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バッハ(11)
グッキー (12)投稿日:2003年01月25日 (土) 13時31分 返信ボタン

 また、バロック時代になって古い教会旋法が姿を消し、その音階と関連
音調が結合して、今日までこれが使用されている。さらにリズム概念が
発達して、楽譜に音勢を示した縦線が導入された。また、ソナタ、交響曲、
協奏曲、序曲の直接の端緒となった諸形式が発達した。しかしバロックは、
トッカータ、ファンタジア、前奏曲、リチェルカーレなど、それ自体の
自由な形式も持っていた。
 バロック時代は文化的な中産階級の興隆を見た時代であった。音楽は
宮廷や教会から都市部へと拡大し、中産階級市民の多くが音楽の楽しみ
を要求した。これが今日の公開演奏会のハシリであった。音楽家たちは、
時としてヘンデルの場合のように、驚くべき財政的成功を基礎として、
こうした要求に応え始めた。音楽学校が設立され、喫茶店までがお客を
満足させるために音楽の演奏を始めた。バッハもこうした企画に関係し、
長年の間ライプチヒのツィンマーマン喫茶店で、毎週金曜日の午後八時
から十時まで、定期演奏会を指揮した。参加者は(1736年の発表に
よると)「主として当市の学生であり、すぐれた音楽家がまじっていて、
彼らの一部は周知のように後世、有名な大演奏家になる」。
 バッハによってバロック音楽は頂点に達した。彼は過去の一切を集大成し、
将来に来るものの多くを見越していた。彼はバロック音楽を自分のものに
した、学識豊かな音楽家であるだけでなく、すべての音楽に精通していた。
たしかに彼は、当時最高の教養を備えた音楽家の一人であり、ヨーロッパに
起こりつつある現象を知りぬいていた。古代であろうと当代であろうと、
入手できるあらゆる音楽を知り、吸収したいという意欲に燃えていた。彼が
音楽史に関心を持つ学者であったわけではない。例えば彼が中世音楽を発掘
しようと骨を折ったという証拠はない。こういう仕事におそらく彼は興味が
なかったであろう。圧倒的で、強制的でさえあった彼の関心の的は、テクニック
であった。作曲家たちがどのようにして曲を組み立てたか。彼らのアイディア
の本質は何か。こうした問題についてバッハは、飽くことのない職業的好奇心
を持っていたようである。それは意識的または無意識的に、自分を他の作曲家
と比較したかったからであろうか。新しい音楽が演奏されると、出席できる
場合はいつでも、これを聴きに出かけた。そして聴けないものに関しては、常に
楽譜を読んでいた。もちろんバッハは、会計係が帳簿を、通勤者が夕刊を読む
のと同じくらい容易に、楽譜を読むことができた。
 青年時代の彼は職務から抜け出しては、特にヴィンセント・リューベックや
ブクステフーデら大オルガン奏者の演奏を聴きに行った。彼は有名なヘンデル
の演奏を聴けなかったことを、人生の大痛恨事の一つとしていた。彼はパレストリーナ、
フレスコバルディ、レグレンツィの古い音楽も、ヴィヴァルディ、テレマン、
アルビノーニの新しい音楽も、知っていた。彼はリュリからダングルベール、
クープランに到る、フランス派の音楽を熟知していた(イギリス派の音楽を
知っていた形跡はない)。ドイツの作曲家中、彼はフローベルガー、カール、
フックス、シュッツ、タイレ、パッヘルベル、フィッシャーの音楽を評価して
いた。ドメニコ・スカルラッティの合唱曲も知っていた。幼年時代に音楽に
対する無限の食欲を持ちながら育ったバッハは、死ぬまでこの食欲を満足
させることができなかった。




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