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バッハ(4)
グッキー (5)投稿日:2003年01月17日 (金) 10時32分 返信ボタン

 ヨハン・セバスチャンの父、ヨハン・アンブロジウスはアイゼナッハで非常に尊敬
されていた教会オルガン奏者であった。彼はセバスチャンが10歳の時に死んだ
(母はその前年に死んでいる)。セバスチャンと次の兄ヤーコブは、オールドルーフ
のオルガン奏者である年配の兄ヨハン・クリストフに引き取られた。セバスチャン
がそこで過ごした五年間のことについては、あまり多くは知られていない。彼は才能に
恵まれた子供だったに違いない。14歳で現在の高校3年生だったが、当時の
高校3年生の平均年齢は18歳に近かった。彼はまたオルガンとクラビーアの演奏
にすぐれていた(クラビーアとはハープシコード、クラビコード、スピネットなど
鍵盤弦楽器の一般的名称である)。声楽もやり、バイオリンをよくし、おそらく
作曲もすでに手がけていたと思われる。
 しかし、ここで論じているのは、どこにでもいるような才能ある若い音楽家
ではなく、おそらく音楽史上最も驚くべき才能に恵まれた人物であるヨハン・
セバスチャン・バッハなのである。従って、われわれは彼の少年時代について、
もっと多くのことを知りたいと思う。この異常にすぐれた才能がいつ現れ始めたのか。
彼は絶対音感を備えていたか(備えていたに違いない)。バッハ家の来歴からみて、
遺伝的要素も考慮に入れなければならない。少年バッハの脳裏にどんな考えが
よぎっていたのか。どんな音楽的、肉体的反射作用が働いていたのか。父や兄が
いったいどんな訓練を彼に施したのか。―われわれは知らないのである。
 バッハの生涯の中でおもだった客観的な事実は知られている。15歳の時、彼は
リューネブルクの聖ミカエル学校に通い、ハンブルクを訪れ、当時からすでに
論争好きな若者であった。彼の人生は、宮廷または教会の役職を転々とすることに
過ごされた。アルンシュタット、ミュールハウゼン、アンハルト・ケーテンの公爵
の宮廷と移って、最後はライプチヒの聖トマス教会のカントル(音楽監督)を
二十七年間つとめた。彼は在世中すでに非常に尊敬されていたが、作曲家として
よりは、むしろオルガン奏者、オルガンの技巧家としての評価の方が高かった。
バロック音楽運動を頂点に押し上げたバッハは、主として多声音楽の上に建てられた
殿堂を、急進的な新思想が揺るがせつつあった時代に生きた。晩年のバッハは学者
くさい旧式な作曲家とみなされていた。バッハの作品は排撃され、スチール・ギャラン
(優雅な様式)と呼ばれる、軽快でメロディックな単旋律音楽が幅をきかすように
なった。この上品で優美だが、どちらかといえば浅薄な音楽は、のちほどバッハの息子
ヨハン・クリスチャンをロンドンの人気者に仕立てるのであった。




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