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グルック(6)
グッキー (39)投稿日:2003年03月04日 (火) 09時31分 返信ボタン

 1762年の『オルフェオ』初版はイタリア語で書かれ、主役のオルフェオを
歌うのは男性アルトであった。この楽譜で因襲的なのは、この点だけであった。
オペラの歴史のうえで、このように根本的な様式の変化が達成されたことはない、
と音楽学者は指摘してきた。はじめ『オルフェオ』はウィーンの聴衆には新しすぎたが、
熱心な愛好者を得るのに時間はかからなかった。グルックの次の改革オペラは、やはり
イタリア語で書かれた1767年の『アルチェステ』であった。このオペラの序文で、
グルックは自分の持論を十分に展開している。最も有名な音楽文献の一つとして、
これをほぼ完全な形でここに再現する価値がある。

 《私が『アルチェステ』の作曲に取りかかった時、歌手の誤った虚栄心か、
あるいは作曲家の過度の従順さによってオペラに入り込んだ、すべての悪習を
振り払おうと決意した。こうした悪習はあまりにも長い間、イタリア・オペラを
歪め、最も壮麗で最も美しい見せ場を、最も愚劣で退屈なものにしてしまった
のである。私は音楽を、表現とプロットの状況に従うことによって詩に奉仕する
という、その真の使命に応じるように制限することに努め、所作を中断したり、
無意味で余分な装飾で所作を圧迫することを避けた。そして私は、音楽でこれを
実現するに当たっては、絵画と同じ方法をとるべきであると信じた。絵画では、
光と影の取り合わせのよい対照による有効な色調が、正しく秩序のとれた画法に
影響を与える。この対象は人物の輪郭を変えることなく、人物に活気を吹き込む
役目を果たしている。
 《同じように私は、退屈なリトルネロ(繰り返し)を待ったり、自分の声に合う
母音を発声し続けるために一つの言葉の中途でとどまったり、歌手が長い楽節の中で
自分の美声をタップリ聴かせようとしたり、カデンツァを歌うために息を整える
時間を与える間オーケストラが休止したりするために、最も迫真的な対話場面で
演奏家にストップをかけることは望まない。アリアの最初の楽節をきまって四度
繰り返すために、おそらく最も情熱的で重要な言葉の含まれている第二楽節を
駆け足で過ぎたり、歌手がどのようにでも歌い分けられるのだとひけらかすのに
協力するため、歌詞の意味からみて終るべきでない個所で、アリアを終らせたり
することが私の義務であるとは考えなかった。要するに私は、これまで良識と理性が
無駄骨とは知りつつ反対を叫んできた、すべての悪習を廃止しようと努めたのである。
 《序曲は、これから展開される演技の性質を観客に教え、いわばその筋書きを
要約すべきであること、言葉の面白さと強さに応じた合奏楽器を取り入れること、
そして完全楽章を正当な理由なく破壊したり、所作の力と熱をかき乱すような形で、
対話の中のアリアとレシタティーボに際立った対照をつけないこと、などを私は考えた。
 《さらに私は、美しい単純さを求めるために最大限の努力を払うべきだと信じた。
私は明確さを犠牲にして困難さをみせびらかすことを避け、状況と表現によって
自然に示唆されない限り、新手法を明らかにするのは望ましくないと判断した。
そして一つの効果を作り出すために、原則を堂々と放棄してもかまわない、と
考えたことはなかった。
 《以上が私の主義主張である。幸運にも、私の考えは台本によって見事に高められた。
有名な著者はこの台本では、新たな劇的構想を練ったうえ、華美な語り口や不自然な
人物や高飛車で冷やかな説教をしりぞけ、心情あふれる言葉、強烈な情熱、興味深い
状況、無限に変化のある情景を作り出したのである。この作品の成功は私の持論の
正しさを証明した。このように程度の高い町がこの作品を一様に称讃していることは、
すべての芸術表現において簡素、真実、自然さが美の偉大な原理であることを明白に
したのである。・・・・・




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