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「地球からの過剰な収奪」は、実はわれわれ自身の首を絞め、我々自身も生きてはいけないことになる。 |
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マルマル
(377)投稿日:2005年02月01日 (火) 21時24分
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「地球からの過剰な収奪」は、実はわれわれ自身の首を絞め、我々自身も生きてはいけないことになる。 「地球環境」破壊の問題は、我々の生き方と深くかかわっている。我々の生き方そのものが問われている。「消費は王様だ」と高度成長期の時代に語られ、使い捨ての文化に慣れ親しんだ、我々の生き方を見直してみることが必要である。一日の授業を終えると、山のようなゴミが、教室いっぱいになる。時には食べ残しの「おにぎり 」が捨ててあったりする。 世界で5歳以下の子供たちが、一時間毎に飢餓の故に約1500人が死んでいくという。世界の5人に一人が、一日当たり1ドル以下で生活し、極限状況に追い詰められている。一方わが国の家庭や飲食店、ホテルなどで食べ残され、捨てられた残飯が、年間の漁獲量とほぼ同じ量だという。人間の尊厳、正義はどこにあるのか。 人間は生産によって二度自然を破壊する。一度目は、製品が生まれるときである。二度目は、製品が捨てられるときである。無責任な人間の生き方。 山林の重要性をその経済的価値より、治山治水の面に求め、その意味で国の本とすべきです。今日本の山がヒノキや杉のみの人工林になり崩壊し始めたのは、経済的価値のみに偏ったからである。その結果国の基本をも揺るがす事になるであろう。 日本が崩壊過程にあるのは小泉首相「改革なくして成長なし」というスローガンにも見られる。経済成長主義、効率主義、目先の利益主義の「改革」にある。もっと落ちつ低足元から、我々のあり方そのものから見つめなおすべきだ。
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