【広告】楽天市場にて 母の日向けギフト値引きクーポン配布中

掲示板

何か記念に書いてください!

ホームページへ戻る

名前
Eメール
題名
内容
URL
アイコン アイコンURL
削除キー 項目の保存

こちらの関連記事へ返信する場合は上のフォームに書いてください。

ヘンデル(1)
グッキー (20)投稿日:2003年02月05日 (水) 05時56分 返信ボタン

 バッハが「田舎者」で、祖国ドイツを一度も離れなかったのに対し、
同時代に活躍したゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル(英国ではジョージ・
フレデリック・ヘンデルと呼ばれた)はコスモポリタンで、世界各国を
歩き回る独立独歩の人であった。彼は職業音楽家としても成功した最初の
偉大な作曲家の一人であった。大男で元気者、なまりの強い英語を話す
帰化英国人、爆発的な気象の持ち主であると同時に、心やさしく、寛大な
博愛主義者、音楽興行で財産を作り、また失った男、レンブラントの名画を
含む美術品収集家、オルガンとチェンバロでは当時最大の演奏家の一人、
神を信じるのと同じ純粋さで人生にも対した男――それがヘンデルだった。
 ヘンデルは1710年、25歳の時に初めてロンドンを訪れ、市民に強烈な
印象を与えた。それは当時、決して容易なことではなかった。時まさに、大した
時代だったのである。その頃のロンドンには、才人、文士、奇人、ダンディー、
背教者、詩人、エッセイスト、政治家、宮廷関係者が群がり集まっていて、欧州の
文化の一大中心地であった。それはある種の閉鎖社会で、ゴシップが乱れ飛ぶ
場所でもあった。ジョン・ゲイ(詩人、劇作家)がアレクサンダー・ポープ(詩人)
に手紙を書くと、その情報がアーバスノット博士(諷刺作家、医師)に中継され、
そこからジョナサン・スウィフト(作家)に伝わるという感じだった。ジョーゼフ・
アディソンとリチャード・スティールが編集する二つの新聞「タトラー」と
「スペクテイター」がロンドンっ子にとって、またとない情報源だった。数学の
概念の多くをくつがえし、数々の新説を導入して、科学者を数世代にわたり
きりきり舞いさせたサー・アイザック・ニュートンは、宗教について思い悩んで
いた。数多くの推量、中傷、噂がロンドンの辻々を飛び交っていた。
 隠し事など特に宮廷においてはありえなかった。ハーヴェイ卿がいつもながらの
スキャンダルを起こすとか、クイーンズベリー公爵夫人の侍女の一人が王室の一員と
いちゃつくとか、S卿がB夫人の寝室からこっそり抜け出すところを目撃される
といった事件があれば、噂はアッという間に全ロンドンに広まった。しかしウイットと
ゴシップの吹聴は別物だった。スウィフトはかつて、サー・チャールズ・ウォーガンに
書き送った。「ご存じのように、ポープとゲイと私は人々を楽しませ賢くするために、
あらゆる努力を払っております。ならず者とバカを除けば敵はおりません」と。
 ザクセン生まれのたくましい異邦人ヘンデルが飛び込んだのは、こうした社会だった。
世間知らずで横柄な彼は早速、アディソンやスティールを敵にまわすことになった。
アディソンの立場は全く公平というわけにはいかなかった。ヘンデル到着の直前、
アディソンはオペラ用のリブレット(台本)を書き、トマス・クレイトンなる無名の
作曲家に音楽をつけさせた。『ロザモンド』と題されたこの抒情的なオペラの上演は、
見るも無残な失敗に終わった。ちょうど「英語によるオペラ」の一派を確立しようと
目論んでいたアディソンが自作の失敗に怒り狂っていた時期に、ヘンデルのロンドン・
デビュー公演が大成功を収め、しかもそれがイタリア語によるリブレットであったため、
彼は直ちにヘンデル批判の猛攻撃を開始した。イタリア・オペラに対する「スペクテイター」
紙の論評ほど荒唐無稽で、英国の論争形式に悪しき寄与をしたものは他にない。




Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場にて 母の日向けギフト値引きクーポン配布中
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板