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グルック(8)
グッキー (41)投稿日:2003年03月09日 (日) 07時05分 返信ボタン

 この間、グルックとピッチーニは友好関係を維持し続けた。ただ論争の終わり頃に、
関係がややギクシャクしたのは事実である。一般的な見方によると、結局勝ったのは
グルックであり、とくに彼が1777年に『アルミダ』、79年に『タウリス島のイフィゲニア』
を発表したあと、勝利は決定的になった。しかし外交的な一部の観戦者は、悲劇では
グルックが、そして喜劇ではピッチーニがそれぞれすぐれていると称して、事態をまるく
収めようとした。これも1779年に上演された『エコとナルシス』は、グルックの主要作品の
最後を飾るものであった。彼は1781年に心臓発作に襲われ、最後の数年間をウィーンで
過ごし、面会には応じたが作曲はもう手がけなかった。
 グルックはタフで他人をアゴで使う人間であり、すぐ癇癪玉を爆発させ、自己宣伝に
かけては天才ぶりを発揮した。パリの宮廷画家ヨハン・クリストフ・フォン・マンリッヒの
回想録には、グルックの風貌をよく伝えた個所がある。マンリッヒは初め、少しばかり
失望した。――「まるいカツラをかぶり、大きなオーバーを着たグルックに会う人は、
彼を著名人で創造の天才とは決して思わないだろう」。マンリッヒによれば、グルックは
中背より少し高く(当時の尺度から換算すれば、実際の身長は1メートル65センチ程度
だったとおもわれる)「ガッシリと強そうで男性的だが、肥満体ではない。頭は丸く、
顔面は赤く広くて、アバタのあとがある。目は小さくて奥目である」(チャールズ・バーニー
博士はこれに同意し、グルックは“体つきと容貌において下品であった”と述べている)。
 マンリッヒは、グルックの“興奮しやすい”性質と、時には礼を失するような彼の
痛烈な率直さに言及している。――「彼は物事をありのままの名前で呼び、このため
お世辞になれているパリジャンの敏感な耳を、一日に二十回も不愉快にさせた」。
フランス人はグルックを極めて不作法な人間と考えた。マンリッヒは続けて言う。
――「彼は大食漢で大酒飲みだった。金儲けと蓄財が好きなことを否定せず、エゴイスト
ぶりを遺憾なく発揮した。とくに食卓でひどくて、出された食物の一番よいところを
自分にくれと要求する光景がみられた」
 パリジャンは、グルックを不作法と考えたばかりではない。指揮者として彼は現代の
トスカニーニに相当し、短気でやかまし屋であった。演奏者たちは彼の前で縮み上がるか、
彼のオーケストラで演奏することを拒否した。彼は完全主義者であり、自分が満足するまで
同じ楽節を二十回も三十回も繰り返し演奏させた。ウィーンではグルックと演奏家の間の
敵意が極めて激しく、皇帝自身が介入しなければならないことが一度ならず起こった。
グルックが新作オペラの上演準備中、演奏者に通常の二倍の報酬をやるからと言って、
彼らの機嫌を取らねばならなかった、というゴシップがある。グルックは異常に敏感な
耳を持っていたに違いなく、当時では普通だったずさんな演奏は、彼を烈火のように
怒らせたのであった。オペラ作曲で二十ポンド受け取るのなら、オペラのリハーサルでは
二万ポンド支払ってくれなければ割に合わない、と彼は言った。『アウリス』のリハーサルを
見学したマンリッヒは、いったい状況はどんなものであったかを教えてくれる。
 「彼は狂人のように暴れ回った。今はバイオリンが悪い、次は木管が彼の楽想に
しかるべき表現を与えなかった、と怒鳴り散らす。指揮の最中、彼は突然中断して、
このように表現するのだと該当部分を自分で歌う。それから指揮をしばらく行うと、
また中止して肺が張り裂けるような大声でわめく。“これは出来そこないのヘッポコだ!”
私は彼の頭をめがけてバイオリンやその他の楽器が飛んで行く有様を、心の中で想像した・・・・・」




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