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ヘンデル(14)
グッキー (33)投稿日:2003年02月21日 (金) 13時15分 返信ボタン

 ヘンデルが忘れられた理由を確定するのは困難である。もちろん、彼の
オペラの上演にはかなりの問題がある。しかし、オラトリオや合奏協奏曲、
チェンバロ組曲、宗教曲、カンタータの演奏には、どのような障害もない。
そして、これらは立派な曲ばかりである。そのどの曲にも異常なまでの活力と
広がり、確信と創意工夫が息づいている。それらはまた、英国固有の特質を
備えており、その一部はヘンリー・パーセル(17世紀後半の英国最大の
作曲家)に由来する。
 ヘンデルの音楽は、多くの点でバッハよりも近づき易く、理解が容易で、
より直接的で、入り組んでいず、メロディー性に富み、男性的である。
彼にはバッハのような和声の才能や、完璧な対位法はないが(そんなことは
バッハ以外の誰もなしえなかった)、それでもヘンデルの対位法は大胆で、
当を得ていた。ヘンデルの伝記作家たちは、ヘンデルの対位法について
余計な心配をし、バッハのそれには劣ると書くのが常だった。しかし、
この比較には意味がない。二人が目指していた道は全く別だったからである。
バッハは息を吸うのと同じ自然さと必然性をもって、いわば対位法的に物を
考えた。これに対しヘンデルは、一定の効果をあげる目的で、単なる手段として、
より自由な、教科書的でない対位法を用いたにすぎない。
 ヘンデルの音楽は再発見の日を待っている。彼の同時代人は、死後150年で
ヘンデルが半ば忘れ去られたと知ったら、大いに驚くに違いない。彼らはヘンデルの
価値を知り、ヘンデル自身も、自分をウェストミンスター大寺院へ埋葬してくれ
と求めるほど、それを自覚していた。彼は1759年4月14日、74歳で
この世を去り、悲しみは英国全土を包んだ。無数の追悼文が新聞、雑誌を
にぎわせたが、中でも4月17日の「パブリック・アドバタイザー」紙のそれは、
各行の頭文字を「ヘンデル」とする手のこんだもので、みごとな出来栄えだった。

He's gone, the Soul of Harmony is fled!
And warbling Anfels hover round him dead.
Never, no, never since the Tide of Time,
Did music know a Genius so sublime!
Each mighty harmonist that's gone before,
Lessen'd to Mites when we his Works explore.

  和声の主(ひと)、君は逝き
  悲しみの天使は舞う、なきがらの上。
  汝(なれ)こそは天地(あめつち)の開けし時ゆ
  比類なき楽の天才。
  君(そ)が調べ、奏(かな)づるに
  なべての楽士、色失いぬ。




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