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ヘンデル(11)
グッキー (30)投稿日:2003年02月18日 (火) 00時02分 返信ボタン

 ヘンデル時代の聴衆は、カストラートと紋切り型のバロック・オペラを喜んで
受け入れた。しかし、やがて、そうしなくなった。今日では、ヘンデル時代の
歌手と同じ歌いまわしができる者は誰もいず、また勿体ぶった台本にすばらしい
音楽をつけて埋め合わせすることも、不可能である。オペラ製作には高度の様式化が
必要となった。学者の中には、カストラートの役をバリトンかバスに書き換えよ、
と主張する者もいる。それはともかく、声楽の楽譜は今日では単純化され、ヘンデル・
オペラのレーゾン・デートル(存在理由)の多くは失われてしまった。特に
『ジュリアス・シーザー』や『アルシナ』のリバイバル公演が示したように、
それらはまだ十分に楽しめるが、カストラートが存在しない今日の再上演は、
原曲の翻案でしかない。
 ヘンデルのオペラのうち何作かは、その驚くほど多くの部分がオリジナルの
音楽ではない。ヘンデル時代の聴衆は、彼が他人の作品を借用することには
寛大だった。この問題はヘンデルの伝記を書く場合には面倒なテーマで、
筆者はその説明に苦しんで七転八倒するか、あるいは単に遺憾の意を表する
かだった。はっきり言えば、彼は盗作の常習犯であり、存命中からその点でも
有名だった。作曲家の道を歩み始めた頃から彼はカイザー、グラウン、ウリオらの
作品を失敬しては自分の名で発表した。過労で倒れた1737年以降は、特に
この傾向が酷くなった。しかし、彼の同時代者たちは盗作に寛大だった。アベ・
プレヴォーは1733年に書いている。「とはいえ、一部の批評家たちは彼が
リュリから多くの美しい旋律を借り出したこと、特にフランスのカンタータを
イタリア風に改作したことを非難している。が、たとえそれが確かだとしても、
大した罪ではない」と。
 善意に解釈すれば、オペラ劇団の運営や、歌手たちの喧嘩の仲裁、新作オペラの
製作、折々にやらねばならない宮廷用の作曲と、多忙を極めていたヘンデルには
単に、何から何まで自分でこなす時間的余裕がなかった、ということなのであろう。
そこで彼は他人の題材を借用し、大概はその過程で原作をより良く改作して、
自分の作品として押し通したのだ。ヘンデルの盗作リストは、驚くほど長大な
ものになるはずである(バッハも他人の作品を書き直したが、それらは翻案または
編曲と呼ばれるべきもので、他人の作品を用いて利益を図った証拠はない。グルックは
自分の曲を別の作品の中で使っているが、他人の物を盗用してはいない)。
 1720年代の末までに、ロンドンのイタリア・オペラ・ブームは下り坂となり、
英語で歌い、当時のウォールポール政府を痛烈に諷刺するバラード・オペラ
『乞食オペラ』の成功で、ほぼ完全に息をとめられた。ジョン・ゲイの台本に
ジョン・クリストファー・ペプシュ(1667〜1752)が曲をつけた『乞食オペラ』は、
ヘンデルのどのオペラよりも長生きし、1728年の初演以来、シーズンの
プログラムからはずされたことがない。大作だはないが、真の傑作である。おかげで
ヘンデルのイタリア・オペラ劇団は破産した。しかしヘンデルは、この商売で
巨万の富を築いていたので、自分の財産の中から1万ポンドをさいて、キングズ・
シアターを本拠とする新歌劇団を間もなく発足させた。同劇団は1737年まで
続いた。リンカーンズ・イン・フィールズにライバルの歌劇団が生まれなければ、
この劇団はもっと長持ちしたかもしれない。当時のロンドンは、二つの常設歌劇場を
置くほど大きくはなく、この時にはさすがのヘンデルも大損をした。




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