【広告】楽天市場から大感謝祭を開催中エントリーお忘れ無く

ご自由に、どうぞ!

何か書いてください!
(ニックネームでも、匿名で結構です。メール・HPアドレスは不要です)

ホームページへ戻る

名前
Eメール
題名
内容
URL
アイコン アイコンURL
削除キー 項目の保存

とほほさんへ 
木村繁次郎です (564)投稿日:2005年11月17日 (木) 19時27分 返信ボタン

興味ある記事有難うございました。私今、リーダースダイジェストの人類の歴史200万年、分厚い500ページくらいの、本ですが、人間が立って歩きだした、100万年前「アフリカ」石器時代から、もう戦いがありますねー、そしてそれらの、纏め役が、族長とか、なんか名前があったんでしょう、日本でも、天皇さんが、3〜4世紀ころからも、征伐とか、統合していますねー、昔は、矢張り、情報も、進まず、長「おさ」について行くのみ、自分の、人格なんて、とても??長「おさ」あっての、人民・・今は、一人一人の、生きているための人権が、尊重されて、天皇制は本当は、民主主義に、逆行する制度なんです。今は日本も天皇制復活くらいの、傾向???長くなるんで後は、何時もの MLでお会いしましょう。

想像の共同体
とほほ (563)投稿日:2005年11月16日 (水) 12時25分 返信ボタン

天皇と言うのも一つのフィクションですよね。
私は、これは日本に限らずですが、国民国家以前の体制に対して「国家統一」であるとか言う言葉を当てはめてしまうから正しい歴史観が養われていかないのだと思います。国民国家以前の「国家」と言うのはいうなればやくざの勢力範囲のことです。民衆への行政サービス機関ではなくただただ強盗団のボス争いですよね。

ステートを「国家」と訳したわけですが、この「国家」と言う言葉自体が漢語としては別の意味を持つそうです、「朝家」とか「公家」とかと同義なのだそうで朝廷とか王朝または天子と言う意味だそうです。(遊牧民から見た世界史、杉山正明)

もちろん現代はそうした意味では使っていないのだから、漢語の意味がどうだから云々というはおかしい、と言うのも確かでしょうが、でもやはり漢字というものから受ける印象と言うのは深層心理的な影響は大きいと思いますよね。司馬遼太郎の対談本などを読んでも明治期の日本人と中国人の国家論がかみ合わないのはこの国家観の違いだ、などと書いてあった記憶があります。中国で国家とは朝廷つまり清朝のことだったわけですね。

国民国家も所詮「想像の共同体」といわれる様に一つのフィクションですが、近代になっても、そのフィクションの根拠を強盗団の親分に求めるのはある意味滑稽な感じです(^^;、と言うかそういう国家観から離れないと民主主義が達成できるはずもないです。

ですから、戦国覇権を国家統一事業であるとか、思考錯誤掲示板でもQuesoさんが指摘しておられるように、幕府=鎖国、維新政府=開国というような単純構造化させ、なぜかはしらねど日本国家と言うものを連続的な史観で見ようとするバイアスが日本人の歴史教育にはかかっていて少しばかり科学的とは言い難いと思います。

とほほ様へ
木村繁次郎です (561)投稿日:2005年11月14日 (月) 14時53分 返信ボタン

有意義な記事の寄稿有難うございます。ガス田開発問題ねー中国も必死で開発、日本も??なんとか、上手くやってほしいものです。我々には、そんなことぐらいしか、いえませんが??。<私は40年間にわたって日本の石油開発会社に身を置き>たいしたものですねー今後のお働きを、お待ちしています。有難うございました。

□外交ベタ/とほほ (562)投稿日 : 2005年11月16日 (水) 12時22分

ですから、こういうのも最初から喧嘩腰で日本って交渉しちゃうのですよ。ガス田が見つかったと言ってもまだまだ海のものとも山のものともわからないわけです。本当に国益を守りたいのであれば共同開発を持ちかけたらよい、中国だってずいぶん助かる。

言って見れば日本は、花咲じいさんに出てくる意地悪じいさんなんです。人に穴を掘らせておいてうまい汁だけを吸おうとする。自分では開発する気もないくせに、宝物が出てきたら欲をだす。

それを「私は国益の為に全力を尽くす」「命を懸ける」なんて美辞麗句で着飾っているわけで、これは愛国心でも利用しなくては確かにみっともない(^^;

「見つけた宝物」は誰のもの?
とほほ (560)投稿日:2005年11月14日 (月) 09時19分 返信ボタン

「宝探し」「宝島」「○○の冒険」子供のころから胸躍らせた宝探しの物語は大人になっても結構な大の大人が夢を追い続けていたりする。この大人の宝探しの夢には旧大日本帝国が結構貢献している(^^;
有名なところではフィリピンの「山下財宝」なんかもフィリピン国内ではこれを探して生涯をかける人もいるらしい。日本国内でも「M資金」「児玉誉士夫のダイアモンド」等など、いかにも胡散臭い話ではあるが、大の大人それも結構社会的位置の高いかたがたが簡単に詐欺にかかったりするほどの信憑性を持って語られる。

さて、今回の投稿はこれとは関係ない。「見つけた宝物」は誰のもの?である。ま、普通、いろいろややこしい法律があるのであろうが、世間的心情的には「見つけた人のもの」と言うことで見つけた人はヒーローであろう。

話は変わるが、私が「とほほブログ」を始めたのはヘッダにあるとおり備忘録である。つまりその場その場の思いつきで投稿する癖のある私は前にしゃべったことと今しゃべったことが矛盾する恐れがある(^^;(^^;
そこで念のために自分の発言はまとめて置こう。というわけだ。従って「どうせ誰も読んではいない」と言うのが前提になっている、だから極力他人の論説や投稿の転載は省き、つまらない私の文章だけを投稿する予定であったのだ。ブログと言うのにはランキングというものがある、アクセスの多い順に上からランキングされるのだ。こういうランキングが私は嫌いだ(^^;、なぜならランキングのために記事を書くようになるからだ。だから昔の思考錯誤掲示板にはアクセスカウンターも表示させなかった。

しかも、私の利用しているgooのブログと言うのは40万近いブログ数である、これのランキング入りなど無理だ、と思っていたのだが今週はランキング入りしているのだ(^^;
これは間違いなく一時的なものである、なぜランキング入りしているのかの原因もわかっている、しかもそれは私のブログに人気があるわけではない、こともわかっている(笑)。
しかも大したアクセス数ではない、思考錯誤のアクセス数のほうがぜんぜん多い。(もちろん単純なアクセス数を比較はしていない)
ブログで頑張っているけどランキング入りしないよー、とお悩みの皆さん、これは結構簡単かもしれない、その気になれば内容のよしあしに関係なくランキング上位は可能だ、これは気をつけないと、検索エンジンの二の舞である、ようもないページが上位にヒットするとか、全く同じ内容のページばかりが上位にヒットする、と言う現象は遠からずやってくるに違いない、そのときにブログフィーバーは終わるかもしれない。そう商売人がこれに眼をつけたときだ。

とはいえ、とにかく今の「とほほブログ」の閲覧数をほっておく手はない(^^;
結構大勢の人がブログを見ているのだ、そこで転載はしない、と言う方針を軽々しく放棄し、ある記事を転載したい、この記事は思考錯誤で紹介されたもので、転載元は
http://www.21ccs.jp/china_watching/DirectorsWatching_YABUKI/Directors_watching_14.html
である。

ながーーい、言い訳前振りもそろそろ本題に入る(^^ゞ
日本ナショナリズムを官・民・報道・他の大翼賛体制で煽っている「東シナ海のガス田開発問題」と言うやつだ、そうなのだこの問題、実は非常に唐突に出てきたのだ、ここ数年であろう、日本だか中国だかはっきりしない境界線上でガス田が見つかり、それの利権争いが問題なっている、と、私も含めて認識してはいないだろうか?

やや中国よりでこの問題を見る人も「日本と中国が石油を求めて必死で捜索中に中国が先に見つけてしまった」との印象がありはしないだろうか?

どうやら現実はそうではないらしい、本投稿冒頭で言及した「見つけた宝は誰のもの?」で受けた皆さんの印象にそって以下を読んでいただきたい。

全文はこちら[21世紀中国総研:東シナ海のガス田開発問題]
以下、一部抜粋。

私は40年間にわたって日本の石油開発会社に身を置き、石油・天然ガスの探鉱開発の実務に携わった技術専門家であり、中国の南方海域での石油探鉱のために3年近く広州に滞在したこともある。その専門家として身につけた世界の石油業界の常識から見て、日本側の言い分は、じつは穴があったら入りたいと思うほど厚顔無恥そのものなのである」「石油・ガスの探査には極めて多額の資金を投入する必要があり、しかも掘ってみなければ存否が判らないものだけに大きなリスクを負っている。そのようなリスクを負って得た地下のデータは石油会社にとっては最高の企業秘密であり、それを見返りもなく見せろと言い張るのは、工業製品メーカーに特殊技術をよこせと強要するのと同じくらい無礼なことで、非常識も甚だしい

はじめまして〜
T.Hatayama (558)投稿日:2005年11月02日 (水) 22時45分 返信ボタン

今晩は〜
戦争を語り継ごうMLからやってきました〜
私の初めてのメールにRES下さり有難うございます〜
頭の老化を少しでも遅らせようと退職してから我流でホームページを立ち上げました。
MLの皆さんのように主義主張があってのものではないので、全く自分だけの楽しみでやってる恥ずかしいものですが、ご覧下さって感謝しております。
まだ全部目を通しきれてませんが、これからも時々お邪魔いたしますのでよろしくお願いいたします。

□T・Hatayama様/木村繁次郎です (559)投稿日 : 2005年11月03日 (木) 23時01分

あまり、綺麗でないHPに来てくださり有難うございます、思いのままのHPで好いと私なりに 負け惜しみのような 考えです お笑い下さい。 では又 お会いしましょう

マキャべりスト
甲田 (557)投稿日:2005年10月12日 (水) 19時25分 返信ボタン

「そこで君主は私が上に挙げたような美徳をすべて事実上具えていることは必要ではなく、それらを備えているかのごとく見えるだけで充分である。いな、私は敢えて主張しよう、君主が美徳をすべて事実上具えそれを発揮することはむしろ彼にとって危険であり、反対に、ただ美徳を持っていそうに見えるだけの方が有利であると。」(『君主論』)

いいえて妙『小さな政府大きな権力』
とほほ (554)投稿日:2005年10月10日 (月) 18時38分 返信ボタン

いまでこそ、ネオリベラリズムの代名詞となっている「小さな政府」であるが、この発想自体は、リベラリストとして反動的に「反・小さな政府」を掲げるのは安易である。元々は権力を中央に集中させず地方に分散化させ国家権力の縮小、により権力の暴走を回避しようとするもので、国家が国家として賄わねばならないものはそのうちにとどめておくべきとして、では『国家が賄うものべきとは?』の議論途上にあったものである。

これは「権力は如何なる権力といえども必ず腐敗する」という不文律の上で、議論されてきた。しかし、ネオリベなる用語を発案し第二の権力である財界が政治権力の上に君臨しようとする試みに何時の間にやら転化されてしまっているのだ。財界と政界の取り引きである。

【財界の自由度を保証する変わりに政界の権力を強化する】
まさにこれは、ブログ:北京でライフォ(≠2nd)! のいうところの『小さな政府大きな権力』の構築に他ならない。

小泉の「小さな政府」は地方に権力を分散しているのか?
否である体面上の税制を地方税に移転しようとしているだけで、実際に行っていることは中央への忠誠心の強化に他ならない。
『国民保護法・国民保護計画』とは地方に国家の戦争協力を押し付けるものに他ならず、個人・財界の戦争協力を義務付けるものに他ならない。
これに反対するものは『共謀罪』によって一網打尽である。皆さんはご存知であろうか?この自由の国であるはずの日本に戦前戦中の亡霊のような法「国家反逆罪」というものがあることを、さて国家に反逆するとは如何なる意味か如何様にも解釈でき如何様にも運用できる危険な法律である。私の言論などは常に国家反逆であろう(^^;

つまりわかりやすく言えば小泉の目指す「小さな政府」とは幕藩体制の再構築である。もともと日本文化の中で「行政」というのは不浄職であり下級武士の仕事であった、国権をこそ司るのが武家であり天皇であったわけで、その体制は中央集権国家に他ならず、決して小さな政府案の目指すものではない。
しかし、近代国民国家において民衆への行政サービス、福祉、安定雇用等こそが国家がなしえねばならない第一の仕事であり義務である。

しかも、日本政府の場合のあいかわらずの情けなさは、そのネオリベにしろアメリカの物まねでしかないということだ。ただ単に大きなもの強いものに同調し物まねをしていく姿勢は維新以降一貫して日本の独自性を否定し続けている、日本が世界に誇る独自性を持つ平和憲法まで破棄しようとしている。

維新期にはフランス法制を取り入れ、その後軍事大国化したドイツの非合理的な軍事や法制を物まねし、挙句の果てには国を滅ぼし、周辺諸国の民衆2000万人もの命を蹂躙した国家が、また同じ徹を踏もうとしている、戦後民主化されて60年、そのことにいささかの危機感も抱かず、国政選挙をまるでタレントの人気投票か競馬の投票くらいしか考えずに自民党に投票する民度の低い国民は、石原慎太郎のデタラメで無意味な言動にかっこよさを感じ投票する反面、慎太郎が何を言おうが『官僚』がしっかりしているから行政は大丈夫、と思い込んでいる。官僚批判の慎太郎に投票しながらその責任担保を官僚に求めている頭の悪い都民は日本国民の民度の低さを代表するおばか民衆といえよう。

都民のアホが伝染したあほな国民はついに自民党に独裁権を与えてしまった。ここでウダウダぐちっていても仕方がない。馬鹿な国民よ、目覚めよ、しっかりと目を見開き小泉がやろうとしている『改革』とは決して国民が求めているような改革ではない、確かに既得権力を強引に破壊していく様子はテレビっ子どもにはウルトラマンが悪い怪獣をやっつける、ような爽快さを感じるのであろう、しかしこの世にウルトラマンなどいないのだ。

『権力は必ず腐敗する』小泉はウルトラマンなどではない、単純に独裁権力を欲しがっているのだ、難しい理屈は言わない、実際に彼の行っていることを見よ。

小さな政府の標語である「民にできることは民に」これは正しいのだ、そして「民にできないことは官がやる」のである。小泉の言う「民にできることは民に」という言葉の中に民衆蔑視の思想を感じ取るべきである。
いわく「郵便配達なんて民でもできることでしょう、官はもっと大事な仕事を行なうべきだ」と言っているのだ。三宅島災害のとき外遊していた石原慎太郎が発言した『都知事には災害なんかよりもっと大事な仕事がある』として外遊なる都知事に与えられているはずもない外交権をちらつかせ豪遊していた馬鹿と同じ理屈である。

以前にも投稿したが郵便事業が民にできるのであればとっくの昔に郵政の郵便事業は破綻して宅配業者がその任についている。決してそうならないのは郵政の郵便事業が民にはできないからなのだ。

日本の民営化で曲がりなりにも成功していると言えるのは電電公社くらいのものである、これがなぜ成功したのかは純粋に民間との競争をやらざるを得なかったからである、成功したとはいってもこれは民間の努力によるものでNTTはあいかわらず国民の税金で構築したインフラを私物化し基本料金なる不当な料金を徴収しあまつさえ加入者との契約を一方的に破棄し加入権を無効化して既得権益にしがみついている。皆さんは「NTTが潰れたら困る」と言う宣伝に洗脳されてはいないか?潰れてもいいのだ、民間が後を請け負うから、整備されたインフラはNTTの私物ではなく国民の共有財産だ、インフラ整備コストは税金が賄うべきである。

国鉄の民営化に至っては今でこそ落ち着いてきてはいるが、リストラされた労働者の労働環境や雇用はまったく無視しあまつさえ官営時の既得権益は守られ民間運営の力もない経営陣がプロの経済人の物まねをして不合理な経営体質を作り、あげくのはて馬鹿馬鹿しいとしか言いようのない大事故を起こしている。プロの民間経営者であればあのような事故は決して起こさない。

何の役にもたってないのが電力会社の民営化である、ここには競争も何もない、典型的な税金で築き上げた資本で金儲けをしているだけである。国民には何のメリットもないどころか電力料金の地方格差は広まるばかりである。

きちんとした民営化を行なえば小さな政府案とは間違った政策ではない。小泉にだまされるな。
『総論賛成・各論反対の典型』とし政治的反対勢力が自己利害の為に反対しているような印象操作をしているに過ぎない。
『総論賛成・各論反対』とは当たり前の事だ、各論が間違っているのだから総論の目的は決して達成されない。簡単に言えば小泉は口で言っている事(総論)と実際にやっている事(各論)がまったく逆のことをやっているので反対するのだと言う事である。

/杉野 (555)投稿日 : 2005年10月10日 (月) 19時01分

全くおっしゃるとおりで、もやもやしていた頭の中が、すっきり分かりました。有難うございます。これからもいろいろ教えてください。

岡本三夫様
杉野 (552)投稿日:2005年10月10日 (月) 13時57分 返信ボタン

背筋が寒くなるような時代。平和を築くために是非いろいろ教えてください。小泉首相の手の上げ方と、ヒトラーの手の上げ方に似てきた。わけの分からない小泉チルドレンは、ヒトラーのチルドレンに似ている。

沖縄の人の心の優しさ
杉野 (551)投稿日:2005年10月10日 (月) 13時07分 返信ボタン

沖縄の人たちは、沖縄住民だけでなく、沖縄戦で亡くなった全ての人が敵味方を問わず、「平和の礎」にその名前が刻まれています。アメリカ兵も、沖縄住民をスパイ視して殺した日本兵も、そして強制連行された朝鮮人の犠牲者も、名前が刻まれています。朝鮮の人の犠牲者の遺族の中には、刻名を拒否している人もありますが。23万人の人の名前が刻まれています。
「かけがえのない命」が虫けらのように蹴散らされ、鴻毛の如く軽く扱われた戦争。その中で23万人以上が押しつぶされていきました。
1945年7月9日鈴木貫太郎首相曰く「国民個人の命は問題にあらず。我国体を護持せねばならぬ」と。既に沖縄は焼き払われ、多大の犠牲者があった後です。「国民の個人の命は問題ではない」という総理大臣鈴木貫太郎首相とは、なにを守ろうとしていたのでしょう。
酔いつぶれた農民がどなっていた。「お偉方なんぞくたばりゃがれ。」と。

岡本三夫先生へ
木村繁次郎です (550)投稿日:2005年10月10日 (月) 13時00分 返信ボタン

岡本三夫先にこんな私めの小さいHPに来て下さり感謝のいたりです。ドイツの戦後ねー・・・私は三回イスラエルへ行きましたが二回、虐殺記念館にはいりました、殺伐とした暗い室内、永遠の灯が点いています、外へ出ると、象形画が壁に描かれていました。『忘却は流浪に導き記憶は償いの秘訣』とありました。戦後40年目に海外に又国内に向けて、40年イスラエルの民がさまよいて、荒野をという聖書からの言葉を使い、一つ一つ語るように演説されました、私達は、小冊子で翻訳文を読みまして、大統領も、新教の基督教会員、私達も同様の、教会員、感激したものです、矢張り大統領の、演説・・日本から、中国へ行って、田中〜村山〜ら、首相が話をしても、何の効果も??本当は天皇がなんか言うべき、長い歴史の中で遺憾な事もありましたとか??くらい・・日本の天皇は絶対に謝りません、支邦人は面子を保つとか・・日本人もそれ以上に面子を保つ人種「小泉氏の心は判らんが」中国が台頭して、ソ連から中古の武器をドンドン買い込み、ミサイル数百機の照準は日本に向いている由、アメリカの権威??_地に、地に落ちつつある今の時世・・日本と「して、座して死を待つべきか??日清戦争時代の苦しい判断を外交は・・否、国民は、考えるべきと、85歳で戦争往きて、戦争とは、ルールの無い、動物の争い同様と身をもって、体験した者として、ドイツと日本の違いを述べた次第、然し平和学の先生の意見は違うかも、どうぞ、今後も宜しく。



Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場から大感謝祭を開催中エントリーお忘れ無く
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板