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バッハ(12)
グッキー (13)投稿日:2003年01月26日 (日) 21時37分 返信ボタン

 大体において、おそらく彼は自分で音楽を学んだようである。バッハ、
モーツァルト、シューベルト級の天才音楽家は、そもそも大した音楽教育
を必要としない。彼らの精神はあらゆる音楽衝動を直ちに吸収する吸い取り
紙のようなものである。正しい方向を指示して、ちょっと後押しするだけで
よい。これはバッハについても言えることであった。最初からバッハは、
あらゆる所から音楽を吸収して自分のものにした。これはオペラを除いた
音楽の全領域にわたっていた。バッハの音楽には無限の変化がある。最悪の
作品では(バッハは粗悪な作品は作らなかったが、退屈な作品を書くことが
あった)バッハの音楽は性急で苛立っている兆候が見え、特定の場合の要求
に応えるきまりきった作品を、一気に片付けようとしている様子がありありと
わかる。だが彼の平均点は極めて高く、最上の場合、彼の作品は音楽芸術の
頂点に位置している。
 バッハは当時の公式を利用して、これを新鮮で独創的に聴かせることができた。
なぜなら、これらの公式は自身の公式であったからである。『平均律クラビーア』
に収められた四十八の前奏曲とフーガは、ショパンの練習曲と同様、1曲ごとに
ユニークである。西欧人の偉大な知的離れ業の一つと万人が讃える『フーガの技法』
は巨大な作品であり、未完に終わったものの、これも尽きることのない多様性と
想像力の満ち溢れた、一連の対位法的変奏曲で構成されている。
 バッハが『フーガの技法』をどのように演奏して欲しいと思っていたのか、
だれにもわからない。オルガン曲としてか、あるいはオーケストラ曲なのか、
それともこれらの中間的性格のものなのか。楽器が指定されておらず、ドイツの
学者フリードリッヒ・ブルーメは、バッハ自身が『フーガの技法』のような作品
が実際に演奏されるかどうか、また演奏が可能かどうか、といった問題には関心
がなかった、とまで主張している。「この作品の中で彼は、ベラルディ、スウェーリンク、
スカッキ、タイレ、ウェルクマイスター、G.B.ヴィターリを経由してパレストリーナ
時代のローマ派から自分が継承した、完全な対位法の技術の伝統を残したいと望んでいた。
これは“高踏的な”作業であり、全く抽象的な理論を黙々と伝達することである」
とブルーメは書いている。多分そうであったかもしれない。しかし、演奏されない
抽象音楽を書く作曲家がいったいいたであろうか。どうも疑わしい。いずれにせよ
『フーガの技法』は対位法を至高の域にまで持ち込んでいる。
 この作品の複雑さをざっと説明してみると―まず四つのフーガから始まるが、
うち二つは主題を提示し、別の二つはこの主題を反対側から提示する(つまり表裏一体
である)。二重フーガ、三重フーガ、いくつかのカノン、三対の投影フーガがある。
カール・ガイリンガーの表現を借りると「バッハはすべての声部をまず原初の形で
提示し、次に反射像のように、これを完全にひっくり返す。鏡の投影を一層リアルな
ものにするため、第一フーガの最高音部が第二フーガの低音部となる。アルトがテノール、
テノールがアルト、バスがトレブル(ソプラノの最高音部)と変化し、その結果、
12番の2は12番の1の逆立ちのように見える」。




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