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ホームレスの人たちに光を。石原、小泉目を覚ませ。 |
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マルマル
(388)投稿日:2005年02月07日 (月) 20時00分
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大山洋一郎 「自己責任」という言葉、胡散臭い使い方です。 情けは人のためならず @他人に情けをかけておけば、いつか自分のためになるという意味です。鎌倉時代から見られる用法。 Aいたずらに他人に情けをかけることは、本人のためにならない。Aは戦後70年代高度成長以降あたりから使われるようになりました。
これが起こることに基づいてあれが起こる。すべての事柄は依存的生起するということを忘れた現実。それぞれの個体も一般的種も含め、生きとし生けるものすべての様相を相互依存の原理と関係においてといたのがお釈迦様です。自分だけ一人孤立して生きれる物ではありません。 相互に助け合うことこそ、人間らしい生き方です。 ところが高度成長以降、日本人は、自惚れてしまい、他人を助けると損をするという考え方になってしまいました。 小泉首相を始め今権力の座にある人はみなそうです。「人を助けてはいけない。その人のためにはならない」という間違った解釈が大手を振って歩き始めました。 我利我利亡者が多くなりました。他をかえりみず、ひたすら自分の利益を追うものとして子どもたちは追い立てられ、小学生時代から受験に駆り立てる。こどもたちは孤立させられて不安を抱えて大人になります。今日本人は果たして多くの国の人たちから尊敬される国民でしょうか。 アメリカが昔は多くの尊敬を集めていた時代がありますが、今は、世界の人々からその我利我利亡者の姿、なりふりかまわず、世界の富の独占しようとする姿に、良識ある国の人々は、みな眉をひそめています。 世界では八億人の人が飢餓にさらされその日をどう生き延びるか伸吟しています。現にアフリカの子どもたちは、飢え死にしています。 一方アメリカ人は、飽食、贅沢、その上人殺しの戦争に数兆円浪費しています。しかし、その我利我利亡者であることを少しも自覚していないアメリカ人、及び、アメリカの報道。
石原慎太郎。小泉首相。安倍元幹事長を見ていますと、我利我利に取り付かれたもの「我利我利」亡者のように思えます。「自己責任」とい言葉の裏に冷たいものを感じます。 都庁の下で、沢山のホームレスの人たちが、この寒空のもと震えています。この現実を小泉も石原も見て見ぬふり、自己責任論を展開しています。誰かが富を独占すれば、その富の偏りが、弱者に覆いかぶさるのです。高度経済以降に、ホームレスが生まれたのです。高度経済成長以降富が偏在し、西武の堤のような人間が、富を囲い込んだのです。銀行がどれほど低金利で我々の富を奪っているのです。年寄りのなけなしの貯金はすべて無利子に近いのです。個人がどんなに貯金をしても、銀行に富が盗まれてしまうのです。金利ゼロ時代に人々は「自己責任」などと気楽なことが言えるのでしょうか。政策ミス以外の何ものでもありません。富の泥棒です。 年寄りの無謀な意見でしょうか。
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