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あらゆる戦争は嘘で塗り固められた口実のもとに行われます。 |
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マルマル
(373)投稿日:2005年01月31日 (月) 16時31分
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大山洋一郎 太平洋戦争中、日本人が中国大陸をはじめアジアの諸国で犯した数々の残虐行為に対して、それは自分と関係がないとうそぶく日本人がたくさんいる。そういう人に向かって言いたい。戦争という状況に置かれると、人間は何をしでかすかわからない危険な存在であるということだ。 ポール・ヴァレリーは述べている。「平和とは、生じうる諸々の貪欲に対して、これを制圧しえる諸々の力の収める潜勢的な、黙々とした、連続した勝利の謂である。」と。 カントは述べている。「戦争はしばしば、勇気をしめすためにのみ始められたのであり、したがって戦争それ自体のうちに内的尊厳が置かれることになり、かくして哲学者たちさえも、『戦争は悪人達を除去するより以上に悪人たちを作るのがゆえに、悪しきものなり』というかのギリシア人の箴言を忘れて、戦争を人間性のある種の高貴かとみなして、戦争に賛辞を呈するのである。」と。 現実に奉仕し、その奴隷となる学理は、曲学阿世のものである。現代に於いても曲学阿世の徒が、何と多いことか。カントは、真にあるべき「世界の秩序」について語った。現実が学理に奉仕し、それによって導かれることを求めるのは、曲学阿世の望みえぬところである。 ブッシュ大統領、フセイン大統領それぞれが「自らの正義」をかざして「戦争」に突入した。ブッシュ大統領は戦争を開始する演説の最後をこうしめくくった。「すべての人々に神の恩寵あれ。すべての同盟国に神の恩寵あれ。米国に神の恩寵あれ。」と。 彼は全人類に「神の恩寵」のあることを祈っていたのだろうか。「汝の敵」に対しても。プラトンは言う。「正義とは強者の利益にほかならぬ」と。「正義」の名に於いてなされる戦争とは何であろう。 「『汝の隣を愛して、汝の仇を憎むべし』といへることを汝ら聞けり。されど我は汝らに告ぐ。汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のためにも祈れ。之れ天にいます汝らの父の子とならん為めなり。天の父はその日を悪しき者のうへにも、善き者のうへにも昇らせ、雨を正しきものにも、正しからぬものにも降らせ給うなり。」(ルカ伝) フセイン大統領は「悪魔ブッシュと犯罪的シオニズムは過ちを犯した。敵に対する用意はできている。アラブ、イスラムの裏切り者たちに打撃を与えよ。神は我々と共にある。神は偉大なり。」と言う。 自己の行為の意義への反省など喪失した人間は、狂信と不寛容に取り付かれ、相手を「悪魔」「鬼畜」とし自己を正当化する。弱い人間でも優秀な殺人道具をもつことによって増上慢に陥り、異説をもった人間を抹殺する。自らの無謬性への狂言は、正当化された暴虐を生み、不寛容を生み出す。 狂気に取り付かれた戦前の日本、大新聞は、軍隊が流す情報をそのまま、吟味することなく、大本営発表を流し続けた。そして、「鬼畜米英」の言葉が大新聞の第一面を飾り、憎悪を掻き立て国民の心に「ファナァティクな愛国心」を煽った。人間の最も悪しき部分を最も善いものらしい口実の下に戦争をはじめる。アメリカ大統領は「悪の枢軸国」と、「イラク」などを名指しで批判する。何と品性下劣なことか。
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