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No.204 チェルノブイリ原発事故の日
NAME:Take()

3日も経ってしまった。毎年この時に祈るレクイエム。4月26日はチェルノブイリ原発の事故があった日です。
特に今年は、中近東での戦争で劣化ウラン等の爆弾も使用されたということもあり、人間の能力を超えた原子力について、考え祈る年でもありたいです。
チェルノブイリ子ども基金のグループが中心となっているコンサート等も年を追うごとに見聞きしなくなっています。ただこれはこの出来事が風化されているのではなく、出演する子どもたちがどんどん亡くなっているからなのでしょう。
なかなか一年中、この問題に意識を集中できません。でも、4月に気がつき直され、8月までは祈りの中に入れておきたい問題です。

2003年04月29日 (火) 15時07分

No.206 ひょっとして

NAME:まこと()

プルトニウムを生まない、核兵器を作れない、より安全な原発(トリウム溶融塩炉)を民間が先発で行う時代が来るかも知れません。これには反原発団体も大きな関心を示しています。この数ヶ月のお楽しみです。

2003年04月29日 (火) 20時42分

No.203 ショックやわぁ〜(ーー;)
NAME:Take()

いい道具は一生もの、とか、高くても長い目で見れば安いもんだヨ、とか言う。僕もそう思っていたが、必ずしもそうではない事を実感した。僕はシステム手帳のダイアリーを内容によって4色に分けて書く。そのため4色ボールペンを愛用している。4色ボールペンは余り出回っておらず、デザインが気に入ってLAMYという会社のペンを「清水の舞台から飛び降りる覚悟で」10年程前に買った。
さて、道路上で携帯がなった。電話で話しながらシステム手帳を取り出し、要件の内容から赤の芯を取り出し、スタンばっていた所、突然ノートの真中の谷の部分をボルーペン君は直滑降で滑り降りていった…スキーの経験もないくせに!!
ノートというゲレンデはすぐに終わり、その先はジャンプ台のようなもの。見事落下をしてコンクリートの地面に叩きつけられた。芯を出し入れする機軸が曲がったらしく、ボールペンはノックができない状態になった。
長年愛用しているものは、生命がなくても愛着が湧く。日本人が持ち合わせている文化が、人形や道具を供養する気持ちもわからなくない。
返って安いものを買っておけば、そんなに長持ちもしなかったのかもしれないし、それ故にこのようなショックは少なかったのかもしれない…。

2003年04月29日 (火) 10時04分

No.205 残念でした

NAME:まこと()

それはそれはショックですね。
さぞかし愛着の逸品でしたのにね。
でもこの別れも止むなしの縁なのかな。

2003年04月29日 (火) 20時39分

No.202 4月27日の説教から
NAME:Take()

イースターの翌週の27日、僕たちの教会は、横浜紅葉坂教会の北村牧師をお招きして礼拝を守った。先生とは、寿地区センターの委員長と委員という関係だが、主日の説教を聞くのは始めてだった。
この日僕らに与えられたみ言葉は、ルカ24:13-35、そうエマオに向かう弟子たちの前に主イエスが現れた個所だ。
NYの同時多発テロを聞いて、先生は信仰を宣教するものの限界があるのではないか?と悩んだ、という告白から始まった今日の説教。それはまさにこのエマオへの途上の二人と同じ落胆の中にいる姿だったと思う、と語られた。自分たちの主であるイエスも死に飲み込まれたという虚無感。生より死の力が勝ったという恐怖、がそこにはある。
しかし本当だろうか?主イエスは自分の人生の中で弟子たちに永遠の命をたびたび説いた。しかし弟子たちは、その意味がイエスが死んだ後のその時でもまだ十分に理解できていなかった。
途中同じ旅人のような形でイエスはその2人の弟子たちに再度近づく。そして再度その生前語ったことを弟子たちに説く。聖餐のようにパンを割ったときに、弟子たちはそのみ言葉の真意に気がつく。
死ぬことによって生きたイエス、その語られたみ言葉を聞くことにより、弟子たちは再度熱き思いを抱きなおす。まだ出来る!と言う気になる。精力がよみがえった弟子たちは、そこから果敢に宣教を開始する。
イエスは確かに肉体としてこの世によみがえる事はしなかった。しかし、死んだように落胆していた弟子たちを生き返らせた。
落胆している場合ではない、主イエスは落胆しているときの僕らにもすぐそばを共に歩き僕らを生きかえしてくださる。落胆したときは、教会に戻ろう。そして「心が燃えた」時を思い出そう。

2003年04月27日 (日) 22時47分

No.200 スパウザ小田原問題
NAME:Take()

3年前445億円という途方もないお金をかけ、芥川龍之介のトロッコの舞台となった片浦の山頂付近に作られた労働者保養施設スパウザ小田原が事業破綻をおこし、8億円で小田原市に購入を依頼している。
市長はだいぶ乗り気だが、買っても赤字になるのは必至で、市民の多くは反対をしている。税金の無駄遣いとか言う前に、あの場所に建設した問題点を考えたい。
イタリアは、町から少し外れた山の高台にヴィッラ(別荘)を建てた。それが貴族の権力の象徴のように…。しかし、日本にはそのような発想は余りない。日本の多くは、広い庭を作るという文化を持っていたからだと思う。塀の向こうにある山をまるで自らの庭の一部と思ってしまう借景。障子に影を映してみる造詣の文化。池、石、木。そういった自然との共存をよしとした。だから、様々な樹芸文化も生れた。
ヨーロッパのスクエアーという形、また写実的に刈り上げる、まるで植物を支配した如くのものとは違う。
そして山の移り変わる四季を見て喜ぶこともヨーロッパは余りしないらしい。自然への考え方が若干違うのだろう。
また農地を荒らす動物の侵入を防ぐ生垣という発想と、狩猟のために馬に乗ったまま木の下を通りやすくする樹木のスタンダード仕立てというものの考え方の違いとしても現在につながる。
さて、話はずれたが、そんな日本人は、山頂にモニュメントを作れば借景が崩れることをよく知っていたので、そのようなところには無用なものは作らなかった。
しかし現在小田原には、煙を上げるごみの処分場やこのような大きなホテルが山頂に聳え立つ。
天下り禁止が叫び始められた最中、駆け込むように作られたこの施設。どこが買う、どこが使うという議論の前に、国民、市民が真摯に反省しなければならない負の遺産ではないか。

2003年04月26日 (土) 21時26分

No.201 以前TVで

NAME:まこと()

見たような記憶があります。
小田原の自然の復元のメッカにしてみては?
荒れ始めた山の緑を再生するための公共事業の拠点に・・・。

2003年04月27日 (日) 20時39分

No.197 桧枝岐
NAME:Take()

『10回連続無投票桧枝岐村長選 40年変わらぬ日常』と題した記事がインターネットで配信された。福島県桧枝岐村長選の話である。そして、「告示日の村内には、選挙の気配をまるで感じさせない、牧歌的な日常があった。」とも記載されている。無投票への是非はあると思うが、記載の「毎日が牧歌的」という言葉が、昔訪れた時の事を思い出させた。
桧枝岐は、大きく分けると3つに代表される尾瀬の入口の一つの街。雪深い寒村で、陸の孤島とも呼ばれていた。
紅葉を見に行ったはずだが、折りしも初雪が降り積もった。尾瀬の景色を堪能し、早めのバスで桧枝岐に下りた。他の都市との交流ができ難いという地域的な環境は、独自の桧枝岐歌舞伎を創りあげた。そんな文化財も見たかった。
街は、本当に小さかった。メインの道の両側に家が並び、その裏には雄大な山が視界を遮っていた。お土産物屋も見つからない、唯一と言って良い店舗は農協だろう。そして幾つかの文化財施設も見て宿に向かった。1時間もあれば全部を見尽くせた。
宿は、秘境の湯を世に知らしめようと頑張っている方の経営される宿だ。外見は白亜のモダンなコンクリート4階建てという、明らかに周囲の風景に溶け込めないものだった。目立っていた、それには違和感と嫌悪感を覚えた。その空間だけが、周囲の歴史から切り離されていた。
館内は、時期はずれの秋にも関わらず、宿内は活気に満ちていた。故郷での生活を望んでいる若者だろうか?20代前半の男女の従業員20名ほどが、心地良いほど機敏に動いていた。茶髪、ピアス…見た目はいまどきの若者だった。が、彼らの行動が、いわゆるサービス業らしからぬいでたちの彼らに、嫌悪感を抱かせず、それどころかその接客に満足感を与えてくれるものだった。自慢の温泉も良かったし、和風の食堂も感じよかった。疲れた体を十分に休ませてくれる宿だった。満足感を抱いての帰宅への旅人となれた。
何もない街だった。しかしその退屈さを打ち破るだけの豊かな自然と温かいもてなしがあった。気負った街づくりなど何もない、ただ自分たちの生活を粛々としている。その安心感、その満足感、ふるさとに対する誇りが、旅する僕らにも伝わってきた。それがとても心地よかった。
『立って半畳、寝て一畳』実は人間は、そんなに複雑に考えなくても十分豊かに楽しく生活できるのかもしれない。
『一期一会』観光の極意は、訪れた街で生活する人に会い、ふれあい、同じ時間を共有している事を再確認する事かもしれない。
40年間変わらぬ日常、それだけに完成している街なのかもしれない。
また夏にでも尾瀬を旅しようと思う。

2003年04月25日 (金) 10時15分

No.199 思い出の石仏

NAME:まこと()

こんばんは。今日はボツ原稿の感想を感謝します。
桧枝岐、10年前、行きました。
朝早く、路傍の石仏を見て歩きました。
懐かしい。

2003年04月25日 (金) 20時37分

No.198 ガイアシンフォニーのご案内
NAME:Take()

Takeが関与しております寿地区センターより以下の案内が送ってきました。
ーーーー以下転記ーーーー
さてこの度、「ろばと野草の会」の主催によるガイアシンフォニー(地球交響曲)第4番の上映会が開催されます。
一昨年におこなわれた上映会は、おかげさまで大変な盛況の内におえることができました。
今回上映される「第4番」は、地球交響曲の最新作です。
生理物理学者のジェームズ・ラブロックさんをはじめ、サーファーのジェリー・ロペスさん、環境教育活動家のジェーン・グールドさん、版画家の名嘉睦稔さんが出演します。
お忙しいこととは存じますが、皆様のご来場を心よりお待ちしております。

<ご案内>

『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第4番』上映会

  時  2003年6月28日(土) 
      午後1時開場  午後1時半開演
  所  横浜市教育文化ホール
      (JR関内駅南口下車3分)

  前売り 1000円(小学生 500円)
  当日  1500円(小学生 700円)

  主催   精神保健福祉を考える市民グループ「ろばと野草の会」
  問合せ  ろばと野草の会事務局(担当:西館 午後3時から5時まで)
         電話:045−671−9083
         e-mail: robanoie@muh.biglobe.ne.jp
  後援   横浜市 横浜市社会福祉協議会 中区社会福祉協議会
        中区障害者団体連絡会 神奈川県精神保健ボランティア連絡協会
        特定非営利活動法人横浜市精神障害者地域生活支援連合会
        横浜YWCA 横浜YMCA 寿地区センター
ーーーー転記終了ーーーー

2003年04月25日 (金) 14時52分

No.192 ハッピー・イースター
NAME:Take()

韓国では、北朝鮮に対しての太陽政策の見直し論が強くなってきたという。特に若者にその傾向が強いらしい。「現実論」と「理想論」。未来の方向性を見いだそうとする時にぶつかる2つの主義。
「そんなの無理だよ」「そんな簡単に変わらないよ」「あなたの言っている事は正しいかもしれないが、あくまでそれは理想だよ」そういう言葉を良く聞くし、実際僕も言われた事もある。
未来には二つの要素がある。現実から推測できる部分と全く未知の部分。そして時間的なベクトルが遠ければ遠いほど、また、対象物を知らなければ知らないほど、推測できる部分は減り、未知の部分が増える。その未知に対してどう考えるかが「現実路線」を踏ませるか「理想路線」に走らせるかが決まると思う。
未知を「夢」「希望」と思えばそれは「理想」「輝かしい未来」となるだろうし、未知を「不安」「絶望」と思えばそうならないように現実に近い保守に進めるのだろう。そして改革をする事はパワーがいることから、気力がうせれば同じように保守に近づく。
未知に対して夢や希望をもつことは、そこに信じれるものがなければならない。強い確信がなければならない。
20日、僕らはイエスの復活を祝った。常識では考えられない人のよみがえりの事実。そこに僕らは強い確信と希望がある。しかし、それは科学や数学での証明ではない。なぜならそこにはやはり未知があるから。しかし僕らはその未知を「夢」と「希望」と信じて止まない。

2003年04月22日 (火) 10時15分

No.193 理想への祈り。

NAME:たかぱん()

復活は、未知も未知、究極の未知ですね。歴史さえ証明することができないのですから。
Takeさんのお話の中でもとても分かりやすいと私が感じたものでした。
ところで私たち人間は、この世で、理想だけでも生きていけないし、現実だけでも生きていけないことになっています。地上の旅人として、天上界にも地上界にも属するような立場だからでしょうか。それは、何もキリスト教の独占物ではなく、哲学でも神話でも多くの先人が抱いた思想・物語にも現れているものです。
そのどちらをも大切にすることは必要ですが、どちらが源か、と問われれば答えははっきりしています。
蛇のように賢く振る舞うべく、主は命じられました。この世での賢さというのが、はたして不正な管理人としてのあり方なのか、あくまで鳩のように神にこそ忠実であることなのか、解釈はあるでしょうが、たとえどのように振る舞おうとも、「原理」として神がその究極の痛みを以てプレゼントくてくださった「希望」を抱き、それとのコンタクト、つながりとしての「信」を保ち、「祈り」として具現していく――それが、キリストの側につく者の態度なのでしょう。

ただ、戦場という現場は、きれい事ではすまない現実の極致となります。戦場にいた人を、安穏とした場にいる者が非難することだけは、避けたいと願います。それは、理想とは逆の方向に遠ざける作用をもたらします。彼らとそれを取り巻く人々を、ますます頑なにしてしまうからです。むしろ、戦いの場にいた人には、精一杯の理解と慰めが必要でしょう。とんでもないトラウマを引き受けてくれたのですから。
福岡からは、木村公一という牧師が、イラクに志願して留まっていましたが、昨日帰国しました。アフガニスタンのときには中村哲さんという主の僕たる医師も、先頭に立って弱い人々を守ろうとしました。福岡から、こんなすばらしい賜物をもった方々が働いていることに誇りを感じると同時に、その後ろで自分に何ができたのだろう、何ができるのだろう、と問わざるをえない毎日です。
そこに残るのは、今「祈り」だけ……。

2003年04月22日 (火) 11時40分

No.194 理想と現実の間での祈り

NAME:Take()

「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」と誘惑にあったイエスは、悪魔に答えます。この回答は、決してパンを否定するものではないわけで、と同時に神の言葉の重要性も表していますね。その後、弟子たちに与えられた主の祈りも、神を賛美した後に、糧を与えたまえ、と祈ります。仰るように理想と共に現実の生きることが大切であると思います。
そして、たとえば主の祈りは、僕ら飽食の日本に生きているものも、食糧難の各地に住んでいて、何日も食べていないものも、共に同じ祈り文を祈っているって事が重要だと思います。
「神の口から出る一つ一つの言葉」は、なになのでしょうか?そこにはやはりあなたと同じように隣人を愛しなさい、という言葉のような気がします。彼らは希望を持ちつづけられるか?そこには、隣人として与えられた僕らの使命感の強さが問題ではないでしょうか?
後半のお話は、また次回にさせて頂くことにしましょう。

2003年04月22日 (火) 20時57分

No.196 共に同じひとつの……

NAME:たかぱん()

共に同じ祈り文を祈っている、というのがいいですね。「ひとつになるため」(ヨハネ17)というのが、かつて勤めていたYMCAのモットーでしたが、主の祈りはそうした働きをも導くものなのですね。
隣人の問題となると、「行って同じようにしなさい」というイエスの言葉が響いてきます。さまざまな「同じ」スタイルがある、というふうにも私は理解しています。さまざまな形、別々の現れがあったとしても、「同じ」であり「ひとつ」であることができるのではないか、と。
主は、復活後もさまざまな姿で現れてくださいました。さまざまな人はそれぞれ、現実の場でさまざまな生き方をするでしょう。でも、「同じ」「ひとつ」の信仰の中で、「同じ」「ひとつの」神のもとで、「同じ」「ひとつの」計画に従って、神を具現できるのだ、という希望はもてるわけです。

なお、先の戦場の話題については、『戦争の甘い誘惑』(クリス・ヘッジズ著・中谷和男訳/河出書房新社,2003.03)の生々しいレポートを読みながら思い浮かんだ一つのラインでした。自分が現場にいるかのような気持ちにさせてくれました。

2003年04月23日 (水) 00時42分

No.195 プロ野球(3)
NAME:Take()

1点差、逆転負け…。今年はこういう負けが多い。
去年より強い、去年よりは楽しみにできる…、と思っていたら成績は去年より悪かった。
自信のなさがこのような成績にさせているのだと思う。去年よりも力は上がっているはずだ。
ではなぜ…、一番必要なのは新しい力のある選手ではないのかもしれない。優勝した年は駒田選手がいた。去年巨人は清原選手が戻ってから加速度的に優勝に向かった。精神的に支えとなる選手が欲しい…。

2003年04月22日 (火) 22時01分

No.190 復活。
NAME:たかぱん()

Takeさん、HPストップの件でのご指摘ありがとうございます。
HPはめでたく復旧したようです。
(実を言うと、BBSの壁紙はtok2でない別のサーバーから呼び出していたのです。裏技?)
受難日に、早くも復活、ってとこですね。感謝。

2003年04月18日 (金) 22時38分

No.191 おめでとう

NAME:Take()

早々のイースターのご挨拶…ありゃ、違った!
でも何はともあれご復活おめでとうございます。
今年の受難週は、なんだか忙しくてだれにもインターネットのイースターのグリーティングカードを送れませんでした。

2003年04月22日 (火) 10時10分

No.189 井上氏と鈴木氏
NAME:Take()

今日のサンスポ『甘口・辛口(今村忠氏)』のメッセージも良かったのでご紹介。
柔道100Kg以下級のシドニーオリンピックで、井上氏は表彰台に母親の遺影を掲げた。
その彼が、6日の試合で鈴木選手に負けた。しかし、選考委員会は9月の世界大会に「金が取れる可能性が高い」理由で井上氏を選んだそうだ。井上氏は、鈴木氏に『君には申し訳ないことをした』旨のメールを送ったという。勝っても選考されなかった無念に対しての彼の精一杯の配慮であり、後輩を思いやる優しさだったのだろう。
すぐに鈴木氏から電話が入り「気にしないで下さい。僕の分まで頑張ってください。」と言われたという。そして取材に対して鈴木氏は「実績は向こうが上。少し選考委員会を困らせたかな。」と笑ったという。
選手である以上、大会に出たい気持ちは痛いほどわかる。そしてそのために死に物狂いの練習を積み重ねてきた。
しかし、この二人にはそれ以前の人としての優しい思いやりが見える。その優しい思いやりは、知った人まで優しい気持ちにさせてくれる。

2003年04月18日 (金) 10時37分






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