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ハイドン(2)
グッキー (49)投稿日:2003年03月25日 (火) 07時03分 返信ボタン

 ハイドンは、芸術家が貴族の愛顧を受けて生活する時代に生きた。彼が
エステルハージ家に勤務した時(そして彼は、人生の大半をエステルハージ家
で過ごすことになるのだが)、自分が主人の紋章を付けた服を着、小間使いと
一緒に食事をする従僕であるという立場に、全然疑問をはさまなかった。しかも、
この立場は彼の強い独立心を決して妨げなかった。彼は格別貴族に感銘を受けず、
俗物ではなかったから、有名人との接触を求めなかった。劣等感を持っていたとか、
身のほどを知っていたとか、いうのではない。全然関心がなかったためであり、
自分の足でしっかり大地を踏みしめていたからであった。
 「私は皇帝、国王、大公と会談し、いろいろお世辞の言葉をもらった。だが、
こうした人々と親しく付き合うよりは、自分と同じ階級の人々の方がよい」。
主として彼は音楽家か音楽愛好家にしか関心がなかった。彼は全く非政治的で、
他人に煩わされないで自分の仕事ができることを望んだ。自分の仕事の分野では、
彼は自分の優越性を十分知っており、ためらいなく権限を行使した。
 彼の主人の一人、ニコラス候2世がハイドンのリハーサルに干渉したことがあった。
ハイドンはこのお偉方をたたき出す寸前まできた。「閣下、これは私の領分です」。
ニコラス王子は怒り狂って退場したが、この有名な楽長を訓戒しようとはしなかった、
と伝えられている。もし訓戒していたら、ハイドンは辞任していたかもしれない。
偉大なハイドンを用いたいと願っていた金持ちの王侯貴族は、いくらでもいたからだ。
ハイドンは出版業者に対しても同様に独立的であった。彼は1782年、アルタリア社
と紛争を起こし、事態が満足な解決を見なくなると、無愛想な手紙を送った。「それなら
事を片付けて、私に金か楽譜か、どちらかを送ってくれ給え」
 しかしハイドンには、せせこましさやケチなところはなかった。彼は大きな人間であり、
安定した人物であり、競争者のことを決して気にとめなかった。彼はモーツァルトを
心から称讃しただけでなく、早くも1793年に、自分がしばらく教えたベートーヴェン
の才能を知り尽くし、ケルン選帝侯に対し「ベートーヴェンはやがて、ヨーロッパ最大の
作曲家の一人になるでしょう・・・・・」という極めて好意的な推薦状を書いている。
 要するにハイドンは適応性の豊かな人物であり、これは彼の音楽作品に表れている。
彼の作品ほど、ノイローゼ的要素のない音楽を考えるのはむずかしい(おそらく、
この点で匹敵する唯一の音楽作品は、ドヴォルザークの音楽であろう)。ハイドンの
音楽は常に正気で健康である。モーツァルトほどの情熱はないかもしれないが、ハイドンの
音楽はモーツァルトの最高の作品には決して及ばなかったにせよ、一貫してモーツァルトと
同じか、それ以上の高い水準にあった、と立証することは可能である。1780年頃から
死に至るまでの間に、ハイドンが作った交響曲、四重奏曲、ミサ、オラトリオで、
傑作と呼ばれない作品はほとんど一つもない。ハイドンの多産性には、息がとまるほどである。




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