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バッハ(10) |
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グッキー
(11)投稿日:2003年01月24日 (金) 11時25分
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彼の指揮法の細部はわからない。テンポがどのようで、どんなリズム観を持ち、 いかなる表現手段を使ったのだろうか。今日、バッハの演奏法をめぐる微妙な ポイントは、多くが消失してしまった。われわれはただ、ピッチ、楽器、装飾、 潤色、バランス、それにリズムやテンポ、といったことにあれこれ推測を めぐらすだけである。例えばピッチの問題だが、バッハの時代は、今日より まるまる一音低いことが往々にしてあった、と学者は断定した。しかし、 現在も演奏可能なバッハ時代のオルガンが残っていて、その音階は今日のより 高いのである。バッハがどのように楽器を調律したのか、もわからない。 潤色については、バッハの作品中の潤色の書き込みに関する研究書が何冊も 出ているが、権威者の意見が一致しないことが多い。それが全く意外でない わけは、バッハと同時代の権威にしてからが、意見の一致に到らなかったから である。おまけに、楽譜に記してあるよりも長く一定の音を演奏するといった、 楽譜に書き込みのない慣例が色々あったようである。良心的な音楽家が専門研究 を重ねたあと、やはり推測するほかないという結果に終わる。 しかし演奏の慣例はうつろいやすく、世代に応じて変化するものであるのに 反し、バッハの音楽そのものは、かつてなく強固な市を占めるに至っている。 というのは、われわれは今や歴史的視点に立ってバッハの音楽を検討することが できるが、これをヘンデル、ヴィヴァルディ、クープラン、アレッサンドロ・スカルラッティ ら、同時代の他の大作曲家の作品と比較する時、どのように測定してもバッハが 全部を圧倒するからである。彼の想像力はだれよりも雄大であり、テクニックは 比類がなく、和声感は表現性、創意の点で驚異的である。そして、バッハは旋律面 では大作曲家といえないにしても、例えばアリア『汝よ、私のそばにあれ』や、 まるで潮の満干のようにフレーズが静かに、堂々と、気高く進行する 『トリオ・ソナタ・ホ短調』の緩徐楽章のような、言葉でいい尽くせぬ恍惚感を 与える音楽を作り出すことができた。 バッハはバロックの作曲家であった。音楽におけるバロック時代とは、およそ 1600年から1750年までの期間を指している。偉大な人物たちが演奏した バロック音楽には、顕著なマニエリスム(=誇張の多い技巧的な)の作風が うかがわれた。それは神秘主義、豊麗さ、複雑さ、装飾、寓意、歪曲、超自然的な 物または雄大な物の利用など、一切を突き混ぜたものであった。ルネッサンス時代 (そして後ほどの古典時代)が秩序と明晰さを代表しているなら、バロック時代 (そして後ほどのロマン派時代)は動き、混乱、不確かさを代表していた。 バロック音楽はクラウディオ・モンテヴェルディ(1567―1643)や、 オペラを“発明した”フィレンツェ一派らとともにイタリアで発祥し、 あっという間にヨーロッパを席巻した。バロック時代になって、四部和声 および数字が正しい和声を示している通奏低音が、目立って用いられるように なった。通奏低音はバッハにとっては神から授けられたシステム同然であり、 彼はある生徒に次のように語ったといわれる。「通奏低音は最も完全な音楽の 基礎であり、左手が楽譜の音を弾き、右手が協和音や不協和音を加えるような 形で両手によって演奏される。これによって、神の栄光と人間精神の節度ある 愉悦のために良い音の和声を作り出すことができる。すべての音楽と同様に、 通奏低音の目的と究極の動機は、まぎれもなく神の栄光と精神の再創造に なければならない」
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