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ヘンデル(13) |
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グッキー
(32)投稿日:2003年02月20日 (木) 01時12分
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ヘンデルのおかげで英国の作曲家は、名を成すために精巧な声楽曲を作らされ、 英国中がオラトリオ・ブームにわいた。このブームは19世紀末まで続き、文豪 ジョージ・バーナード・ショウの「英国民はレクイエム(鎮魂曲)に、ゾクゾクするような 快感を覚えている」との警句を生んだ。合唱曲は国民の財産と考えられていた。 ヘンデルの死のわずか1年後、ウィリアム・マンなる文士は「イングランド全土の 村々にある音楽グループは、オラトリオ・ブームが首都から中小都市に広がってから というもの、英国国教会に朗詠、聖歌、賛美歌の類を導入しなければ絶対に満足しなく なっている」と書いた。市民階級のパラ(聖杯をおおう布)が英国の音楽にかぶせられ、 毎年行われるヘンデル音楽祭は宗教的行事の色合いを深めた。ヘンデルがオラトリオを 宗教的作品のつもりで書いたかどうかにかかわらず、大衆はそう解した。 1813年4月の「チェスター・アンド・ノース・ウェールズ・マガジン」は「ヘンデルの音楽は、 聖なる神と救世主を記念し、人としてわれらが讃え、クリスチャンとして感ずべき 神への帰依の恍惚状態を、われらの心にもたらしてくれる」と書いた。150年余にわたり、 英国の音楽はヘンデルの巨大な掌中にあり、それとは別種の衝撃を与え得たのは メンデルスゾーンだけだった。英国の作曲家は一人として、彼の影響下から逃れる ことができなかった。 しかし20世紀に入ると、ヘンデルへの評価は英国でも下がり始めた。今日、彼の音楽が 演奏される機会の少なさは驚くほどである。彼のオペラは存命中から忘れられた。 19世紀から20世紀の大半を通じ、英国以外の国で大きな人気を集めた彼の作品は ただひとつ『メサイア』だけだった。オーケストラがヘンデルの『合奏協奏曲』を 演ずることは稀で、その状況は今日も変わらない。最も人気のある管弦楽曲『水上の音楽』は、 ハミルトン・ハーティの編曲で演奏される方が圧倒的に多い。バイオリニストがヘンデルを 取り上げるときも、ナチーズの編曲による『ソナタ・イ長調』や『同ニ長調』など、 速度を早めたロマンチックな曲以外は振り向きもしない。ヘンデルのオルガン協奏曲には すばらしいものがあるのに、コンサート・ホールで演奏されることはほとんどない。 オペラの大半も埋もれたままである。ドイツでは第2次大戦前、ヘンデルのオペラの 復活を図る試みがあったが、ファンの支持を得るには至らなかった。彼は事実上、 一つだけの作品で知られる音楽家となり、『メサイア』を除くヘンデルのほとんど 全作品が恒久的レパートリーからはずされ、僅かにいくつかが時々、思い出したように 演奏されるだけである。それは、バッハの作品がオーケストラやソリスト、合唱団の手で 世界中で演奏されているのと著しく対照的である。
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