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ご苦労様でした。
戦後生まれ (581)投稿日:2007年04月05日 (木) 16時43分 返信ボタン

はじめまして!
幼い頃実家で、似たような古い写真母に説明されながら見たのを
思い出しました。ご苦労もあったでしょうが、長い歴史を振り返ると幸せだったようにも思えます。それはご自分の努力で今があると
想像されます。趣味多彩で羨ましいくらいです。
いつまでもお元気でご自分の歴史をご子孫に残して下さい。
年輩でありながらパソコンでブログ作るなんて凄いですね。
とにかく素晴しいの一言です。今後も期待しています。



はじめまして
ふくろう庵 舞萩 (578)投稿日:2007年03月12日 (月) 11時20分 返信ボタン

木村様、はじめましてm(_ _)m!
先日、長岡京市民活動センターの会員に登録、にじっとの会員になったばかりの舞萩と申します。
木村様には、丁寧な心温まるメールを頂戴しまして、ありがとうございます。
また、センターの方でもお会いする機会もあると思います。
今後ともよろしくお願いいたします。

□有難うございました/播翁です (580)投稿日 : 2007年03月29日 (木) 07時13分

舞萩様 寄って 下さり 有難うございます。 今後共 宜しくお願い申し上げます。

アルバム、記録など初めて見せていただきました
昭和の庶民史を語る会 (576)投稿日:2007年02月28日 (水) 11時47分 返信ボタン

貴重な記録有難うございました。改めて木村様の口ではいえないご苦労の数々を知りました。それらを頭に入れて語る会を続けていかなければと思い直しています。自己満足だ、戦争のことを今更ぶり返すななど嫌がらせはありますが、続けなければと考えています。ご無理をしないで、ご意見、アドバイスをお願いします。お体をご自愛ください。

□有難うございました/播翁です (579)投稿日 : 2007年03月29日 (木) 07時11分

昭和の庶民史を語る会の 柴田様 タッチ 有難うございました。では又

寄稿の御礼
蕃翁 木村繁次郎より (575)投稿日:2006年07月14日 (金) 12時19分 返信ボタン

雅子さん・成瀬さん・「戦争のひびき」寄稿者に お礼申しあげます。返事遅くなり、お詫びします。播翁 木村繁次郎

お久しぶりです
雅子 (573)投稿日:2006年07月10日 (月) 16時53分 返信ボタン

FW談話室から来ました。お久しぶりです♪

難しい漢字が読めず(苦笑^^;)理解がなかなかできないんですが・・・
この夏に家族で鹿児島に旅行します。
特攻隊の基地を見てきます。

お正月に『男たちの大和』の映画を観ました。
私は映画が大好きです。
でも・・・最後に空から飛行機で撃たれ散っていく少年たちの姿。
その爆音が怖くて怖くて耳と目をふさいでジタバタしてしまいました。
映画だけでこんなに怖いの。
本当に体験したら?怖い・・・

少しづつでも知り、理解し、伝えていき、考えたいと思ってます。

きっかけをありがとうございました。

朝日読書欄にあったものをそのまま載せます。
戦争の悲劇 (571)投稿日:2006年07月10日 (月) 13時20分 返信ボタン

朝日新聞読書欄 2006年7月9日
「プラハ日記」アウシュビッツに消えたペトル少年の記録
はじめまして、大変「プラハ日記」良い紹介文でした。その姉妹編ともいうべきNHK「ヴェデム」のビデオを生徒が見た感想文です。何かの参考にしていただければ幸いです。 

 私は以前からユダヤ人大量虐殺に関心があり、「夜と霧」や強制収容所についての本をたくさん読んできました。だからこのドキュメンタリーも興味を持って見ることができた。
 このドキュメントが私たちが見てきたものと違うのは、普通のものは、アウシュビッツそのものや、迫害への恐怖、追われている様子などを描いたのに対して、アウシュビッツへ行く一歩手前での生活を描いていることだ。しかも、死への恐怖ではなく、純粋な生への希望を正面に打ち出している。
 テレジンに収容され、アウシュビッツへ送られているのを待つばかりの少年達が、L417という番号が付けられた住居の一号室にいた。年は大きくて16歳ぐらい。すでに両親を失ってしまった子ども、また生きていても会えない子どもが大勢いた。普段接している大人といえば、兵隊と、寮監役のアイシンゲル先生たちだけである。少年たちが何を求めていたか。
 そんな需要に対して少年たちが起こした行動、それは、自分たちで自治組織を作り、また「自分たちの雑誌」を発行する、ということだった。
 ここで「いのちの雑誌」という名を冠されている雑誌は、少年たちによって「ヴェデムVEDEM」つまり忍耐と命名された。
 毎週金曜日に一部だけ発行、編集長ペテル・ギンツがそれをタイプで打つ(後には危険を避けるために手書きになった)。
 ただ文章を書き、また他人の書いたものを読むという、それだけのことではあるが、それは少年たちにとっては十分大きな出来事だったにちがいない。大きな少年たち、特にギンツが中心となって、(確か)74号あたりまで発行され続けたのだ。単純に四で割ると約十八ケ月、一年半である。
 ヴェデムはいろいろなことが書かれた。他愛のないことから真面目なことまで。また、その寄稿者も様々だった。時にはアイシンゲル先生も寄稿した。彼は自分の記事にこう書いたことがあった。
「君たちはこのような出来事のために、大人になりすぎてしまった」。その通り、少年たちは、体はまだ子どもでも、心はそんじょうそこらの大人よりもずっと大人に違いない。
 その大人の心で、少年たちは、人が「ばたばたと死ぬ」のを「連れて行かれる」のを見た。それがどんな気持ちだったかは、多分永久にわからないだろう。少年たちはその印象の片鱗をヴェデムにのぞかせたのかも知れない。日本にいる私たちが、彼らの気持ちなり当時の状況を知るには、そういう手がかりを見るしかない。
 昔にも、大量虐殺と似たようなことがあった。例えば、聖書の「出エジプト記」では、ファラオがイスラエル人に強制労働させ、絶滅させようとまでした。細かいところは違っても、ユダヤ人の大量虐殺と同じようなことである。
 歴史は繰り返すということを知っている私たちにできること。それはこれらの過去に実際に起こってしまった出来事を知り、その残酷さを感じることである。少年たちはヴェデムを書かせてしまった出来事を知り、その残酷さを感じることである。少年たちにヴェデムを書かせてしまった原因を、再び作らないために。
 今、一部の人は、第三次世界大戦に突入しようとしているのではないか、という危惧を抱いている。私は後の教科書に「第三次世界大戦」という活字が載らないことを願う。
A .S.某高校一年

「プラハ日記」アウシュビッツに消えたペトル少年の記録 
平野清美・林幸子訳平凡社
親類、級友を次々見送り・・・
1941年秋のプラハ。壁のない収容所といわれたゲットー。チェコ系ユダヤ人の家庭に生まれ、絵や小説を書くのが大好きな十四歳の少年ペトル・キンズ。級友や親類が次々とナチスに輸送(収容所送り)されるなか、自分の連行される直前の翌八月まで、彼が書き残した二冊の手作りノートの日記が本書である。
 ヴェルヌの小説を好み、少年らしくソリ遊びを楽しむ一日がある一方、ユダヤ人に徽章が導入され、供出強制が増えてゆく事実も忘れてはいない。
 噂がとびかい、多くの人が逮捕され、街には暗殺や処刑も珍しくない日々。終りに近づくにつれ、日記の筆跡は神経質になるというが、しかし、街の様子などを記録する平静さには驚嘆せざるをえない。何という自制力だろう。
 六月には叔父と三人の教師が、七月には祖母、父の姉夫婦、そして伯母が輸送。クラスにはもう五十人中十六人しか残っていない、と、祖母を見送った七月九日の日記には書いている。
 二年後、アウシュビッツのガス室で命を絶たれることになるが、収容所でも同室の少年たちと雑誌を編集したりして、将来への希望を表現し続けたという。
【小高賢(歌人)】

何時の日にか戦争による「ユダヤ人」の死が報われる時がくるのでしょうか。イラク戦争。イスラエル・パレスチナ戦争。みな凄惨すぎる終りのない戦争です。人類は戦争なしに生きられないのでしょうか。あらゆる不道徳が戦争の名のもとに行なわれているのです。


退職あたって若い皆さんに期待します。
成瀬功 (570)投稿日:2006年07月10日 (月) 09時10分 返信ボタン

終業式お別れの話です。
「長い教員生活で一番悲しかったことは、担任のクラスの生徒を亡くしたことです。前々任校で一人、前任校で二人ほとんど同時に2人です。みな突然の病です。
一人は一年生の時、皆勤賞を頂いた人ですが、2年生になると早々、歩くことが困難になり、病院に行ったらもう手遅れの『骨肉腫』だったのです。彼は几帳面に綿密に中一から毎日きちんと日記を付けており、文才のある生徒でした。その日記は将来その文才は発揮できる腐葉土として役に立ったかもしれないのです。追悼文集を作る中にその文章は生かしました。
次の学校ではアメフトのエース、体育運動にすぐれて活躍をしていた生徒が、夏休みの最後の日に『くも膜下出血』で突然になくなりました。彼はホテルの専門学校に行くことを楽しみにしていました。
また一人は『病の発作』がフロで起き、亡くなることになりました。彼女は美術系の大学に進学することを楽しみにしていました。絵の才能を生かす仕事をと夢みていました。美術の先生はその才能を高く評価されていました。
ご両親の悲しみは表現できるものではありません。お祖母さまは代わってやりたいと泣き崩れられました。今もお墓参りを欠かさないようにしています。
 いつも授業をしながらもその3人のことは忘れることはありませんでした。ご両親にとり『かけがえのない命』があっという間に失われたのです。一番悔しかったのは言うまでもなく、本人です。骨肉腫の闘病の中で苦しい呼吸の中、集中治療室に入る前に『絶対に病には負けない』と父に乱れた字ではありましたが書きました。彼はどんなに生きたかったでしょう。
生きたくとも生きることが許されなかった人があることを忘れないで頂きたい。
すべての人間は、世界にまたとない独自の個性を生まれながらにして持っていて、しかも、過去、現在、未来を通じて一回きりのものだとすると、これはなかなか大変なことです。そして、そのことに気づいたら、自分の生命の一瞬一瞬がかけがえのない貴重なものに思えてくるでしょう。人間だけでなく、いきとしいけるものすべてが『かけがえのない存在』です。
 一人一人の命は親からまた親の親、そのまた親とルーツをさかのぼれば限りないほどの多くの人の『かけがえのない命』が、今、皆さんに伝えられていることを忘れないでほしいのです。
2のn乗の人の命が君達に命をリレーされているのです。命が連綿として伝えられているのです。一代は2人、二代前は4人、・・・例えばほんの十代前は2の10乗の人が皆さん方の背後にはあるのです。一代を30年とざっと数えますと、300年前、即ち元禄時代の人たちとあなた方は直接かかわる人が、1024人いらっしゃるのです。忠臣蔵の討ち入りの時代です。その時代の人たちの命があなた方の命は直接にかかわり伝えられ、あなた方の命は多くの人に支えられているのです。一人でもそのリンクが欠けていましたらあなた方は存在し得なかったのです。
 あなた方は一人一人の命が奇蹟的な存在なのです。そのようにして命は伝えられ支えられてきているのです。ですから自分の命だといって粗末にしてはいけません。またそれはすぐあなたの隣の人も同じように『かけがえのない命』『奇蹟の命』なのですから、互いに大切にし、傷つけてはならないのです。自己を尊重すると同じように他者を尊重することです。
暴力は相手に苦痛与えます。それによって自分を堕落させます。大事に自分の命を愛しみ育ててください。仲間の命も大切にしてください。『生きとし生けるものすべてに対して慈しみの心をもって接しなさい』と人々に説いたのはお釈迦さまです。
 論語にこんな話があります。『子貢、問うて曰わく、一言にして以て終身これを行なうべき者ありや。子の日わく、其れ恕か。己れの欲せざる所、人に施すこと勿れ。』
先生のお教えの中で一番大切な教えを教えてください。ひと言で言えばなんでしょうか。『恕』です。他者への思いやりです。己の欲せざるところを人に施すことなかれということです。
人間は一人では生きていけないのです。常に人々とともに生きている社会的存在です。他者の幸福と自己の幸福とが一致するようにと願いが込められた言葉です。自分がそうであってほしいと願わないことを他人に向かってしてはなりません。他者への思いやりこそ何より大切であることを忘れないでほしいのです。同じようなことはイエスが最も守らなくてはならない掟として『汝を愛するが如く人を愛せよ』と説きました。人の生き方の基本は洋の東西かわりませんね。
 皆さん互いに助け合って立派な人になってください。私たちはみんなが助け合いたいと望んでいます。人間はそういうものです。
教育の目的は人を作ることにあります。人であるのは学者であったり、智者であったり、成功者であったりするのではないのです。自らを知って他者を求める必要はなく、奇蹟の命に、生かされて生きていることに感謝の生涯を続けることです。皆さんが立派な人になられようにと心より願っています。
私たちは、他人の不幸によってではなく、他人の幸福によって、生きたいのです。憎しみあったり、軽蔑しあったりしたくありません。宮沢賢治は『世界が全体、幸福にならない限り、個人の幸福はない』と語りました。それでは、皆さんお体を大切にして、元気で、ご活躍を。さようなら。」成瀬 功
終業式お別れの話です。
「長い教員生活で一番悲しかったことは、担任のクラスの生徒を亡くしたことです。前々任校で一人、前任校で二人ほとんど同時に2人です。みな突然の病です。
一人は一年生の時、皆勤賞を頂いた人ですが、2年生になると早々、歩くことが困難になり、病院に行ったらもう手遅れの『骨肉腫』だったのです。彼は几帳面に綿密に中一から毎日きちんと日記を付けており、文才のある生徒でした。その日記は将来その文才は発揮できる腐葉土として役に立ったかもしれないのです。追悼文集を作る中にその文章は生かしました。
次の学校ではアメフトのエース、体育運動にすぐれて活躍をしていた生徒が、夏休みの最後の日に『くも膜下出血』で突然になくなりました。彼はホテルの専門学校に行くことを楽しみにしていました。
また一人は『病の発作』がフロで起き、亡くなることになりました。彼女は美術系の大学に進学することを楽しみにしていました。絵の才能を生かす仕事をと夢みていました。美術の先生はその才能を高く評価されていました。
ご両親の悲しみは表現できるものではありません。お祖母さまは代わってやりたいと泣き崩れられました。今もお墓参りを欠かさないようにしています。
 いつも授業をしながらもその3人のことは忘れることはありませんでした。ご両親にとり『かけがえのない命』があっという間に失われたのです。一番悔しかったのは言うまでもなく、本人です。骨肉腫の闘病の中で苦しい呼吸の中、集中治療室に入る前に『絶対に病には負けない』と父に乱れた字ではありましたが書きました。彼はどんなに生きたかったでしょう。
生きたくとも生きることが許されなかった人があることを忘れないで頂きたい。
すべての人間は、世界にまたとない独自の個性を生まれながらにして持っていて、しかも、過去、現在、未来を通じて一回きりのものだとすると、これはなかなか大変なことです。そして、そのことに気づいたら、自分の生命の一瞬一瞬がかけがえのない貴重なものに思えてくるでしょう。人間だけでなく、いきとしいけるものすべてが『かけがえのない存在』です。
 一人一人の命は親からまた親の親、そのまた親とルーツをさかのぼれば限りないほどの多くの人の『かけがえのない命』が、今、皆さんに伝えられていることを忘れないでほしいのです。
2のn乗の人の命が君達に命をリレーされているのです。命が連綿として伝えられているのです。一代は2人、二代前は4人、・・・例えばほんの十代前は2の10乗の人が皆さん方の背後にはあるのです。一代を30年とざっと数えますと、300年前、即ち元禄時代の人たちとあなた方は直接かかわる人が、1024人いらっしゃるのです。忠臣蔵の討ち入りの時代です。その時代の人たちの命があなた方の命は直接にかかわり伝えられ、あなた方の命は多くの人に支えられているのです。一人でもそのリンクが欠けていましたらあなた方は存在し得なかったのです。
 あなた方は一人一人の命が奇蹟的な存在なのです。そのようにして命は伝えられ支えられてきているのです。ですから自分の命だといって粗末にしてはいけません。またそれはすぐあなたの隣の人も同じように『かけがえのない命』『奇蹟の命』なのですから、互いに大切にし、傷つけてはならないのです。自己を尊重すると同じように他者を尊重することです。
暴力は相手に苦痛与えます。それによって自分を堕落させます。大事に自分の命を愛しみ育ててください。仲間の命も大切にしてください。『生きとし生けるものすべてに対して慈しみの心をもって接しなさい』と人々に説いたのはお釈迦さまです。
 論語にこんな話があります。『子貢、問うて曰わく、一言にして以て終身これを行なうべき者ありや。子の日わく、其れ恕か。己れの欲せざる所、人に施すこと勿れ。』
先生のお教えの中で一番大切な教えを教えてください。ひと言で言えばなんでしょうか。『恕』です。他者への思いやりです。己の欲せざるところを人に施すことなかれということです。
人間は一人では生きていけないのです。常に人々とともに生きている社会的存在です。他者の幸福と自己の幸福とが一致するようにと願いが込められた言葉です。自分がそうであってほしいと願わないことを他人に向かってしてはなりません。他者への思いやりこそ何より大切であることを忘れないでほしいのです。同じようなことはイエスが最も守らなくてはならない掟として『汝を愛するが如く人を愛せよ』と説きました。人の生き方の基本は洋の東西かわりませんね。
 皆さん互いに助け合って立派な人になってください。私たちはみんなが助け合いたいと望んでいます。人間はそういうものです。
教育の目的は人を作ることにあります。人であるのは学者であったり、智者であったり、成功者であったりするのではないのです。自らを知って他者を求める必要はなく、奇蹟の命に、生かされて生きていることに感謝の生涯を続けることです。皆さんが立派な人になられようにと心より願っています。
私たちは、他人の不幸によってではなく、他人の幸福によって、生きたいのです。憎しみあったり、軽蔑しあったりしたくありません。宮沢賢治は『世界が全体、幸福にならない限り、個人の幸福はない』と語りました。それでは、皆さんお体を大切にして、元気で、ご活躍を。さようなら。」成瀬 功


退職に当たって
成瀬功 (569)投稿日:2006年07月10日 (月) 09時05分 返信ボタン

卒業生に贈る言葉

 早春の候となりました。卒業生の皆様本日はおめでとうございます。また、御父母の皆様をはじめ、ご臨席の皆様本日は、おめでとうございます。
 本日お子様の卒業を心よりお喜びになっておられるのは、御父母の皆様方ではないでしょうか。ご両親にありましては、本日まで、このように大きくお子様をお育てになられるに当たりましては、計り知れないご苦労が有ったことと思います。
 ビクトル・ユーゴーは「神がどんなに神々しい星を与えたもうとも、子どもの尊さにまさるものはない」と語っていました。ご両親は卒業生の皆さんを「かけがえのない命」として慈しみ育てられました。そのことは同時にご両親にありましては大きな誇りであると思います。おめでとうございます。
 ここで、私たちが生きているということを考えてみますと、実に不思議なことでございます。もちろんご両親の献身的な子どもに対する愛情がなくては生きることができませんが、そればかりではなく、この宇宙全体、地球全体、植物や動物や社会の条件その他いろいろな条件によって、私たちは生かされて生きているのです。ですから、私たちは偶然生きてきたと考えるのも自由ですけれども、私は、私たちがいろんな条件が重なって生かされているんだと言うことをいつも思うのです。
 親が育ててくれたから生かされているのです。それから親だけでなく、その親の命もまた何かにはぐくまれてきたわけでしょう。人類全体が、何かにはぐくまれてきたわけだと私は思います。
 そのために沢山の代価を払って、私たちは生かされているのです。多くの人たちによって我々は支えられている。そう考えると、私たちの命は、そう軽々しく扱ってはならないと思います。
 しかし、また生きたくても生きることが許されなかった人たちがいるのです。病気もそうです。3年1組の高橋君が卒業を前にして突然の病で1月7日亡くなりました。ご両親の悲しみは計り知れません。お慰めの言葉もございません。胸が張り裂ける思いです。
 また、沖縄修学旅行での『ひめゆり学徒隊』の宮城先生のお話を思い出して下さい。
 沖縄県下の男子師範学校や中学校の生徒たちは、学業半ば、沖縄守備隊の命令で軍に動員され、軍人同様の激闘の戦場に投入され、その大半が戦死致しました。また女子「ひめゆり学徒隊」等は看護要員として従軍し、過半数の生徒が悲惨な最後を遂げることとなりました。
 そのお話をなさった宮城先生は、ご講演中しばしば亡くなられた友人の事を思い出され、涙ぐまれ、言葉もつまられる場面が何度もございました。私も思い出すと涙が込み上げてきます。あの学徒兵及び従軍看護婦「ひめゆり隊」の人達は、あなた方より若く、14歳から18歳であったのです。
 沖縄では、昔から古老達が、子や孫に繰り返し語ってきた『命(ぬち)ど宝』という言葉があります。しかし、明治以来、上からの極端な皇民化教育の中で『命ど宝』の言葉は忘れられ「かけがえのない命」が戦場の露と消え去りました。人の命が鴻毛より軽く扱われたのです。宮城先生のお話に私も体が震え涙を押さえることができませんでした。
 ドイツの大統領ヴァイツゼッカー氏は述べています。「この過去を清算することが大切なのではありません。それは我々に全く不可能であります。しかし、過去に対して目を閉じるものは、現在も見る目を持たないのであります。かつての非人間的な事柄を思い起こしたくないとする者は、新しく起こる非人間的なる者の伝染力に負けてしまうものであります。ユダヤの人々は忘れることはないし、何度でも思い起こすことでしょう。我々は人間として、和解を試みないわけにはいかないのであります。」と。
 「チビチリガマの集団自決」では遺族の人の言葉として「黙っていたら死者は犬死になる。見て二度と再び戦争をしない、平和を守るのだと、考えた時、犬死ではなくなる」と語っておられました。
 E・H・カーは「歴史とは何か」の中で「過去は現在の光りに照らして初めて私たちに理解できるものでありますし、過去の光りに照らして初めて私たちは現在を良く理解することができるものであります。人間に過去の社会を理解させ、現在の社会に対する人間の支配力を増大させるのは、こうした歴史の二重機能にほかなりません。」と述べています。
 過去は過去として完結しているのではなく、現在の私たちの在り方と無縁ではないのです。異形の死を強いられた人達の無念さが、私たちの心を揺さぶり、もう一歩、もう一歩と私たちを歩かせるのです。
 非命に斃れた死者との対話を忘れず、死者との対話が死者を生かしめ、また我々をも生かしめる相互のいとなみとなることを忘れてはなりません。
 そのことは日本人としてのアイデンティティは脅かされるかもしれませんが、私たちは私たちの歴史にどこまでも誠実に向かい合うことが大切です。誠実に過去と向き合うことが国際社会において、他国から尊敬と名誉ある地位を得ることになり、国際社会で信頼を得ることになるのです。
 松陰は「至誠にして動かざるもの未だ之れ有らざるなり。」と言っています。誠実に過去と向き合うことが何より大切なことです。
 「生きたくても生きることができなかった人々」の死が「一粒の麦」となり、その死によってはじめて、その後に続く人々の心を揺り動かすことになれば、その死は犬死ではなかったのです。人々の魂の中で永遠に生きることになるからです。
 私たちが「沖縄修学旅行」で学んだものは何であったのでしょう。
 人間を道徳的かつ賢明にすることが教育の目標です。吉田松陰は「人間として生きる道を学ぶことが、学問をすることだ」と申しました。それが即ち人々を幸福にすることになるからです。
 皆さんより若い沖縄の学徒達が悲惨な死を迎えなくてはならなかったのは何故でしょか。
 再び戦争を起こさせまいとする事は各人が心中深くそのことを覚悟し、その覚悟が皆さんの毎日の行動の中に静かに沈殿することによってかろうじて実現することなのです。
 1945年4月19日大新聞は一斉に「沖縄戦の戦果と戦局の有利な展開」とを社説は書きたてました。
 権威に頼ることなく自分の頭で考えてみようではありませんか。デカルトは「すべてを疑え」と申しました。“Cogito”の精神の欠如こそ日本人の生き方に欠けたものです。
 そして私たちは他人の考えばかりでなく、自分の考えをもまた疑う能力を持つ必要があると思います。ゆれることのできる能力を失うのは、個人にとって危険であるばかりでなく社会にとっても危険ではないでしょうか。疑う能力を失うことは思考の停止です。硬直した社会を作ります。Cogitoの精神は、人間の機械化から人間を守るために絶えず必要な努力です。割り切れない始末に困る人間性に対する認識を失ってはなりません。その精神を失うことは、それは狂信と不寛容に取りつかれた姿です。
「道に横径なきは、立つ者皆危うし」と申します。迷うところに人間の姿があります。
人間は自己の行為への反省等を喪失した時、相手を力で圧伏しようと致します。自らの無謬性への狂信は、正当化された暴虐を生み不寛容を生み出します。ゲーテは「野蛮であると言うことは、すぐれたものを認めないということではないか」と述べていますが、他者を鏡として自己を見つめる事ができなくなり、他者から学ぶことを忘れ、野蛮な行為に走った。何故そういう人間が生まれたのでしょう。国家の言うことを無条件に受け入れ、迷うものを徹底的に排除したのが戦時日本でした。ヒトラーもしかりでした。おそらく明治国家の成功の後に、国家と共に歩んだ教育と深く関係するのでしょう。現代もしかりかもしれません。
 フランス文学者の渡邊一夫氏が述べています。「制度のために人間があるのではなく、人間のために制度があるという自明な道理を、我々が常識とし、自らが属し、それから恩恵を受けている制度の動脈硬化を監視し、それの頽廃老化を未然に防止して、新しい制度に甦らせることができるようになれたらどんなによいでしょう。」と。
 良心は力を持って左右する事のできない性質のものです。憲法第19条は思想・良心の自由、人間形成のための内面的活動それ自身を保証しています。その自由は人間の本質に関わるものです。公権力がその内心を理由に不利益を課したり、内心の信条を強制する事は許されないのです。
 アメリカの最高裁判所判事ロバート・ジャクソン氏はある事件の判決に次のようなことを述べています。
 「反対意見を強制的に抹殺しようとする者は間もなく、あらゆる異端者を抹殺せざるを得ない立場に立つことに成でしょう。強制的に意見を画一化する事は墓場における意見の一致を勝ち取ることでしかないのです。しかも、異なった意見を持つことの自由は些細なことについてのみであってはならないのです。それだけなら、それは自由の影でしかないのです。自由の本質的テストは現存制度の核心に触れるような事柄について異なった意見を持ち得るか否かにかかっているのです。」と。
 実は多くのすぐれた思想家たちが、現存制度の核心に触れたが故に殺されて行きました。吉田松陰、戸坂潤、三木清、小林多喜二、大杉栄、高野長英、渡辺崋山等々、数え切れないほど沢山の優れた人たちが殺されていきました。先の戦争を含め、野蛮と暴力との支配の中で斃れて行ったすべての人々を悲しみのうちに思い浮かべてみてください。
 何のために学ぶか考えていただきたいのです。シュヴァイツァは「人間は自ら作り出した悪魔の姿が見分けられなくなってしまったとは…」と言っております。人間が過去の失敗から学び、常に迫り来る狂信と痴愚の破局とを阻止しようと、あるいは回避しよう、あるいは延期しようと努力する人が一人でも多くなる事を期待致します。
 勉強をしても人間が上等にならないくらいなら初めから無学でいる方が良いのです。良心なき知識は魂を荒廃させるだけです。
 人間はいわゆる天使でもなければ獣でもないのです。中間の謎のような存在物です。モンテーニュの懐疑とエラスムスの寛容な精神を常に持っていただきたいと思います。そして漱石の「冷たい頭で説かれた深い思想よりも、熱い心臓から語られる平凡な言説を尊敬する」ような人になって下さい。「人間は努力する限り迷うものです。」(「ファウスト」)


 最後に次の詩を皆さんにお贈り致します。スペイン・カタルシア出身の世界的な音楽家、パブロ・カザルスが世界の子どもたちに向かい、訴えたメッセージです。

子供たち、ひとりびとりに言わねばならない。
君はなんであるか知っているか。
君は驚異なのだ。
二人といない存在なのだ。
世界中どこをさがしたって、君にそっくりな子はいない。
過ぎ去った何百万年の昔から、君と同じ子はいたことがないのだ。
ほら、君のからだを見てごらん。
実にふしぎではないか。
足、腕、器用に動く指、君の体の動き方!
君はシェイクスピア、ミケランジェロ、ベートーヴェンのような人物になれるのだ。
そうだ、君は奇跡なのだ。
だから大人になった時、君たちと同じように奇跡である他人を、傷つけることができるだろうか。
君たちは、たがいに、大切にし合いなさい。

 高度経済成長の幻想が崩れ、バブルがはじけ、外面は大国、内面は空虚。今の日本はそうした状況にあります。今原点に立ち返り自分を見つめなおして見ましょう。
自分の能力を能動的に発揮し他者と共に生きることを喜びと確信できる生き方を求めてください。そして、他者の幸福のために一木一石でも動かし得る人になってください。皆さんに与えられた勉学の期間が無駄でなかったことを示していただきたい。他人に奉仕する誇りは、多額の報酬を得ることよりもずっと大切です。
 若い時は、色々な事について、とことん考えてみる事が大きく成長するために本当に必要な事です。自分の目前の利益だけ考える人は視野が非常に狭いものになります。
社会に開かれている人は、いろいろな社会の出来事についても考えたり、心を痛めたり、あるいは社会を良くするためにどうしたら良いか、という事を考えたりするでしょう。他者と生きることを喜びとし、世界のこと、世界の人々のことを考える広い視野の持ち主になれるであろうと思います。皆さんに大いに期待致します。
何より体を大切にしてください。さようなら    

2000年3月7日
第3学年担任 成瀬 功





















/雅子 (574)投稿日 : 2006年07月10日 (月) 16時59分

成瀬さん、こんにちは。
夢いっぱいに健康に過ごしてほしいと子供達のことを想っています。
パブロ・カザルス氏のメッセージを読んで感動しました。
夢や希望も大切だけど、もっと一番考えなくちゃいけないのは『命』

この詩はとっても強いメッセージを私にくれました。
ありがとうございました。


□美しく清き地球を破壊せし 人間界に破局迫りぬ/前田 進 (577)投稿日 : 2007年03月05日 (月) 00時30分

美しく清き地球を破壊せし
 人間界に破局迫りぬ

             たつまき jcfkp201@ybb.ne.jp

2036年からタイムマシンで来た米国人タイターと、ブラジルの預言者ジュセリーノの預言は低レベルからだった。
http://newscience.air-nifty.com/blog/2005/11/2036_26d8.html

07.1&2月地球規模の大暖冬は新たな地殻大激変の前兆だ
気象庁発表のエルニーニョが主因ではない―
1,2月の地球規模の大暖冬は
太陽大異変による新たな地殻大激変の前兆だ
姉羽事件の関連会社イーホームズの藤田東吾社長は、200万棟のマンション・ビルが耐震強度不足で倒壊すると暴露した
その前に彼は安部に知らせようと会いに行ったが、拒否された。

エルニーニョは太陽大異変の結果の1つにすぎない
ESA(欧州宇宙機関)は米太陽観測衛星SOHOのデータで08年太陽爆発を発表した 
それを東電はスパコンのシミュレーションで確認した
07年:英国、日本、韓半島、上海は沈没、米国東部は地殻大破壊・分裂
08年は太陽爆発!
これらは宇宙管理界からの予言である
地球と太陽系の破局が目前に迫っている!

 詳細必見:http://gold.ap.teacup.com/tatsmaki/25.html



お体の具合は如何ですか
やすべー (566)投稿日:2006年04月11日 (火) 16時06分 返信ボタン

同世代の者として、何時もご意見を拝聴していますが、
最近、拝見しませんので、寂しく思っています、


□有難うございました/やすベーさま (567)投稿日 : 2006年04月15日 (土) 10時54分

お尋ね 有難うございます 私 身体を 酷使 して 心不全 で先週 まで 20日間 入院 で 今は 心臓 正常 今後共宜しく お願い申し上げます

□有難うございました /やすベーさま (568)投稿日 : 2006年04月15日 (土) 10時56分

お尋ね 有難うございます 私 心不全 で 入院 していました 今は 正常 今後共 宜しく お願い申し上げます

ご挨拶
とほほ (565)投稿日:2006年04月05日 (水) 23時56分 返信ボタン

ご無沙汰してますが、木村さんお元気してますか?某MLでも心配されている方がいます。



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