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退職に当たって |
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成瀬功
(569)投稿日:2006年07月10日 (月) 09時05分
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卒業生に贈る言葉
早春の候となりました。卒業生の皆様本日はおめでとうございます。また、御父母の皆様をはじめ、ご臨席の皆様本日は、おめでとうございます。 本日お子様の卒業を心よりお喜びになっておられるのは、御父母の皆様方ではないでしょうか。ご両親にありましては、本日まで、このように大きくお子様をお育てになられるに当たりましては、計り知れないご苦労が有ったことと思います。 ビクトル・ユーゴーは「神がどんなに神々しい星を与えたもうとも、子どもの尊さにまさるものはない」と語っていました。ご両親は卒業生の皆さんを「かけがえのない命」として慈しみ育てられました。そのことは同時にご両親にありましては大きな誇りであると思います。おめでとうございます。 ここで、私たちが生きているということを考えてみますと、実に不思議なことでございます。もちろんご両親の献身的な子どもに対する愛情がなくては生きることができませんが、そればかりではなく、この宇宙全体、地球全体、植物や動物や社会の条件その他いろいろな条件によって、私たちは生かされて生きているのです。ですから、私たちは偶然生きてきたと考えるのも自由ですけれども、私は、私たちがいろんな条件が重なって生かされているんだと言うことをいつも思うのです。 親が育ててくれたから生かされているのです。それから親だけでなく、その親の命もまた何かにはぐくまれてきたわけでしょう。人類全体が、何かにはぐくまれてきたわけだと私は思います。 そのために沢山の代価を払って、私たちは生かされているのです。多くの人たちによって我々は支えられている。そう考えると、私たちの命は、そう軽々しく扱ってはならないと思います。 しかし、また生きたくても生きることが許されなかった人たちがいるのです。病気もそうです。3年1組の高橋君が卒業を前にして突然の病で1月7日亡くなりました。ご両親の悲しみは計り知れません。お慰めの言葉もございません。胸が張り裂ける思いです。 また、沖縄修学旅行での『ひめゆり学徒隊』の宮城先生のお話を思い出して下さい。 沖縄県下の男子師範学校や中学校の生徒たちは、学業半ば、沖縄守備隊の命令で軍に動員され、軍人同様の激闘の戦場に投入され、その大半が戦死致しました。また女子「ひめゆり学徒隊」等は看護要員として従軍し、過半数の生徒が悲惨な最後を遂げることとなりました。 そのお話をなさった宮城先生は、ご講演中しばしば亡くなられた友人の事を思い出され、涙ぐまれ、言葉もつまられる場面が何度もございました。私も思い出すと涙が込み上げてきます。あの学徒兵及び従軍看護婦「ひめゆり隊」の人達は、あなた方より若く、14歳から18歳であったのです。 沖縄では、昔から古老達が、子や孫に繰り返し語ってきた『命(ぬち)ど宝』という言葉があります。しかし、明治以来、上からの極端な皇民化教育の中で『命ど宝』の言葉は忘れられ「かけがえのない命」が戦場の露と消え去りました。人の命が鴻毛より軽く扱われたのです。宮城先生のお話に私も体が震え涙を押さえることができませんでした。 ドイツの大統領ヴァイツゼッカー氏は述べています。「この過去を清算することが大切なのではありません。それは我々に全く不可能であります。しかし、過去に対して目を閉じるものは、現在も見る目を持たないのであります。かつての非人間的な事柄を思い起こしたくないとする者は、新しく起こる非人間的なる者の伝染力に負けてしまうものであります。ユダヤの人々は忘れることはないし、何度でも思い起こすことでしょう。我々は人間として、和解を試みないわけにはいかないのであります。」と。 「チビチリガマの集団自決」では遺族の人の言葉として「黙っていたら死者は犬死になる。見て二度と再び戦争をしない、平和を守るのだと、考えた時、犬死ではなくなる」と語っておられました。 E・H・カーは「歴史とは何か」の中で「過去は現在の光りに照らして初めて私たちに理解できるものでありますし、過去の光りに照らして初めて私たちは現在を良く理解することができるものであります。人間に過去の社会を理解させ、現在の社会に対する人間の支配力を増大させるのは、こうした歴史の二重機能にほかなりません。」と述べています。 過去は過去として完結しているのではなく、現在の私たちの在り方と無縁ではないのです。異形の死を強いられた人達の無念さが、私たちの心を揺さぶり、もう一歩、もう一歩と私たちを歩かせるのです。 非命に斃れた死者との対話を忘れず、死者との対話が死者を生かしめ、また我々をも生かしめる相互のいとなみとなることを忘れてはなりません。 そのことは日本人としてのアイデンティティは脅かされるかもしれませんが、私たちは私たちの歴史にどこまでも誠実に向かい合うことが大切です。誠実に過去と向き合うことが国際社会において、他国から尊敬と名誉ある地位を得ることになり、国際社会で信頼を得ることになるのです。 松陰は「至誠にして動かざるもの未だ之れ有らざるなり。」と言っています。誠実に過去と向き合うことが何より大切なことです。 「生きたくても生きることができなかった人々」の死が「一粒の麦」となり、その死によってはじめて、その後に続く人々の心を揺り動かすことになれば、その死は犬死ではなかったのです。人々の魂の中で永遠に生きることになるからです。 私たちが「沖縄修学旅行」で学んだものは何であったのでしょう。 人間を道徳的かつ賢明にすることが教育の目標です。吉田松陰は「人間として生きる道を学ぶことが、学問をすることだ」と申しました。それが即ち人々を幸福にすることになるからです。 皆さんより若い沖縄の学徒達が悲惨な死を迎えなくてはならなかったのは何故でしょか。 再び戦争を起こさせまいとする事は各人が心中深くそのことを覚悟し、その覚悟が皆さんの毎日の行動の中に静かに沈殿することによってかろうじて実現することなのです。 1945年4月19日大新聞は一斉に「沖縄戦の戦果と戦局の有利な展開」とを社説は書きたてました。 権威に頼ることなく自分の頭で考えてみようではありませんか。デカルトは「すべてを疑え」と申しました。“Cogito”の精神の欠如こそ日本人の生き方に欠けたものです。 そして私たちは他人の考えばかりでなく、自分の考えをもまた疑う能力を持つ必要があると思います。ゆれることのできる能力を失うのは、個人にとって危険であるばかりでなく社会にとっても危険ではないでしょうか。疑う能力を失うことは思考の停止です。硬直した社会を作ります。Cogitoの精神は、人間の機械化から人間を守るために絶えず必要な努力です。割り切れない始末に困る人間性に対する認識を失ってはなりません。その精神を失うことは、それは狂信と不寛容に取りつかれた姿です。 「道に横径なきは、立つ者皆危うし」と申します。迷うところに人間の姿があります。 人間は自己の行為への反省等を喪失した時、相手を力で圧伏しようと致します。自らの無謬性への狂信は、正当化された暴虐を生み不寛容を生み出します。ゲーテは「野蛮であると言うことは、すぐれたものを認めないということではないか」と述べていますが、他者を鏡として自己を見つめる事ができなくなり、他者から学ぶことを忘れ、野蛮な行為に走った。何故そういう人間が生まれたのでしょう。国家の言うことを無条件に受け入れ、迷うものを徹底的に排除したのが戦時日本でした。ヒトラーもしかりでした。おそらく明治国家の成功の後に、国家と共に歩んだ教育と深く関係するのでしょう。現代もしかりかもしれません。 フランス文学者の渡邊一夫氏が述べています。「制度のために人間があるのではなく、人間のために制度があるという自明な道理を、我々が常識とし、自らが属し、それから恩恵を受けている制度の動脈硬化を監視し、それの頽廃老化を未然に防止して、新しい制度に甦らせることができるようになれたらどんなによいでしょう。」と。 良心は力を持って左右する事のできない性質のものです。憲法第19条は思想・良心の自由、人間形成のための内面的活動それ自身を保証しています。その自由は人間の本質に関わるものです。公権力がその内心を理由に不利益を課したり、内心の信条を強制する事は許されないのです。 アメリカの最高裁判所判事ロバート・ジャクソン氏はある事件の判決に次のようなことを述べています。 「反対意見を強制的に抹殺しようとする者は間もなく、あらゆる異端者を抹殺せざるを得ない立場に立つことに成でしょう。強制的に意見を画一化する事は墓場における意見の一致を勝ち取ることでしかないのです。しかも、異なった意見を持つことの自由は些細なことについてのみであってはならないのです。それだけなら、それは自由の影でしかないのです。自由の本質的テストは現存制度の核心に触れるような事柄について異なった意見を持ち得るか否かにかかっているのです。」と。 実は多くのすぐれた思想家たちが、現存制度の核心に触れたが故に殺されて行きました。吉田松陰、戸坂潤、三木清、小林多喜二、大杉栄、高野長英、渡辺崋山等々、数え切れないほど沢山の優れた人たちが殺されていきました。先の戦争を含め、野蛮と暴力との支配の中で斃れて行ったすべての人々を悲しみのうちに思い浮かべてみてください。 何のために学ぶか考えていただきたいのです。シュヴァイツァは「人間は自ら作り出した悪魔の姿が見分けられなくなってしまったとは…」と言っております。人間が過去の失敗から学び、常に迫り来る狂信と痴愚の破局とを阻止しようと、あるいは回避しよう、あるいは延期しようと努力する人が一人でも多くなる事を期待致します。 勉強をしても人間が上等にならないくらいなら初めから無学でいる方が良いのです。良心なき知識は魂を荒廃させるだけです。 人間はいわゆる天使でもなければ獣でもないのです。中間の謎のような存在物です。モンテーニュの懐疑とエラスムスの寛容な精神を常に持っていただきたいと思います。そして漱石の「冷たい頭で説かれた深い思想よりも、熱い心臓から語られる平凡な言説を尊敬する」ような人になって下さい。「人間は努力する限り迷うものです。」(「ファウスト」)
最後に次の詩を皆さんにお贈り致します。スペイン・カタルシア出身の世界的な音楽家、パブロ・カザルスが世界の子どもたちに向かい、訴えたメッセージです。
子供たち、ひとりびとりに言わねばならない。 君はなんであるか知っているか。 君は驚異なのだ。 二人といない存在なのだ。 世界中どこをさがしたって、君にそっくりな子はいない。 過ぎ去った何百万年の昔から、君と同じ子はいたことがないのだ。 ほら、君のからだを見てごらん。 実にふしぎではないか。 足、腕、器用に動く指、君の体の動き方! 君はシェイクスピア、ミケランジェロ、ベートーヴェンのような人物になれるのだ。 そうだ、君は奇跡なのだ。 だから大人になった時、君たちと同じように奇跡である他人を、傷つけることができるだろうか。 君たちは、たがいに、大切にし合いなさい。
高度経済成長の幻想が崩れ、バブルがはじけ、外面は大国、内面は空虚。今の日本はそうした状況にあります。今原点に立ち返り自分を見つめなおして見ましょう。 自分の能力を能動的に発揮し他者と共に生きることを喜びと確信できる生き方を求めてください。そして、他者の幸福のために一木一石でも動かし得る人になってください。皆さんに与えられた勉学の期間が無駄でなかったことを示していただきたい。他人に奉仕する誇りは、多額の報酬を得ることよりもずっと大切です。 若い時は、色々な事について、とことん考えてみる事が大きく成長するために本当に必要な事です。自分の目前の利益だけ考える人は視野が非常に狭いものになります。 社会に開かれている人は、いろいろな社会の出来事についても考えたり、心を痛めたり、あるいは社会を良くするためにどうしたら良いか、という事を考えたりするでしょう。他者と生きることを喜びとし、世界のこと、世界の人々のことを考える広い視野の持ち主になれるであろうと思います。皆さんに大いに期待致します。 何より体を大切にしてください。さようなら
2000年3月7日 第3学年担任 成瀬 功
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□/雅子
(574)投稿日 : 2006年07月10日 (月) 16時59分
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成瀬さん、こんにちは。 夢いっぱいに健康に過ごしてほしいと子供達のことを想っています。 パブロ・カザルス氏のメッセージを読んで感動しました。 夢や希望も大切だけど、もっと一番考えなくちゃいけないのは『命』
この詩はとっても強いメッセージを私にくれました。 ありがとうございました。
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□美しく清き地球を破壊せし 人間界に破局迫りぬ/前田 進
(577)投稿日 : 2007年03月05日 (月) 00時30分
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美しく清き地球を破壊せし 人間界に破局迫りぬ たつまき jcfkp201@ybb.ne.jp 2036年からタイムマシンで来た米国人タイターと、ブラジルの預言者ジュセリーノの預言は低レベルからだった。 http://newscience.air-nifty.com/blog/2005/11/2036_26d8.html 07.1&2月地球規模の大暖冬は新たな地殻大激変の前兆だ 気象庁発表のエルニーニョが主因ではない― 1,2月の地球規模の大暖冬は 太陽大異変による新たな地殻大激変の前兆だ 姉羽事件の関連会社イーホームズの藤田東吾社長は、200万棟のマンション・ビルが耐震強度不足で倒壊すると暴露した その前に彼は安部に知らせようと会いに行ったが、拒否された。 エルニーニョは太陽大異変の結果の1つにすぎない ESA(欧州宇宙機関)は米太陽観測衛星SOHOのデータで08年太陽爆発を発表した それを東電はスパコンのシミュレーションで確認した 07年:英国、日本、韓半島、上海は沈没、米国東部は地殻大破壊・分裂 08年は太陽爆発! これらは宇宙管理界からの予言である 地球と太陽系の破局が目前に迫っている! 詳細必見:http://gold.ap.teacup.com/tatsmaki/25.html
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