ガンの闘病を表明しているSite を時たまネットサーフィンしている。天気草もその一つだが、そこでこの正月にHさんが亡くなった事を知った。 えっ!同姓同名の方か?・・・しかし、回想録を読むとどうも同一人物のようだ。
Hさんは、初めて玉川温泉に行った時に、KANONさんのお部屋で出会い、そして暫くお話を伺った方。数少ない直接出会うことができた方。 僕の連れ合いより先に抗がん剤をしたので、お会いしたときにはやわらかそうな髪の毛がきれいに伸びかけていた。いくつかの西洋療法があわず、丸山ワクチンを打ちながらの湯治療養だった。 彼女は、自分のsite を持っていないようなので、メールアドレスを聞かなかった僕らは、彼女との連絡手段はなかった。それでもまたいつか、玉川温泉で、小さな体からあふれ出る一杯のパワーで、笑顔一杯の彼女と会えるような気がした。 残念だ、という気持ちを持ったが、いや待てよ、彼女は精一杯戦いきった天国への凱旋なんだよな、胸を張って生き切ったことを神様に報告しているんだろうな、と思えるようになった。 死を見つめられることは、生を見つめられること。死に切れることは生き切った証拠、と彼女の逝去の報告を聞いて、逆に勇気付けられた思いだ。 しかし残された家族、ご友人らの皆様の悲しみは忍びないものがある。どうぞ慰めの神の恵みが残された人の上に豊かにありますように、と祈ります。
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