【広告】楽天市場にて 母の日向けギフト値引きクーポン配布中

掲示板

何か記念に書いてください!

ホームページへ戻る

名前
Eメール
題名
内容
URL
アイコン アイコンURL
削除キー 項目の保存

こちらの関連記事へ返信する場合は上のフォームに書いてください。

バッハ(16)
グッキー (17)投稿日:2003年01月31日 (金) 23時53分 返信ボタン

 バッハは(消失したものを含めて)多量の教会音楽を作曲したが、モテットや
カンタータ、ミサ曲や受難曲は宗教的感情に満ち溢れており、これらを完全に
理解するには、バッハと同様の宗教的基礎、感情と背景そのものを持つことを
必要とする。どんな芸術を鑑賞するにしても、鑑賞者が作者の精神過程と一体化
することがカギになる。一体化が強ければ強いほど、鑑賞力は深まる。だれでも、
教会カンタータ第4番『キリストは死のとりことなられても』や『ロ短調ミサ』の
明確な意味は理解できる。しかし精神的託宣や、その表れである実際の宗教的
行事との関連において音楽が持つ微妙なニュアンスは、バッハ時代の教会や
精神生活と一体化できる人でなければ、完全には理解できない。
 またこのような指摘は、必ずしもバッハの教会音楽にだけ限るのではない。
『フーガの技法』のような作品は、自分が対位法で苦闘し、従ってバッハの
悪魔の仕業とも言えそうな見事な問題解決法を認識できる人の方が、楽譜も
読めない人よりは、ずっとよく理解できる。しかし少なくとも世俗的音楽は、
もっと容易に理解できる。それは抽象的であり、バッハの内面の過程に参与
しつつ、彼の思考の跡をたどって行くことは、音楽の与えてくれる知的、情緒的
喜びの一つである。
 20世紀においてバッハの音楽が提起する大問題の一つは、演奏慣習である。
当然ながら、バッハ時代そのままの演奏を再現することは不可能である。あまりに
多くの要因が変化してしまったし、どんな時代にも固有の演奏スタイルが存在する
からだ。ロマン派は、他のすべての場合と同様に、バッハに対しても非常に自由な
態度を取り、自分らの考え通りにバッハの作品を演奏した。ロマン派の演奏慣習は
現代まで踏襲され、この問題に真剣に取り組む努力が始まったのは、やっと、この
数十年来である。熱心な音楽史研究のおかげで、今の音楽家たちは数世代前の
人たちより、バッハの演奏様式の特徴について遥かに多くのことを知っている。
しかし、それでもまだ十分ではない。ロマン派の演奏慣習を是正しようとして、
若い世代の芸術家たちが公認の版本を用い、“正統派”たるべく比較的小さな
集団で、バッハを機械的な厳密さで演奏し、歌い、指揮するようになった。だが
難点は、こうした音楽では生気が失われることである。人間性、優雅さ、独自の
流儀、趣味を奪われたバッハになってしまうのである。
 バッハについて、われわれが一つ知っていることがあるとすれば、それはバッハが
情熱的な人間であり、また情熱的な演奏家であったということである。疑いもなく
彼は、現代の演奏慣習が許容するよりは、遥かに大胆、自由かつ自然に自分の作品を
演奏し指揮した。バッハ自身が弟子のヨハン・ゴットヒルフ・ツィーグラーに語った
ところでは、オルガン奏者は単に音を弾くだけでなく、その作品の意味、感情に
訴える点など“情緒”を表現しなければならない。ずいぶん皮肉なことには、バカに
されていたロマン派の方が結局は、バッハの音楽についての現代の学識には欠けて
いるとはいえ、厳密で融通のきかない今日の音楽家より、本能的にバッハの基本的
スタイルに近かったということになるかもしれない。




Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場にて 母の日向けギフト値引きクーポン配布中
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板