【広告】楽天市場から大感謝祭を開催中エントリーお忘れ無く

ご自由に、どうぞ!

何か書いてください!
(ニックネームでも、匿名で結構です。メール・HPアドレスは不要です)

ホームページへ戻る

名前
Eメール
題名
内容
URL
アイコン アイコンURL
削除キー 項目の保存

杉野様へ
木村です (549)投稿日:2005年10月10日 (月) 12時04分 返信ボタン

木村繁次郎の親戚の者が沖縄で2回目の赤紙召集で往き戦死しています、戦後2回先生達と沖縄へ勉強調査にゆきました、沖縄戦が、本土でやられていれば、沖縄の苦労も判るでしょうが??どちらにしろ、ないように、すべきと、思います

杉野 (548)投稿日:2005年10月10日 (月) 11時54分 返信ボタン

敗戦色濃厚な昭和二十年七月、和平を打診するために近衛文麿特使が、ソ連に派遣されることになった。「和平交渉要綱」なるものを持って。その文書には「最悪の場合、沖縄、樺太、小笠原を捨て、千島は南半分を保有する」と書かれていた。「日本固有の本土」に沖縄は入っていなかった。
日本軍は、本土決戦の時間稼ぎのため、沖縄を「捨石」と考えていた。アメリカ軍だけが、沖縄戦の悲劇をもたらしたのではない。
日本軍は現地で何をしたのか。日本軍は現地の男子住民を徴収し、中学生・女学生を軍隊に協力させ、そして悪化する戦局の中で、沖縄住民を切り捨てた。
方言を語る住民にスパイ容疑をかけて射殺し、集団自決を強要し、反抗する住民を虐殺した。敗戦の8月15日以降も続いた。
戦後はアメリカの「植民地」にされ、「基地の中に沖縄」がある状況が続いている。「沖縄」は「日本固有の本土」ではないのか。
沖縄が還らない限り戦後は終わらないと佐藤栄作氏は語った。しかし、沖縄がアメリカの不沈空母の状態は何一つ解決されない。構造改革はそこから始まるのではないか。


岡本先生有難う御座います
やすべー (547)投稿日:2005年10月10日 (月) 11時44分 返信ボタン

平和学を研究して居られる岡本先生に日本の平和が守られて行く様に、益々ご活動を祈っています。
http://www.geocities.jp/hori85jp2004/index.html

ドイツ人の戦争責任感
岡本三夫 (546)投稿日:2005年10月10日 (月) 11時30分 返信ボタン

Yoake様の「ドイツ国民のほとんどの人が現在でも戦争の責任をナチスだけの責任にせず、ドイツ国民の殆どの人が現在でもドイツ人の責任である事を弁えて近隣諸国と接している」という投書についてですが 少しコメントさせて下さい ドイツでは 日本と違い 戦前・戦中のナチス党員と一般のドイツ人を区別することが比較的容易だったため 戦争責任をナチスに押し付けてきたという面は否定できません もちろん ナチスの台頭を許したドイツ国民の消極的な態度についても反省し 周辺諸国との和解に努めて来たことは事実で それなりの評価を受けてきました ところが 5年ほど前に一般のドイツ市民もナチスに負けず劣らず積極的に侵略戦争遂行に加担したのだという趣旨の厳しい自己反省を迫る書物が出版されて ドイツにおける戦争責任論は新しい局面に入っています ドイツにも日本の「靖国礼賛者」「戦争責任忘却族」「自虐論者」顔負けの新ナチス集団がいますが 圧倒的少数派だというところが日本との大きな違いかも知れません 日本と違い 一度ならず二度までも世界大戦に敗れて民族的悲哀を骨の髄まで味わったドイツ国民の平和志向に揺るぎはないと思います ただ NATO軍の一員として限定的な軍事行動にも参加していますので 日本の憲法九条擁護の立場からは問題もあり 掛け値なしに賞賛することはできません ドイツにおける良心的兵役拒否者が年間15万人にも達しているという事実は 若者の間では むしろ日本の憲法九条に示された非武装非戦主義が浸透していることを示唆しているように思います  

/杉野 (553)投稿日 : 2005年10月10日 (月) 17時43分

ヒトラーを賛美する言動は、ドイツでは犯罪として取り締まられるのではありませんか。
アメリカも日本人の強制収容所に収容したという戦争中の行為を謝罪しただけでなく、直接その人たちに保証金を支払ったのではありませんか。
なぜ日本は従軍慰安婦や南京事件をはじめとする戦争犯罪についてきちんとした対応ができないのですか。それどころか、歪んだ教科書が堂々と使われる現実にただ絶望しています。

□戦争責任/とほほ (556)投稿日 : 2005年10月10日 (月) 19時09分

確かに日本の現況は憂うべきものです。皆様にはまだまだ甘っちょろく思えるかもしれませんが、インターネットの普及により皆様の時代にはなかった闘い方が私たちには与えられています。小数かもしれませんが、若い者の中にもがんばっている人たちは大ぜいいます。

私は残念ながら戦後日本は(私を含めて)加害責任を放置してきたのは間違いであると確信するようになりました、これまで私はドイツとは違ったやり方で日本は戦後民主主義を発展させられると信じていましたし、ドイツのナチス追及に対しては『度が過ぎる、もう十分ではないか、90歳にも100歳にもなろうと言う老人達を追及してどうにかなるものでもあるまい』と考えていた節も有ります。しかし戦争に参加された方々にはつらい思い出かもしれませんが、それをやっていかなくてはならないと思いはじめています。

>ヒトラーを賛美する言動は、ドイツでは犯罪として取り締まられるのではありませんか。

『アウシュビッツの嘘罪』と呼ばれて有名なものです、しかしこれは一般に考えられているような単純な法律ではありません。前田明氏の論文を私のHPに掲載してますので興味のある方はご一読ください。
人種差別思想宣伝について

以下は私の掲示板での論争の一部です。

---
> ラーベの日記には「80万人が逃げた」とありますが、これを否定できますか?

私の担当させていただいた箇所を分析した結果では

私のいう『雲を掴むような話』である、とはこのこともそうですし、百人斬りで象徴されるような、攻略戦途上における虐殺数などは掴みようがないのです。【虐殺数三十万人】と言う数字が決して荒唐無稽な数字ではない事をご納得いただけましたでしょうか?

以下の私の各月の日記検証における総括を再度確認の上私の検証に明らかな誤りが有ればご指摘ください。

また、*****さんの十二月十三日以降の検証にも期待したいと思いますしまた、最初に申し上げましたとおり、南京事件の資料はなにもラーベ日記だけではありませんので他資料と照合した上でより一層の検証が必要である事は言うまでもありませんので、K-Kさんが南京の人口に関する資料もまとめてありますのであわせてご検討のうえ反論・批判等を賜りたく存じます。


と結論できると思いますが、いかがでしょうか?従って80万と言う数字の根拠を掴む事はできませんでした。

ラーベ日記から南京陥落時人口を検証する
のスレッドをご確認の上反論・ご批判をお待ちしてます。

> 壊滅した第二総軍や、遺体処理等にあたった陸軍暁部隊などの人数を調べれば良いだけでしょう?

では、広島平和公園の慰霊碑の前で、ここに書いてある死傷者数は荒唐無稽で何ら根拠のある数字ではない、と公言されてみてください。そのときは前もってご連絡いただければ私も拝聴に伺いましょう、ご安心ください私は温厚な性格ですので殴りかかるような事はないです(笑)

> 何のために忘れてはならないのですか?

同じことを二度と繰り返さないためです。同じことを二度とやらせないためです。

> そもそも、戦後何10年もの間沈黙していて、近年になって突然、中国が南京事件を取り上げだしたのはなぜですか?

近年になって南京事件の事で騒ぎ出したは中国ではなく、否定論者です。最近のあまりの否定論者の横暴ぶりや政府関係者の歴史認識の粗雑振り無責任発言や石原慎太郎や小泉無責任参拝、が戦前の大日本帝国が侵略戦争に邁進していった初期課程にそっくりだからです、そのことを恐れているのです、周辺諸国が本当に恐れているのはそうした政権をあまりに安易に容認する日本国民の民度の低さかもしれません。

南京事件は国際的にその発生当初から非難され東京裁判、国民政府軍事裁判、南京軍事裁判でも明らかにされている事件です。

戦後の沈黙は沈黙していたのではなく、国交がなかったからに過ぎません、国交回復後、日本政府は賠償は終ったとして、その責任にほっかむりをしてきました。その上事件をなかった、侵略戦争ではない、などという妄言が中国民衆の感情を著しく刺激し、補償問題となっているのです。
国家賠償と個人補償は異なります。こうした個人補償問題を浮上させたのは中国の責任ではなく日本政府の責任です。

日本とドイツの違いはここにあるのです。日本は国家賠償という形で国家間の問題としてあくまで戦争責任を精算しようとしました、清算ではなく精算です。ドイツは個人補償から戦争責任問題を解決していきました、周辺諸国が日本の賠償を放棄したのは日本の民衆を苦しめないためにです、その見返りが戦争責任放棄であれば周辺諸国の怒りは当然といえましょう

> 科学的調査抜きに事実を主張して通るのであれば、どんなデマゴーグも可能になってしまいます。

何が非科学的な調査なのか具体的に提示してください、貴方は中国研究の内容を知らない、と公言しているに関わらず、それが非科学だという、その根拠として日本歴史学の科学的見解と異なると言う、しかし日本歴史学の見解は決して中国説を否定していない。では貴方は一応曲がりなりにも出版物を発行し責任ある発言をされる立場にある方です。中国の説が非科学であることをきちんと検証してください・

> まず、「原爆資料館が反米感情を形成」しているとはいえません。
> 一方、原爆資料館の展示に科学的根拠が無いという主張があるのでしょうか?

あなたが主張しました(^^;
軍人が含まれているからその数字は荒唐無稽だと。

> 私が主張したいことは、「30万人以上と言う数字は、科学的な根拠に基づくものではない」「裁判の判決は、そのまま歴史学的な真実とはならない」というものです。

改めてお伺いします。「三十万人という数字は荒唐無稽だと」言う発言は撤回されたのですか?慎太郎のようなクズみたいな言い訳をせずにはっきりといってください。
その上で上記論理に従って三十万人の非科学性を論証してください。

科学が実証できないもの、は非科学である、という論理が「疑似科学」そのものであることは、科学者とはいえないにしろその道の専門家である*****さんです、おわかりかと思いますが、、、。

> 問題が無いというのなら、たとえば下記の書籍の発言は、完璧に論破されつくしたと言うことですね?
>「逆検定 中国国定教科書 中国人に教えてあげたい本当の中国史」祥伝社 刊

やってみましょう、貴方がその書籍を根拠にまず検証し何を立証したいのかは存じませんが立論されてください、批判があれば批判しますし、賛同できるものであれば賛同します。その前に南京の人口のほう、貴方が言い出したことです、私は私なりに誠意を持って論証をしたつもりです、先にそちらを解決して行きましょう。

不誠実な人
杉野 (545)投稿日:2005年10月10日 (月) 07時49分 返信ボタン

思想は行為をはなれてありえない。その逆もまたしかりです。
つまりその人物がいかなる行為をするかは、いかなる人物かの表れです。言葉によって隠そうとしても隠すことはできません。姑息な方法でお祈りに向かわれたのは何故ですか。
 たぶん、小泉潤一郎首相は姑息な人なのだろうと思います。国民をはじめとして、世界の人々に対して、自らの思いをきちんと説明する義務を果しえず、ごまかしています。「戦没者追悼」を、小泉さんは語ります。それでは、日本政府は戦没者を篤く追悼しているでしょうか。
 私の親族のひとりは、赤紙で戦場に連れて行かれました。しかし、如何に戦死したかはいまだに明らかではありません。もちろん、遺骨は戻ってきていません。無念な。いかなる思いを持って、異国の空の下にあるしかばねは、放り出されているのでしょうか。
 そうした行方不明者に対して遺族に何の報告もなされていません。
 戦没者を真に追悼すると言うならば、そうした無念の思いを晴らすのが政治家としてなすべきことではありませんか。そうした戦没者を持つ親族は、わが親族だけではないと思います。
 戦場に行った人たちだけではありません。大岡昇平さんは、日本とアメリカの戦場になったフィリッピンの人たちへの思いを語っておられます。
 靖国神社において、いかなる思いでお祈りされているのか、小泉さんの気持ちはわかりません。しかし、隣国のアジアの人々日本の戦場になったが故に亡くなった人たちに対とて、いかなる思いで祈られたのかお聞きしたい。


核保有国の愚かさ・核兵器を持とうとする北朝鮮の愚かさ
甲田 (544)投稿日:2005年10月09日 (日) 13時42分 返信ボタン


 ブッシュ大統領よ、武器、兵器を捨てよ
 夏目漱石は「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見えることです。元来、国と国とは事例はいくらやかましくっても徳義心はそんなにありやしません。詐欺をやる。誤魔化しをやるペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります」(「私の個人主義」)と述べている。
 二十一世紀は、新しい異常と不安の出発点にある。中枢テロ以降、人類全体の破滅ということはいまや絵空事ではない。
 ブッシュ大統領は、北朝鮮などを「悪の枢軸国」と名指しし、怒りの炎を投げかけている。ブッシュ大統領もフセイン大統領も馬鹿げた事に自らの「正義」に何一つ疑いを持たない。古代ギリシャの哲学者プラトンは「正義とは強者の利益にほかならない」(「国家」)と述べている。古代ギリシャの箴言には「戦争は悪人達を除去する以上に悪人達を作るが故に、悪しきものなり」とある。
 20世紀の優れた思想家サルトルは「人類全体が、もし生き続けるとするならば、それは単に人類全体が生まれたからという理由からではなく、人類がその生命を存続せしめる決意を持ったからこそ、存続しうるという事になろう」(「大戦の終末」)と第二次世界大戦で、ナチ・ドイツが潰滅し、原子爆弾が投下された直後に述べている。
 イラクの核武装、ミサイル開発を阻止せんとするアメリカの思想が正しいとするなら、アメリカもまた自らの危険な戦争道具である核武装、ミサイル開発は止めるべきである。
 すべての核兵器、ミサイル兵器、生物兵器は直ちに放棄、破棄すべきものである。かかる兵器を保持することは愚かであり、人類の破滅、殲滅を意味する。「バランス・オブ・パワー」の思想は20世紀の遺物とすべきだ。
15世紀のイタリアのユマニスト、ピコ・デルラ・ミランドーラは「人間は、堕落して下等な被造物である禽獣になることもできる。人間は、自分の意志で決定して、もっと高等なところ、言い換えれば神のところに再生することもできる」(「人間の尊厳について」)と記している。
 アメリカ大統領は「アメリカも破壊兵器を持たないから北朝鮮も破壊兵器を持つべきではない」と言うべきだ。


若者のお笑い芸人ブーム
やすべー (542)投稿日:2005年10月09日 (日) 10時31分 返信ボタン

甲田さんご指摘の、テレビの現状を見ると、私達シニアには理解出来ないお笑いタレントの製造宣伝です、
刹那的享楽を求めるお笑いには全く興味が有りません、藤山寛美のコマーシヤル拒否の態度は立派だと思います、
報道機関の恥ずかしい部分はコマーシャルでの収益なので、こんな話は宣伝されませんね。
健全な芸能界とはねお笑いの無いものでも淋しく成りますが、
質の良いお笑い芸人の出現を期待しています。

/甲田 (543)投稿日 : 2005年10月09日 (日) 12時58分

エスプリとユーモアと知性のひとかけらもない。一握りの人たちが、むやみやたらに席巻し、とても恥ずかしい限りです。世界の人々が見たら、なんと恥ずべき民族かと思うでしょう。醜い顔をした占い師とかいう人間が出てくる番組もあります。視聴率獲得競争の故に、悪貨は良貨を駆逐してしまいました。良心的番組が、民間放送にあるのでしょうか。是非お聞きしたい。余命いくばくもございませんが。

木村さん有難う
やすべー (540)投稿日:2005年10月09日 (日) 09時27分 返信ボタン

木村さんは難病を抱えて居ながら、元気に毎日インターネットを通じて日本の将来に思いを致して有益な提言を発表されています、誠に頼もしいシニア仲間と思っています、
浅学非才のやすべーは影ながら応援、協賛しています、
命有る限り、益々愛国のご発言をお願い致します。

文字、文章の可笑しい処はご推測で、半ボケ老人で済みません。

荻生徂徠の偉さは、社会の現象を通してその政治的責任を為政者はつねに持つべきだと言うことです。
甲田 (539)投稿日:2005年10月08日 (土) 20時11分 返信ボタン

今小泉内閣は社会的弱者を個人の責任として切り捨てているが、江戸時代の優れた学者で、政治顧問であった荻生徂徠は、親を捨てた道入を無罪にして、政治の貧しさを指摘した。年間3万人以上も自殺者が出ているのは、全く政治の責任ではないか。個人の責任、自己責任と言い逃れをして、社会的手立てをしない小泉内閣は恥ずべき政治家たちの集まりだ。
「人間の心の本性には道徳の理が宿っているという性理学の立場から、もっぱら人の心の内面の信条や動機が問題とされていたのである。」と述べている様に、他の儒者が依然として宋学的な立場から、「奇特」であるかどうかと言う様な、道入の主観的動機のみをひたすら上げつらていたとき、徂徠は、飢饉の場合などは「世間で飢饉でも起こりましたならば、このような者は他領でもいくらでも出てくるのでしょう。親捨てというのは、人間としてあるまじきことですから、これを親捨てとみなして、何かの刑に処したならば、見せしめの意味で他領の手本にもなるでしょう。しかし私が考えますのに、このようなものが領内から出るようにしたのは、第一に農村を支配する代官や郡(こおり)奉行(ぶぎょう)の責任です。その上では家老の責任です。それより上のほうにも責任者がいるはずです。それに比べれば、道入が犯した罪は極めて軽いものです」として、道入の行為を一個の客観的類型として、その社会的反復可能性において捉へ、以て彼の無罪を結論し、為政者の政治的責任に問題を移した。
封建時代よりも劣る政治家の問題を指摘せず、小泉チルドレンと言って馬鹿な発言を追いかけているテレビ局は余りにも馬鹿げすぎています。
何一つ良心がないテレビの報道、良心のひとかけらもないテレビ局、白痴的人間が作っているとしか思えない。

荻生徂徠の話
甲田 (538)投稿日:2005年10月08日 (土) 04時13分 返信ボタン

徂徠が元禄九年、はじめて柳沢家に15人扶持(ふじ)を以て抱えられてから間もない頃のことである。時に吉保は綱吉の寵遇益々厚く既に元禄七年に老中格に進み、川越一帯の地を封与され7万石の城主であった。
彼の所領内で、ある農民が生活に窮乏の極、田地屋敷を手放し、妻も離縁して、自らは剃髪して道入と改名し、一人の母を伴って流浪の旅に上ったが途中で母が病んだので、母はそのまま放置して江戸に来た。やがて母は近辺の人によって川越に送り返されたが、道入は親捨ての罪で捕らえられるに至った。そこで吉保は道入をいかなる刑に処すべきかについて抱への儒者一同に諮問を発した。徂徠はその時の模様を後年『政談』に書き記した。
「将軍綱吉公の御世、柳沢美濃守(吉保)の領地である川越に、一人の百姓があり、困窮して田地も屋敷も手放してしまったので、生活を立ててゆくすべもなく、妻は四、五日前に離縁して里へ帰らせ、自分は頭を剃って道入という僧名を名乗り、一人の母を連れてむらを出て漂白していたが、熊谷か鴻巣のあたりで、母が病床に伏したのをその場所に捨てておいて、自分は江戸へ出てきた。そのあとで、土地のものどもが母から委細の事情を聞いて、川越へ送り返したが、このことによって、右の道入は親を捨てた罪人ということになった。美濃の守は家来の儒者たちに、『親捨てには、どのような刑を課すべきであるのか、和漢の先例を調べて、答申を差し出すように』と命じた。その時私は、美濃の守に仕えるようになったばかりの、まだ新参のころであった。儒者たちは一同考えた結果、『親捨ての刑というものは明律(明朝の刑法)にも出ておりませんし、古今の書籍にも記されていません。このものの行動を見ると、つまり非人であります。母を連れて乞食をしていたのが、母が行倒れになったというまでのことで、親捨てとは申せません。妻は四、五日前に離縁しているのでありますから、乞食をするほどになっても母を同伴していたという点は、非人の身の上としては感心であります。自分が妻と一緒に家にいて母をよそに捨てたのであれば、親捨てということにもなりましょうが、これは親を捨てようとする心がなかったのでありますから、親捨てということには当たりません』とそろって申し述べた。しかし美濃守は納得せず、『いかなる境遇のものであっても、親を捨てるのに忍びない心があるはずである。この事情をとにかく将軍様へ申し上げて、思し召しを伺ってみようと思う』と言った。その頃将軍綱吉公は朱子学をご信仰になっておられたので、人間の心の本性には道徳の理が宿っているという性理学の立場から、もっぱら人の心の内面の信条や動機が問題とされていたのである。美濃守は禅宗の信者で、儒者の説く道徳の理論などは、平生は余り信仰していなかった。その時に私の考えとして、『世間で飢饉でも起こりましたならば、このような者は他領でもいくらでも出てくるのでしょう。親捨てというのは、人間としてあるまじきことですから、これを親捨てとみなして、何かの刑に処したならば、見せしめの意味で他領の手本にもなるでしょう。しかし私が考えますのに、このようなものが領内から出るようにしたのは、第一に農村を支配する代官や郡(こおり)奉行(ぶぎょう)の責任です。その上では家老の責任です。それより上のほうにも責任者がいるはずです。それに比べれば、道入が犯した罪は極めて軽いものです』と、末座から申し述べたところ、美濃守はそれを聞いて初めて、『もっともである。』といい、道入荷は母の養い料として一人扶持(一日に米五合の手当て)を支給して、元の村へ帰住させるとともに、これ以来、美濃守は私を役くに立つものと認めて、親しくしてくださるようになった。」(『政談』)
 かくしてこの問題ははしなくも徂徠が始めて頭角をあらわす契機となった意味において彼にとってもひとしをの思い出の深い事件であった。




Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場から大感謝祭を開催中エントリーお忘れ無く
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板