[57] 恥ずかしながら恋愛モノ
投稿者:しぇげな
投稿日:2002年09月26日 (木) 17時46分
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すっかりイイ歳になってしまった男の恋愛モノ
「自分みたいな頼りない男が人を好きになっていいのか?」と常に疑問に思っている主人公。自分に自信が持てず、恋愛に臆病になっていてそれを避けるようにまでなっている。気付けばすっかりとイイ歳になっている。
ある日、密かにイイなと思っていた年下の女性から恋を告白される。嬉しいのは事実なのだが、それ以上に恋愛に対する不安の方が大きいのもまた事実であった。しかし断ることさえも出来ず、交際を始めることとなる。恋をしないようにという努力を続けてきたため、相手と真っ直ぐに向かい合うことができずに悩む主人公。
こんな状況なのでお互いギクシャクし、年上でしかも男であるという(誤解した)プライドが本意とは違う行動に走らせたりして失敗を重ねる。また良かれと思うことが裏目にでたり、時には誤解から喧嘩をしたりする。すれ違いそうになる二人。自分をもどかしく思い、苛立つ主人公。
しかし、そんな主人公を軽蔑したりせずに、一生懸命にしっかりと向き合おうとする女性。失敗やすれ違い、心配事、不安などを責めるのではなく、自分自身に自信を持てない主人公に苛立ち、もっと自信を持てと叱る。しかもお互い対等な関係での発言であり、自分の変なプライドの愚かさに気付かされる主人公。そんな彼女の心に触れ、次第に自然と心を開いていけるようになり、同時に少しずつ自信も持ち始める主人公。二人の距離が少しずつだが縮まりだした。
数年後、違う女性と結婚をし、家庭を築いている主人公。幸せな生活を送っている。ある日、街でバッタリと昔の彼女と出会う。彼女も充実した生活を送っているようで、昔と変わらずに元気そうだ。何気ない会話をする二人。お互い予定が入っているためゆっくりと話している時間は無い。連絡先も聞かずに、「それじゃあ」と別れる二人。もう逢うことは無いかもしれない。
・・・・・・ってなことを主軸に、周囲の友達、先輩、後輩、また他のエピソードなどを絡めた青春群像劇などいかがでしょうか。実はコレ、中村雅俊主演の「俺たちの旅」の再放送を見ていて、そのエンディングの歌の、 ”また逢う約束など することもなく それじゃまたなと 別れる時の お前がいい” という歌にインスパイアされた部分もあったりします。以前にとろぴかるが恋愛(青春)モノを提案していましたが、恥ずかしがらずにTZCでもこのジャンルに挑んでみませう。
■[58] サイドストーリー とろぴかる(2002年09月26日 (木) 17時47分)
マックから一回入力したのですがどうもうまくアップロードされなかったようです。
主人公達をとりまく群像、というとこですが主人公の先輩で、バンドをやるために脱サラした人がいて、主人公はそのバンドの初公演の手伝いをするのだけど、先輩の周囲にいるイイ歳して正業についたことのない連中の、独善的、妙に悟ったような口のききかたに反発する、なんてネタを平行させるのはどうでしょう。
また、主人公とヒロインに年齢差があるのであれば、主人公はバブル就職組で「なんとなく」大企業に就職し閉塞感を感じている一方、ヒロインはバブル崩壊後就職に苦労したけど、それゆえ自分のやりたいことをちゃんと見つけてかえって活き活きしている、という状態がなおさら主人公をぎこちなくする、なんてのもどうでしょう。
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■[59] 人間なんて、ララ〜ラ〜ララララ〜ラ♪ しぇげな(2002年09月26日 (木) 17時47分)
脱サラした先輩は、周りにいるしょうもない連中にウンザリしながらも流されないように頑張っているとかね。 あと、正業についている奴なんだけど、仕事もろくに出来ないくせに一流企業の社員である(もちろんバブル入社)ことを自分が偉いことと勘違いしている奴とか、その仕事のステータスを強調する(もちろん当人は力を発揮出来ていない)だけの見栄っ張りなんかも登場させて、結局自分を見失わないで生きていくことの大切さを学ぶなんてぇのも、人としての成長がテーマのこのネタにはいいかもしれない。
とろぴかるが書いた案にも共通するのですが、年上・年下とかの変な見栄(年上の方が偉いとか)、世間的なレッテルによる勘違い、ちゃんとした人間って本当はどういうことなのか、結局生きていく上で本当に大切なものは何なのか、なんてぇのを押しつけがましくなく、その答えを明示するでもなく、観た人が考えるような流れもイイかもね。
バブル入社(好きでそうしたワケじゃないが)の我々も、この様なストーリーを考えるようになったかと思うと、時の流れを実感しますな。
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■[60] さすらいのプログラマー びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時48分)
そういえば10年ほど前に、外注さんで「さすらいのプログラマー」と呼ばれている人がいました。何でも普段はバンド活動をやっているのですが、金が無くなるとソフトウエアハウスに登録してプログラマーをやり、金が貯まるとまたバンド活動に戻るという生活を送っていたそうです。また、5年前に一緒に仕事をした外注さんは、元は大手コンピュータ会社に勤めていたのですが、やはりバンド活動をやるために小さなソフトウエアハウスに転職しました(開発の忙しい盛りも月曜は必ずバンド活動のため休んだので困ったこともあったが、他のフルタイムのヘボプログラマーよりずっと腕は良かったし、仕事への責任感もあった)。こうした人物を登場させて話に膨らみを持たせるのも良いかもね。 あとは同じ脱サラ組でもITバブルに乗って会社を興して高級外車を乗り回しているやつを登場させるとか…ってこれは「明日があるさ」CMの清水圭のパクリだわな。
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■[61] そうそう とろぴかる(2002年09月26日 (木) 17時49分)
しぇげなの「一流企業の社員」、びっぐの「ITバブルに乗って…」といった脇役は私も同様のキャラを考えましたが、あんまり登場人物を多くすると主人公とヒロイン中心のストーリーがごちゃごちゃしてくるかな、と思います。こうした人々を登場させるとすれば、こうした「成功者」(括弧つきであることに留意!)はヒロインにちょっかいを出しているライバル的存在、といった形でかかわりをもたせた方がいいのかな、という気もします。ただ、あんまりそういう対立図式を盛り込むと柴門ふみの漫画みたいになる危険性もあるけど。
「さすらいのプログラマー」には羨望を覚えます。それって私生活が充実してるから仕事もできるのかもね。「家族を養うため」とかいう動機(制約)でないのがイイですね。
泉昌之ファンとしては、同じくバンド先輩の手伝いをしている、妙にダンドリの良い主人公の後輩(「弁当は開演1時間前に届くようにするのがコツ。消化しないでステージに上がると声が出ないからね」とか言わせてみたい)や、鍋物を皆で食べているときに一人妙に肉の争奪に熱くなっているトレンチコートの友人を等を瞬間的に出したいですね。ヒロインが「NYにダンスの勉強に行きたい」と言ったら主人公は「NYの地下鉄は鬼が運転してんだぜ」と言ったり、餞別に赤いきつねを大量に持たすとか。これじゃ泉昌之へのオマージュ作品か。
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■[62] いっそのこと びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時49分)
そうした脇役の活躍を主眼に置いた映画を別に作るというのも一つの手かもね(泉宣之のアパートメントストーリーのように、本編の恋愛映画の裏エピソードみたいな感じにする)。あとはベッソンのサブウエイのように、多少長めになるのを覚悟して恋愛の主軸と人物模様の描写の二兎を追うとか。あるいは、割り切って、群像劇映画、もしくはオムニバス映画にしてしまうという手もありますね(「グランドホテル」や70年代パニック映画やアーサー・ヘイリーの小説など、群像劇は米国の得意とするところですな。一方、「チューブテイルズ」や「ボッカチオ70」など、オムニバス映画は欧州が主流といえるかな。考えてみれば泉のアパート話もオムニバスか)。 あと考えられる脇役は ・手っ取り早く金を稼ぐため、自分たちの音作りにこだわるバンドに見切りを付け、アイドル歌手のバックバンドに行ってしまう男(女でもよいが) ・大手企業に勤めていると安心していたら、ある朝新聞で自分の会社の倒産に気付く男(もしくは女)
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■[63] 脇役エピソード案その2 びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時50分)
・MBA留学を目指し、OL生活の傍ら、留学費稼ぎのため夜は銀座のバーで働く女性。たまたまそこに来た男性が東大教授であることを知り、猛アタックをかけて、一晩付き合う代わりに入学申請に必要な推薦状を書いてもらう。その甲斐あってめでたくUCLAに合格し、カリフォルニアへと旅立つ。 ・英国人と米国人の二股をかけていた女性。表参道で米国人の方とデート中にプロポーズされ、ほぼ決心を固めかけていたところ、偶然にも横断歩道の反対側から英国人の方が歩いてくる。しばしの押し問答の後、そのまま英国人とのデートに切り替える。1ヶ月後、結局英国人と神主を営む実家の神社で式を挙げる。 …多分読んで気が付いたと思いますが、いずれも私の周りで実際にあった話を元にしています。ので、実際に映画化したらちょっと差し障りがあるやもしれぬ。(何か2番目のエピソードは、とろぴかるの初出2001/12/26案[本掲示板12/30付No.26]のラストシーンに少し似ている気もしますが)
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■[64] 脇キャラ しぇげな(2002年09月26日 (木) 17時51分)
なんか”青春群像劇”というキーワードを用いたら、色々なキャラが出てきて嬉しい限りです。確かにこれらを一本の映画にまとめるのは無理かもしれないけれども、連続TVドラマでもいいし、そもそもブレインストーム的なこの掲示板の趣旨を考えると良い方向への発展なのでは。
おいらが考えた脇役<恋愛編> ・いつも青春恋愛系雑誌(昔で言うPOPEYEとかHOT DOGとか)を熱心に読んでいて、その手の”女の子の口説き方”とか”デートマニュアル”の知識は豊富だがそれを活かせたためしが無い(当たり前だ!)マニュアル君。その豊富な(?)知識のせいか主人公に恋愛のアドバイスをするのだが、それをいつも聞き流す主人公。前向きなんだか何だか分からない男の友達として、多少コミカルに演じさせてみると面白いかも。
・主人公と同い年、もしくは多少年上のレズの女性。主人公の恋愛の相談にのり、女心についてとか、女性の喜ぶ事についてなどの的確なアドバイスを送る(前出のマニュアル君と対比させる)。初めのうちはレズということはわからないのだが、ある時それがわかる。 主:「いや〜、○○さんの話しはいつも為になるな〜。相当の恋愛の達人と見た」 女:「そうでもないのよねぇ。恋愛となるとこれがなかなか難しいんだ」 主:「そんな謙遜しちゃってぇ。いったい今までに何人の男を手玉にとってきたんスか?」 女:「そんな男一人もいないわよ」 主:「またまたぁ〜」 そう言って酒を飲む主人公。 女:「だって私レズだもん」 グラスを口にあてたまま固まる主人公。 ・・・・・・なんてシーンはどうでせう。
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■[65] 脇役エピソードその3 びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時52分)
レズと聞いて思い出したエピソード。前にベルリッツに通っている時に元警官の豪州人の教師に聞いた話ですが、彼の地の女性警官にはレズが多いそうです。んでもって新人の女性警官が入ってくると、当然同僚の男性がアタックをかけたりするのですが、先輩女性警官が「あいつには近付かない方が良いわよ」とか言って自分たちのグループに引き込もうとするそうです。うぶな新人女性は、先輩女性の下心にも気付かず、その言葉を鵜呑みにしてしまうのだ…と彼は憤慨しておりました。しぇげなの善玉(?)レズのほかに、こういう悪玉レズを登場してきて主人公を混乱させる…という、以上、無理矢理みたいな思い付きでした。 何かこのところの私の投稿は身辺雑記みたいになっておりますが、身辺雑記ついでにもう一人身近にいたキャラのエピソード。 ・中・高・大学まで一貫してエリートコースを歩み、自分は気に入らないことはしなくて良いのだ、という子供じみた錯覚からいい歳になっても抜け出せない男。大学院の博士過程まで進むが、学問への興味を失い、中退して就職する。しかし会社に入っても、自分の気に入った仕事しかせず、それも興味を失うと放り出すというスタンスを続け、主人公をはじめとして周囲に迷惑をかける。取りあえず頭脳は優秀で、手掛けている間の仕事はきちんとこなすので評価する上司もいたが、やがて破局が訪れ、想いを寄せた同僚女性振られたのをきっかけに、出社拒否、引きこもりに陥ってしまう。
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■[66] オムニバスであれば とろぴかる(2002年09月26日 (木) 17時52分)
大友克広の「さよならにっぽん」のような連作形式で、各話それぞれにおいて、主人公達の話の重要な局面に脇役が関わる中でその脇役のキャラクターが掘り下げられる、といった形のが良いかも知れない。
最後の話は脇役が全員登場する場(最初に書いた「先輩」のバンドの打ち上げでも良い)を舞台にするってのはどうでしょう。そこで盛り上がって、周囲は主人公達二人を応援するのだけど、二人は敢えてそれに流されず、自分達の意志で別れる事を決意する…というちと逆説的な展開にするのはどうでしょう。主人公にとって、この恋は自己発見につながったけど、自己発見の結果、求めているものが異なることに気づいた、てな感じで。これはこれで「ハッピーエンド」にならないかな。
音楽に関するアイディアですが、サウンドトラックとしてではなく、音楽が各場面でラジオなりCDプレーヤーなりでかかっているという形式にして、他の街の音と一体化させる、てのはどうでしょう。かかる曲はもちろん1980年代後半の洋楽と邦楽。
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■[67] 夏の別れ びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時53分)
というオフコース最後のシングル曲がありますが、とろぴかるの設定したシチュエーションを読んでまさにその曲の世界かな、と思いました。「二つの人生が/重なり合って/でもここからは別々の道/想い出は想い出として」…といったところですかな。あるいは「話し掛けても良いよね/もう逢えないから/こうしてここから後は/二人離れて行くだけ」てな感じかな。エンディングテーマの一つの候補になるかと思いましたです(尤もオフコースは皆さんの趣味ではないか…。それに、この曲には男女の別れの情景というほかに、小田のオフコース解散への想いという意味も込められていたりする)
オムニバスといや、以前うまなり君でもそんな感じのオムニバスの連作ミニドラマをやっとったな。あちらは皆が最後は競馬場に辿り着くという構成でしたが。
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■[68] 膨らんできましたね しぇげな(2002年09月26日 (木) 17時54分)
それぞれのキャラのエピソードが”平行して別々に進行”して、そして最後に同じ場所に辿り着くというのはどうでしょう。「200本のたばこ」や「トラフィック」のような手法ですね(「200本〜」の方が群像劇としては近いかも)。
最後に別れるというのはおいらが最初に提案したのもあり賛成ですね。自分なりのこのネタのテーマは、「自己発見」であり「新たな出発」であるので、二人の別れとはいえそれは十分な”ハッピーエンド”なのではないでしょうか。やはりこのネタは最後はハッピーエンドしかないでしょう。だよね? (アメリカンニューシネマみたいに、最後のコンサートに学生運動から過激派にいってしまった旧友がテロをしかけていてそれは未遂に終わるのだが、乗り込んだ警察とのもみ合いの中でヒロインが流れ弾に当たって命を落としてしまい、主人公が「なんでこうなるんだ〜!」と騒乱の中で叫んで突然終わってしまうっていうのもあるのですが、・・・古いよね?ポトッ。)
>かかる曲はもちろん1980年代後半の洋楽と邦楽 これは泣けますね。「クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲」でも、もうちっと時代的には古くなるのですが、街に流れる曲とかで使用されていて涙腺を刺激されました。びっぐも書いているように、各々に”これはっ!”という曲があると思われるので、こちらのセレクトも色々な意見がありそうですね。
我々の今までの歩みから考えると、最後にみんなが辿り着くのは”コンサート会場”か”映画館”(友人の映画監督デビューの試写会とかね)あたりですかね。
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■[69] トラフィック とろぴかる(2002年09月26日 (木) 17時55分)
のような構成、は良いアイディアだと思います。ここのところの展開を見ると、当初の恋愛ものを軸にその周りの人間模様を描く、というよりは、バブル期に、「周囲の用意した型にはまった」社会人生活を始めた人達が、その型からそれぞれ自分なりの形で逸脱していく姿を同時進行的に、時には交差させつつ描くほうが良いのかな、と思いはじめたところでしたので、「トラフィック」というのは構成面での良いモデルになると思います。バッハの音楽のような「対位法的(主旋律と伴奏ではなく、複数の性格の異なる旋律が同時に進行しつつも曲としての一体感が成立する)」な構成、と言っても良いかもしれません。
ここまでのアイディアの中で、私が「旋律」として使ってみたいのは、
1.オリジナルの「恋愛モノ」
自己発見を通じた『救い』(神のような絶対存在の設定した基準に適うことにより安息を得られるのでなく、自分が自分として生きている、という実感を得られる、という意味)というのを全体に流れる通奏低音(コード進行ですな)とすると、これはそのコードを恋愛を描くために旋律化したものと位置付けられます。
2.「レズの先輩」
これはさしずめ上の「男女間の恋愛」をメジャー旋律とすると、それを半音階ずらした形で表現したものになるでしょう。この先輩、仕事を通じて社会的に成功しているけど(海外留学などしていても良いかも)、それは同性愛者であるがゆえに受ける批判から自分を守るためのバリヤであって、本人もそれを自覚しているが故に自己嫌悪に陥る…といった展開なのかもしれません。するとしぇげなのアイディアにあった1.の主人公への「私レズだもの」という発言は自嘲的なニュアンスものになるのかな。
3.バンドの先輩
この人の存在が全体をまとめるのかな、と思います。(最後をコンサートの会場にするのは、オルガン曲で最後に全部のパートがユニゾンでテーマを演奏するようなもの)初めの方で私の書いた「音楽オタク」への反発、びっぐの書いた「アイドルのバック演奏に走ったやつ」といったエピソードを絡ませるんでしょうか。もう一つ、これは前述した大友の「さよならにっぽん」の中の一作品で、黒人のジャズバンドがアイドル志願のぱっとしない女の子のバックバンドを勤める、というものに触発されたのですが、この「先輩」がアイドルグループを首になった歌は上手いけどルックスのぱっとしない女の子と出会い、その娘と一緒に自分のやりたい音楽を作っていく、というのも如何なもんかな、と思います。
4.エリート君
これは「トラフィック」でいうとマイケル=ダグラスの演じた検事かな。さっさと脱サラしてITベンチャーで儲けたけど、会社を公開した後に大手の企業と特許権の侵害問題で揉めて、その過程でそれまでちやほやしてくれていた人々がだんだん離れて行く、また結婚生活もだんだん崩壊していく、といった状況に直面する中で1、2、3のキャラクターと話が交錯し、最後は会社を清算して一から再出発する、という展開なんてのはどうでしょう。(ちと類型的かな)
てな訳ですが、これは決してまとめに入っているわけではなく、全体の構成に関するアイディアの一つとして出しているまでです。1ー4個別のエピソードがまだいまいち(というかオリジナリティなし)だし。「トラフィック」のラストシーン、ベニシオ=デル=トロが子供の野球の試合を観戦しているようなシーンが作り出せると良いのですが…。
ーレズの先輩
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■[70] ひととして びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時56分)
という曲も、ちなみに別れをわりと前向きに描いた曲です(こちらはオフコースから鈴木康博が独立するときの曲)。「出逢いは風のようで/別れは雨のようで/すべてのことあるままに/流れていくもの/昨日は愛を歌い/明日涙を歌う/誰も同じところへ/留まることはない/今僕らはここに/立ち止まれないんだ/もう何も言わないであなたを忘れない/さあもう僕らはゆくよ」「ひととして生まれ来て/ひととして哀しんで/ひととして愛し合い/それぞれの道へ」「何処かでいつかは会えるかもしれない/止めないで誰にでも別れは辛いから/さあもう僕らはゆくよ」「何処かでいつかは会えるかもしれない/もう何もきかないでためらう心消えた/もう何も言わないであなたを忘れない/さあもう僕らはゆくよ」 …一部引用するつもりが結局全部引用してしまった。 あと、昔あらすじを読んだ映画で(実物は観ていないし、タイトルやスタッフなどの情報も覚えていない)、最後に主人公同士は結婚するのだが、結婚式の後でそれぞれの道に旅立つ、というのもありました。 「トラフィック」は観ていないのですが、クロード・ルルーシュの「愛と哀しみのボレロ」も複数の主人公を並行して描き(カラヤンやニジンスキーをそれらの主人公のモデルにしている。また数十年に渡る物語なので、同じ俳優が親と娘を演じたりしている)、エンディングでは、主人公の一人が演じるボレロの舞台を他の主人公がTVや劇場で見守る…という構成になっていました。
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