 ひさびさに(元?)社会議論ページの面影を…。 早○田のバカ学生はとりあえずほっといて、 ローティーンが殺人か。 この手の事件は、数年前から低年齢化が進んでいますが、 自分も中学生のころはやはり彼らのように抑圧され、 やり場のない怒りがこころに常にあり、 そのはけ口を探していたように思います。 自分は一線を踏み越えませんでしたが。
エネルギーもてあまし気味のときに未だに ひとにやつあたりしそうになるときが ありますが、そういうエネルギーはひとに あてないほうがいい。 音楽、美術、勉強、スポーツ、(大人であれば仕事) などで発散させるのだ。
↑、なんだか超優等生的。 「それができないから困っているんだ。事件が起こるんだ」 それもそうだ。欠けているのは 「できないことをいかにできるようにするか」 という方法論の提示なのでは。もしくは 「いかにしてやろうという気にさせるか」 ということ。 それが行き届いていれば、なんらかの(ゆがんでいない)形でエネルギーの発散が可能となるのでは。 「とにかくやれ」「できないやつはだめ」 の体育会的もしくは教育ママゴン的な暴論ではいけない。
最近、日記に方法論的なことを書いているのにも そういう理由があったりします。
2003年07月23日 (水) 03時16分
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