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ヘンデル(12)
グッキー (31)投稿日:2003年02月19日 (水) 14時34分 返信ボタン

 イタリア・オペラは息絶えたかに思われ、ヘンデルも別の分野、英語による
オラトリオに転進した。この方面でも彼はすぐ大衆の支持を得た。1738年には
『サウル』を、翌39年には『エジプトのイスラエル人』を、そして翌々41年には
『メサイア(救世主)』を世に送り出した。彼がものしたオラトリオは20曲に近く、
1752年作曲の『エフタ』が最終作だった。51年までに始まっていた眼病で視力を
完全に失わなかったら、間違いなくもっと多くの作品が生まれていたことだろう。
ヘンデルのオラトリオに対する関心は近年、次第に高まりつつあるが、その大半は、
いまなお演奏の機会を与えられずにいる。
 ヘンデルはなぜオラトリオを書き始めたのだろうか?かつての伝記作家たちは、
軽度の脳溢血と精神障害で倒れた1737年以降、ヘンデルの信仰心が篤くなった
ためだと考えた。しかし、真相はもっと俗っぽさに満ちたものだろう。彼は、自らの
稼ぎに依存するプロの作曲家、つまりは商売人だった。イタリア・オペラの人気が
すたれさえしなければ、彼はオペラを書き続けていたはずだ。自分の書いたオラトリオ
を聴きに大勢の聴衆がやってくることを知ったから、オラトリオを書いたに過ぎない。
一部のヘンデル研究家、特にポール・ヘンリー・ラングは「オラトリオは決して宗教色
濃厚な作品ではない。聖書に題材を借りたドラマチックな作品だが、教会とは全く無縁だ」
と主張している。
 その是非はともかく、ヘンデルは、オラトリオの作曲がいちばん儲けになる仕事だ
ということを知った。とにもかくにも、彼はロンドンで最も有名な人物の一人であり、
また演奏者としてもものすごい人気を集めていた。そこで彼は、自作オラトリオの
発表会では必ずオルガンのソリストを務め、おまけに客の入りを良くするために、
コンチェルトを一つか二つ弾くことすらいとわなかった。彼の目が見えないため
ファンは同情し、それが助けにもなった。『サムソン』の初演の際、テノールの
ジョン・ビアードが盲目の作曲家のわきに立ち、
  月の陰に、日は隠れぬ
  全き闇に、金の環残し
と歌う時、聴衆の間からはすすり泣きの声がもれたに違いない。
 ヘンデルのオペラとオラトリオの大半が、今日、『メサイア』をほとんど唯一の例外
として、忘れられている現実は奇妙というほかない。存命中のヘンデルは史上最大の
音楽家の一人とみなされ、死後も、その見方を変えねばならぬ状況は生まれていない。
英国における彼の評判は、死の直後も、また19世紀も、一貫して高かった。もっとも、
その尊敬は主としてオラトリオ作曲家としてのヘンデルに向けられていた。彼の強い
影響力は英国の音楽界を窒息させたほどで、エドワード・エルガー(1857〜1934)
の登場まで、英国には国際的に有名な作曲家は育たなかった。




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