手百貨店と競合する店舗では危険が大きくて出来なかったであろう試み(実際、上野店にはかつて大規模な食品コーナーがあったが、徐々に縮小され、現在のマルイシティ上野に衣替えされる際に全廃されてしまった)が多く盛り込まれています。一方で、百貨店に付き物の大催事場はなく、この辺に今の丸井の限界も現れています(北千住の限界なのかもしれませんが(爆))。
 百貨店業が全体に縮小傾向にある中、丸井は再来年の秋に大阪・難波、その翌春には有楽町と、大型出店が続きます。ひょっとしたら、北千住の店作りがこれら大都市中心部の新店舗に生かされ、丸井のイメージがまた変わる時が来るのかもしれません。

>直接対決となるルミネや周りのトポスやヨーカドーといった大型店
 ルミネに関しては売り上げに響かないとは思えませんが、駅の規模の割には、北千住にはこれまで類似の店舗がありませんでしたから、きちんとした対応をすれば相乗効果を得る事も可能でしょう。
 北千住のトポスとヨーカドーは今や大型店とは呼べない程度の規模ですし(ヨーカ堂は1号店としての特別扱いで営業を続けている様なもの)、客層も商品の価格帯も全く違います(特にトポスには“安物屋”の雰囲気がある)から、丸井の影響があるとは思えません。

/たーしー (378)投稿日 : 2004年03月07日 (日) 21時49分 メール ウェブサイト
 ご無沙汰しております。

 かつての千住は宿場町として栄えていたものの、これまでの北千住駅は単なる乗り換え駅としての地位に甘んじていた感がありますね…
 それだけに北千住マルイの開店は、千住の町に活気を取り戻し、北千住駅のターミナル駅としての地位を一段と引き上げるための良いきっかけとできそうですね。
(もっとも個人的には、実家に近い丸井八王子店が近々閉店してしまうということで、複雑な気持ちでもあるのですが…)

 ちなみにどうでも良い話なのですが、丸井の"○|○|"は普通、どのように読まれるのでしょうかね…?
(某テレビ番組で、元モー娘。の安倍なつみさんが"○|○|"を"オイオイ"と読んでいたという事例が紹介(暴露?)されていたのを思いだし、↑のような疑問がふと湧いてきました。)

>ルミネや周りのトポスやヨーカドーといった大型店

 ルミネとイトーヨーカドーは私も、足立に越してきた翌日にすぐ行ったのですが、トポスがあることはつい最近になって知りました。(ぉぃ)
 先週の月曜日は泊まり勤務明けだったので、トポスへ初めて行ってきました。寂れたスーパーのような外観だったので、ちょっと萎えましたが…(苦笑)
 私が行ったのは平日昼間だったので、店内はかなりガラガラでしたが、それでも階段には、カードポイントの類をゲットしに来た人の長〜い行列(地下1階〜地上3階くらいまでの)ができていました。(殆どの人々は恐らく、トポス・イトーヨーカドーとルミネ・マルイとを使い分けていくのだろうな…と感じさせられた一場面でした。)

■「オイオイ」はみんな駅のそば…/ゴエン(管理・責任者) (379)投稿日 : 2004年03月08日 (月) 00時14分 メール ウェブサイト
 北千住で丸井の袋を提げた老人達の姿を見掛ける様になりました。食料品売場で買い物をしたのだと思いますが、他の殆どの丸井では考えられない光景ですね。北千住も、そして丸井自身も、やはり変わっていくのかもしれません。

たーしーさん>
>これまでの北千住駅は単なる乗り換え駅としての地位に甘んじていた
 長い間、首都圏で最も通勤ラッシュが深刻な駅とされていながら、昭和59年(…だったかな?)までは駅ビルすらなかったのですから、考えてみると勿体ない話ですよね。
 もっとも足立区の現在の再開発事業は、北千住西口にせよ、現在進行中の竹ノ塚西口や、これから本格着工する西新井西口にせよ、遅々として計画が進まなかった怪我の功名として、バブルに踊る様な無謀な巨大開発にならずに済んだ点は良かったと言えるでしょう(その分、見栄えも劣る点は否めませんが…)。

 トポス北千住店、以前は、あの規模のスーパーにふさわしい品揃えの、もっとちゃんとしたスーパーだったのです。経営会社(ダイエー)の業績悪化に合わせるかの様に魅力を失っていき、今では「寂れたスーパー」そのものになってしまいましたね。私も以前は下着類や家電など、あの店で色々と買っていましたが、今では寄ってみようとも思わなくなりました。

>安倍なつみさんが"○|○|"を"オイオイ"と読んでいた
 それ、地方出身者によくある失敗談なんです。あの人って確か北海道出身でしたよね? 私も「オイオイ」と読んだ九州出身の人を知っています。
 そもそも「○|○|」で「マルイ」って、あんまり上手いロゴじゃないと思いますし…。

『夜景ビジネス』なるものがあるそうです。
N1-Max北斗 (369)投稿日:2004年02月09日 (月) 20時59分 返信ボタン メール ウェブサイト
とある番組で聞いたのですが、『夜景ビジネス』と言うものがあるそうで・・・・(^^;;;;)。
夜景の美しいスポットを紹介するビジネス産業ですが、このスポットの種類が展望レストランからヘリによるクルージングまでと、本当にバラエティに富んでいます・・・・(^^;;;)。さらに夜景の種類でも1,000,000$(なぜこの表現を使うのでしょう?)の都市から山の幻想的な夜景までと、様々なシチュエーションに応じた夜景が豊富に揃っていました(^^)。

さらに最近は夜景写真家だけでなく夜景評論家まで登場している位ですから、夜景と言えども、まさに奥が深いですね・・・・(まあ、『三大夜景』という言葉がある位ですし・・・・・汗)

P.S
ちなみに札幌の夜景スポットは藻岩山ですが、そこから見る夜景も日本の三大夜景の一つである函館にも劣らないほど綺麗です。ただあそこのロープウェーは夜、アベックが多いと聞いていますから、あまり普段は行きたくないですね・・・・(汗)。

■確かに函館の夜景は美しかったなぁ…/ゴエン(管理・責任者) (370)投稿日 : 2004年02月11日 (水) 00時25分 メール ウェブサイト
 リンク先を拝見させて頂きましたけど、内容より「※商標登録『夜景評論家』第4408194号」というのに仰天ですね。「夜景評論家」という名前の商品を出すのならともかく、この人は文字通り「夜景」を「評論」する「専門家」を自任している訳なんでしょう? 自分の評論に自信があるのなら、他の人が同じ肩書を用いて活動しても怖くも何ともないはずです。何ともいかがわしいものを感じます。

 さて「100万ドルの夜景」ですが、電気代がどうのこうのって話を聞いた事があるな…と思いつつ、改めて調べてみました。
 一説には、最初にこのキャッチフレーズを打ち出したのは六甲山から見る神戸の夜景だそうで、当時、そこから夜景として見える範囲の1か月の電気代の概算が100万ドルだったんだそうです。この「ドル」がどこの国の「ドル」かは知りませんが…。
 ただ、更に調べていくと、そもそも「100万ドルの夜景」とは香港の夜景を指すのだとか、現在の神戸では「1000万ドルの夜景」と言うらしいとか、色々と変な情報も出てきまして…(汗)。
 北九州市八幡の皿倉山(さらくらやま)からの夜景は更にインフレを起こして(!?)「100億ドルの夜景」と称しています。今となっては、よくもまぁ恥じらいもなく…といった印象を受けてしまいますが、製鉄業華やかかりし頃は溶鉱炉の炎が夜空を赤く照らしていたといいますから、当時の夜景はさぞ壮観だったに違いありません(大気汚染も凄かったはずですが…)。

 ところで、夜の藻岩山って、怖いんですか?

■函館って本当に『世界三大』!?/N1-Max北斗 (372)投稿日 : 2004年02月11日 (水) 08時07分 メール ウェブサイト
>藻岩山
怖いかどうかは夜に行った事無いので断定できませんが(--;;ぉぃぉぃ)、アベックが多いのは確かだそうです。

>100万ドル
なるほど、電気代の概算だったのですね・・・。私はてっきり人口100万人以上の都市での『百万都市』と言う意味合いかと思っていました。ただ夜景の価値観そのものについては、色々な情報が飛び交っているみたいで、掴めない部分も多いですね・・・・。

ちなみに函館ですが、今調べてみましたらナポリ・香港と並ぶ『世界三大夜景』の一つにもなっているそうで・・・・(^^;;;)。私が初めて『世界三大夜景』を聞いた時(約10年位前)は『ナポリ・香港・リオデジャネイロ』と聞いていました。で、さらに調べていきますと『ナポリ・香港・サンフランシスコ』と言う一説もありまして、いつから函館になったのか、函館が本当に『世界三大』の一つなのかがちょっと気になりました(他の都市人口は全て100万を越えているのに、函館の人口は100万人どころか50万人にも満たないですし、ましてや世界で日本を知っている人って、東京以外の日本の都市がどれだけ分かるのかも微妙ですからね・・・・)。

ただ某掲示板の情報では、3つの夜景に共通するのは『光の多さや視界の広さ』で、ある程度(300m)の高さから見下ろす夜景で、かならず港が夜景の一部になっている事だそうです。となると、(主に山のある)『港町』限定って事でしょうか? 確かに日本の三大夜景『函館・神戸・長崎』でも全部港町ですし・・・・・。

また、南半球の三大夜景として『ケープタウン・リオデジャネイロ・(後一つは失念)』があるそうです。となると一般に言われている今の『世界三大夜景』、本当は『北半球の三大夜景』なのかもしれませんね・・・・。

■その世界三大夜景の一つですが/ばた(^-^)ノ (373)投稿日 : 2004年02月12日 (木) 19時48分 メール ウェブサイト
函館ですね。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/bata/sample_2.jpg(44KB)
おととい言った函館山からは,このような写真にしかなりませんでした(しかもすこし明るさなどを調整してます)。もっと暗くならないとだめですね。
(北半球の)三大夜景は,N1-Max北斗さんのおっしゃるとおり光の多さとある程度の高さから見下ろすといった条件ですが,もう一つ気づいたこと。風がかなり強いと思います。風が強いと大気は洗われ透明度が増します。海沿いは特に強く吹き抜けますから,夜景がきれいなところは海沿いが多いのかな?と勝手に想像しています。
あとは,港の風景が心に焼き付きやすいのかな〜?なんて勝手に想像しています。三大夜景は函館しかしらないですが,海と山が一緒に風景に写り込むところが多いと思うのですが,いかがでしょうか?

■光るばかりが夜景にあらず/ゴエン(管理・責任者) (374)投稿日 : 2004年02月14日 (土) 23時05分 メール ウェブサイト
 まぁ、「3大○○」の定義はしばしば曖昧ですからね。人や時代によって違っていたり、自分の所こそがその1つだと各地で主張し合っていたりする例は多々ありますし…(^ ^;)。
 (余所の掲示板ですが、「日本3大七夕」は仙台、平塚と、あと1つはどこ?というのが話題になった事がありました。「江戸3大祭」も今では神田祭、山王祭、三社祭とする人が多数派の様ですが、本来は三社祭は入らず、深川祭を加えるのが正統です。)

 有名な夜景スポットが必ずと言っていいほど港町である理由ですが、私は別の理由を考えています。まばゆい街の灯りと、漆黒の闇に包まれた海との対比が美しいからではないでしょうか。特に函館山は海に突き出した半島の先端部にあるため、一面の闇の中に光輝く扇形の市街地がぽっかりと浮かんで見えます。実際に函館の夜景を見て、これは単に光が美しいのではなく、光と闇の競演が織り成す技だと感激したものです。

都営バスの足立区内の再編と長距離バスの役割
ジョー万太郎 (221)投稿日:2003年02月11日 (火) 21時19分 返信ボタン メール
どうやら3月から4月にかけて足立区内で都営バスの路線の再編があるみたいですよ。

http://pluto.pobox.ne.jp/bus/news.shtml
http://www.city.adachi.tokyo.jp/topics/busrosen/bus.htm

私はその冊子を直接読んでいないのですが、結構大胆なことになるみたいですね。これには舎人新線の開通延期が影響しているそうです。今回は、亀有駅〜王子駅を結ぶ王30系統(都営・東武)の分割もあるそうですね。(王子駅〜足立区役所と亀有側は未定)王30にしても、自宅の近くを走る王78系統(都営・新宿駅〜高円寺陸橋〜豊玉北〜王子駅)や赤31系統(関東・国際興業 高円寺駅〜赤羽駅)も環七を走るせいで、定時運行ができる確率が低いものになっています。実際、赤31に乗車したとしても私はさいたま市方面の帰りに、始発から終着まで乗り通すことがありますが、さすがこのような客は少なく、赤羽からは板橋本町や長くても板橋区小茂根(小竹向原の近く)付近までで、高円寺側でも野方付近から乗車する人ばかりです。長距離路線バスは、利用者からも運転手からも厄介者なんでしょうね。しかし、前述のようなことを私がするのは、赤羽と新宿の乗り換えや埼京線を嫌って利用しているだけにすぎないのですが。一方で足立区方面は、あまりいい言い方ではないですが、公共交通のうち、鉄道の駅から離れた場所が多いので、長距離バスでも比較的利用者が多いように見えます。池袋でよく王子経由西新井駅行きの王40系統を見ますが、大盛況しているみたいですね。バスでも渋滞などの問題点があるが、交通が不便なところでは長い区間利用する人が多いということなのでしょうか。類似例として、都営の草39系統で、この路線は浅草寿町〜金町駅を概ね、都営浅草線・京成線に沿う形で国道6号線=水戸街道をひたすら走る路線なのですが、京成線から離れた場所を通る為、葛飾区内からの利用が多く、浅草方面行きは立ち席利用が多いです。
 今回の足立区の新路線は、比較はできないが、大きなインフラができる前にできることをやるとの印象がありますね。

■再編は始まったばかり/ゴエン(管理・責任者) (225)投稿日 : 2003年02月13日 (木) 21時57分 メール ウェブサイト
 ジョー万太郎さん,情報ありがとうございます。
 足立区役所に新たにバスが4路線乗り入れ,うち2路線は,新設のコミュニティバスと,都バス「草43」系統(現在は浅草雷門〜千住車庫)の区役所までの延長…というところまでは既に耳にしていましたが,ジョー万太郎さんの情報で,残り2路線についても分かりました。
 区では現在地に区役所が移転(平成8年春までは北千住にありました)して以来,「王30」の区役所乗り入れを,都交通局と東武に要望し続けてきたそうです。しかし都・東武は,「王30」は激しい渋滞から定時運転が困難で利用者離れが続いているのに,路線延長になる区役所への乗り入れなどできないと難色を示してきました。
 区役所乗り入れの代わりに路線を分割するのは,いわば区役所とバス事業者の希望を足して2で割った決着と言えるでしょう。
 「王78」は一度だけ乗った事がありますが,およそ実用に耐えない路線ですね…(汗)。環七の区間では,乗客も殆どいませんでした。
 「暮48」の舎人(とねり)二ツ橋への延伸は,新交通日暮里・舎人線の開業が遅れているためと考えて間違いないでしょう。日暮里・舎人線が開通すれば,「暮48」自体が縮小または廃止されると思われます。
 つくばエクスプレスと日暮里・舎人線の開通に伴い,足立区内では,まだまだバス路線の再編が続く予定です。

■王30系統あれから/ジョー万太郎 (238)投稿日 : 2003年03月27日 (木) 00時17分 メール
環七経由で亀有駅と王子駅を結ぶ王30系統が4月1日から都営バスは、亀有駅〜足立区役所間の有30系統と足立区役所〜王子駅間は、既存の王49系統(王子駅〜千住車庫)の一部に編入するようですね。共管である東武バスは、どうやら王子〜亀有のまま存続させるそうです。つまりこの路線は、東武のみになります。おそらく、西新井を越えて鹿浜〜大谷田あたりの利用者が多少なりともいるということなのでしょうか。
王48系統は舎人二ツ橋までの路線延長が行われるようですね。おそらくですが、舎人への新交通システムがなかなか開業しないことに対する苛立ちがあるのではないかと思います。

■廃止される急行と快速/ゴエン(管理・責任者) (239)投稿日 : 2003年03月27日 (木) 21時45分 メール ウェブサイト
 情報ありがとうございます。
 路線分割後は“王子側が都営,亀有側が東武”の様な整理を行うのではないかとか,公営交通である都交通局より,営利事業である東武の方が路線分割に積極的なのではないかとか,色々想像していたのですが,悉(ことごと)く裏切られました…(汗笑)。

 ところで,去る16日限りで,都バスの「急行03」(池袋〜北区・豊島五丁目団地)が廃止されました。少ない座席が埋まる程度の需要しかなかった「急行03」に対し,この路線の“各駅停車”版で,豊島五丁目団地より更に先の足立区・西新井駅まで行く「王40」は,朝夕はいつも超満員です。急行と“各駅停車”の運行区間が入れ替われば,乗客が分散し,長距離の所要時間も短縮されるのに…と期待していたのですが,単純に現状で乗客が少ない方だけが切り捨てられてしまいました。
 それから,これは足立区と全く無関係ですが,東京駅と臨海副都心を結んでいた快速バスも,今月限りで廃止されるそうで…。りんかい線全通を境に利用者が激減したそうですが,りんかい線と快速バスでは走って来る方角が全く違いますから,これはちょっと意外です。レインボーブリッジの渋滞に巻き込まれると二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなるのが敬遠されてしまったのかもしれません。

■王30の運転本数と朝日自動車/ジョー万太郎 (240)投稿日 : 2003年04月01日 (火) 00時41分 メール
昨日亀有へ行った際に、王30と有30の情報をチェックしてきました。王30の本数は、約2時間間隔の一日7往復だけで、有30系統もほぼ同じでした。つまり王30系統は、同じ亀有駅(南口)を発車する京成タウンの有01系統(亀有駅〜浅草寿町)並の本数になります。有30の場合は、北綾瀬付近から区役所への輸送がありそうですが、実際にはどうなのでしょうか?

そういえば、足立区営のバス「はるかぜ」号の綾瀬駅〜六ツ木都住間には朝日自動車による運行になっていましたが、このバスが都区内にまで乗り入れるのは珍しいのではないでしょうか?(朝日自動車は、越谷以北をエリアにしていると聞きましたので珍しいのではないでしょうか)

パソコンのメールアドレスが変更になりました。

/ゴエン(管理・責任者) (241)投稿日 : 2003年04月02日 (水) 00時01分 メール ウェブサイト
「王30」など,足立区内の環七経由の路線バス:
 情報ありがとうございました。
 今,都交通局のサイトで時刻表を確認しましたが,梅島陸橋(足立区役所)を境に王子側(王30と王49)と亀有側(王30と亀30)で,運転本数に大きな落差がありますね。後者が万太郎さんの仰る通りの状態なのに対し,前者は1時間当たり何本という様な本数で運転されています(加えて西新井以西には,赤羽駅とを結ぶ国際興業バスも走っています)。
 路線短縮の見返りに本数を増やして需要を喚起するぐらいの事は試みるのではないかと予測していたのですが…。
 王子側では,たとえ最寄駅でなくても王子駅に出れば,後は京浜東北線で都心まで一直線…と考える人も多いはずですが,亀有側では,綾瀬や北綾瀬が最寄り駅の人が,電車に乗るためにわざわざ亀有駅へ出る事は考えられません。(逆に,亀有が最寄駅の人でも綾瀬駅を使う傾向があります。都心からの千代田線電車に綾瀬折り返しが多いためです。)
 区役所輸送も,一般の人の場合は大概の用事は地元の区民事務所(区役所出張所)で済んでしまい,本庁舎まで出向かないといけない用事なんて滅多にないでしょうから…。

「はるかぜ」の朝日自動車:
 綾瀬〜六ツ木間の「はるかぜ」の停留所に掲示してある時刻表には,問い合わせ先として,越谷にある朝日自動車の営業所名が記載されています。実際にバスが越谷から出入庫しているのかどうかまでは知りませんが,本来は東京を営業基盤としないバス会社ならではの奇妙さがあります。

■浅草行きは足立区役所には来ないみたいです…/ゴエン(管理・責任者) (267)投稿日 : 2003年05月24日 (土) 00時16分 メール ウェブサイト
 古いスレッドの掘り返しになってしまいましたが,新規のバス路線乗り入れのために改造工事が行われた,足立区役所前のロータリーを先日見てきました。以前は2つしかなかったロータリー内のバス乗り場が一気に6つになったため,ロータリーの周囲は殆どがバス停とタクシー乗り場になってしまい,元々は区役所の車寄せとして作られたものが,今やバスターミナルと化しています…(汗)。
 6つのバス乗り場の行先ですが,
1番乗り場:都バス・王子駅行き(新設)
2番乗り場:都バス・亀有駅行き(新設。1日10本もないのに1つの乗り場が用意されるなんて…)
3番乗り場:コミュニティバス・梅島駅経由鹿浜都市農業公園行き(近日開業)
4番乗り場:コミュニティバス・綾瀬駅行き,西新井駅行き(既存)
5番乗り場:都バス・北千住駅行き(既設)
6番乗り場:区民保養所「那須森の家」行き(路線は以前からあったが,乗り場は新設…1日1本しかないのに…)
 …で,私は他に浅草雷門行きが出来ると聞いていたのですが,これ以上乗り場を作る余裕はなく,どうやらガセネタだったみたいです。すみません…。

 因みに「王49折返」という系統番号で運行が始まった都バスの王子駅〜足立区役所線ですが,行先幕がオレンジ地に白文字という,非常に見にくい色遣いになっています。高齢者や視覚障害者には特に見づらいでしょう。公営交通なのですから,その辺の事はちゃんと考えてもらいたいものです。

■浅草行きはやっぱり足立区役所に来るみたいです/ゴエン(管理・責任者) (354)投稿日 : 2003年12月24日 (水) 21時17分 メール ウェブサイト
 またも古いスレッドの掘り返しになってしまいましたが(汗)、一度はガセネタだと思った都バス[草43]系統(浅草雷門〜千住車庫)の足立区役所までの延長が、年明けの1月5日から実施される事になりました。
 前回の書き込みで、区役所構内のロータリーに、本数が極めて少ない亀有行きにも乗り場が1つ割り当てられていると書きましたが、案の定と言うべきか、その後間もなく王子行きの乗り場と統合されました。これで空いた乗り場に、恐らく浅草行きが入って来るのだと思います。
 但し、平日はほぼ全便が区役所まで延長されるらしいのですが、土休日は従来通り全便が千住車庫発着なんです。区役所に乗り入れるバスの系統がここまで増えたのなら、いっそ、区役所のロータリーを区内のバス交通の拠点に位置付けた方が便利ではないかと思うのですが…。


※12月27日23時追記:
 今日、足立区役所の前を通った際に確認しましたが、[草43]の乗り場は、亀有行きと王子行きの乗り場が統合して空いた所ではなく、1日1本の「那須・森の家」行き行きだけに使われている6番乗り場でした。
 しかし、浅草行きの場合、ロータリー内の「足立区役所」バス停を発車すると、次はロータリーのすぐ外にある「足立区役所前」という似た名称のバス停に止まるのですが、「足立区役所」6番乗り場と「足立区役所前」の間は50mも離れていないんです。現地を実際に見てみると、何とも奇妙な感じです。

■王30系統など東武バスの話題/ジョー万太郎@元葛飾区民 (367)投稿日 : 2004年02月01日 (日) 19時55分 メール ウェブサイト
王子駅で確認したところ、明日(2月2日)からどうやら王子駅〜亀有駅を結ぶ東武バスの王30系統が一日2本だけになるようです。昨年まで都営と組んで、1日10本程度の路線が1年もしないうちにこんなに本数が減少してしまうとは・・・そもそも亀有〜梅島の環七史上最悪の渋滞区間を通過することや西新井駅前を素通りする(オーバーパスを通り、駅近くには入らない)ことなど原因を探せば多数あると思いますが・・・。もはや免許維持だけのための路線化してしまいましたね・・・。
亀有と王子を環七経由で走る路線バスがほぼ全滅したのとは対照的に、足立区役所のターミナル化は着実に進んでいますね。今回も都営の有30(亀有駅〜北綾瀬〜足立区役所)の運転がなくなる時間帯に、同じ区間を走る東武の足35を1日2本走らせます。
しかし、今回のメインは有27系統の運転開始で、亀有駅〜葛飾車庫間の東武バスの有25系統(亀有駅〜葛飾車庫)を西水元地区に延ばし、西水元周辺でループ状運転するもので、葛飾区からも設置の要望があったものでした。西水元地区は、葛飾区の中でも陸の孤島的な地域で、メインの交通手段は、金町駅からの京成バスの金62系統(金町駅〜大場川水門)で、亀有にも近い位置にありながらもバスのない不便なところです。今回、この路線でどのように変化するかが気になります。最近、葛飾区では区要望のバス路線が多いように思います。金町駅から南水元地区の循環バス・アイリスループ(京成バス)、亀有駅から西亀有・東堀切経由綾瀬駅行きの綾01系統(京成バス)があります。葛飾区内の京成バスは、京成タウンバスに移管される路線が多いなど、最近効率化ばかりに注目が行っていたが、自治体主導での交通不便地解消を進めているところは評価できます。

■何でだろう…?/ゴエン(管理・責任者) (368)投稿日 : 2004年02月05日 (木) 23時37分 メール ウェブサイト
 ジョー万太郎さん、情報ありがとうございます&遅レス失礼します。
 東武バス[王30]の1日2往復化の話、大変驚いています。というのも、ついこの前の週末に梅島陸橋付近で、決して少なくない乗客を乗せた[王30]を見掛けたばかりだったのです。また今年の正月3が日には、亀有駅〜西新井大師間で初詣で客向けの臨時バスも運転されていて、東武による環七バス路線再活性化の雰囲気も感じていただけに、まさか逆に半ば撤退状態になるとは思ってもみませんでした。
 それだけでも意外なのに、加えて、民営バスの採算ラインに乗るとは考え難い亀有駅〜足立区役所間に1日2往復だけのために新規参入し、しかも完全に並行する都バスとはわざわざ違う系統番号を付けるというのも奇怪です。何だか訳が分かりませんね…。

 葛飾区のバス路線については詳しくないのですが、京成が縮小気味の姿勢をとっていて、住民の間から不満が上がっている様な話は小耳に挟んでいました。足立区もそうですが、葛飾区でも行政主導のバス路線増強が図られつつあるのですね。両区は広範囲にわたって道路事情が悪い地域が少なくないだけに、小型バスを使った路線や、意外な道路を走る路線が増えていくのではないでしょうか。“乗り物マニア”にとっても面白くなるかもしれません…(汗笑)。

明けましておめでとうございます。
ゴエン(管理・責任者) (359)投稿日:2004年01月01日 (木) 02時17分 返信ボタン メール ウェブサイト
 謹んで新春のお慶びを申し上げます。今年が皆様にとりまして良い年になります様、お祈り申し上げます。

 さて、去年の元日に、私がこの掲示板で何を書いたかと言いますと…「今年は,新コンテンツを毎月1本ずつ(1年間で12本)アップしていく事を努力目標(爆)に,来年の今頃には,サイト名から『〔仮設〕』の文字を外して正式公開へ移行できたら」云々…って、言ってる事とやってる事が全然ちゃうやんけ!(爆)(←セルフ突っ込み、しかも意味なく関西弁)
 現実には作業が殆ど出来ないまま、年末には“更新作業休止宣言”という形になってしまいまして、申し訳ありませんでした。まぁ色々と、なかなか思い通りにはいかない事もありまして…って話は、新春にふさわしくないからやめておきましょう。
 こんな状態ではありますが、トップページにも書きました通り、掲示板の管理は今後も従来通りに続けられると思いますので、ひとつ、こんな私に引き続き気長にお付き合い頂ければ…と、身勝手にも願っております(汗)。
 どうぞ皆様、本年も宜しくお願い申し上げます。

■新年一番乗り!?/N1-Max北斗 (360)投稿日 : 2004年01月01日 (木) 07時11分 メール ウェブサイト
管理人様 新年明けましておめでとうございます。2004年も宜しくお願いします。

私は年越しを大通公園のイベント(地元ラジオ局が中心)で過ごし、そのまま直帰して元旦号の配達を終え、朝を迎えました。普段は23:00から0:00が終電の地下鉄も、夕べばかりは東京や大阪と同じ2:00位まで運行しており、バスも臨時便を出しておりました。しかし今日のダイヤはうって変わり、どこも始発が遅いですね・・・・。

と言う事で、北海道神宮の初詣まで少しマターリとしようかと思っています・・・。今年も色々な雑談が飛び交いそうですが、どうぞ宜しくお願いします。

/たーしー (361)投稿日 : 2004年01月03日 (土) 23時41分 メール ウェブサイト
 皆様、新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

ゴエンさん>
>現実には作業が殆ど出来ないまま〜まぁ色々と、なかなか思い通りにはいかない事もありまして…

 私もHP(らしきもの)を持っているので分かるのですが、やはり仕事のかたわらとなると、なかなか思い通りにHPの手入れをできるものではありませんね…(汗)
 私の場合、とりあえずは、"個人運営HPは趣味でやっているのだから、無理なくできる範囲のことをやっていれば合格点なのだ"と割り切るようにしていますがね…
 まあ、お互いそのような感じで、"気長に末永く"各自のHPを運営していくこととしましょう…(何)

N1-Max北斗さん>
 私も今年の年末年始は、仕事が入っていたり、あちこち出かけていたことなどにより、あまりゆっくりと休まらなかったな…という感じがしています。
 それでも、年末年始の仕事は普段に比べ、どこかマターリとした雰囲気が漂っていて、何となく得した気分になるものですね…(職場もしかり、通勤途中もしかり…)

■初詣レポ/N1-Max北斗 (362)投稿日 : 2004年01月04日 (日) 20時42分 メール ウェブサイト
早速初詣絡みの簡単なレポを・・・(本当は当日中に編集したかったのですが、削除キーを忘れておりました)。

最寄駅である東西線円山公園駅は、普段は2本の相対式ホームが閑散としてる状態なのですが、この日は帰省客や正月休みの客が多く駅から歩いて5分の場所にある神宮までシャトルバスも運行されていました(円山公園駅にJRバス(元市営バス)のバスターミナルがあります)。私が行った時も、駅のホームで駅員が2人がかりで裁いている状態でした・・・・。

そう言えば北海道の場合、寺院や神社は他の地域ほど多くは見かけませんね(やはり主な歴史が明治以降と、日本の他の地域に比べて比較的浅い為でしょうか)。お祭りなどの行事も、従来からの伝統行事といったイメージの行事よりも親しみやすい感覚のモノが多く(例;高知のヨサコイ祭り+北海道のソーラン節=YOSAKOIソーラン祭り)、そう言ったイメージが時折若い世代にも受けていたりするそうです。

皆様方の最寄の参拝駅(明治神宮・西新井大師・川崎大師・柴又など)、今年は如何だったでしょうか?

■今日から“今年”が本格的に始動ですね/ゴエン(管理・責任者) (363)投稿日 : 2004年01月05日 (月) 22時35分 メール ウェブサイト
 皆様、レスありがとうございます。
 多くの職場では今日が仕事始めですね。今日は電車に乗っていないのですが、まだ正月休み中の会社もそれなりにあると思いますから、朝のラッシュも恐らくまだ、いつもほど激しくないのではないでしょうか。

たーしーさん>
>年末年始の仕事は普段に比べ、どこかマターリとした雰囲気が漂っていて
 へぇ、そんなものですか…。たーしーさんの仕事はある程度知っていますが、逆に“盆も正月もない”仕事だと思っていたのですが…。ちょっと驚きです。
 (それから、“例の物”、確かに受領しました(^ ^)。←私信)

N1-Max北斗さん>
 “年越しイベント”なるもの、私は何も見に行った事がありません。(地元の神社で午前0時の太鼓の合図で始まる初詣でとか、菩提寺での越年護摩法要とかなら毎年参加していますが、イベントには入らないですよね(爆)。) 新年であろうと、真夜中に出歩く事には変わりないですから、翌朝が眠いんですよ。それじゃあ、折角の元日なのに、朝から飲んだくれられないじゃないですか(再爆)。
 西新井大師には今日の午後に寄ってきましたが、前述の通り電車ではなかったので、駅の様子は見ていませんでした。お寺自体は、それなりに賑わっていましたよ。

>北海道の場合、寺院や神社は他の地域ほど多くは見かけませんね
 北海道神宮にしても、明治政府が開拓や国家神道の推進のために造った、官製の神社ですからね…(北海道神宮の鎮座祭は東京で行われて、それをまず函館、次に札幌に移したのだそうで〈http://www.hokkaidojingu.or.jp/deity/index.html"〉、この辺にも“官製”の歴史がよく現れていますね…。)。
 一方で、入植者の中には地域毎の集団で入植した人達も少なくないらしいですから、そういう開拓地では、故郷の象徴や結束の象徴として、出身地の神社から分祀してもらって神社を造って、代々大切にお祀りしている…という例も少なくないと思うのですが、どうなのでしょう。

■別院とか/N1-Max北斗 (364)投稿日 : 2004年01月06日 (火) 07時48分 メール ウェブサイト
>>管理人様

>一方で、入植者の中には地域毎の集団で入植した人達も少なくないらしいですから、そういう
>開拓地では、故郷の象徴や結束の象徴として、出身地の神社から分祀してもらって神社を造っ
>て、代々大切にお祀りしている…という例も少なくないと思うのですが、どうなのでしょう。

地元の地図をよく見渡すと、所々に『○○寺 別院』と言った有名なお寺や神社の名前がそのままそっくり来ているのを見かけます。ススキノから約150m南に行った所には『成田山 別院 新栄寺』がありますし、市電の東本願寺前電停最寄りの『東本願寺』も、本家は確か京都だった筈です(本願寺は結構あちこちで見かけますね・・・・)。

あと都心部では、名前が『○○寺』でありながら、建物が意外にも近代建築でとても寺とは思えない様な寺も多く見掛けます。これは時代の流れ・・・なのかもしれませんね(^^;;;;)。

■正月の柴又と矢切の渡しを見て/ジョー万太郎@元葛飾区民 (365)投稿日 : 2004年01月08日 (木) 23時04分 メール ウェブサイト
今年もよろしくお願いします。

1月2日に、里帰りも兼ねて柴又帝釈天と矢切の渡しの周りに行ってきました。
柴又帝釈天へのアクセスとなる京成金町線の高砂〜柴又〜金町間は、この期間に限り、運転本数を通常の20分間隔から10分間隔に増発してましたが、大混雑でした。柴又では、1年に2回しか見られない客の大量乗降が見られ、まるで朝夕の北千住駅のような状況でした。(もう1回は、7月下旬に柴又で行われる葛飾納涼花火大会の時)
帝釈天への参道は、大混雑でした。江戸川への道を一本封鎖し、通り中に屋台が出ていました。矢切の渡しも利用者が多く、5分間隔での運転でした。矢切の渡しは、柴又からはアクセスしやすいが松戸側は、北総線矢切駅、京成バスのバス停などからも遠く離れ、何にもないところに渡しの乗り場があるだけです。しかし、私は江戸川沿いを3km先のJR松戸駅まで歩きましたが・・・矢切の渡しの松戸側からの利用者は、車で来る人がほとんどで周りの道路や駐車場に止めていました。
この時期、松戸側から見る矢切の渡しと江戸川の風景は夕方などは絵になります。

葛飾を離れて、柴又と矢切の渡しへ行くのは3度目(お正月は初めて)ですが、これまでは自宅から自転車で行ってましたが、現在は電車とバスでないと行けない所にいるので、これまでは主観的にしか見られなかったが、他所から見た自分の出身地を客観的に見たような感じでした。

/ゴエン(管理・責任者) (366)投稿日 : 2004年01月10日 (土) 21時13分 メール ウェブサイト
N1-Max北斗さん>
 近代建築のお寺というと、昭和初期に建てられた東京の築地本願寺(浄土真宗本願寺派・本願寺築地別院)は有名だと思います。ここの場合は、普通の寺社建築だった以前の建物が関東大震災で崩壊してしまったため、近代建築で建て直されたのですが、北海道の開拓が進んだ時期とも重なりますから、特に先取的な人が多かったであろう当時の北海道で、近代建築の寺院が多く建てられたとしても、不思議ではないかもしれませんね。

ジョー万太郎さん>今年も宜しくお願いします。
 久し振りの地元は如何でしたか?
 矢切の渡しって一回100円でしたっけ? 5分間隔というと、ひょっとして2艘で運航したのでしょうか。
 実は私、あの渡し舟には一度も乗った事がないのです。学生時代に、当時葛飾区内に住んでいた友人が舟着き場まで連れて行ってくれた事があったのですが、かなり雨が強い日で、渡し舟は休みでした(舟着き場に行き着くまでの河原もぬかるんでいて、こんな日に舟着き場に行くのは余程の物好きだけ…みたいな感じでした(汗))。
 ところで、細川たかしの歌のせいで「“やぎり”の渡し」という読み方が広がってしまい、北総線の駅名の読みも「やぎり」になっていますが、本当は「やきり」なんですよね。作詞者は「やきり」が正しいと承知の上で、歌にした時に発音にインパクトがないという理由で「やぎり」にしてしまったのだそうですが…。だからといって駅名まで「やぎり」にしてしまったのは、ちょっと頂けないな…と思っています。

遠距離通勤はどこまで可能!?
N1-Max北斗 (335)投稿日:2003年12月04日 (木) 20時25分 返信ボタン メール ウェブサイト
※話題が逸れますので、新たに新スレを立てました。

>移動距離の価値観

確かに東京〜越後湯沢間だと、私から見ても「日帰り可能」に感じますね。東京・大阪の様な大都市圏に住んでいると100kmでも『日帰りで行ける』程近く感じられるのに、他の地方都市に住んでいると、同じ100kmが遠く感じられると言った錯覚を覚えます(約100km≒東京〜宇都宮・水戸位、大阪〜姫路・米原位、札幌〜旭川位)。住む場所によって鉄道のダイヤ・運賃や人口密度の差が異なる事、都市圏のドーナツ化現象の差がこう言った錯覚を産み出しているのかもしれませんね(特に東名阪の3大都市圏は鉄道に限らず、飛行機の発着も多い事、また太平洋側の為あまり気候に左右されにくい理由があるからというのもあるかもしれません)。

蛇足ですが、札幌を基点とした(特急を一切利用しない)日帰り可能な都市間距離を今ネットで調べたところ

・札幌〜江別(約20km・東京〜川崎位、大阪〜高槻位)、
・札幌〜小樽(約30km・東京〜大宮位、大阪〜神戸位)
・札幌〜千歳・岩見沢(約40km・東京〜千葉位、大阪〜京都位)
・札幌〜苫小牧(約70km・東京〜土浦位、大阪〜和歌山位)

がありました。これは都市の広がりと言うよりはむしろ、あまりにも土地が広すぎて都市間距離がかなり開いているだけだと思いますが(他の地方都市(仙台・新潟・広島・福岡など)で『遠距離通勤』をやるとしたら、恐らく各ターミナルを中心としても30km圏内が限界だと思います)・・・。

P.S
JRHからは、JREの新幹線定期に当たる、特急での通勤が可能な『かよエール』が出ていますが、距離・料金どちらの視点から見ても、新幹線定期と殆ど変わらない気がします。

■長距離通勤・長時間通勤/ゴエン(管理・責任者) (337)投稿日 : 2003年12月06日 (土) 00時49分 メール ウェブサイト
 バブルの頃は、三島、那須塩原、越後湯沢といった辺りに家を買って東京へ新幹線通勤・通学というのが、半ば新しい常識の如く受け取られていましたよね。当然、今も相当数がいるはずです(今から新たに…という人は滅多にいないと思いますが)。
 新幹線が絡まない例では、“小田原(小田急)新宿(都営新宿線)神保町”という通勤をしている人を知っています。節約のためロマンスカーには滅多に乗らないそうで、大変だと言っていました。
 地方都市の実態はどうなんでしょうね。福岡に関しては、門司や小倉から博多近辺まで(約70km)在来線で通っている人は多いと思いますが、これは3大都市圏以外で百万都市が接近して存在する特殊事情からきているだけかもしれません。

 それと、「長距離通勤」と「長時間通勤」は別物ですね。長距離でも速くて乗り換えの要らない列車があれば通勤時間は短くて済みます。逆に、乗り継ぎや経路が悪かったりすると、現在の私の様に、会社まで直線距離で10km少々なのに通勤時間が片道1時間以上もかかってしまったりもします。

■23区内の表定速度の低さ etc./たーしー (338)投稿日 : 2003年12月09日 (火) 21時26分 メール ウェブサイト
 そういえば私の職場でも、小田原から新幹線通勤している職員がいます。
 その人の場合は"自分の意志で遠い所に住んでいるのだからやむを得ない"ということで、特急料金分を自費で支出しているようですが…

>乗り継ぎや経路が悪かったりすると、現在の私の様に、会社まで直線距離で10km少々なのに通勤時間が片道1時間以上もかかってしまったりもします。 (by ゴエンさん)

 23区内に住んでいると、この点を強く実感させられますね…
 ちなみに、私の自宅(足立区)から実家(八王子市)までは2時間ほどかかるのですが、自宅〜新宿駅の所要時間が1時間弱(鉄道乗車時間は30分強)、新宿駅〜実家の所要時間が1時間強(鉄道乗車時間は約40分)…といった状況です。
→23区内では多くの鉄道が、"(駅間距離が短い・急カーブ等の理由により)低速での運転となる"・"皇居を避けるように線路が迂回している"等という点も影響しているのでしょうかね…

■新幹線通勤/ゴエン(管理・責任者) (342)投稿日 : 2003年12月13日 (土) 13時01分 メール ウェブサイト
たーしーさん>
>特急料金分を自費で支出しているようですが…
 新幹線定期券の特急料金相当分を通勤手当として会社等が負担してくれるかどうかは、それぞれの会社等で判断が分かれるみたいですね。一定の条件を満たせば出す所もあれば、どんなに遠くても在来線定期券の額しか出さない所もあると思います。
 もっとも、私の身近では、新幹線通勤をしている人の実例は聞かないのですが…。ただ、高校の同学年で、新幹線通学をしている人が1人だけいました。在校中に親の転勤で引っ越してしまったのですが、新幹線でなら通える距離だったため、転校でなく新幹線通学を選んだみたいです。

>自宅〜新宿駅の所要時間が1時間弱(鉄道乗車時間は30分強)
 足立区の場合、都心への鉄道の便が、上野や銀座など都心東側に偏っています(それ以前に鉄道の便自体がない地域も広いですが…(汗))。そのため、区内の多くの地域にとって、池袋や渋谷への交通も十分に(?)不便ですが、特に新宿への足が非常に悪いです。
 ただ、私が住んでいる東武沿線からの場合、相互乗り入れしている日比谷線の仲御徒町乗り換えで大江戸線が使える様になったおかげで、これでも以前よりは楽に、かつ安く行ける様になりました。
 目的地が新宿そのものではなく、それより先の小田急、京王、西武沿線であれば、新宿にこだわらず、千代田線、都営新宿線の直通運転や高田馬場乗り換えを活用する事で多少は時間を節約できますが、遠くまで行く場合にはやはり確実に座って行きたい(=始発駅から乗りたい)訳で…。
>>23区内では多くの鉄道が、"(駅間距離が短い・急カーブ等の理由により)低速での運転となる"・"皇居を避けるように線路が迂回している"
 地方から上京したばかりの人の中には、23区内での実際の距離と、交通機関を使った時間的距離とのギャップに戸惑う人もいるみたいです。
 都営新宿線・浅草線で行われている様な急行運転を、他路線にももう少し拡大していい様な気がするのですが…(大々的な導入となると追い越し設備の新設など巨費を投じる必要が出てきますが、日中や休日なら今すぐできそうな路線もある様に思えるのですが)。

■新幹線通学など/N1-Max北斗 (348)投稿日 : 2003年12月21日 (日) 22時24分 メール ウェブサイト
皆様、レスありがとうございます。
>新幹線通勤など
確かに今の現状からすれば、特急料金等を通勤手当として出す会社はケースによって異なりますね。むしろ少なくなっていると言った方が良いのかも知れません。逆に管理人様の仰る高校や大学への新幹線通学や特急通学の需要は伸びている様に感じます。恐らく別居する時の引越し費用よりも、同居の方が家計コストがかからないと言ったメリットがある等が主な理由だと思うのですが・・・。

>低速運転など
実際の距離は短くても交通機関を使うと結局迂回ルートになる為、結局マイカーになってしまう・・。公共交通機関離れの原因の一つとも言えそうな気がします。

■近くて遠い環七沿い・・・/ジョー万太郎 (349)投稿日 : 2003年12月21日 (日) 23時23分 メール ウェブサイト
N1-Max北斗さん
>実際の距離は短くても交通機関を使うと結局迂回ルートになる為、結局マイカーになってしまう・・。

東京の場合は、環七沿線が良い例だと思います。例えば、環七沿線の青戸・亀有〜高円寺であれば、方向が同じであるからまだいいですが、青戸〜葛西、高円寺〜板橋本町であれば、迂回ルートになります。前者の場合は、環七で約10kmありますが、電車の場合は青戸→日本橋→葛西となり、同道路がすいていれば20分程度で行けるが、電車の場合はどんなに少なくとも40分以上かかります。後者の場合も、同じく10kmありますが、電車で行くと高円寺→新宿→巣鴨→板橋本町と混んでいる山手線に一度乗らなければなりません。前者の場合は、直通バスがありませんが、後者は高円寺駅から赤羽駅行きのバス(赤31系統・関東バス、国際興業バス)があるものの、すいていれば同じく25〜30分で着くが、渋滞していれば1時間近くかかることもあります。後者の場合は、高円寺→板橋本町を210円で行くことが出来、時おり高円寺・野方辺りから板橋本町方面への利用者もいます。(しかし数は多くない)環七バス路線は、便利なことは便利だが、渋滞が多いのがちょっとねえ・・・。

・板橋本町を大和町と書くのを避けたのは、高円寺駅の北側に中野区大和町(やまとちょう)という地名があり、混同を防止するためです。(環七には高円寺← 大和町→と表記してあるところがありますが、誤解を防ぐためにも大和町と高円寺の共存はやめるべきではないでしょうか)

/ゴエン(管理・責任者) (351)投稿日 : 2003年12月22日 (月) 18時19分 メール ウェブサイト
 バスの方がずっと最短経路を通るけれど、所要時間は遠回りな電車に乗っても同じ(下手すると、バスの方が時間がかかる)というケースは、巨大都市では珍しくないですね。

大和町:
 道路の方面標識に使われる地名は、基本的に各都道府県警察本部などによって指定されているのだそうですが、中にはその都道府県内の人にさえ、どこだか分からない地名が使われている例もあるそうです。
 東京では「大和町」もその1つと言っていいと思います(そもそも「大和」という地名は、それこそ日本中にありふれていて、代表的な地点として挙げるには名前に個性がなさ過ぎないでしょうか)が、他にも例えば「大原」というのもありますね。世田谷区北東端の、環七と井の頭通りが交差する地点の町名が大原なのですが、近くの駅名「代田橋」の方がずっと有名ではないでしょうか。

■環七の方面標識を考える/ジョー万太郎 (353)投稿日 : 2003年12月23日 (火) 02時01分 メール ウェブサイト
ゴエン(管理・責任者)様
>道路の方面標識に使われる地名は、基本的に各都道府県警察本部などによって指定さ
>れているのだそうですが、中にはその都道府県内の人にさえ、どこだか分からない地
>名が使われている例もあるそうです。

再び環七の話題ですが、よろしいでしょうか?(なにせ生まれてから2度越しているが、全て環七の沿線なので)環七の場合は、方面標識は、葛西・亀有・高円寺・大森の4ヶ所が各地で出されていますが、これらの地に近いところであればこの地か地域的に良く出てくる地名(一之江、青戸、梅島、東十条、豊玉、大原、上馬など)が出てきます。しかし、練馬区の豊玉陸橋と中野区の丸山陸橋(野方駅近く)では交差道路の目白通り(豊玉)・新青梅街道(丸山)の環七と交わる場所では、南方面は高円寺で統一されているものの、北方面は近接する東十条でも少し離れた西新井でもなく、なんと亀有の地名が書かれているのです。いかに、足立区(ごめんなさい)、北区、板橋区方面の地名がマイナーであるかが如実に出ている例ではないかと思います。他の場所では、だいたいが近い場所が書かれています。(葛飾区の奥戸陸橋であれば北は青戸、南は一之江 杉並区の方南町であれば、北は高円寺、南は大原)いくらなんでも、豊玉・丸山の例は行き過ぎではないかと疑問視します。練馬近辺の北行きは、ある場所は亀有かと思えば、またある場所は常盤台、東十条だったり、統一性がないです。(南はほぼ高円寺で統一されている)
一方で、京成線青戸駅近くの環七とぶつかる区道では、南行きは一之江と出ていますが、北行きはなんと青戸なのです。豊玉や野方で亀有を出すくらいならば、ここを亀有と変えたほうが先決なのではないかと思います。

大和町の件ですが、中野区大和町の場合は高円寺の駅勢圏であるので、大きな問題になっているのではないかと思います。あれだけ頻繁に高円寺を出しているので、大和町は却ってわかりにくくなるのでしょうか?というのが本題でした。大原は、ちょっとわかりづらいですね。下手すれば、こち亀の・・・なわけないですが、板橋本町と同様に公害と渋滞の名所として罷り通っているので、むしろ知名度が高かったりして・・・最後はとりとめもない話で終わってしまいましたが、すいません。

■首都の道路事情など/N1-Max北斗 (356)投稿日 : 2003年12月24日 (水) 21時44分 メール ウェブサイト
大都市の道路の特徴として言えるのは、道路・鉄道に限らずかなり外郭部分に環状線がある事ですね。渋滞しやすい都心を廻らなくても行ける点ではクルマにとっても、都心部を行き交う人にとってもある程度のメリットはあると思います。

札幌にも名目上の『環状線』が存在します(正確には道道89号線)。どこが起点か分かりませんが、時計回りで南19条付近(中央区)→二十四軒(西区)→北24条付近(北区)→伏古(ふしこと読みます・東区)→白石区中心部→平岸(豊平区)→南19条付近(中央区)と言った感じで環状線を描いており、都心から最も離れている距離でも約5km〜6kmです。


しかし近年のドーナツ化現象等に伴いこう言った外郭部でも渋滞が多くなっている為、同じ渋滞でもそのままマイカーで都心に行った方が早いと言う感じもしなくもありません。札幌でも公共交通の利用促進キャンペーンを行ったり都心のマイカー規制をしていますが、料金などから考えると地下鉄などよりマイカーの人が多いのも無理はないでしょう。在京時代にラジオなどで聞いた道路情報でも、一般道では環状線になっている道路(環六(山手通りで宜しいですよね?)・環七・環八・国道16号など)の情報をちらほら聞いた事があります。ただ外環の三郷〜和光間が出来た当初は、あまり他高速からの流動が無かったのか、目立った渋滞情報を聞いた事がありませんでした(あれからもう10年余り、結構多くの道路と繋がって来ていますし、ここの渋滞情報もちらほら出てきている筈なのですが、今はどうなのでしょう?)

さらに東京の場合、首都と言う特殊事情が重なっている事もあると思います。首都の道路や鉄道は日本に限らず、かなり多くの先進国で都心を囲う様に出来ている感じがします(パリの道路も確か都心のサークルを中心に放射状に伸びていた筈ですし、モスクワやベルリンの地下鉄もそんな感じだったはずです)。確か国道16号は、米軍基地に沿って出来ている筈(入間・横田・厚木など)ですが、これも首都の特殊事情が何か起因しているのでしょうか?

■外環について/ばた(^-^)ノ (357)投稿日 : 2003年12月27日 (土) 00時49分 メール ウェブサイト
>N1-Max北斗さん
外環については,たしかに最初はほとんど利用はありませんでした。しかし,和光〜大泉JCTが開通すると,状況は一変し利用が一気に上がったと記憶しています。特に大泉出口が貧弱で,昼間はいつも2〜3キロ渋滞しています(私は夜,ブラっと乗る人なので首都高の渋滞ともあまり縁がありません)。
ちなみに,外環大泉ができてから影響を受けたのが,実は環七だったります。どのような影響があったかと言うと,朝,通勤時間帯の交通量が減り,渋滞箇所が少なくなった(または解消された)箇所がいくつかあるようです。

/N1-Max北斗@元外環沿線住民 (358)投稿日 : 2003年12月28日 (日) 21時11分 メール ウェブサイト
(↑道路の場合、『沿線』という表現は正しいのでしょうか・・・・汗)

>ばた(^-^)ノ様
情報ありがとうございます。なるほど、和光〜大泉間の影響が一番大きいのですね・・・。

そうなると関越道のクルマの流れもかなり変わったのでは無いでしょうか!? 関越道は都心からの高速道路で唯一起点が首都高と連結していないと言うのもあって(なぜなのかはちょっと疑問ですが・・・)、当時の上り線の渋滞は一般道からの渋滞がそのまま影響されている印象を受けました。大泉出口に渋滞が移行したとなれば、練馬出口方面に流れるクルマは前よりは少なくなった様に感じます・・・。




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