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グルック(9)
グッキー (42)投稿日:2003年03月10日 (月) 13時40分 返信ボタン

 しかしグルックは本当はそうしたくなかったのだが、結局は自作オペラの上演準備を
いつも自分の手で行った。自作を他人の手にまかせたら、どんなことになるかを彼は
知っていたのである。『パリスとヘレナ』をドブラガンス公に献呈する時、彼はこう
指摘した。――「真実と完全を追求すればするほど、正確さと厳密さが一層必要になる」。
これを達成できるのは作曲家だけである、とグルックは正当な意見を述べたあと、次のように言う。
 「私のアリア『ケ・ファロ・センツァ・エウリディーチェ』がブラッチーニによって
サルタレーロ(イタリアの舞曲の一種)に変わるのには、ほとんど何も必要としません。
実際のところ、少し表現を変えれば、そうなってしまうのです。・・・・・従って、こうした
音楽の演奏に当たって作曲家が立ち会うことは、自然の働きに対する太陽の存在のように、
極めて必要であります。作曲家は生命と魂であり、彼がいなければ万事は混乱と暗黒であります」
 歌手に対しても、グルックは同様に無遠慮であり、やれ叫び回るとか、やれ風格と
音楽性に欠けるなどと、絶えず非難した。実際の話、強情で一匹狼で不手際なグルックは、
すべての人間にとってお荷物であった。彼はいつも間違ったことを言っているように
思われたが、あとで考えてみると、正しいことを言っていたのであった。社会現象としての
グルックは、彼の時代を遥かに先行していたのである。だからといって、友人が彼を
受け入れることは容易ではなかった。ある時、彼はベルサイユにいるフランス国王から
招待を受けた。パリへの帰途、彼はある公爵の家で夕食をとった。「国王の招待は、
うれしかったであろう」と公爵が尋ねたところ、グルックは「喜ばないといけない
のでしょう。だがパリでオペラをもう一作書くのなら、今度はそれを徴税吏に献呈したいと
思います。徴税吏なら、お世辞の代わりに金をくれるでしょうから」と不服そうに語った。
食卓を囲む客たちは大変驚き、公爵はすかさず話題を変えた。
 グルックの性質には、ベートーヴェンと酷似したところがあり、彼は自分の思うままに
生きた。パリ・オペラ座との交渉でも彼は一定の条件を、要請ではなく強要した。
――「私のパリ到着後、キャストの訓練のため少なくとも2ヶ月の期間を私に与えなければ
ならない。私は自分が必要と考える回数だけリハーサルを行う権限を持たねばならない。
代役の採用は禁止し、歌手の一人が病気になった場合に備えて、もう一つのオペラを
用意しておかねばならない。以上が私の要求する条件であり、これが満たされなければ、
私は『アルミード』を自分の慰めのために保管する」。このような“命令”を出して
問題を起こさなかった作曲家は、ほかにだれもいなかったであろう。
 グルックがオペラに革命を起こしたことは、彼の存命中に一般に認められていた。
1772年にグルックを訪れたバーニー博士は「シュヴァリエ(騎士)・グルックは
音楽を簡素化しつつある。・・・・・彼は自分の作品を清らかで厳粛なものにするため
全力を尽くしている」と述べた。また別のところで同博士は「彼の発明は、現存または既往の
どの作家の追随も許さないと私は信じる。とくに劇的な色彩と演劇効果に関して彼は
すぐれている」と論評している。バーニー博士はグルックの音楽と同じくらい、彼の人間に
圧倒された。博士がお別れの挨拶のためグルックを訪れた時のエピソードはこうだ。
――「私が着いたのは、かれこれ11時であった。それなのに真に偉大な天才にふさわしく、
彼はまだベッドの中にいた」




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