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杉野 (548)投稿日:2005年10月10日 (月) 11時54分 返信ボタン

敗戦色濃厚な昭和二十年七月、和平を打診するために近衛文麿特使が、ソ連に派遣されることになった。「和平交渉要綱」なるものを持って。その文書には「最悪の場合、沖縄、樺太、小笠原を捨て、千島は南半分を保有する」と書かれていた。「日本固有の本土」に沖縄は入っていなかった。
日本軍は、本土決戦の時間稼ぎのため、沖縄を「捨石」と考えていた。アメリカ軍だけが、沖縄戦の悲劇をもたらしたのではない。
日本軍は現地で何をしたのか。日本軍は現地の男子住民を徴収し、中学生・女学生を軍隊に協力させ、そして悪化する戦局の中で、沖縄住民を切り捨てた。
方言を語る住民にスパイ容疑をかけて射殺し、集団自決を強要し、反抗する住民を虐殺した。敗戦の8月15日以降も続いた。
戦後はアメリカの「植民地」にされ、「基地の中に沖縄」がある状況が続いている。「沖縄」は「日本固有の本土」ではないのか。
沖縄が還らない限り戦後は終わらないと佐藤栄作氏は語った。しかし、沖縄がアメリカの不沈空母の状態は何一つ解決されない。構造改革はそこから始まるのではないか。




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