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塚越電脳音楽工房 掲示板

何か記念に書いてください!

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[1562] 懐かしい名前
From:花筏

久しぶりにユーチュウブを開いて「葵ひろ子」という名を見つけました。昭和35,6年頃日本テレビで毎週日曜日午前11時からのど自慢勝抜き戦があり、第2代の優勝の佐藤ひろ子さんがビクターから「葵ひろ子」としてデビュー。審査員の吉田正が絶賛する上手さでした。この番組の審査員は上原げんと、万城目正、吉田矢健治等当時を代表する作曲家の方々でした。佐藤ひろ子さんは確か山形の方でおさげ髪でセーラー服姿だった記憶があります、因みに初代の優勝者はポリドールからデビューした「原耕二」です、「関の弥太っぺ」など実に上手くもっと売れると思っていたけどーアイドル歌手が出始め時代に合わなかったのかも知れない。

2012年07月20日 (金) 21時51分


[1561] 歌詞の聴き取り
From:ふろあ

皆様、こんにちは。

SP盤は歌詞カードが見つからないのはあたり前。音源LPに未復刻であったり、復刻されていても入手できなかったり。懐メロの歌詞本もすべての曲を網羅しているわけではもちろんありませんので、あたってもわからなかったり・・・

それまでレコードの聴き取りだけで歌詞を覚えたつもりで口ずさんでいた曲が、のちに歌詞本を入手し確認したら、聴き取り違いをしていた等々・・・

この掲示板にも時々、歌詞の問い合わせの御投稿がありますが、最近また聴き取りの判断に迷う歌詞の戦前曲が出て来ました。
ヒット曲でない懐メロ(SP時代の場合、私にとっては生まれる前なので懐メロとは言えぬが)の歌詞の把握というのはなかなか大変なことだと思います。

2012年07月20日 (金) 07時44分


[1560] またまた、松村久男、やはり有島通男だった
From:鈍足2

昨年9月「愛の子守唄」を唄った松村久男について、それまでの大勢であった楠木繁夫説は、楠木の吹き込み盤が入手出来、聴き比べた結果、全く違うことが判明したことと、声から有島通男ではないか、という事を投稿した。しかし確たる証拠も無く終わってしまったが、この事を証明するものが見つかりました。それはテイチクに残されていた「吹き込み記録」S9年6月24日から10年6月22日までの約1年間のものが入手出来た。丁度古賀政男がテイチクに入社し制作を始めた時期と一致する。例の松島詩子の幾代事件などの興味ある吹き込みの他、変名に関する新事実もあるが、それは後に譲るとして、この記録、ワックス番号(何だろう?)曲目、演奏者(歌手)、吹き込み日、カタログ番号(レコードNO)、発売日などが吹き込み順に記されている。発売についてはこの予定とは異なることもあり、目録や年表を確認する必要はあるが。
松村久男は
 ・S9年10月 「瞼の母」 松村名
 ・S10年2月 「愛の子守唄」松村名
の2曲のみ(他に企業の委託曲あり)で名前が消えたが、この吹き込み記録では、S10年2月14日に「若人の歌」を松村久男名で吹き込んでいる。この歌の発売は4月、歌手は「赤尾松三」ご存知有島通男の本名である。松村を止めた理由は判らないが赤尾松三もこの1曲のみ、余りパットしない名前であり、この後 有島通男に変えたようである。
松村久男は有島通男だった、という事がこれで証明出来たと思いますが。
尚「愛の子守唄」は最初映画と同じ題名の「母の愛」で9年12月7日に吹きこまれ、その後12月21日に「愛の子守唄」で再吹き込みされている様です。
尚 他に変名の間違いも見つかり、後日投稿したいと思います。

2012年06月30日 (土) 16時30分


[1736] 有島通男
From:T.A

塚越電脳音楽工房 様
インタネットを拾い読みしていたら、私の父 有島通男(本名 赤尾松三)の没年が不明となっている事を知りました。
没年は1955年(昭和30年)
なお、松村久男と有島通男は同一人物です。

2014年02月21日 (金) 11時25分


[1556] 花占いの歌詞について
From:歌う映画女優

どなたか、昭和15年12月、テイチクより発売された轟夕起子の歌った「花占い」の歌詞をご存じの方がいらっしゃれば、是非とも教えていただけないでしょうか?
宜しくお願いいたします。

2012年06月16日 (土) 23時30分


[1557] 花占い
From:T・N

何方の解答もありませんね。
私は知らないのですが、
「轟夕起子 花占い」で検索すれば歌が聴けます。
正しい歌詞の表示が欲しいのですか?
メールアドレスを入れられないと、
ここの掲示板に歌詞を書くのは著作権の問題もありますよ。
♪聞かせてよ アネモネの・・

2012年06月25日 (月) 05時41分

[1558] 花占い
From:鈍足2

色々調べて見ましたが、歌詞はなかなか有りませんね。 聴き取りする以外に無いかも知れません。一応聴いて見ましたが、2番と3番の一部が?の所が有りますね。その部分を尋ねられた方が良いのでは、と思いますが。

2012年06月25日 (月) 22時18分


[1555] 懐かしの映画
From:鈍足2

先日古い映画の会があり行って来ました。1回で3本上映、S10年代から30年代までの古い映画を見る会ですが、今回は歌に関係あるのが2本あった。最初は宝塚映画S26年「宝塚夫人」主演は春日野八千代、月丘夢路、有馬稲子などと宝塚オールスター出演のもの。宝塚の歌が多く、月丘はさすがに上手く、有馬もまあまあ、当時在籍の八千草薫も出ており、本当に若々しい。さらに花組の末席に宮城野由美子の名前もあったが、目を凝らして見ても判らなかった。もう1本はS25年東宝「歌姫都へ行く」サトウハチロウ原作のミュージカル?、主演は折原啓子、藤山一郎、特別出演で高峰麻梨子、鶴田六郎が出ていた。筋は歌が好きな温泉の旅館の娘(折原)が後妻に意地悪され家出し東京で藤山に出会い、歌の道に進むというもの。安藤まり子をモデルにしたと言うが、どうかな?折原が口パクで歌ったのが藤山とのデュエット「青春行進曲」声は実際歌ってる安藤まり子、後で出てくる高峰麻梨子が歌ったのが「花と共に泣きて」これがまた良い。音源捜していたが、まさかここで聞けるとは思わなかったのと、高峰がまともに歌っている映像を初めて見たのが感激。作曲は2曲とも映画の音楽を担当した仁木他喜雄である。古い映画はこういう事もあるし、歌手の若々しい顔が見られることもあり、本当に良いですね。

2012年06月15日 (金) 22時11分


[1547] エジプトの夕べ
From:ムタ

 「エジプトの夕べ」の歌詞の一部をキーワードとして検索していたら、次のような本がヒットしました。
  進藤正光著「赤道圏周遊記」文芸社(1999/06)
今から13年前に出版された旅行記です。帯に、「八十路を超え、旅好きドクター 地球を巡る!!」 と書いてありました。エジプトのスフィンクス像の前での随想の一部を引用します。
---
小学5年生の時に担任の先生が教えてくれた 、
 「サハラの果てに日が落ちて 空の夕映え移ろへば・・・」
という哀愁を帯びた唱歌・・・若くして亡くなられた先生の面影と一緒にふとその頃を思い出した。
・・・
まるで砂漠の夕焼けの中に自分もとっぷり浸っているような叙情的なこの歌詞がどこでどうして生まれたかは確かめる術(すべ)もなく、いまだにわからない。
・・・
あれから絶えて久しく耳にしたこともないが、この懐かしい歌詞と曲が、70年後の今もなお、折にふれ、どここかで誰かに歌い継がれているだろうか?
---

2012年05月25日 (金) 11時12分


[1548] 埃及の夕
From:ふろあ

エジプトの夕べ。当方は藤山一郎の『埃及の夕』しか知らなかったのですが、御投稿でいろいろ勉強になりました。

高橋精二編『歌おう大正時代』(平成11年)によると、この唄は大正5〜6年頃作られ、同10年以降にさかんに唄われたとあります。ニットーレコードの書生節で吹き込まれたのが、「さかんに唄われた」時期に相当するのかなと思います。
大正12年の童謡『月の沙漠』が今でも歌い継がれているのに対し、『埃及の夕』は殆ど忘れ去られているようです。
高橋精二氏は、『ナイルの岸』という曲も紹介されていて、『埃及の夕』と『ナイルの岸』は、大正3年頃にイタリアから輸入されて浅草の映画館の電気館で上映された「アントニーとクレオパトラ」の映画に寄せて作詞・作曲されたのではないか、と推測されています。『埃及の夕』の歌詞で「彼方此方の森陰に 土人の哀歌微かにて」など、唄だけ聞いただけでは意味がわからないところがあります。

2012年05月26日 (土) 06時55分

[1549]  『歌おう大正時代』
From:ムタ

ふろあ様
 コメントどうもありがとうございます。実は3月下旬に、高橋整二編『歌おう大正時代』(昭和63年発行版、および平成11年発行の改訂版)に「埃及の夕」が掲載されていて、その本が各県の主要図書館にあることをネットで知りました。それで、福岡県立図書館から2冊の本を借りてきましたが、その改訂版の方を見て驚きました。その本は平成17年4月に札幌市の高橋整二氏御本人(大正4年2月生れ、当時満90歳)から図書館に寄贈されたものでしたが、「埃及の夕」のページに新たな解説や楽譜・歌詞のコピーが貼り付けられていました。新たな解説には、『十三年目の奇跡、「埃及の夕」見つかる。』という見出しのもと、平成12年11月、ある方から藤山一郎の「埃及の夕」のレコードレーベルのコピーとカセットテープが送られてきたときの感激が書いてありました。本に印刷されている「埃及の夕」の楽譜や歌詞は、高橋氏が小学生のとき9歳年上の長姉が愛唱していたのを思い出しながら採譜し歌詞を記載したとのことでした。歌詞と曲について、思い出で書いたものは間違いがあり、藤山一郎の歌の方が『正真正銘の「埃及の夕」』だと思われたようです。

 「埃及の夕」の原作については[1520]と[1525]にも書きましたが、原作の雑誌への掲載は大正10年7月号で、その紹介文に「作者は鈴木雄雄(ゆうゆう、ゆうすけ?)氏。(世に出て間もないのに)早くも替え歌が流行しているので、読者の希望により特に原作を紹介する。」とあります。したがって、世に出て「早くも」流行している、といういうことから、大正9年頃から歌われ始めたのではないかと私は推測しています。雑誌の原文(紹介文、歌詞、楽譜)については、YouTube の「エジプトの夕べ(歌 Sinsy)原作 鈴木雄雄」にのせています。

 「ナイルの岸」の解説については、根拠となる文献が分かりませんが、そういうことかも知れないと思っています。

 できれば高橋様に、藤山一郎よりも前、大正末に演歌師による「書生節 埃及の夕」の吹き込みがあり、そのメロディーはお姉さまが愛唱していた曲に近いこと、そして、原作の作詞・作曲者名が分かったことをお伝えしたいと思いました。 それで、本に記載されている番号にお電話をしましたが、その番号はもう使われていませんでした。また、高橋整二様・ご家族様宛に手紙を出しましたが、残念ながら戻ってきました。

2012年05月26日 (土) 20時29分

[1550]
From:ふろあ

先の当方の投稿で「高橋精二氏」と書きましたが「高橋整二氏」の誤りでした。訂正致します。
当方も平成11年発行の改訂版を持っており、同じように『埃及の夕』の頁に添付の「新たな解説や楽譜・歌詞のコピー」を読みました。今日地元の図書館に行った処、平成14年の改訂版を寄贈しておられ、新たな解説や楽譜・歌詞部分も内容に盛り込み装丁し直した本になっておりました。編著者の完璧なものを「世に残したい」という執念というか意思が強く感じられた次第です。

(今さらながらですが)ここで時系列を整理させていただくと、鈴木雄雄氏の「原作」の歌謡を端緒に、大正10年頃には『埃及の夕』は歌詞を変えて早くも流行していた→大正末年ごろにはニットーの書生節でレコード化されていた、→昭和10年に日本ビクターが藤山一郎版でリメイク企画し発売された−ということになるのかと思いますが、今まで歌謡の原作者の存在がまったくわからなくなっていて、今回ムタ様の調査により初めて判明したということですね。
藤山一郎版ではレーベルに作詞:渋谷白涙、作曲:高木青葉で両方とも演歌師と記載されています(ちなみに渋谷白涙は、上原敏の『男ならりゃこそ』など流行歌も手がけています)。大正時代に『埃及の夕』の書生節を歌っていた側の人々ということになりますね。それにしても、ビクターが再レコード化する際、鈴木雄雄氏についてわからなかったのものでしょうか。

大正時代は「オリエントレコード」(東洋蓄音器、のちに日蓄に吸収)という駱駝印のレーベルもある位、当時公開の洋画の影響からか?、オリエンタルな砂漠の隊商の侘しいさすらいのロマンというイメージがある程度大衆に浸透していたのでしょうか。砂漠の隊商ものというジャンルがあるとすれば、松平晃の『沙漠の旅』とか藤山一郎の『三日月娘』などの曲が入りそうです。その哀愁味は、管理人のT&T様が書かれている『流浪の旅』のような「さすらい歌謡」のジャンルに一脈通じるものがあります。

2012年05月27日 (日) 14時24分

[1551] 訂正
From:ふろあ

「藤山一郎版ではレーベルに作詞:渋谷白涙、作曲:高木青葉(両方とも演歌師)と記載されています」

文中の件で、上記の記述に改めます。

2012年05月27日 (日) 14時30分

[1552]
From:ムタ

 私が原作者について調べたというわけではありません。しつこく Google 検索を繰り返していたら,不意に次のようなデータがヒットしました。

曲名: 埃及の夕
読み: エジプトノユウベ
作曲: 鈴木雄雄
作詞: 鈴木雄雄
歌い出し: サワラの果てに日は落ちて
歌い出し(階名): ミミファラ・シシシミ・ドドドシ・ラ
資料表題: 音楽新楽譜 第237号(大正10年7月号)
出版者: 音楽社(発行)
出版年: 1921(T10).

 2年前に発表された文献で,大阪音楽大学音楽博物館所蔵資料の内,大正期の歌の資料約2800曲について上の項目のようなデータを一覧表にしたものの一部でした。明治期の歌 3900曲余についてもネット上に公開されています。このような表の作成をされている方々のお仕事に敬意を表したいと思います。

2012年05月27日 (日) 21時59分

[1553]
From:ふろあ

語弊がある表現で記してしまい、どうもすいませんでした。大阪音楽大学所蔵の文献資料というのは前にご説明されていましたのでそれは分かっていました(ネット掲示板に自分の考えを率直に述べるというのは難しいなと痛感しています)。

なお、私は実物資料最優先で、次に信頼のおける文献資料、ネット検索は情報が玉石混交なので参考程度という考え方だったのですが、ネット検索による資料の利活用というのももう少し重視する必要があるなと思いました。

2012年05月28日 (月) 04時37分

[1554]
From:ムタ

ふろあ様
 ご心配 おかけしてすみません。最初から詳しく述べると文が長くなりすぎるので,機会があればその時に話しをさせてもらおうと日頃から思っています。それで ふろあ様の [1550]のご投稿にも,実は喜んで説明をさせていただきました。どうぞ率直なご意見をお願い致します。

 ネットの世界はまだまだ不思議な世界で,知らないことが一杯あるような気がします。

2012年05月28日 (月) 08時48分


[1539] 「よい子のお友達(読書週間の歌)中根庸子」
From:ムタ

 米国のコレクターの方の音源を使って、件名の YouTube スライドを作りアップしました。
 戦後第1回の読書週間は昭和22年11月に実施されたとのことです。この歌は、そのときに合わせて作られたらしいことと、中根庸子の数少ない(?)音源ということが意味があると思いました。中根庸子の写真は、夏目魯人さんのページにありましたので、使用させていただきました。なお、音源、写真とも、使用の了解を得ております。

2012年05月01日 (火) 12時51分


[1543]
From:T&T

 そういえば読書週刊とかありましたね。あれは「賣本週間だ」などとマスコミや野次馬に囃されたものでした。今若者は漫画本ばかりで色色ことを覚えるらしくあまり気にしていないようです。私も定年近くは文庫本の推理小説しか読みませんでしたが最近生前整理の積りで古本屋を呼んで見積もらせましたが蔵書全部で2千円ならと」・・・・、、
 もうびっくりして心臓がおかしくなりそうでした。文庫本などは無価値とか。そんな・・・

2012年05月08日 (火) 14時56分

[1546] 古本
From:ムタ

コメント、ありがとうございます。
  昨年、三十数年ぶりに引越しをしましたが、その日が近づくにつれ一番悩んだのが古本の処理でした。特に、昔集めた段ボール何箱かの明治・大正・昭和の古書は、また人の目に触れるように社会に返す責任があるような気がしたもので。
結局、昔よく購入していた古書店の人に来てもらい、それなりの価格で買ってもらいました。本当にほっとしました。

2012年05月10日 (木) 13時52分


[1537] 「支那の夜」について
From:やなぎ

何年か前、「李香蘭」や「支那の夜」についてメールで質問させていただいた者です。その節は大変お世話になりました。
お陰さまで、ブログを開設してなんとかやっております。

次回、私のブログで“米軍と「支那の夜」”というテーマの記事を書くのですが、
塚越様のHPの「支那の夜」に関する情報を引用させて頂いてもよろしいでしょうか。

2012年04月30日 (月) 06時09分


[1538] 支那の夜
From:T&T

 やなぎさん、書き込み有難う御座います。私の駄文がお役にたてばうれしいです。若いとき聞いたた「シー」で始まる英語の歌のレコードがあるのでしょうか、当時は戦後間もないころで、Fen放送で本当に聞いた覚えがあります。死ぬまでに是非ききたいものです。

2012年04月30日 (月) 07時13分

[1540]
From:やなぎ

ご協力ありがとうございます。
4,5日位後に記事をアップする予定です。

「シー」で始まる英語のカバー曲は
2曲あります。
http://www.youtube.comwatch?v=3YH4MtrahLA&feature=player_embedded#!

http://www.youtube.comwatch?v=5hRI7tjs8eo&feature=player_embedded#!

ただし、前者は一番が日本語。
後者はインディアンが唄っているものですので、塚越様がお探しの物ではないとは思われます。

話は変わりますが、懐メロ想いで噺しの「白蘭の歌」の話、とても共感します。

 今となって世の識者は、あの頃の映画はすべて国策宣伝映画だの、愚劣窮まる拙劣映画だのと言われると、自分の青春時代をスポイルされた様な思いがしてならない。甚だ面白く無い気分に為ってしまう。

36歳の私が共感するというのも変な話なのですが、映画館で何度も李香蘭の映画を見ておりますし、私なりに彼女の出演作について調べました。少なくとも大陸三部作は国策映画ではありませんし、映画のヒットは彼女の魅力によるものが大きいです。
「国策映画」「愚劣映画」というレッテル貼りに強い憤りを感じており、それが私がブログを続ける原動力になっております。

「国策映画」については私のブログで解説しておりますので、よろしければご覧ください。映画の「支那の夜」についても、特に力を入れておりますので。

2012年05月01日 (火) 19時27分

[1541]
From:T&T

 ご指示のアドレスにアクセスできませんでした。どうしたらいいでしょう。貴記事の中のアドレスをマウスでコピーして、実行しましたが駄目でした。
仕方がないので「支那の夜」をキーワードに検索しましたがそれらしいものに出合えませんでした。残念です。

2012年05月04日 (金) 16時21分

[1542]
From:やなぎ

http://www.youtube.com/watch?v=3YH4MtrahLA&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=5hRI7tjs8eo&feature=player_embedded
すいません、こちらのほうで合っていると思います。

本日ブログをアップしましたので、ご覧ください。

2012年05月07日 (月) 00時53分

[1544] 支那の夜
From:T&T

 ようつべの動画皆みました。聞きました。やはり「shiーXXXXX(英語)」はないようですね。幻か、はた、聞き違いでしたでしょうか。2曲の「支那の夜」前者は歌はうまういが怪しい日本語、後者はインディアンとか中々興味深い歌いかた。民底の相違かくもあらんかと、感心しました。
貴ブログ記事も読ませてもらいました。プリントして纏めてみたいものです。
李香蘭には特別な思いがあり、20年前の日生劇場の歌劇「李香蘭」も見に行きました。
劇中の歌は「李香蘭」のヒット曲が皮肉にも一つもありませんでした。レコード会社の
専属の違いは知っていましたが。

2012年05月08日 (火) 15時16分

[1545]
From:やなぎ

以前塚越様にメールを頂いた時、放送された時期は終戦間もない頃だったとお聞きした覚えがあります。
多分その頃はレコードが作られていなかった時期でしょうし、塚越様がお聞きになった「支那の夜」は、スタジオで歌手が直接歌ったものだと思います。
私が紹介したカバー曲はこれからの記事で解説していきますので、よろしければご覧ください。

私も4年前の劇団四季の「李香蘭」を見に行ったんですが、「支那の夜」と「蘇州夜曲」は出てきませんでした。中国への配慮だと思いますが、おかしな話ですね。

塚越様の李香蘭への「特別な思い」。
よろしければ聞かせていただけないでしょうか。
李香蘭に関する資料は数多くありますが、
戦後生まれの評論家や、当時を知る人もタレントやマスコミ関係者が多くて、一般人の体験談は非常に少ないのです。
私のような戦後生まれの李香蘭ファンにとって、塚越様のご意見は非常に貴重なのです。
私も彼女には「特別な思い」があります。
あと1年位かけてブログで書く予定ですが、その為に是非参考にさせて頂ければと。

勿論、聞き流してくださっても結構です。

2012年05月10日 (木) 13時39分


[1533] 「今宵別れて」の YouTube スライド
From:ムタ

「今宵別れて」の二つ曲のスライド動画を作りました。そして先ほど YouTube上に公開しました。二つは、歌詞が一ヶ所だけ異なることに気がつきました。

 つかこしとおる 曲:
  なぜか夜空に 鳥が啼く

 江口夜詩 曲:
  なぜか夜空の 鳥が啼く 

2012年04月26日 (木) 20時48分


[1535] 助詞について
From:T&T

 戦争中の学校で教わった私たちの時代の人々は誠に文法のことに弱く、情けなくなります。おかげで英語も満足に教わりませんでした。
 小畑もそのように歌っているのですからそのほうがいいでしょう。私は56年前の記憶でしかありません。印刷物でもあればいいのですが、それもありません。

2012年04月29日 (日) 08時40分

[1536]
From:ムタ

T&T 様
 すみません。かえってお気を使わせてしまいました。

 「夜空に 鳥が啼く」と「夜空の 鳥が啼く」とでは、意味が少し異なりますが、私は圧倒的に「夜空に 鳥が啼く」のイメージの方が良いと思い、感心しましたので、あえて書かせて頂きました。

2012年04月29日 (日) 14時51分


[1532] 米国のコレクターが追加アップしたSP盤
From:ムタ

 最近、6曲が追加アップされましたので、又 レーベルの日本語を読んで知らせる手伝いをしました。次の3曲は、これまでYouTube になかったように思うので、ご参考までにお知らせします。
(1)青春の丘  松原 操 (1946)
(2)裏町セレナーデ  霧島 昇・二葉 あき子 (1946)
(3)夢去りぬ  霧島 昇 (1948)

2012年04月21日 (土) 23時01分







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