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目先の利益ばかり追いかける日本の教育は取り返しのつかないものになるでしょう |
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まるまる
(475)投稿日:2005年07月24日 (日) 21時09分
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高校生に対して期待され、評価されるのは「勉強」に関わってのみです。「勉強」という一本の価値観、それ以外の基準は、表の文化として評価されるものがあまりない。価値の多様化がかたられるが、ますます価値は一元化しているのが現実です。生徒の作文を紹介します。 「今教育改革だ、何だのと言われているが、所詮改革をやっても、社会にしみついている偏見(一流大学を出ている人間は優秀な人間)というのは、簡単にぬぐえないものである。従って、現在の子どもたちは、勉強しなければならない。」(高校2年男子) スポーツであれ、芸術であれ、その多くは、インホーマルなものです。学力が劣ると、人間としてその全人格が否定されてしまう感じを生徒は受けます。ある生徒の母が、「父母会」で自分の子どもの成績が芳しくない時、「父母会」での発言すら遠慮しなくてはならないと語っています。 「かけがえのない存在」としての自己を認識することが教育では大切です。生徒の内に潜在しているよきものを引き出すことが教育の使命です。成績点数を比較することは意味がない。ましてや高校をランキング化して、何の意味があるのでしよう。 学校は教師と生徒が共に学びあうことを喜びとし、互いに生徒が喜びを分かち合えることが大切です。 教育の問題は、我々だけの問題ではなく将来に渡っての社会のあり方に深く関わる問題です。目先のことにとらわれず、将来を見据えたいです。 狭小な視野に閉じこもり「愛国心教育」を鼓舞する政治家が多すぎます。幼稚な「ナルチシズム」陥った政治家です。我々が本当に真剣に現代を生きていこうとするならば、国際社会ということを背景にしなくては、我々の生存にかかわる問題は何一つ解決できない時代に生きていることを忘れてはなりません。 相撲の親方が「稽古は4年、5年の先を見据えてするものです。目先の勝負にとらわれてはだめです。」と語っていました。
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