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グルック(10)
グッキー (47)投稿日:2003年03月19日 (水) 00時32分 返信ボタン

 他の作曲家たちはグルックの成功を羨み、同時に何となく彼を怖がっていた。
彼は敵に回すと危険な人物だった。レオポルト・モーツァルトは自分の息子に、
グルックには近づくな、と言った。モーツァルトが1778年パリを訪れた時、
二人は出会った。のちにウォルフガンク(モーツァルト)とグルックはウィーンで
再び会ったが、モーツァルトはグルックを「偉い人物」と呼んだ。グルックが
ウィーンの宮廷作曲家の時は、年棒2千フロリンだったのに対し、グルックの
後任となったモーツァルトは8百グルデンという、端金(はしたがね)しか貰えなかった。
これは役人たちが二人の地位をどのように見ていたかを示すものである。常に疑い深く、
どのテーブルクロスの下にも曲者が隠れていると信じ込んでいたレオポルト・モーツァルトは、
グルックがウォルフガンクの才能を妬んでおり、自分の息子を陥れる陰謀の先頭に
立っていると確信していた。
 グルックの影響は、ごく稀にしかモーツァルトの音楽には現れていない。それは
主として、モーツァルトのオペラ・セリア(正歌劇)『イドメネオ』に顕著に出ている。
時おり、グルックの影響を示唆するメロディーが聴かれる作品があることはある。
例えば『ニ長調フルート四重奏曲』の緩徐楽章のメロディーが、それである。グルックの
精神はスポンティーニ、ケルビーニの諸作品、それに部分的にではあるが、ベルリオーズの
オペラ『トロイ人』の古典主義の中にうかがわれる。
 ドビュッシーはベルリオーズのオペラにこの影響力を認め、「彼が熱愛したグルックを
思い起こす」と述べている。ベルリオーズがグルックを崇拝していたのは事実で、学生時代、
彼は長い時間をかけてグルックのオペラの写譜や暗誦に努めた。「わがオリンパス山頂の
諸神のうち、ジュピターはグルックであった」と彼は述べた。オペラ座ではベルリオーズは、
指揮者がグルックのオペラに手を入れたり、楽譜から離れたりすると大声で非難する
監視役であった。
 ベルリオーズ以後、ヨーロッパの音楽にはグルックの直接の影響はほとんど発見できない。
ロマンチックで華美な色彩と、古典主義者グルックの純白色とは調和しなかった。近代の
音楽学者は、グルックに対し、ある時代の始まりというよりは終わりを代表する作曲家
である、と評価する傾向が強い。代表的な意見はドナルド・グラウトの『オペラ小史』の中の
「グルックはヘンデルと同様、一時代の始まりでなく終わりである。ヘンデルがバロック・
オペラについて成したように、グルックはまじめなオペラの古典主義を集大成している」
という要約である。
 しかし、グルックと彼の影響力は、それだけにとどまらない。彼は音楽劇としての
オペラの針路をさだめ、オペラは歌、歌詞、演技、舞踊、舞台を、それぞれほぼ同様の
割合で結合した総合芸術であると規定した。こうした役割を果たしたグルックは、
まさしくリヒャルト・ワーグナーの精神的な先祖なのである。




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