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投稿者:こちらは自由東郷放送です
■鎌田慧さんの『教育工場の子供たち』岩波文庫より。 いまからおもえば,悪夢としかいえない状況だった. 「西の愛知,東の千葉」とならび称された, 管理教育先進地の学校風景である.ところが, この愛知,千葉の管理方式は, あっという間に全国へひろがっていった. 『教育工場の子どもたち』は,生徒の生活と行動が「校則」によって コトこまかく定められ,その励行が教員によって きびしく指導,監視されていた80年代の公立学校の実態報告である. 大学闘争が終熄したあと,学内の学生の動きを抑圧し, ジョージ・オウエル『一九八四年』型の管理社会に むかいはじめた時代を反映していたこともあって, この本は版をかさね,わたしは教員たちの集会によばれてよくでかけた. まだ日教組の組織率もたかく健在で, 教員たちにはいまよりもはるかに自信があったころだった. そのころ,愛知や千葉の例を紹介しても,まだ余裕があった 教員たちの笑いが,やがて,しだいに凍りついていくのがわかった. 「非行防止」「学力向上」というふたつのスローガンは, だれも反対できないほどの力をもって,子どもと教員の生活を律していった. それはあたかも,工場の労働者が「生産性向上」と「企業防衛」に反対したり, あるいは政府の「国土防衛」のかけ声に反対するのに, かなりの勇気がいるのに似ている.教員たちの日々の仕事が, 「非行防止」と「学力向上」のスローガンにからめ取られ, 日々,それを中心に実行させられているうちに, 日教組の力もしだいに弱まっていった. しかし,この悪夢のような80年代が,80年代だけで終わったかどうか, それが問題なのだ. 80年代の管理教育は消えたのではない.伏流水となって, 90年代を通り抜け,21世紀にはいりこみ,国家教育の完成を目指している. その水源地がささやかな教室での管理だったのだ.
2008年01月13日 (日) 10時01分 : 返信
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