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グルック(4)
グッキー (37)投稿日:2003年03月01日 (土) 04時23分 返信ボタン

 事実は、まさしくこの通りだったかもしれない。しかしメタスタジオのオペラ、
いや当時の全イタリア・オペラは即興のルラードで絶えずわめき立てる歌手に
支配された、独唱と二重唱の連続であった。そして当時の歌手は作曲家にあれこれ命令し、
自分らのエゴと歌唱スタイルに合うよう曲を平気で変える神様のような存在であった。
 歌手がライトを浴び、絶唱して聴衆をたまげさせるときには、舞台の所作は完全に
休止した。哀れな作曲家は時々抗議し、改革を求めた。はやくも1720年に、イタリアの
作曲家ベネデット・マルチェロは『現代の劇場』と題する文章でイタリア・オペラを
諷刺した。その中の1章は作曲家と歌手の関係を次のように述べている。
――「歌手、とくにカストラート(男性去勢歌手)と協力する時、作曲家は常に帽子を取り、
歌手の左側に一歩下がって立つ。・・・・・大歌手先生の天才に合わせてアリアのテンポを早めたり、
遅らせたりする。作曲家自身の評判、信用、利益が歌手の手中に握られていることを肝に銘じ、
従って必要とあれば、アリア、レシタティーボ、シャープにフラット記号、本位記号と、
何でも変更するかまえで、歌手の判断の誤りをごまかしてやる」
 時代は改革を要求していた。バロック・オペラ本来の愚劣さ以外の要素もあった。
新古典主義がバロック時代と交代しようとしていた。時の傾向は、装飾主義よりは
簡潔さを好むようになり始めていた。1760年までに音楽家たちは、複雑で壮麗な
バロック様式から完全に離脱し、単純で旋律的で、対位法を欠いたスティル・ガラン(優雅な様式)
で作曲するようになっていた。時代の考え方は『新エロイーズ』(1760年)や『エミール』(1762年)
で自然の理想を説いたルソーの影響を受けていた。ヨハン・ヨアヒム・ウィンケルマンは
有名な『ギリシャ美術史』(1764年)の中で、古典主義の理想をヨーロッパに重ねて
紹介した。美とは細部を全体に従属させることである、真の芸術は調和と優美な配分で
成り立っている、といった彼の結論は、啓蒙時代の美学思考に大きな影響を与えた。
 カルツァビージの台本に刺激されたグルックは、ウィンケルマンが芸術のために説き、
ルソーが人間性のために説いた本質を、オペラのために達成したのである(グルックが
ルソーの著書を読んだのは明らかだが、彼も自分の音楽の中で常に自然に帰ることを
唱えていた。この場合の自然とは単に樹木や空でなく、実人生という意味であった)。
粉飾が多く歌唱の離れ業を誇張するバロック・オペラを無視したグルックは、純粋と調和と
簡潔、さらには厳格さを良しとする古典主義の理想に戻った。しかし彼の考えがいつも
首尾一貫していたわけではない。『オルフェオとエウリディーチェ』発表後の25年間に、
彼はさらに十三のオペラを作曲した。うち六曲は“改革”オペラだったが、残りは
バロック様式であった。にもかかわらず、オペラの針路を変えたのはグルックであり、
彼の理想が後世のワーグナー、そしてさらに近世の革新作曲家へつながっていくのである。




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