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戦中の一時期 コロムビアに所属した作曲家で |
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From:追憶人
昭和13年頃より数年活動し、当時所謂「一発屋」といわれた作曲家である天池芳雄・北村輝・山本芳樹という方々の経歴やその後の消息をご存じの方、是非にもお教えください。 昭和14年頃を中心に独特の曲想の歌謡曲を生み出した方々でしたが、昭和16年を過ぎると忽然と新譜作品の中に名前が見当たらなくなってしまいます。これらの方々の作曲されたレコードを聴くたびに不思議な気持ちにかられるので、よろしくお願いいたします。
2011年01月24日 (月) 00時08分
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作曲家の名前 |
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From:T&T
取り上げてある作曲家はみんな其れぞれ有名な方です。天地のことは余り知らないのですが作品は沢山あるようです。北村 輝はキングに居たときの「もしも月給が上がったら」の作者です。別名でのコロムビアでは余り活躍したようでは無いです。山本芳樹は歌謡曲と言うより歌曲や著述でも有名と思います。 HITがでなくても(歌手にしても)作品の総てを愛したいものです。
2011年01月26日 (水) 20時03分
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From:鈍足2
北村輝S10年頃キングを年振り出しにテイチク、キング、13年6月コロムビア専属で、15年まで活躍しました。ある文献によると、(本名?)平岡照章とあります。日本音楽学校卒で日劇の指揮者だそうです。キング時代のヒット曲「若しも月給が上がったら」の作成裏話をディレクター清水瀧治が語ったのが詳しく書いて有りました。平岡は童謡作曲で知られ、戦後26年「小鹿のバンビ」古賀さと子唄を作っています。キングで東海林太郎「恋のクーニャんン」近衛八郎「信濃の夜霧」コロムビアで瀬川伸「雨降る窓」はま子・瀬川「浪花セレナーデ」はま子「夢の支那街」高峰三枝子「純情渡り鳥」など佳曲あり、決して一発屋ではありません。 16年以降は判りませんが、平岡で有れば85歳まで生きたことになります。 天池芳雄はチェロ奏者の様です。別名南良介 で10年からリーガル12年からはコロムビアでも作っている。50曲弱と思われ半分強はリーガル。これといった曲が無く、私も2曲」位しか聴いたことが無い。青葉笙子(小野寺貞子)のデビュー曲「月の枯尾花」を作った位しか知らない。ただ藤野正夫(立花ひろし)高杉妙子、香取みほ子あたりが多く 興味はあるが。 山本芳樹は13年からリーガル、その後コロムビアだが10曲ほどしか作って無い。別名もある様だが良く判らない。管理人の云うごとく別方面でやっていたのかも。曲は藤野正夫のが多い様だ。私が知っているのは奈良光枝「南京花轎子」だけ。 16年ごろは皆30台半ば、戦争激化でどうなったのか、判らないですね。
2011年01月27日 (木) 15時03分
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山本芳樹 |
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From:鈍足2
修正です。 テープ整理していたら ポリドールS6、9月小杉鶴子「心の日月」が出てき、山本芳樹作曲とありました。流行歌総覧ではポリドール文芸部作曲とあるが、この年かなり多数がこの類で実際の作曲者が不明なのが多い。 その後、7年にポリドール、10年にリーガルでも作っているようです。かなり古くからやっていたんですね。
2011年02月10日 (木) 19時15分
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