| ■
|
■
チャコ
(398)投稿日:2005年02月13日 (日) 15時41分
|
 |
昔、五島慶太と堤康二郎が、株を買占め会社をノットテイクやり方で、富を手に入れたことがあります。自分で苦労して会社を興すをせず、では上がった会社の弱みに突け込み、株を買い占めて会社をのっとる。これは資本主義社会でも、腐敗した資本主義です。 今日本はそうした腐敗が進行し、会社が売り買いされています。そこに働いている人の悲しみも憂いも何も感ずることなく、ライブドアーの社長は随分ちやほやされていますが、腐敗した資本主義の中に咲く仇花ではないかと、その不健康なあり方に眉をひそめるのはわれだけか。
|
| |
|
| |
□/669
(399)投稿日 : 2005年02月15日 (火) 02時15分
|
| |
 |
>株を買い占めて会社をのっとる 非常に健全な資本主義であろうかと思いますが、どうでしょうか?
>そこに働いている人の悲しみも憂いも何も感ずることなく、 >ライブドアーの社長は随分ちやほやされていますが、 ライブドアに買われた(のっとられた?)会社に働いている人で、悲しみや憂いに打ちひしがれている方がいらっしゃるのでしょうか? 事例があれば、教えて欲しく存じます。 |
| |
|
| |
□/チャコ
(400)投稿日 : 2005年02月15日 (火) 18時26分
|
| |
 |
子の日わく、利に放て行えば怨み多し。
子の日わく、参よ、吾が道は一以ってこれを貫く。曽子の日わく、門人問うて日わく、何の謂いぞや、曽子曰く、夫子の道は忠恕のみ。
人間生活につきものの自由、願望そして利得欲に制限を加えることによって、道徳的発展が生じます。人の行動は、それが他者に対して及ぼすであろう結果と影響との関係において判断されます。
バブル経済の結果どれほど多くの人が、リストラされ、そしてホームレスの人たちが生まれたかということです。 資本主義は金を儲けること目的だ、だから金を持っている人はどんなことをしてもやってもかまやしないという考えが、広く浸透しています。 西武の問題もそうです。ありとあらゆる手段を講じて、法を逸脱すすれすれのところで金儲けに走りました。 堤清二著「父の肖像」新潮社をお読みくださればわかります。
マックス・ウエーバー著「プロテスタンティズムの精神と資本主義の倫理」岩波文庫。などを読んで見ますと、今の資本主義は、強者の論理でしかありません。名もない貧しいそして勤勉人たちが資本主義を生み出したのです。そしてその利益は神への奉仕をも意味しました。すなわち利益は社会に還元することでした。 「一将功なりて、万骨枯る」資本主義でいいのでしょうか。それが資本主義だとおっしゃればそれまでです。
墨田川堤のところに沢山のホームレスの人がリストラされ、寒空の下、震えています。彼らは怠け者だからホームレスになったのではありません。 五島慶太・堤康次郎の乗っ取り合戦が、どんなに人々の心を傷つけたでしょう。それが資本主義といわれれば何も申し上げません。 |
| |
|
| |
□/チャコ
(401)投稿日 : 2005年02月15日 (火) 19時17分
|
| |
 |
今だけに通用する行為ではなく、10年後、20年後50年後にも人々の尊敬を受けるような行為を心がけてほしいです。 目先の利益ではなく、カーネギーは自分が勤勉に働き利益を上げたもののすべてを、社会から授けられた富であるからというので、社会に還元し、なくなるときは一文無しでした。 どれだけ多くの優れた資本家が、社会のために利益を得た富を社会に還元しようと努力したでしょう。今分かりませんライブドアーのあり方は私は、大変不愉快に思っている年寄りです。 |
| |
|
| |
□お返事ありがとうございます。/669
(402)投稿日 : 2005年02月15日 (火) 21時19分
|
| |
 |
>今だけに通用する行為ではなく、10年後、20年後50年後にも >人々の尊敬を受けるような行為を心がけてほしいです。 経営者は、今だけに通用する行為ではなく、10年後、20年後50年後にも株主に利益を与えうる経営をすべきだと思っています。 経営者が引退後(引退後でなくとも)に、己の資産をどう使おうが自由であり、資本主義の健全/不健全とは無関係かと考えます。 カーネギーが尊敬を受け得る人物であったかどうかについては、もちろん異論ありません。
>今分かりませんライブドアーのあり方は私は、大変不愉快に思って >いる年寄りです。 リストラやホームレスの方の話がありましたが、果たして「ライブドアに買われた(のっとられた?)会社に働いている人」で、そういう目に遭われた方がいらっしゃるのでしょうか? また、ライブドアの社長が個人資産を晩年どう使うか(現在どう使っているか)、分かりませんよね。カーネギーと比較することに意味があるとは思えません。
ところで、不勉強で申し訳ないのですが質問があります。 カーネギーは、株を買占め会社を買うという行為を否定されていたのでしょうか? また、「自分が勤勉に働き利益を上げ」る段階において、悲しみや憂いを感ずる人を生み出さなかったのでしょうか? (何れにしろ、彼の偉業にケチを付けるつもりはありません。純粋に知的興味からです。) ご存知であれば、お教え下さい。よろしくお願いします。 |
| |
|
| |
□/チャコ
(403)投稿日 : 2005年02月16日 (水) 17時11分
|
| |
 |
日本の現実「社会の七つの大罪」「原則なき政治、道徳なき商業、労働なき富、人格なき教育、人間性なき科学、良心なき快楽、犠牲なき信仰」こんな観点から考えています。老人は愚痴のみですいません。。 |
| |
|
| |
□/669
(405)投稿日 : 2005年02月16日 (水) 23時08分
|
| |
 |
いえいえ、どうもありがとうございました。 ライブドアの社長の行動は、快活な理想に燃える青年の行動のように私には映っておりましたので、意見・質問させて頂きました。 訝しくお思いでしたら、彼の著書を読まれてみるのも宜しいのではないかと、愚考する次第です。
『堤清二著「父の肖像」』のご紹介有難う御座いました。 お話にあったカーネギーの自伝と共に、求めてみようかと思っております。 |