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TZC掲示板

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[57] 恥ずかしながら恋愛モノ 投稿者:しぇげな 投稿日:2002年09月26日 (木) 17時46分
すっかりイイ歳になってしまった男の恋愛モノ

「自分みたいな頼りない男が人を好きになっていいのか?」と常に疑問に思っている主人公。自分に自信が持てず、恋愛に臆病になっていてそれを避けるようにまでなっている。気付けばすっかりとイイ歳になっている。

ある日、密かにイイなと思っていた年下の女性から恋を告白される。嬉しいのは事実なのだが、それ以上に恋愛に対する不安の方が大きいのもまた事実であった。しかし断ることさえも出来ず、交際を始めることとなる。恋をしないようにという努力を続けてきたため、相手と真っ直ぐに向かい合うことができずに悩む主人公。

こんな状況なのでお互いギクシャクし、年上でしかも男であるという(誤解した)プライドが本意とは違う行動に走らせたりして失敗を重ねる。また良かれと思うことが裏目にでたり、時には誤解から喧嘩をしたりする。すれ違いそうになる二人。自分をもどかしく思い、苛立つ主人公。

しかし、そんな主人公を軽蔑したりせずに、一生懸命にしっかりと向き合おうとする女性。失敗やすれ違い、心配事、不安などを責めるのではなく、自分自身に自信を持てない主人公に苛立ち、もっと自信を持てと叱る。しかもお互い対等な関係での発言であり、自分の変なプライドの愚かさに気付かされる主人公。そんな彼女の心に触れ、次第に自然と心を開いていけるようになり、同時に少しずつ自信も持ち始める主人公。二人の距離が少しずつだが縮まりだした。

数年後、違う女性と結婚をし、家庭を築いている主人公。幸せな生活を送っている。ある日、街でバッタリと昔の彼女と出会う。彼女も充実した生活を送っているようで、昔と変わらずに元気そうだ。何気ない会話をする二人。お互い予定が入っているためゆっくりと話している時間は無い。連絡先も聞かずに、「それじゃあ」と別れる二人。もう逢うことは無いかもしれない。

・・・・・・ってなことを主軸に、周囲の友達、先輩、後輩、また他のエピソードなどを絡めた青春群像劇などいかがでしょうか。実はコレ、中村雅俊主演の「俺たちの旅」の再放送を見ていて、そのエンディングの歌の、
”また逢う約束など することもなく それじゃまたなと 別れる時の お前がいい”
という歌にインスパイアされた部分もあったりします。以前にとろぴかるが恋愛(青春)モノを提案していましたが、恥ずかしがらずにTZCでもこのジャンルに挑んでみませう。
■[58] サイドストーリー とろぴかる(2002年09月26日 (木) 17時47分)
マックから一回入力したのですがどうもうまくアップロードされなかったようです。

主人公達をとりまく群像、というとこですが主人公の先輩で、バンドをやるために脱サラした人がいて、主人公はそのバンドの初公演の手伝いをするのだけど、先輩の周囲にいるイイ歳して正業についたことのない連中の、独善的、妙に悟ったような口のききかたに反発する、なんてネタを平行させるのはどうでしょう。

また、主人公とヒロインに年齢差があるのであれば、主人公はバブル就職組で「なんとなく」大企業に就職し閉塞感を感じている一方、ヒロインはバブル崩壊後就職に苦労したけど、それゆえ自分のやりたいことをちゃんと見つけてかえって活き活きしている、という状態がなおさら主人公をぎこちなくする、なんてのもどうでしょう。
■[59] 人間なんて、ララ〜ラ〜ララララ〜ラ♪ しぇげな(2002年09月26日 (木) 17時47分)
脱サラした先輩は、周りにいるしょうもない連中にウンザリしながらも流されないように頑張っているとかね。
あと、正業についている奴なんだけど、仕事もろくに出来ないくせに一流企業の社員である(もちろんバブル入社)ことを自分が偉いことと勘違いしている奴とか、その仕事のステータスを強調する(もちろん当人は力を発揮出来ていない)だけの見栄っ張りなんかも登場させて、結局自分を見失わないで生きていくことの大切さを学ぶなんてぇのも、人としての成長がテーマのこのネタにはいいかもしれない。

とろぴかるが書いた案にも共通するのですが、年上・年下とかの変な見栄(年上の方が偉いとか)、世間的なレッテルによる勘違い、ちゃんとした人間って本当はどういうことなのか、結局生きていく上で本当に大切なものは何なのか、なんてぇのを押しつけがましくなく、その答えを明示するでもなく、観た人が考えるような流れもイイかもね。

バブル入社(好きでそうしたワケじゃないが)の我々も、この様なストーリーを考えるようになったかと思うと、時の流れを実感しますな。

■[60] さすらいのプログラマー びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時48分)
そういえば10年ほど前に、外注さんで「さすらいのプログラマー」と呼ばれている人がいました。何でも普段はバンド活動をやっているのですが、金が無くなるとソフトウエアハウスに登録してプログラマーをやり、金が貯まるとまたバンド活動に戻るという生活を送っていたそうです。また、5年前に一緒に仕事をした外注さんは、元は大手コンピュータ会社に勤めていたのですが、やはりバンド活動をやるために小さなソフトウエアハウスに転職しました(開発の忙しい盛りも月曜は必ずバンド活動のため休んだので困ったこともあったが、他のフルタイムのヘボプログラマーよりずっと腕は良かったし、仕事への責任感もあった)。こうした人物を登場させて話に膨らみを持たせるのも良いかもね。
あとは同じ脱サラ組でもITバブルに乗って会社を興して高級外車を乗り回しているやつを登場させるとか…ってこれは「明日があるさ」CMの清水圭のパクリだわな。

■[61] そうそう とろぴかる(2002年09月26日 (木) 17時49分)
しぇげなの「一流企業の社員」、びっぐの「ITバブルに乗って…」といった脇役は私も同様のキャラを考えましたが、あんまり登場人物を多くすると主人公とヒロイン中心のストーリーがごちゃごちゃしてくるかな、と思います。こうした人々を登場させるとすれば、こうした「成功者」(括弧つきであることに留意!)はヒロインにちょっかいを出しているライバル的存在、といった形でかかわりをもたせた方がいいのかな、という気もします。ただ、あんまりそういう対立図式を盛り込むと柴門ふみの漫画みたいになる危険性もあるけど。

「さすらいのプログラマー」には羨望を覚えます。それって私生活が充実してるから仕事もできるのかもね。「家族を養うため」とかいう動機(制約)でないのがイイですね。

泉昌之ファンとしては、同じくバンド先輩の手伝いをしている、妙にダンドリの良い主人公の後輩(「弁当は開演1時間前に届くようにするのがコツ。消化しないでステージに上がると声が出ないからね」とか言わせてみたい)や、鍋物を皆で食べているときに一人妙に肉の争奪に熱くなっているトレンチコートの友人を等を瞬間的に出したいですね。ヒロインが「NYにダンスの勉強に行きたい」と言ったら主人公は「NYの地下鉄は鬼が運転してんだぜ」と言ったり、餞別に赤いきつねを大量に持たすとか。これじゃ泉昌之へのオマージュ作品か。

■[62] いっそのこと びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時49分)
そうした脇役の活躍を主眼に置いた映画を別に作るというのも一つの手かもね(泉宣之のアパートメントストーリーのように、本編の恋愛映画の裏エピソードみたいな感じにする)。あとはベッソンのサブウエイのように、多少長めになるのを覚悟して恋愛の主軸と人物模様の描写の二兎を追うとか。あるいは、割り切って、群像劇映画、もしくはオムニバス映画にしてしまうという手もありますね(「グランドホテル」や70年代パニック映画やアーサー・ヘイリーの小説など、群像劇は米国の得意とするところですな。一方、「チューブテイルズ」や「ボッカチオ70」など、オムニバス映画は欧州が主流といえるかな。考えてみれば泉のアパート話もオムニバスか)。
あと考えられる脇役は
・手っ取り早く金を稼ぐため、自分たちの音作りにこだわるバンドに見切りを付け、アイドル歌手のバックバンドに行ってしまう男(女でもよいが)
・大手企業に勤めていると安心していたら、ある朝新聞で自分の会社の倒産に気付く男(もしくは女)

■[63] 脇役エピソード案その2 びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時50分)
・MBA留学を目指し、OL生活の傍ら、留学費稼ぎのため夜は銀座のバーで働く女性。たまたまそこに来た男性が東大教授であることを知り、猛アタックをかけて、一晩付き合う代わりに入学申請に必要な推薦状を書いてもらう。その甲斐あってめでたくUCLAに合格し、カリフォルニアへと旅立つ。
・英国人と米国人の二股をかけていた女性。表参道で米国人の方とデート中にプロポーズされ、ほぼ決心を固めかけていたところ、偶然にも横断歩道の反対側から英国人の方が歩いてくる。しばしの押し問答の後、そのまま英国人とのデートに切り替える。1ヶ月後、結局英国人と神主を営む実家の神社で式を挙げる。
…多分読んで気が付いたと思いますが、いずれも私の周りで実際にあった話を元にしています。ので、実際に映画化したらちょっと差し障りがあるやもしれぬ。(何か2番目のエピソードは、とろぴかるの初出2001/12/26案[本掲示板12/30付No.26]のラストシーンに少し似ている気もしますが)

■[64] 脇キャラ しぇげな(2002年09月26日 (木) 17時51分)
なんか”青春群像劇”というキーワードを用いたら、色々なキャラが出てきて嬉しい限りです。確かにこれらを一本の映画にまとめるのは無理かもしれないけれども、連続TVドラマでもいいし、そもそもブレインストーム的なこの掲示板の趣旨を考えると良い方向への発展なのでは。

おいらが考えた脇役<恋愛編>
・いつも青春恋愛系雑誌(昔で言うPOPEYEとかHOT DOGとか)を熱心に読んでいて、その手の”女の子の口説き方”とか”デートマニュアル”の知識は豊富だがそれを活かせたためしが無い(当たり前だ!)マニュアル君。その豊富な(?)知識のせいか主人公に恋愛のアドバイスをするのだが、それをいつも聞き流す主人公。前向きなんだか何だか分からない男の友達として、多少コミカルに演じさせてみると面白いかも。

・主人公と同い年、もしくは多少年上のレズの女性。主人公の恋愛の相談にのり、女心についてとか、女性の喜ぶ事についてなどの的確なアドバイスを送る(前出のマニュアル君と対比させる)。初めのうちはレズということはわからないのだが、ある時それがわかる。
主:「いや〜、○○さんの話しはいつも為になるな〜。相当の恋愛の達人と見た」
女:「そうでもないのよねぇ。恋愛となるとこれがなかなか難しいんだ」
主:「そんな謙遜しちゃってぇ。いったい今までに何人の男を手玉にとってきたんスか?」
女:「そんな男一人もいないわよ」
主:「またまたぁ〜」
そう言って酒を飲む主人公。
女:「だって私レズだもん」
グラスを口にあてたまま固まる主人公。
・・・・・・なんてシーンはどうでせう。

■[65] 脇役エピソードその3 びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時52分)
レズと聞いて思い出したエピソード。前にベルリッツに通っている時に元警官の豪州人の教師に聞いた話ですが、彼の地の女性警官にはレズが多いそうです。んでもって新人の女性警官が入ってくると、当然同僚の男性がアタックをかけたりするのですが、先輩女性警官が「あいつには近付かない方が良いわよ」とか言って自分たちのグループに引き込もうとするそうです。うぶな新人女性は、先輩女性の下心にも気付かず、その言葉を鵜呑みにしてしまうのだ…と彼は憤慨しておりました。しぇげなの善玉(?)レズのほかに、こういう悪玉レズを登場してきて主人公を混乱させる…という、以上、無理矢理みたいな思い付きでした。
何かこのところの私の投稿は身辺雑記みたいになっておりますが、身辺雑記ついでにもう一人身近にいたキャラのエピソード。
・中・高・大学まで一貫してエリートコースを歩み、自分は気に入らないことはしなくて良いのだ、という子供じみた錯覚からいい歳になっても抜け出せない男。大学院の博士過程まで進むが、学問への興味を失い、中退して就職する。しかし会社に入っても、自分の気に入った仕事しかせず、それも興味を失うと放り出すというスタンスを続け、主人公をはじめとして周囲に迷惑をかける。取りあえず頭脳は優秀で、手掛けている間の仕事はきちんとこなすので評価する上司もいたが、やがて破局が訪れ、想いを寄せた同僚女性振られたのをきっかけに、出社拒否、引きこもりに陥ってしまう。

■[66] オムニバスであれば とろぴかる(2002年09月26日 (木) 17時52分)
大友克広の「さよならにっぽん」のような連作形式で、各話それぞれにおいて、主人公達の話の重要な局面に脇役が関わる中でその脇役のキャラクターが掘り下げられる、といった形のが良いかも知れない。

最後の話は脇役が全員登場する場(最初に書いた「先輩」のバンドの打ち上げでも良い)を舞台にするってのはどうでしょう。そこで盛り上がって、周囲は主人公達二人を応援するのだけど、二人は敢えてそれに流されず、自分達の意志で別れる事を決意する…というちと逆説的な展開にするのはどうでしょう。主人公にとって、この恋は自己発見につながったけど、自己発見の結果、求めているものが異なることに気づいた、てな感じで。これはこれで「ハッピーエンド」にならないかな。

音楽に関するアイディアですが、サウンドトラックとしてではなく、音楽が各場面でラジオなりCDプレーヤーなりでかかっているという形式にして、他の街の音と一体化させる、てのはどうでしょう。かかる曲はもちろん1980年代後半の洋楽と邦楽。

■[67] 夏の別れ びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時53分)
というオフコース最後のシングル曲がありますが、とろぴかるの設定したシチュエーションを読んでまさにその曲の世界かな、と思いました。「二つの人生が/重なり合って/でもここからは別々の道/想い出は想い出として」…といったところですかな。あるいは「話し掛けても良いよね/もう逢えないから/こうしてここから後は/二人離れて行くだけ」てな感じかな。エンディングテーマの一つの候補になるかと思いましたです(尤もオフコースは皆さんの趣味ではないか…。それに、この曲には男女の別れの情景というほかに、小田のオフコース解散への想いという意味も込められていたりする)

オムニバスといや、以前うまなり君でもそんな感じのオムニバスの連作ミニドラマをやっとったな。あちらは皆が最後は競馬場に辿り着くという構成でしたが。

■[68] 膨らんできましたね しぇげな(2002年09月26日 (木) 17時54分)
それぞれのキャラのエピソードが”平行して別々に進行”して、そして最後に同じ場所に辿り着くというのはどうでしょう。「200本のたばこ」や「トラフィック」のような手法ですね(「200本〜」の方が群像劇としては近いかも)。

最後に別れるというのはおいらが最初に提案したのもあり賛成ですね。自分なりのこのネタのテーマは、「自己発見」であり「新たな出発」であるので、二人の別れとはいえそれは十分な”ハッピーエンド”なのではないでしょうか。やはりこのネタは最後はハッピーエンドしかないでしょう。だよね?
(アメリカンニューシネマみたいに、最後のコンサートに学生運動から過激派にいってしまった旧友がテロをしかけていてそれは未遂に終わるのだが、乗り込んだ警察とのもみ合いの中でヒロインが流れ弾に当たって命を落としてしまい、主人公が「なんでこうなるんだ〜!」と騒乱の中で叫んで突然終わってしまうっていうのもあるのですが、・・・古いよね?ポトッ。)

>かかる曲はもちろん1980年代後半の洋楽と邦楽
これは泣けますね。「クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲」でも、もうちっと時代的には古くなるのですが、街に流れる曲とかで使用されていて涙腺を刺激されました。びっぐも書いているように、各々に”これはっ!”という曲があると思われるので、こちらのセレクトも色々な意見がありそうですね。

我々の今までの歩みから考えると、最後にみんなが辿り着くのは”コンサート会場”か”映画館”(友人の映画監督デビューの試写会とかね)あたりですかね。

■[69] トラフィック とろぴかる(2002年09月26日 (木) 17時55分)
のような構成、は良いアイディアだと思います。ここのところの展開を見ると、当初の恋愛ものを軸にその周りの人間模様を描く、というよりは、バブル期に、「周囲の用意した型にはまった」社会人生活を始めた人達が、その型からそれぞれ自分なりの形で逸脱していく姿を同時進行的に、時には交差させつつ描くほうが良いのかな、と思いはじめたところでしたので、「トラフィック」というのは構成面での良いモデルになると思います。バッハの音楽のような「対位法的(主旋律と伴奏ではなく、複数の性格の異なる旋律が同時に進行しつつも曲としての一体感が成立する)」な構成、と言っても良いかもしれません。

ここまでのアイディアの中で、私が「旋律」として使ってみたいのは、

1.オリジナルの「恋愛モノ」

自己発見を通じた『救い』(神のような絶対存在の設定した基準に適うことにより安息を得られるのでなく、自分が自分として生きている、という実感を得られる、という意味)というのを全体に流れる通奏低音(コード進行ですな)とすると、これはそのコードを恋愛を描くために旋律化したものと位置付けられます。

2.「レズの先輩」

これはさしずめ上の「男女間の恋愛」をメジャー旋律とすると、それを半音階ずらした形で表現したものになるでしょう。この先輩、仕事を通じて社会的に成功しているけど(海外留学などしていても良いかも)、それは同性愛者であるがゆえに受ける批判から自分を守るためのバリヤであって、本人もそれを自覚しているが故に自己嫌悪に陥る…といった展開なのかもしれません。するとしぇげなのアイディアにあった1.の主人公への「私レズだもの」という発言は自嘲的なニュアンスものになるのかな。

3.バンドの先輩

この人の存在が全体をまとめるのかな、と思います。(最後をコンサートの会場にするのは、オルガン曲で最後に全部のパートがユニゾンでテーマを演奏するようなもの)初めの方で私の書いた「音楽オタク」への反発、びっぐの書いた「アイドルのバック演奏に走ったやつ」といったエピソードを絡ませるんでしょうか。もう一つ、これは前述した大友の「さよならにっぽん」の中の一作品で、黒人のジャズバンドがアイドル志願のぱっとしない女の子のバックバンドを勤める、というものに触発されたのですが、この「先輩」がアイドルグループを首になった歌は上手いけどルックスのぱっとしない女の子と出会い、その娘と一緒に自分のやりたい音楽を作っていく、というのも如何なもんかな、と思います。

4.エリート君

これは「トラフィック」でいうとマイケル=ダグラスの演じた検事かな。さっさと脱サラしてITベンチャーで儲けたけど、会社を公開した後に大手の企業と特許権の侵害問題で揉めて、その過程でそれまでちやほやしてくれていた人々がだんだん離れて行く、また結婚生活もだんだん崩壊していく、といった状況に直面する中で1、2、3のキャラクターと話が交錯し、最後は会社を清算して一から再出発する、という展開なんてのはどうでしょう。(ちと類型的かな)

てな訳ですが、これは決してまとめに入っているわけではなく、全体の構成に関するアイディアの一つとして出しているまでです。1ー4個別のエピソードがまだいまいち(というかオリジナリティなし)だし。「トラフィック」のラストシーン、ベニシオ=デル=トロが子供の野球の試合を観戦しているようなシーンが作り出せると良いのですが…。

ーレズの先輩

■[70] ひととして びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時56分)
という曲も、ちなみに別れをわりと前向きに描いた曲です(こちらはオフコースから鈴木康博が独立するときの曲)。「出逢いは風のようで/別れは雨のようで/すべてのことあるままに/流れていくもの/昨日は愛を歌い/明日涙を歌う/誰も同じところへ/留まることはない/今僕らはここに/立ち止まれないんだ/もう何も言わないであなたを忘れない/さあもう僕らはゆくよ」「ひととして生まれ来て/ひととして哀しんで/ひととして愛し合い/それぞれの道へ」「何処かでいつかは会えるかもしれない/止めないで誰にでも別れは辛いから/さあもう僕らはゆくよ」「何処かでいつかは会えるかもしれない/もう何もきかないでためらう心消えた/もう何も言わないであなたを忘れない/さあもう僕らはゆくよ」
…一部引用するつもりが結局全部引用してしまった。
あと、昔あらすじを読んだ映画で(実物は観ていないし、タイトルやスタッフなどの情報も覚えていない)、最後に主人公同士は結婚するのだが、結婚式の後でそれぞれの道に旅立つ、というのもありました。
「トラフィック」は観ていないのですが、クロード・ルルーシュの「愛と哀しみのボレロ」も複数の主人公を並行して描き(カラヤンやニジンスキーをそれらの主人公のモデルにしている。また数十年に渡る物語なので、同じ俳優が親と娘を演じたりしている)、エンディングでは、主人公の一人が演じるボレロの舞台を他の主人公がTVや劇場で見守る…という構成になっていました。


[53] 「快楽亭ブラックの生涯」 投稿者:とろぴかる 投稿日:2002年09月26日 (木) 17時43分
という落語家が明治時代にいましたが(今も「2代目」がいますが、息子でもなんでもないアメリカ人とのハーフ)、この人、生粋のイギリス人なのに日本語ぺらぺら(しかもべらんめえ)、着物を着て落語家をやっていたけど、放蕩と深酒がたたって関東大震災の直後に死ぬ…。といった人です。今で言う日本語のうまい外人タレントの第一号、でしょうか。時代考証をきっちりやって、異邦人でありながら極めて日本的な「落語」に魅せられた男の生涯、てのはけっこう面白いかもしれません。
■[54] 主演はセインかパッくんですかね びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時44分)
 
■[55] キャスティングとなると しぇげな(2002年09月26日 (木) 17時44分)
意外とデーブ・スペクターなんてキャスティングもイイかもしれない(いやマジで)。”人を笑わせる面白いアンチャン”という面と、時たま見せる”自分の信念を貫く男”という面の対比を、彼を上手く使えば出来るのではないかと思いますです。(「美味しん坊」に出てきた外国人落語家のイメージが強いかな?このキャラも名前からして快楽亭ブラックから導かれたものだった記憶がある)

■[56] デーブスペクター とろぴかる(2002年09月26日 (木) 17時45分)
キャラ的には同感ですが、外見がちと線が細いかな、というのと英語がアメリカ英語なのがちと気になります。もし彼を主演にするのであれば、ドキュメント調ではなくフィクションにしてしまうべきでしょうね。


[51] キリストの最期の新解釈 投稿者:びっぐ 投稿日:2002年09月26日 (木) 17時42分
キリストは自らの宗教を永遠化するため、敢えて自ら処刑されることにした。
実はユダに借金をしまくって首が回らなくなっていたキリストは、彼を密告者に仕立た上で自殺に見せかけて殺し、自らは殉教者になるという計画を立て、実行する。

「知ってるつもり」の最終回を見てふと浮かんだ新解釈です…ってまず映画化不可能だわな。ちなみに太宰治の有名な短編も参考にしています。

キリスト教徒から見れば、これこそ神を畏れぬ反公序良俗の誹謗中傷だわな。
■[52] 追記 びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時42分)
最初、実はユダとキリストは男色の関係にあって、その関係をばらすとユダに脅されたキリストが…という筋を考えていたのですが、それはあまりに過激なので控えさせていただきました。しかしTZCでも勇気を持って恋愛ものに挑戦すべし、というしぇげなのお言葉があったのでここにそのアイディアも書いてみました…て恋愛ものの意味が違うか。


[50] ビューティフル・ブレイン 投稿者:びっぐ 投稿日:2002年09月26日 (木) 17時41分
ナッシュを描いた「ビューティフル・マインド」に対抗して、フォン・ノイマンの生涯を映画化する。
彼の主な業績は…
・量子力学への貢献、およびその負の側面としての原爆開発への協力
・「コンピュータの父」
・モルゲンシュテルンと協力してゲーム理論を創り上げる
・経済学への貢献、アロー=デブリュー理論の先駆け

エピソード

・ゲーム理論の均衡の概念について、若き日のサミュエルソンに「それは従来の経済学の最適解の概念と同じ物じゃないんですか」と聞かれ、「君はそのことに煙草をかけるかね?」と問い返して退散させる。

・ノイマン=モルゲンシュテルンのゲーム理論は主体が二人の場合に限定されていたが、ナッシュによりそれが多体均衡にまで広げられる。しかしそのナッシュ均衡の価値をすぐに認めようとしない。

・その他、ニ都物語を諳んじていたなど、記憶力や計算力に関するエピソードは多々あり。


[49] 梗概:金融ドラマ編:LTCM破綻 投稿者:びっぐ 投稿日:2002年09月26日 (木) 17時40分
1998年に発生したLTCM破綻を、NY連銀での銀行家の会合をクライマックスに描く
ハリウッドがこれだけの題材を今まで放って置いているのが不思議なのですが(あるいは誰か既に企画を進めているのかもしれないけど…もしくはTVシリーズで既に映像化されているのかしらん)、この破綻劇は特に脚色せずに事実を追っていくだけで充分サスペンスフルな映画になると思います。ともするとノーベル賞学者2人が参加していたことに焦点が当たりがちですが、やはりNY連銀でのLTCM救済策を検討する主要金融機関首脳の2日間に渡る会合がこの破綻劇のクライマックスでしょう(この会合をゴッドファーザーのマフィアのボスの集会になぞらえる人もいるようですが)。ここは「12人の怒れる男」や「天国と地獄」(の前半のシークエンス)のようにカメラを室内に限定して、集まった証券、銀行、およびNY連銀の首脳同士の密室での駆け引きを描きたい。このシーンだけで映画全体の4分の1(30分くらい)を使っても良いのではないか。もちろん、この間にも外部(弁護士、LTCMトップのメリウエザー、そして資産家バフェットetc)との電話、FAXでのやり取りはあるのですが、その間はそれら外部の相手は一切画面に見せずに、声だけの登場に限定する。

この場面での主なシーンは…

・ゴールドマンCEOのコーザインがバフェットにLTCMを買収させようと画策する。バフェットのオファーの期限は12:30。しかし、コーザインはここでシカゴ・ビジネススクールの同期だったメリウエザーに選択権を与えるというミスを犯す。その結果、メリウエザーの顧問弁護士にオファーの契約書の粗を突かれ、バフェットによる買収計画は失敗に終わる。

・ベア・スターンズCEOのケインが協力に難色を示し、モルガン・スタンレー会長のパーセルを始めとして皆が非難する。NY連銀総裁のマクドナーがケインとその部下を別室に招いて説得しようとしたところにメリルCEOのコマンスキーが入ってきて、ケインに掴み掛かる。

・メリルCFOのアリソンが密かにウォール・ストリート・ジャーナルに電話を入れ、会議が行われていることを漏らす。一方で、会議の参加者には記者が嗅ぎ付けたと伝え、合意に達しないとまずいと警告する。

・6時過ぎに救済の最終案がまとまり、拍手が会議室の外に響く。ここで初めてカメラが外部に戻る。LTCM本社でも皆が歓喜に包まれ、ある者は泣き崩れる。一方でイエローストーン国立公園では、旅行先から電話で進めていた買収話が破談に終わったバフェットが、同行者に「この旅行は数十億円についた」とつぶやく。その同行者とは誰あろう、ビル・ゲイツだった。

・記者の一人が、13年前の同じ日、すなわち1985年の9月23日はゴマキの誕生日、もとい、プラザ合意が発表された日であったことに気付く。「あの時始まった金融のドラマが、今こういう結末を迎えるとは…」と独りごちる。

この後、エンディングに入る。ラストで登場人物の「その後」を描くところで、コーザインは失脚したことが示される。

ところで、順番が逆になりましたが、この映画のファーストシーンは1995年のフィッシャー・ブラックの葬儀にしたいと考えています。LTCMに参加していたマイロン・ショールズとロバート・マートンが1997年にノーベル賞を受賞しましたが、ブラックは彼らとブラック・ショールズ式を始めとするオプション理論を築いた一人です。しかし、必ずしもLTCMのやり方を快く思ってはいなかったと言われています。葬儀にはマートンやコーザインが出席しましたが、ショールズが出席しなかったことでそのことを暗示します。

<参考文献>
ロジャー・ローウェンスタイン「天才たちの誤算(WHEN GENIUS FAILED)」日本経済新聞社
ニコラス・ダンバー「LTCM伝説(INVENTING MONEY)」東洋経済新報社
ボブ・ウッドワード「グリーンスパン(MAESTRO)」日本経済新聞社


[45] 梗概:人間ドラマ編:岸信介の生涯 投稿者:びっぐ 投稿日:2002年09月26日 (木) 17時37分
「昭和の妖怪」と言われた岸信介の生涯を、ゴッドファーザーみたく叙事詩風に3部作で映画化する。
晩年の彼が私邸でくつろぎながら人生を振り返るシーンを冒頭とする回想形式とする。山口の実家で弟の佐藤栄作と遊ぶ幼年時代を皮切りに、岸家への養子入り、東大への進学、学生結婚した後商務省に入り、満州へ旅立つところまでが第一部(従って第一部は基本的に青春もの)。満州で革新官僚として活躍し、帰国後東条内閣の商務相になるが、東条と対立して内閣を瓦解に追い込み、終戦後戦犯として巣鴨プリズンに収監されるが、晴れて無罪となって出所し、再び政治活動を始めるところまでが第二部。第三部は権謀術数を巡らして首相になった後に行う安保改定をクライマックスに持ってくる。安保改定成立後、暴漢に刺されて入院するシーンで画面が暗転し、第一部の冒頭の晩年のシーンに戻る。弟の佐藤栄作が首相になり、ノーベル賞を受賞し、死去する場面は、彼が私邸を離れて料亭へ向かうシーンにフラッシュバックで挟む。料亭で彼を待っていたのは田中角栄だった。必ずしも仲の良くなかった2人は、その席で意外にも打ち解けていく。話が佐藤栄作の思い出話に及んだ時、岸はふと遠くを見る目付きになる。再び幼年時代の岸と佐藤が遊ぶシーンに戻り、エンディング(このラストは黒澤の「まあだだよ」のパクリ)。

(良い悪いは別にして、これだけスケールが大きい人生を送った人は現代日本に他に居ないでしょう。上記のようにこの人の人生をそのまま辿っていくだけで、波瀾万丈の映画になりますな。私は以前からこの人に惹かれていて、中学一年の自由研究の題材に取り上げたりしておりました。ただ、二十年前にこんな映画の企画を立てたらそれだけで命の危険にさらされたかもしれないし、よしんばできたとしても黒澤の「悪い奴ほど良く眠る」みたく上映できなかったかもしれない。まあ、今でも下手に疑獄事件を突っついたら、遺族に裁判を起こされるでせうな…ていうかそもそも遺族が映画化を了承しないか。)
■[46] タイトルは「KISHI」かな とろぴかる(2002年09月26日 (木) 17時38分)
海外の映画人が撮ったほうがいいかもね。「MISHIMA」じゃないけど。

政治家としての岸信介を描く場面では白黒、子供時代の回想シーンはカラー、という撮りわけをするのも面白いかもしれない。佐藤栄作の人生と交差させて、2人の善悪両面を描くような話の展開にするのも手ですね。その場合は「BROTHERS」かな。

私は、昭和天皇の生涯を、「ラストエンペラー」みたいに描く(溥儀よりも裕仁の方が「ラストエンペラー」という呼び名に相応しいような気がする)できたらいいな、と思ったことがあります。摂政から即位、日中戦争に巻き込まれるまでが第一部、真珠湾から人間宣言までを第2部、「象徴天皇」時代の戦後を第3部、という構成かな。僕なら美化も批判もしない、という姿勢で、天皇を戦争を肯定も否定もする、矛盾した人格の持ち主のような描き方にするだろうな。

不敬罪もんだな、これこそ。



■[47] 雑感 びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時38分)
>佐藤栄作の人生と交差させて、2人の善悪両面を描くような話の展開にする
>のも手ですね。その場合は「BROTHERS」かな。

海外の映画人に頼むのなら、スコット兄弟に頼みましょうか。佐藤栄作のシーンがトニー・スコット、岸信介のシーンがリドリー・スコットとか。

>天皇を戦争を肯定も否定もする、矛盾した人格の持ち主のような
>描き方にするだろうな。

でもそれが真実に近いのではないかという気もしますな。ただ、今世紀中は(=我々の生きている間は)こうした観点からの映画化、もしくはドラマ化は無理でせう。

岸についても、左派は(再転向前の)ダース・ベイダーみたいな悪の権化として捕らえているし、右派は国士として称賛しておりますが(文芸春秋の最新号で、福田和也という評論家が歴代総理の中で伊藤博文、山形有朋に次ぐ評点を付けていた)、真実はその中間、もしくはどちらでも無いのでせうな。前者の観点が強すぎると、山本薩夫がかつて疑獄事件を扱った映画で描いたような(あるいはオリバー・ストーンのニクソンのような)やたらおどろおどろしいイメージになってしまうし、後者の観点が強すぎると鼻白む単なる礼賛映画になってしまうし。ただ、いすれにしろ、現在との関連でこの人の生涯を捕らえるのは難しいのかなという気も最近しています。

確かに、戦前、戦中、戦後に亘って日本の権力の中枢に君臨するという離れ業は怪物的ですが(昔私が惹かれたのも、子供がバルタン星人なんかの怪獣に惹かれる延長線上と言えなくもない)、その割にこの国に残した影響ってどうなのかな、と考えてしまう面が無くも無い。吉田茂の吉田ドクトリンは、江藤淳、石原慎太郎、福田和也といった連中がいくら罵ろうが、依然として日本に大きな影響を与え続けているのに、岸ドクトリンってあんま聞かないですよね。その一点で、実は岸は吉田に敗けているのかな、という気もいたしますです。

そもそも、岸派自体に彼の思想が受け継がれていないよね。タカ派の領袖ではありましたが、子飼いの部下だった福田赳夫はむしろハト派のイメージで、ダッカ事件の時の「人命は地球より重い」という対応は未だに保守系知識人のやり玉に上げられているくらいだし。あるいは、岸派の末裔である小泉純一郎の構造改革は、まさしく岸の創り上げた国家による産業統制(いわゆる1940年体制)をぶち壊そうというものですな。それに対し、吉田ドクトリンは、田中角栄にまで影響を及ぼしているものね(文芸春秋の最新号に本宮ひろ志が書いていることによれば、かつて田中は彼に「安保もな、金出しゃアメリカが日本守ってくれるって言ってんだ。こっちゃあ、死人出さなくてすむ。金ですむんならそっちの方がいいんだよ」と語ったとの由)。

権謀術数に長けていたことは確かですが、それがリシュリューのように国益のためにバランス・オブ・パワーを作り出すといった外交面にまで昇華されることは無かったような気がする。戦後政治における民主主義の意味を明確に取り入れた上で、そうした昇華を行えば、あるいは吉田ドクトリンを超える思想哲学を生み出すことが可能だったかもしれない(彼の頭脳・経歴・政治力を以ってすれば、それは決して不可能ではなかったはず)。
また、経済面でも、彼の得意とする統制経済と、社会主義やケインズ主義との近親性と相違点を整理することはついぞ無かったような気がします(これについても、彼の頭脳と経験を以ってすれば、そんじょそこらの学者を超える洞察が得られたはず。そこをきちんとやっておけば、市場原理主義が優勢になった今のような時に、我々も恩恵を蒙ることができたかもしれない。少なくとも今のように彼の考えが見向きもされなくなるという事はなかったでせう)。そうした作業を怠って単なる反共爺さんに留まったことが、あるいは彼の最大の罪かもしれないとも思いますです。

そうしたことを踏まえて彼の生涯を映画化…できるわけないか。

(主演は佐藤藍子が男だったらあの耳で確定なのだが。エンディングテーマは宇多田ヒカルに書いてもらいたいなどと考えるけふこの頃。)

■[48] 雑感の追記 びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時39分)
>エンディングテーマは宇多田ヒカルに書いてもらいたいなどと
>考えるけふこの頃。

このエンディングはただ真っ黒な画面にエンドロールを流していくのではなく、クレジットの背景に彼の死後の日本のいろんな映像を使いたいと考えています(もののけ姫より前の宮崎映画で“その後のエピソード”をエンドクレジットの背景に使っていたような感じで)。
具体的には、岸が樹立に尽力した政界の55年体制の崩壊を象徴する細川政権誕生のシーンとか、やはり岸の尽力により確立した経済の1940年体制の崩壊を象徴するシーン(一連の金融自由化の実施、およびその後の97年の金融恐慌、構造改革を唱える小泉内閣の登場)、など。

(なお、小泉内閣登場の伏線として、「小泉純也の息子が今度福田の秘書になったんだって?」(=1970年)、もしくは「小泉純也の息子が今度代議士になったんだって?」(=1972年[佐藤内閣の最後の年])というような会話を映画のラスト近くに入れておきたいな。)

あとは、宝塚歌劇のシーンも入れておきたいですね。なぜかというと、1941年初頭、“1940年体制”を確立した直後の岸が、時の大臣と対立して商工次官を辞めさせられるということがあったのですが、その大臣の小林一三という人が宝塚の創設者なので。(小林大臣が岸の家に押し掛けたが岸が面会せず、辞めろ辞めないの押し問答をメモ書きを通して行うという漫画みたいなこともあったらしい。結局岸が辞めさせられたが、その3ヶ月後、意趣返しに岸が政治力を駆使して逆に小林大臣を辞任に追い込んだとの由。)この対立は、統制経済の信奉者である岸と、自由主義経済の信奉者である小林一三の対立という側面が強かったようですが、後者の遺産である宝塚が今も健在ということで、現時点での自由主義経済の勝利を象徴させるということですな。ちなみに阪急の総帥だった小林一三は、東宝映画の創設者でもあるそうです。

逆に、日本の軍事的独立を目指した岸の考えに沿う動きとして、自衛隊の海外派遣のシーンも入れるかな。何だかんだ言っても、今の日米安保体制は岸の最大の功績ですからな。


[43] 高校時代のネタ「紙クズ」 投稿者:しぇげな 投稿日:2002年09月26日 (木) 17時35分
昔、トロピカルに脚本を依頼したヤツ。細かい内容は忘れてしまったが、確か大まかなプロットを話して、あとはトロピカルがストーリーを練ったような記憶がある(これってプロデューサーと脚本家の関係だな)。

1)主人公は高校生。その日その日をなんとなく(死語)生きている、当時の典型的な若者。そんなある日、いつものようにダラダラをしていると、突然主人公の頭に紙クズが落ちてきて当たる。辺りをキョロキョロするが出所は分からない。その紙クズを開いてみるとメッセージが書かれていて、実際にそのような事が後に起こる。

2)その後も度々紙クズが落ちてきて、やはりメッセージ通りのことが起き、それに興味を持ち、興奮する主人公の日々の生活が活性化する(実は神様(?)が、彼の生活にやる気を出させる為の刺激を与えていた、とのような感じを臭わせる)。しかし、そのうちその紙クズに頼るような場面も見られるようになり、悪い面も見られてくる。

3)ある日、主人公に何らかのピンチがおとずれる。

4-1)いつものごとく紙クズに頼ろうとする。が、今回は紙クズは落ちてこない。焦る主人公。必死の対応によりやっとのことで危機を切り抜ける。その時に紙クズが落ちてきて、そこには主人公の努力を評価する言葉が書かれている。そしてこれからは一人で頑張れとのようなことも書いてあり、主人公はその意をくみ取り、強く生きていこうと誓うのであった。そして終了。

4-2)しかし今回は落ちてきた紙クズを開こうとはしない。ちょっと前から、他力に頼る自分に疑問を持ち始めていた主人公。今回は自力での対応を試みる。が、行く先々で失敗の連続、何回か紙クズも落ちてくるのだが決してそれを見ようとはしない。なんとか危機を切り抜け、少しばかりの自信を持った主人公。それ以来、紙クズは落ちて来なくなった。
しばらくして、何事も起きていないのに紙クズが頭に当たる。驚き、とまどいながらゆっくりと開いてみる。しかしそれはただのチラシであった。苦笑してそれをゴミ箱に捨てようとする。その時、ふと何かに気付く。もう一度その紙クズを見直して見ると、そこにはただの広告とも、神のメッセージ(予言ではなく、主人公の成長を応援するようなモノ)とも取れることが書いてあった。主人公、上方を見上げ笑顔となったところで終了。

確か、1)のネタをもとにトロピカルが膨らませて脚本を書いた記憶がある。その詳細は記憶に無い(失礼)ので、2)以降は今考えた展開です。
最近になって、「天国に一番近い男」というTVドラマが作られたのですが、手法・設定等は違うけれども、テーマが似ていて驚いたことがあった(そのドラマの簡単な内容は次の通り。やる気無く生きている若者の前に、ある日天使と名乗る男が現れる。そして毎週、命題が神様から与えられ、それを乗り越えないと即死亡するというのだ。主人公は最初はそれを信じず、もしそれが本当だとしても別に死んだっていいや、とやる気がない。そんな主人公を必死にサポートする天使。次第に天使の言うことを信じ、その命題を成し遂げるという目的に向かって努力するということに、生きるという意味を見出していく主人公なのであった)。
■[44] 私も詳細は覚えていません とろぴかる(2002年09月26日 (木) 17時36分)
「石ころ」だったか「紙くず」だったか判然としなかったのですが、確かこっちのほうでしたね。脚本と、ストーリーボード(当時は「コンテ」と呼んでいた)を少し作ったような記憶があります。

2)まではほぼ同様の展開ですが、実は神様でなくて、悪魔が主人公の魂、というか「自分で生きる意思」を自分にすっかり委ねれば良いよ、というように誘惑して、なんだか抽象的な問答の末、主人公は自分の意思の大切さに気づいて、悪魔は引き下がる、といったような展開だったような気がします。

主人公と悪魔以外、殆ど登場人物の出ない脚本で、なんだかあまりビジュアルでなく、しかも説教くさい台詞だらけになった(神であれ、悪魔であれ、全知全能の存在が個々の人間の意思や運命を左右することはできない、といったような宗教否定のメッセージを込めようとしていた)のでなんだか失速したんじゃなかったっけ。

(今もそうだけど)単一の価値観を押し付けるような宗教・思想に対する反発していた時代だったのね、きっと。青かったのう…。

実家のどっかにこの脚本の原稿あるかもね。


[39] 高校時代の脚本「石ころ」 投稿者:しぇげな 投稿日:2002年09月26日 (木) 17時33分
高校2年の時に本気で映画化しようとして書いた脚本。結局、このホンはボツになって「T.O.K.I.」が作られたのですが・・・。ちょとそれを加筆修正。

時は未来。コンピューターに支配された管理教育が全盛となっている。主人公は高校生。舞台はとある高校。彼等高校生達は、詳細に決められた教育カリキュラムをこなすことによって単位を取得し、その進捗が個別に管理されている。毎日、下校前にはコンピューター(と言ってもモニターカメラだが)への進捗報告が義務付けられている。

ある日、主人公が、最近元気が無いと噂になっている友人Aと会話をする。友人Aの単位取得が遅れている事を心配する主人公。友人Aは管理された教育体制に疑問を持っている事を話す。そして未来の世界では既に無くなってしまった”石ころ”を探しているのだとも話す。主人公も今の管理教育に漠然と疑問を抱いていることを話す。

体育の時間。個別に管理されているこの時代には団体競技というモノは存在せず、個々の身体機能・能力の向上といったスポーツジム的なモノしか無くなっている。ランニングマシーンを走りながら友人Bと、昔、野球という競技があり、自分はそれをやってみたいと話す主人公。が、しかし、友人Bにそんな事をやっていると次のステップへ進むのが遅れてしまうぞと窘められる。

図書館で野球を調べている主人公。その時にふと気になり、”石ころ”も調べる。

ある日、友人Aが反体制の地下組織に入ったとの噂を耳にする。とはいえ、この組織も噂でしか聞いたことがなく、本当に存在すると思っている人はいないようだ。

主人公、紙を丸めて固めてボールのようなモノを作り、そして適当な木の枝でバットを作ろうとしている。それを友人達に見られ、一緒に野球をやってみようと誘うのだが、案の定、そんなコトしてたら進級が遅れるからヤダと言われ、逆にお前は大丈夫かと心配されてしまう。何かの違和感を感じだす主人公。

”石ころ”に興味を持っていた友人Aが死んだとの報を耳にする。その後、死んだ彼が”石ころ”を探していた場所などをふらつく主人公。彼は消されたのだと思うようになる。

ある日のコンピューターへの進捗報告。主人公は探しまくってやっと見つけた”石ころ”を手にしている。モニターカメラに向かって話し出す主人公(画はモニター画面に写っている主人公。ようはコンピューター目線)。
「”石ころ”って知ってますか?昔はそこらじゅうにあったらしいんですけどね。いらないからって無くなってしまったんです。・・・そんな、不必要だからって無くしてしまっていいんでしょうかね・・・」
突然、画面(コンピューター)に向かって手を振り上げ、持っている石で殴りかかる。その瞬間、画面にノイズが出て乱れ、砂の嵐となりそしてフェードアウト。

(ここからQUEENの”メランコリー・ブルース”が流れ出す。音楽のみでその他の音は聞こえない。画面は真っ暗。そしてゆっくりとフェードインする。カメラは固定でエンディングまでワンカット。)
柵で囲まれた屋上。主人公と友人達がやって来る。手には手作りのバットとボール。見よう見真似の野球が始まる。当然下手くそなのでクソボールや大空振りでとても野球にはなっていない。しかしそんなこんな遊んでいるうち、まぐれ当たりが出て、ボールが屋上の柵を越えて飛んでいってしまう。柵に張り付いてボールの行方を見る彼等。そして一人、ボールを取りに行こうとフレームアウト。それを追うように皆がフレームアウトしてしまう。誰もいなくなった屋上。ゆっくりとフェードアウト。QUEENの歌が優しく流れている。
■[40] この企画 とろぴかる(2002年09月26日 (木) 17時33分)
「石ころ」というタイトルはなんとなく聞き覚えがありますが、ここまで詳細にプロットを記述したのを見るのは初めてです。

これ、「ガタカ」みたいに、未来建築みたいな建物を探してロケすると良いかもね。桐朋の校舎でもそれなりのイメージは出せそう。

>毎日、下校前にはコンピューター(と言ってもモニターカメラだが)への進捗>報告が義務付けられている。

これは玄関ホールに電話ボックスのようなものを並べて、その壁にカメラのレンズをHAL9000風に取りつければいいな。

ラストシーンは桐朋の屋上か。「マイ・メランコリー・ブルース」は私も結構好きな曲だったりする。

主人公の野球へのこだわりの原因が、倉庫の片隅で見つけた一本のビデオで、そこには楽しそうに草野球をする若者の姿が映っているのを見たから…ということにして、そのビデオは「TOKI」(スローモーションのソフトボールシーンがあったよね、確か)だったりする、ってのはどう?

■[41] 覚えております びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時34分)
>「石ころ」というタイトルはなんとなく聞き覚えがありますが、
>ここまで詳細にプロットを記述したのを見るのは初めてです。
>これ、「ガタカ」みたいに、未来建築みたいな建物を探してロケ
>すると良いかもね。桐朋の校舎でもそれなりのイメージは出せそう。

私は当時しぇげなにプロットを見せてもらい、人工物しか映らないようにカメラワークを工夫するというのが一つの課題になるなと思った記憶があります。また、アスファルトがあるのに石ころの無くなった世界という存在をどう観客に納得させるかというのも考える必要があるなと思いました。

今ならば、ありとあらゆるところ(川岸や海岸まで)がびっちりと舗装されているシーンをCGで作って挟むというのが一つの手ですな。
あるいは、ソラリスみたいに、最後にぐんぐんカメラが引いていくと実は宇宙ステーションの中 or 惑星の宇宙基地の中だったという落ちにするとか。

■[42] 覚えていてもらえたのは、ちょと嬉しい しぇげな(2002年09月26日 (木) 17時35分)
実はコレ、当時、脚本まで書いていて、かなり本気で撮る気でした(初稿はみんなに見せた記憶がある)。撮影場所はトロピカルの言う通り、桐朋の校舎がかなりイメージにマッチしていたのですが(ていうか、桐朋の校舎を見ているうちにこの脚本のイメージが湧いて来たと言っても過言ではない)、凝った(金のかかる)小道具や、多くのスタッフ・キャストが必要になりそうだったので泣く泣くボツにしたのでありました。

当時の脚本を読むと、木などの植物とかは政府が計画的に植樹しているというセリフがあり、木の根元の土を人工物呼ばわりするシーンなどがありました。ビッグの言う通り、そこら辺の人工物・天然物(?)の描写に苦労した記憶がありまする。

ちなみに主人公が野球に興味を持つというのは、企画がボツになった直後に思いついた膨らましなので、当時の脚本には書かれていませんでした。ということで、野球ネタ含みプロットは初公開(って大袈裟な)。

しかし撮りたかったなぁ〜。あの桐朋の渡り廊下や、屋上、玄関ホールなどのロケーション(撮りようによっては近未来的?)は最高だったのになぁと、今でも思う次第であります。確かに今ならCGで済ますかもね(ってそれにも多くの金and才能が必要?)。


[36] 感動モノ+ブラックユーモア 投稿者:とろぴかる 投稿日:2002年09月26日 (木) 17時30分
これは大学の頃に思いついたもの。

主人公は「全てがむなしい、人生に興味がない」といったようなタイプの男。この主人公がある日交通事故で死亡するのだが、マッドサイエンティストのおかげで復活する。ただしこの蘇生方法には限界があって、主人公は限られた時間しか生きられず、しかも肉体が腐って行くのは止められない。

そこで主人公、この限られた猶予期間で自分が「生きていた証」を残そうとしていろいろなことをする(それまで見向きもしなかったチャリティー活動に燃える、とか文化祭に燃える、とかの案はあったけどあんまり具体的には考えていない)が、家族や友人から自分が実は死んでいて、身体のあちこちが腐り始めているのを隠したり、蘇生方法を入手しようとする謎の組織に追いかけられたり、といったトラブルが生じる。(握手すると指がもげそうになる、腐臭をごまかすために脱臭剤を服のあちこちに忍ばせる、などといった苦労をする)

最期は主人公はめでたく自分のやりたかったことを達成し、家族や友人に物陰から別れを告げ、渋谷の駅前交差点のようなところにふらふらと出て行き、人ごみの中でばったり倒れる、という話。

さて、このネタは細かい要素をあんまり考えていなかったのですが、その後「ユニバーサルソルジャー」に死体蘇生やほっとくと腐る、というネタを先取りされてしまったので、そのまんま放ったらかしにしてました。

今の視点でこのネタを膨らませようとすると、主人公は若者でなく、我々と同年代で、それまでなんとなく順調に生きてきた人生の基盤がだんだんと先行き不透明になってきたことに対し(勤めていた銀行が経営危機に陥って、自分の尊敬する上司や先輩の見苦しい姿を毎日みせつけられる、等)、芥川竜之介言うところの「ぼんやりとした不安」を感じている人物にしたほうが良いかな、とも思います。「自分の時間が限られている」という状況に至って初めて、自分で自分の人生を設計しなければいけない人間のとまどい、なんてのを盛り込みたいですね。

ただ、今となると何もいったん死んで生き返らせなくても(「死体ギャグ」みたいなのは盛り込めるのでブラックコメディーになるけど)、黒澤明の「生きる」みたいにガンの宣告を主人公が受ける、という設定でも同じような話ができるし、そうしてしまうと「生きる」そのものになるよな…とも思います。

そんなわけで何かもっと捻りを効かす手はないもんかな、と思っていたのですが、今書きながらこんなのを思いつきました。

*主人公は最初の事故で死なないで、「死にそうな大怪我」をすると一定時間スーパーヒーローになれる、という自分の体質を発見する。
*その「変身」は、怪我の状態が悲惨であればあるほどスーパーヒーローとしての能力も高くなり、またそれを発揮できる時間が長くなる、という性質を持つ。(一定時間がたつと、怪我をするまえの肉体に戻る)
*主人公は最初のうちは怪我をするとスーパーヒーロー体質になるまで死にそうに苦しいので「変身」には消極的なのだが、やがてその能力を使って「正義の味方」になろうと決意する。
*そのあとは、「変身」のために車の前に飛び出そうとしても足がすくんでなかなかできず、意を決して飛び出したら車が直前で止まり「馬鹿野郎」とののしられる、というシーンや、超高層ビルの火災から人を助けようとするときに、通常の怪我では能力も変身時間も足らないので、新幹線に飛び込むという荒業に出る、といったシーンがあると面白いかもしれない。
*また、ちょっとした活動なら自分の腹にナイフをつきたてて出血するだけで十分なことに気づいたりする、というのもありかもね。

…とここまで書いて、なんだか「アンブレイカブル」とトロマ社の「毒毒モンスター」シリーズの合いの子のようになってきたけど、こっから先、皆さんならどう話しを膨らませますかね?

そういえば、本掲示板ではいつのまにかしぇげなは緑、びっぐは黒、私は赤、というカラーコード化が成立していますな。がちょんはそうなると濃紺か紫かな?
■[37] 膨らましネタ しぇげな(2002年09月26日 (木) 17時31分)
主人公の特異体質がバレでしまい、マスコミなどに取り上げられ時の人となる。活躍などが報じられ、少しうぬぼれたりする主人公。しかし、人類の危機(アルマゲドンみたいなヤツでもなんでもイイ)が突然やって来て、誰かが命懸けのミッションをしなければならなくなる。当然、周囲からは主人公への期待の声が掛かる。中には「お前がやればいいだろ」みたいに当たり前のように話すヤツもいて、世間の冷たさを知り、同時にうぬぼれていた自分を恥じる。

ミッションの当日、人の手による操縦ミサイルのコクピットにいる主人公。他の人々が”頑張れよ〜”とその成功を信じてか笑顔で見送る。発射される核ミサイル(主人公付き)。そして、巨大隕石へと突っ込んでいく。

地球の危機は去ったのだが、主人公が帰って来ない事に気付く人々(当たり前だ!)。そのうち、主人公のことは忘れられてしまい、誰も彼の名を口にしなくなった。

数ヶ月後、とある片田舎。農道を横切ろうとしたオバサンに突然暴走トラックが突っ込んで来る。危ない、と思った瞬間、何故か測道にいるオバサン。ふと辺りを見ると、急ぎ足で去っていく男が一人。オバサンが声をかけようとするが、どんどんと行ってしまう男。カメラがどんどんと引いていき、夕焼けが眩しい田舎の風景を写してジ・エンド。

・・・なんぢゃこりゃ?なんか、シリアスとお笑いのバランスが滅茶苦茶になってしまいました。スンマソン。

こんなエンディング・ネタはいかがでせうか?

■[38] あなざー・えんでぃんぐ びっぐ(2002年09月26日 (木) 17時32分)
>地球の危機は去ったのだが、主人公が帰って来ない事に気付く人々
>(当たり前だ!)。

逆に、危機を救うのに失敗して人類は絶滅し、スーパーヒーローとなった主人公だけがひとり残る。主人公は周りを見回して、「あ〜あ、やっちゃった。せっかくプロジェクトXに取り上げてもらえると思ったのに。ま、誰しも失敗はあるさ」と独りごちて、「ヘッドライト/テールライト」を口ずさみながらとぼとぼとどこへともなく歩いていく。

>そういえば、本掲示板ではいつのまにかしぇげなは緑、びっぐは黒、
>私は赤、というカラーコード化が成立していますな。

何も考えずに私がデフォルトの色を取ってしまいました。


[35] 梗概・ミュージカル編・メリー・ポピンズ+2001年 投稿者:びっぐ 投稿日:2002年09月26日 (木) 17時29分
ディズニー風ミュージカルに巻き込まれるHAL
すべてがコンピュータによって管理された未来社会。ある町に風来坊がやってくる。彼(or彼女)はその奔放な振る舞いによって、徐々に管理社会に風穴を空けていく。最初は風来坊の行動を規格にあてはめようとしていたコンピュータも、段々そのペースに巻き込まれていき、最後は皆が歌い踊り大団円という黄金期のミュージカル映画そのままのエンディング(コンピュータも音楽の演奏や機械のコントロールやらで参加)。

(ジーン・ケリーの一連のMGMミュージカルにはまっていた頃の直球勝負のアイディア。寅さんとエンデのモモも入っています。)







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