マントル通信掲示板
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GVHDについて教えてください - とん
みなさま、こんにちは。今日はご相談させていただきたいことがあり、書かせていただきます。
私の友人がお世話になっている方の息子さん(未婚、38歳)が昨年秋、急性リンパ性白血病になられました。
それで、自分の知っている範囲でセカンドの病院や評判のよい先生などお知らせしたりしてきたのですが、
一度私に会いたいとおっしゃるので、先日お会いしてきました。
幸い、1クールめで寛解にいたり、現在地固めで3クールめだということです。
経過としてはいいほうだとは思うのですが、再発を考えると移植も考えたほうがいいのではないか..ということなのです。
これが、1クールめで寛解にいたっていなければ、あまり迷うことなく、移植ありきで考えることになるかもしれませんが
幸い経過がいいので、ご家族としては、このまま終えたほうがいいのではないか..
GVHDが強く出た場合、QOLが著しく下がり、ふつうに生活ができなかったりすることを考えると
息子をそんなめにあわせるわけには..と考えておられるようです。
こちらの掲示板の方もそうですが、病気の集まりなんかでお知り合いになった方は、みなさんものすごくお元気ですし、
そんなお話もしてみましたが、でも、たしかに私がお会いする機会に恵まれた方がお元気な方の率が高い..というのが実際のところでしょうし、
たぶん、大変な思いをされていても、がまん強くて弱音を吐かない方も多いのかな..という気がしています。
私自身はそこそこ抗がん剤のことはわかりますが、何しろ移植を経験していませんので、私なんかが「だいじょうぶですよ」なんて
軽々しく言うことはできません。
それで、もしよろしければ、移植を経験された方の実際のお話を聞かせていただければありがたいのですが...
ちなみに、弟さんがいらっしゃるのですが、4.5座の一致(4.5ってちょっと不思議な気もするのですが..)で積極的には
移植にいたらず、バンクでは韓国、台湾まで含めてもフルマッチは該当せず、
いますぐにやるなら、臍帯血ということになりそうです。
条件がよいドナーさんが今いらっしゃれば、積極的に移植に踏み出すこともできるのでしょうけれど、
そうでない今、リスクをおかして移植をやっていいものか..
待つのが可能であれば、フルマッチのドナーさんを待ったほうがいいのか..
でも、やるのであれば第一寛解期のいまが一番いいのでしょうし...
まあ、移植をどうするかについては、最終的には主治医と本人、家族で決めることだと思いますが、
その参考に、GVHDのことなど、教えていただければありがたいです。
リンパ腫全体で考えると、移植..特に同種については受けられた方の割合は低いと思うのですが、
マントルの方については、かなり受けられた方が多いかと思い、申し訳ありませんが、こちらでご相談させていただきます。
もし、掲示板でないほうがよろしければ、お手数ですが、メールにて教えていただければ幸いです。
大変勝手なお願いで申し訳ありませんが、お力をお貸しいただきたく...
どうぞよろしくお願いいたします。2010年02月06日 (土) 14時50分 No.682
シャバコの場合・・ - シャバコ
とんさんへ
私の体験から書きます。 GVHDだけでなく書いたら、長文になりました。2回に分けて送ります。
移植からもうすぐ3年経ちます。たぶんかなり順調にいった患者の立場からのものですから、一つの好例としてお読みください。前後に移植を受けた患者さんで不調の患者さんもいます。マントルで自家移植を受けて回復している患者さんも知っています。とはいえ、限られた情報の範囲ですのでご承知おき下さい。
私の記憶とメモをざっと見てまとめました。
1.私の移植は、ミニ移植でした。フルは55歳まで、私は超えていました。ミニは移植前治療、抗がん剤量はフルより少ないです。放射線もありません。移植後のGVL効果を期待しての療法です。骨髄バンクからのドナーさんとはHLAフルマッチ、血液型Aもたまたま同じ、男性、こうした事もプラス条件になったかもしれない、とドクターには言われました。もしかしたら検査ではでないけど遺伝子レベルでもかなり適合しているのかも知れない、と担当医は後日語っていました。
フルマッチである事、それは絶対条件ではありません。5座一致でも成功例はあります。でも奏功率はフルマッチが良いのは統計上はあるようです。
2.GVHDも強がりを言うのではなく、それほどキツクなかったのです。初発のR‐CHOPよりはもちろんきついですが、もっともっと重篤なものを予想していました。口内炎も2.3日くらい。食事ができなかったのはその間です。無菌室の食事もレトルトカレーをかけて食べたり、カップラーメンも食べられましたのであまり苦労しませんでした。皮膚も少し痒くなったくらい。便秘が困った一つです。下剤で脱することができました。熱も殆ど出ませんでした。
3.移植で一番困ったのは実は移植前のCVというカテーテルを心臓の近くに挿入する治療を2回失敗し、静脈を破り指で30分くらい首付近を押さえられ死ぬかも知れないと思いました。あと、前処置でけいれんが起きた事。これも何とかクリアーしましたが、私は一人で移植は中止になるのではないかと落ち込んだりしました。でもそれは杞憂。医師団は予定通り移植の準備をしていました。
4.九州から骨髄液が届いたのは夕方、4時間あまりかけて点滴で身体に入っていきました。この時からだが元気になっていく感じがしました。てんかん騒ぎもあったりで落ち込んでいたので余計にそうした気持ちになったのかもしれません。
移植30日目でそろそろ退院の話が出たときサイトメガロウイルスに感染しましたが、これも何とかクリアー。57日目に退院できました。
白血球が1000以下になったのは移植後3日目から2週間。17日目に1300になり生着となりました。
こうした経過はたぶん順調な患者に当たると思います。
5.4.5座一致というのもあるのですね。バンクから提供受けるか、さい帯血にするか、迷います。提案があるということは、4.5は移植例としてはあるということでしょう。骨髄バンクからはこれ以上待っても見つかる可能性は低いかも知れません。私はさい帯血移植で二人分を使って移植をした患者を知っています。急性白血病でした。80kg以上あって、一人分では足りないとの事でした。半年で職場復帰をしていますから、かなり順調です。4.5とさい帯血の選択だと悩みますね。さい帯血は今どんどん増えています。このあたりは情報を集めてみる必要ありそうです。
6.化学療法のままでいいか、移植も受けるべきか、迷います。私もマントルは再発しやすいので、寛解後移植の提案もありました。兄弟で見つかればやっていたかもしれませんが見つかりませんでした。そのほかの移植は積極的な提案も消えていました。私も「やるのが恐くなった」、そんな気持ちもあります。初発8クールの間、仕事も続けていましたし、治療が終ってからも快調でしたから、このままでもいいような気持ちでした。寛解が完治になる、そんな気体もしていました。再発した時、「あの時移植をいってもする気にならなかったでしょう。」と主治医にいわれましたが、まさにそうだったかもしれません。
2010年02月07日 (日) 18時06分 No.683
シャバコの場合 その2 - シャバコ
その2 送ります。
7.治療の選択は、私も悩みました。移植の方向にだんだん傾いていたとはいえ、不安はありました。でも、最終的に決めた時は「選んだことがベストである」と自分に言い聞かせました。それからの迷いはありませんでした。いや正直に言えば、不安はありました。初発の時からネクサスに入り、MLやお茶会に出て情報収集しました。マントル通信にもお世話になりました。患者の体験記、情報や交流を求めてPCを使ったり、本を読んだり、それはもう自分の選択を確信するために動きました。
8.再発時は半ば覚悟もできていました。私は移植をすることが流れというか、再び化学療法を選んだ場合は、その後の見通しがよいとは思えませんでした。体力もあり、ミニが受けられる今がチャンスと判断しました。幸い、再発寛解導入療法で再び寛解に至りました。移植前に、5年後の成功生存率は30%といわれましたが、何を言われても引き返せません。そうした数値は過去の事例からのものですから、あまり不安にとらわれないようにしました。自分にとっては100か0です。
9.QOLを求めて治療を選択する。苦しい治療をして結果が日常生活も大変になる、あるいは死に至る、ということなどの例もあります。その一方、成功例もあります。やってみなければわからない、というのがこの治療の現状ではないでしょうか。悪い結果がわかっているのにやるのならQOLを下げる、といえるでしょうが、わからないのが選択に迷う所です。本当に困った選択です。でもいつかは決めないといけません。待てるのなら日を伸ばして検討後に決める、のもあるかもしれません。
10.なぜ明暗が分かれるのか?それはいろんな要素があるでしょう。正確にはわかりません、というのが現状でしょう。わかれば医師も患者も苦労しません。そこが悩むところです。でも、選択しないといけないのです。もし、私が再再発したらもう一度移植を受けるか、といったら「する」とは即答できません。
私は気持ちが大切、前向きが大切とはあまり全面的には主張する気持ちはありません。もちろん私はそのような気持ちで選択しました。同じ患者さんで私より前向きな患者さんいました。でも結果はみんな違うのです。「運」というと、軽く思われるかもしれませんが、そうした要素もあるように思っています。
11.一緒に移植した患者で、当時高校生ですが、1年後に再再発して二度目の移植をした女の子がいます。急性白血病です。外来で偶然知ったときのお母さんの失望する姿は辛かったです。無菌室にもお見舞いに行きましたが、「がんばれ」とはいえませんでした。「応援しているよ」というメッセージは伝えました。一年後の1月、外来のとき偶然に母子にあって、みごと復活してこの4月から大学生になるんだ、という話を聞いたときは、思わず肩に手をやって喜びを示しました。本当にうれしかったです。彼女は2回ともバンクからのドナーさんでした。彼女の頑張りには頭が下がりました。もし私なら出来るだろうか・・・そう思いますが、その時になれば、情報を集めて判断して決める事になるのでしょう。
最後に・・・質問、疑問点ありましたら、いつでもお問い合わせください。
お知り合いの患者さんがベストの選択ができ、治療が奏功することを願っています。
2010年02月07日 (日) 18時08分 No.684
あrいがとうございます - とん
シャバコさん
早速大変詳しいお話をありがとうございます。ほんとに..いっぱい書いていただきました。
運...というのは、たしかにひとつありますよね。
フルマッチのドナーさんが見つかる..というのは、大きな運のひとつですし。
私は、自分がマントルだとわかったとき、「なんて不運なんだ〜」って思いました。
せめて、びまん性なんかであったら..と。
入院している時に同室になった方で、びまん性の方がいらっしゃいました。
1クールですでにほとんど寛解したとかって話だったのですが、治療中にすでに再発してしまい
自家移植を2回したけれどダメで、娘さんからいただく移植をするとおっしゃってました。
その後は..実はこわくて、連絡をできていないんです。
マントルでも私はその後も寛解を維持していて..私は運があったんでしょうね。
ところで、CVのトラブル、私もありました〜
8回挿入したので、だんだん入れやすいところに入れられなくなってくるんですよね。
で、肩近くに入れたときに、気胸になってしまいました(><)
それで、胸にゴリゴリ穴をあけられて、それから4日間(たまたま連休で^^;)胸にクダがつきささったまんま...痛くて頭も体が動かせなくて
それが元でひどい緊張型頭痛になり、以後ずっと苦しむことになってしまいました。
(この頭痛は枕を変えて解決したのですが..)
そんなことで、とおおってもCV挿入、コワイんです〜
最近はポートを埋め込みにする病院もありますよね。
切開しないといけないのと、出すときがちょっとやっかいみたいですが、今度はあっちにしてほしい〜(今度...って^^;)
若いひとのこういう病気は、見ていてほんとに切なくなりますね。
治療で同じ時間を費やすのも、やっぱり若いときの数年って、とても貴重ですもんね。
でも、無事治ったときのよろこびもひとしおだと思いますし、その経験を今後の人生に生かすのも、若い人ならではだなあと感心もします。
私が知っている白血病の男の子は教師になると言ってました。
きっといい先生になるだろうなと信じています。
教えていただいた内容、先方に伝えさせていただきます。
きっとまた質問が出てくるような気が...
申し訳ありませんが、またよろしくお願いしますm(__)m
2010年02月07日 (日) 20時03分 No.686
応援しかできませんがm(__)m - うっし
私も自家移植は経験していても、同種(ミニを含めて)は経験していないので、なんとお答えしていいか判りません。m(__)m
リンパ腫治療の一番の欠点と言えば、これをすれば必ず治ると言う事が判らない点です。
同じ病名、同年齢、同性の患者が同じ治療をしても同様に治ると言えないとこが、この病にあるところですね。
ご友人の息子さんの場合、選択肢が複数あることが悩みの原因ですね。
寛解に至っていなければ、移植に大きく決断を迫られていると思います。
1つ言える事は、自分で納得して決断を下す事でしょう。
私はこの病に罹って、若干人に対する思いやりが増えた事が良い事かな(^^ゞ
全ての患者さんが寛解する事を願って!!応援しています!2010年02月07日 (日) 21時24分 No.687
- すー
こんばんは。
私は52歳でミニ移植でした。全身放射線の話もありましたが、初発の治療の放射線療法で膀胱が肥厚していて、これ以上膀胱にはあてられないとの診断でした。
骨髄を壊すために移植前に、抗癌剤の投与での吐き気と倦怠感が辛かったでです。
シャハコさんは便秘で大変だったそうですが、私は下痢でした。退院するまでありました。退院後もよく下痢をします。
口内炎は全く出来ませんでしたが、吐き気と口腔内の苦い感じと言うか舌が白くなり、食事がおいしくなく点滴に頼る毎日でした。
私もサイドメガロウィルスに感染して熱が出ました。入院中に熱が出たのはこの時だけでした。
退院後もGVHDが出ず経過しています。
帯状疱疹も心配しましたが、罹患しませんでした。
1年後に仕事に復帰しましたが、その後は月に1度程度突然40度近くの発熱がありました。ここ2ヶ月は熱は出ていません。主治医は「こどもの時のような、いわゆる知恵熱の様なものです」と言われてました。
移植で私が辛かったことは、移植に踏み切るまででした。
移植が身近になかった事と移植も考えてと初めて説明を受けた内容が、「うまくいくのが30%身体障害となる事もある。」と聞いて・・・そのときは寛解していたので、このままでも・・と言う思いと子供も成人したし、これで最後でもいいと言う思いと、自家移植の時がとても辛かっので、もうあんな辛い思いはしたくない。
と思ったから 身体障害になったら家族に負担をかけてしまうのでイヤだ!と強く思っていました。
移植後の不安が強かったんです。
結局 グズグズと思っている間にドナーさんが承諾をしてくださり、家族・兄弟にあとおしされるかたちで移植になりました。
ほんとに情けない状況でした。
移植の為の準備が始まってから、私の気持ちも落ち着き「きっと良くなる」「私は運がいいんだから」と何故か変な自信があったように思います。
決断をするのは、大変悩むし、どちらを選んでも辛いのではないかとなかなか前に進めなかったです。
私は移植した方を1人しかしりません。その方は白血病の方で、順調に経過されていましたが移植8ヶ月くらいの時に肺がGVHDとなり、酸素を持っての生活になっています。
主治医は「GVHDはいつなるか分からない、いつ喧嘩を始めるか分からない」と言います。
とんさんのお知り合いの方は、まだお若いので ご本人もご家族も辛いですね。
どちらを選択しても、正解ってないかもしれません。ず〜と先にならないと分からないものなのかもしれませんが、決めたら信じる事ですかね。
だらだらと思いだしながら書きました。すみません
お知り合いの方のお気持ちが落ち着かれ、治療が奏効されることを願っています。
2010年02月08日 (月) 22時31分 No.688
ありがとうございます - とん
うっしさん、すーさん、本当にどうもありがとうございます。
うっしさん、私は基本すごーく自己中心な人間なのですが、こんな私でもほんの少し、人の痛みを自分の痛みと感じる人間になりました。
たとえば、もう少し楽な治療だったら、そんなふうに人生観に影響をおよぼすことがなかったかな..と考えると
まあ、この病気もよかったかな..と思うことがあります。まあ、そんなことが言えるのも
今なんとか寛解を維持できているから..ということなのでしょうけれど。
すーさん、大変詳しい書き込みをありがとうございます。
たしかに、決めてしまうまでがすごく苦しいでしょうね。
正解がわからないですもんね。ちょっとくらいしんどい治療でも、そちらのほうが確実にいいとわかっていれば
まだ選びやすいのでしょうけれど。
ところで、すみません。もう少しお聞きしたいのですが...
すーさんは再発でミニ移植をされたのですよね。
初発で自家移植を受けられたのでしょうか。
たしかに、抗がん剤だけで考えると、自家移植はけっこうきついというのは聞きますね。
でも..うっしさんはけっこう食欲があったとか...^^; うっしさんだからかな?^^;
そして、ミニ移植のドナーさんとは、HLAはフルマッチだったのでしょうか?
いろいろお聞きしてしまってすみません...
何しろ、ほんとに何もわかっていないもので、みなさんにたよってしまって申し訳ないですm(__)m2010年02月08日 (月) 22時49分 No.689
12日定期検診ですので - うっし
忘れていました定期健診(^^ゞ
今月12日定期健診ですので、主治医に聞ける範囲で確認してきたいと思います。
患者本人ではないので、確実とは言えないでしょうが、参考意見となればと思います。
医師達にも様々な意見が、ある思われますので。
2010年02月08日 (月) 23時42分 No.690
- カエル
ミニ移植の経験者として、自分の事を書かねばと思いながら、私自信移植を
決めるまで相当悩みました。 予後不良が移植の文字が、いつも心にありました。
化学治療が、始まると同時に移植の話があり???・・・・。
病院の治療方針があるのか、寛解したら移植へ。という流れでした。最初抵抗して
いた私でしたが、治療が進むにつれ、担当の先生方と何度も話し合い、お互い信頼
関係を築く事が出来て、ミニ移植を決めました。
移植は、結構厳しいものでした。GVHDもシャバコさんより、強くでました。
放射線もあび、喉の痛みは、唾を飲むのも辛く、湿疹もかなりのものでした。
吐き気もありました。熱は、でなかったので、毎日シャワーをして、気分転換して
ました。クリーンルームは、4人部屋でした。
移植中、急変して、残念な結果に終わった人が何人もいました。
移植は、私にとって未知の世界でした。どんなに辛くても耐えて、普通生活を
取り戻すと強く願っていました。
移植の結果は、誰にも予測でませんし、移植中何が起こるかは、分かりません。
でも異常が、あればすぐに担当医が対応してくれました。
運もあるような気がします。移植は、シャバコさんのいう通り100か0です。
患者が、先生と良く話し合い、納得して選択していくものと考えます。
蛇足ですが、移植しないで、化学療法だけで寛解を維持できるようになればと
願っています。移植を選択するまでの迷いは、家族も含め大変なもので、移植中は、患者以上に家族が精神的に疲弊します。
現在、私の仲間で、斎帯血移植で3人が5年生存しています。
とんさんの質問に、充分な回答が、出来なくてすいません。
2010年02月09日 (火) 21時32分 No.691
- すー
とんさん
私が自家移植したのは、初発の時です。
「再発する可能性が高いので自家移植を考えた治療が必要」と言われ、化学療法を2クールした時点で、幹細胞の採取をしました。
その後8クールまで化学療法を行い、放射線療法の後 自家移植をしました。半年間の入院でした。
その後6年間 寛解でしたが、脾臓 扁桃腺と再発したので同種移植となりました。
私はO型でしたがドナーさんは女性でA型はでした。HLAはフルマッチでした。
移植後に、主治医がC座も同じだったと言われました。
骨髄バンクでもC座も加える方向に行くと確かネットか何かで見たように思います(不確かな情報ですみません)
白血病の中にも 薬の開発により移植を必要としなくなった白血病もあるとの事、患者にとって100か0かの移植を必要としないですむ治療の開発を望みます。
私は 不安でたまらない時にこのサイトに出会って、移植されて元気になっている方がいるんだと思いました。
同じマントルの方が前向きに病気治療に向き合っている事を知り 心の落ち着きを感じました。
今 こうして 情報の交換が出来ることを とても嬉しく思っています。
質問の回答になったでしょうか
疑問点があれば また聞いてください。2010年02月09日 (火) 22時49分 No.692
- カエル
大事な事を書きませんでした。
移植は、骨髄バンクからでした。幸い適合者が多く、最初の人が最終合意できませんでしたが、次の人がすぐに合意になり、予定通り寛解から2ヶ月で移植できました。フルマッチでした。若い20代の女性で、結婚前にもかかわらず、提供していただきました。
仲間の斎帯血の人もフルマッチでした。 病気は、4人共違います。私も含め厳しい中での移植でしたが、言葉では、表わせない力に支えられ、現在は、元気にしています。
ミスマッチ移植の人もいましたが、最終的に3座でも移植に挑むしか道はなかった人。でそれは、凄まじいGVHDでした。
その姿は、最後まで生きる力を失っていませんでした。
移植の現実は、良い結果ばかりでは、ありませんが、迷い苦しみながらも、自分で納得して、挑むものであり、中途半端な気持ちでするなら、良い結果は、得られないから止めましょう。と強く言われた医師がいました。
参考になる事があれば、また投稿します。
2010年02月10日 (水) 10時36分 No.693
ありがとうございます - とん
カエルさん、お久しぶりです。
書き込み、ほんとうにありがとうございます。
カエルさんは、いつも明るく、前向きでらっしゃいますが、弱音を吐かれないだけで、やっぱり大変だったのですね。
3座で移植されたのもすごいですね。バンクからですか?
でも、残念ながら力つきられたのでしょうか。
たしかに、中途半端な気持ちで挑むものではないですね。
大変なことも理解したうえでのぞまなければ、こんなはずでは..ということで、逆に途中で心が折れてしまうかも..ですね。
すーさん、またまたありがとうございます。
HLA、フルマッチだったのですね。C座も。
今度移植す骨髄性白血病の友人は、C座が違うと言ってました。
医学がすすむと、どんどんいろんなことがわかってきますね。
ほんとに、もっといろんな方法が出てきてほしいですね。
私も、再発したときには、同種を考えるだろうなと思ってきました。
ただ、ゼヴァリンが承認されたおかげで、その前の選択肢がひとつ増え、ありがたいことです。
ただ、まだまだ実際に使われたかたの情報が入ってきていないので、未知数な部分はありますが...
でも、とにかく、今日をしぶとく生きておくことですよね。
今日を生きておけば、明日、新しい薬ができるかもしれないですもんね。
うっしさん、いつもすみません。ありがとうございます。
12日受診ですか。5年たったいま、どれくらいの頻度で受診されていますか?
みなさま、ほんとうにありがとうございます。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。2010年02月10日 (水) 11時07分 No.694
間違えちゃった (^^ゞ - うっし
定期健診26日の間違いでした。ごめんなさい m(__)m
2010年02月14日 (日) 21時22分 No.695