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No.235 24日の説教から
NAME:Take()

8月24日、僕らが与えられた聖書の個所はルカによる福音書12:35−48でした。「主の来臨にそなえる」と題された説教を聞いて、いつものように思ったことを…。
「キリスト教はご利益宗教ではない」と僕らクリスチャンはよく言う。
祈ったから、信仰深いからその祈りが聞き入れられやすいものではない。神様のみ心のままに僕らは生かされているだけだ。そういう意味だろう。
だから信仰者だが無心論者に近い位置にいるのではないか…。牧師はそう口火を切った。ショックな言葉、一瞬拒否反応を示しながら、かみ締めるたびになんとなく理解をしていく。
マタイより後に記載されたルカ福音書。インマニエル(主共にいる)事を強調するマタイに比べて、ルカは(再臨の)待ちの姿勢だ。おすがりする神は今はいない留守の間。
しかし確かなことは、誰もが生涯の終わりが必ずくること。その審判(主人の帰宅時)まで僕ら(しもべ)は留守を守らなくてはいけない。
不完全な人間(僕らは)、留守を充分に守れないかもしれない。しかし、大切なのは留守を守れないのはあたりまえだという考えや留守の間主人の目がないからやりたい放題という考えから脱出することだ。
いつ主人が帰ってくるか(この世の生涯を終えて神の御前に行くのか)は主人のみ知っている。そのときに主人に顔向けができない、などということがないように生きていきたい。

2003年08月30日 (土) 22時00分

No.234 遊び方
NAME:Take()

久々に我がベイスターズが阪神タイガースを大差で破った。連敗を続けている元気のない阪神の戦い振りにファンはきっとやきもきしているだろう。
だが、そんな試合も終わればトラブルもなく、何より星野監督の要望により、周囲が公園である横浜スタジアムではジェット風船は自粛してほしいの言葉どおり、自分の応援の仕方を変えてまでの中の帰路だったに違いない。
数日前、直火禁止の立て札がある海岸において直火でバーベキューをしている若者にTVのアナウンサーがインタビューをしていたのを思い出した。「直火禁止なのを知っていますか?」の問いに「朝早くおきて楽しみに来たんだ。邪魔をしないでくれ」が答えだった。
人生息抜きは大切だ。目一杯楽しむべきだ、と僕も思う。が、周囲を一切無視して王様のように楽しんで、後片付けはしておけ、(直足で)海岸や潮溜まりで遊ぶ子どもの火傷なんて知ったこっちゃない、は遊ぶルールを逸してはいないか。
数節前、心無い阪神ファンによってベイスターズの選手は守備妨害をされた。しかし多くのファンはそれをしっかりと身に受け、素敵な応援をして帰ってくれたことに心が安らいだ。

2003年08月23日 (土) 19時35分

No.233 ケッタッキーフライドチキン
NAME:Take()

重苦しい話題が多い中、今TVで「トリビアの泉」という番組をやっている。同でもいい薀蓄を語ル番組。
その中で、ピラミッドを守るスフインクス…。悠久の歴史をじっと見守っているスフインクスは、現在、ケッタッキーフライドチキンを見つづけているそうだ。
その店舗の名前はケッタッキーフライドチキンスフインクス店という名前だそうだ。
時代と共に見るものが変わるだろうが、よりによってケンタッキーとは…。

2003年08月20日 (水) 21時23分

No.231 転移
NAME:Take()

退院をまじかに控えた15日夕、担当の医師から所見ならびに今後の治療計画が話された。
なんと、リンパ節の転移があるとのこと。しかも6/20という数値に、呆然。
ショックを受けたものの、本人が頑張っているのに、僕一人落ち込むわけにも行かない。
考えてみれば、これは可能性の問題で、決定したわけではない。今後、全身に散っていく可能性があるがん細胞を、本人の持っている治癒力とそれをサポートする西洋、東洋医学で立ち向かい、なくしていけば良いだけのこと。
厳しい試練としての闘病生活を送るわけだが、精一杯闘って行きたい。

2003年08月17日 (日) 00時21分

No.232

NAME:りんむー()

実家から帰ってきてたまったあれこれを片付けていたらもう日曜日になってしまい、また寝不足でJCだ〜と思いつつ立ち寄ったら思いがけない転移のニュース。
こんな時に「頑張って!」とかって励ましはどうなんだろう?頑張っているんだものね。
毎日祈っています。
そして晴れて退院して教会に戻るまでの間、頼まれたことなど微力ではありますが私頑張りますから、心置きなく治療に専念して下さいませ。
そんなことしか出来ないけれど・・・

2003年08月17日 (日) 00時46分

No.230 手術
NAME:Take()

連れ合いが乳がんの手術をした。幸い転移はなさそうで、温存手術ですんだ。
ある日突然、自分で発見し、そして突然の入院・手術。
過日、家族ぐるみで交わりをしている友人で、信仰の先達の葬式礼拝において、選ばれた聖句は、すべてのことには時がある、だった。まさにその通りで、そのすべてに主の大きな憐れみを感じた。
しかし、僕らはそれだけを満足してはいけないと思う。神がこの小さなものに対しても力を尽くしてくれたように、僕らも持てる力を振り絞っても病魔と闘わなければならない。
それをすることにより、ただ主のみを仰ぎ、主に委ねることができる。
とりあえず、頑張って手術という第一関門を突破した連れ合いに、お疲れさんをいいたい。それと共に、祈り、励ましてくれた多くの知人・友人に感謝を言いたい。

2003年08月04日 (月) 22時58分

No.229 8月3日の礼拝から
NAME:Take()

平和聖日のこの日。与えられたみ言葉は、ルカによる福音書8:1-3。そして説教のタイトルは「女性の働き」でした。
説教のメインから外れた話しで恐縮ですが、中で「マルタとマリアの話」が出てきました。この話、もてなしをするマルタと主の話を聞くマリア。マルタがマリアは何も手伝わないと不服を言うと、イエスは一番良い一つをマリアは選択した、と返す話。
この2人のした事はそれぞれ甲乙つけがたい大切のこと。
しかし、問題はマルタが自分と同じ事をしないマリアに対して、おまえも働けという…。教会の内外、活動をしている者はよく動くことをしていない者に対して、なぜ動かない、と非難をする。がもともと奉仕は、他人に強制をするものではない。ただ自分の信念、自分の喜びとしてすべきだろう。
イエスは、マルタに厳しい言葉を発したのはその奉仕という部分の欠如だったのではないだろうか?
イエスは、神を愛せ、他人を愛せ、は同じ重さという。心に刻みたい。

2003年08月04日 (月) 22時47分

No.228 27日の礼拝から
NAME:Take()

7月27日の礼拝で、僕たちに与えられたみ言葉は、ルカによる福音書7:36-50。
親鸞が「善人なおもて往生す、いわんや悪人においておや」と日本でも鎌倉時代に説かれた。まさに信仰のあるべき姿を見せられたシーンだ。
クリスチャンは枕言葉のように「敬虔な」といわれる。また、子どもの頃は(うちのようにノン・クリスチャンの家庭では)悪いことをすると地獄に落ちる、といわれたことも多いのではないだろうか?
聖書や浄土真宗では考えられない発想だが、儒教などの影響も受けた結果かもしれない。
決して悪いことをしてもいい、と嘯いているのではない。悪いことを反省する心は、悪いことをしていないと思っている高慢な心よりも、純粋なのかもしれない。そしてもうひとつ。さまざまな理不尽な事件も数多くあり、嘆き悲しんでいる人もいる。人は弱い。そのようなことがあれば、怒り悲しむ。
しかし、加害者よ、悔いよ。改めよ。残されて断腸の思いの残された被害者家族のために、罪を悔いれば神は許されるはずだ。
そんな大それた事件の加害者でない僕らも、細かな罪を犯しつづけている。が、神の思いは同じだ。

2003年07月29日 (火) 20時28分

No.227 天国への凱旋
NAME:Take()

何度かこのBBSにも書いた教会の兄弟で親しい知人のF兄が21日に亡くなった。
2000年の貧血から始まり骨髄移植までをもした末の昇天だ。
半年前の移植を前に、同兄は医師からの「移植をしなければジリ貧で、後数ヶ月。移植をしても危険」との説明に家族に「考えても分からなくなるだけだから考えるのを止める」と回答したそうだ。
同兄のことを知らない人は、一見、投げやりにも聞こえるかもしれない。しかし同兄はそういう人ではないことを僕はよく知っている。
不完全な人間は、明日のことなど知る術が無い。そんな中、自分を超越した神さまのご意志を考えても分かること無い。すべてを主に委ねる。ぎりぎりのラインにおいても同兄は、そう思いつづけたのだろう。
神様を信じぬいて駆け抜けた人生。
良き信仰の先達に出会いえたことを本当に感謝します。

2003年07月24日 (木) 22時27分

No.226 7月13日の礼拝から
NAME:Take()

ばたばたとした毎日、忙しいとは心を亡くすと書くというが、まったくそんな感じの毎日だった。主日の礼拝で与えられた説教の雑感を書くのもご無沙汰をしてしまった。
この主日与えられたみ言葉は、使徒言行録11:1−18。
牧師は、教会は「求めよ!さらば開かれん」とばかり自分はどっかりと教会の中に座り、他人に「来い!」といっている。また、出て行くものに対しては「深追いはしない」と嘯いている傾向がある、と語る。身に覚えのある姿。
そこには自分は変わろう、自分がまず動こうという姿はみられない。
与えられたみ言葉は、ペテロが生きていく上で一番生活観のある食生活の変革という形から伝道に入った話だ。
伝道に行き過ぎな宗教団体もある。そして僕らはその姿を快く思ってみてはいなかったが、他人の変革だけを望む、自分は変わろうとしない、そんな閉塞感のある教会もいけないのかもしれない。

2003年07月20日 (日) 07時49分

No.223 この一週間
NAME:Take()

ゴキブリは狭い所が好きです。これは、触覚を触れながら行動をするため、触覚が触れることが出来ない所を嫌うためと言われています。
先週、教会の先輩であり知人の方が重篤になりました。今夜が峠と言う危機に瀕した最中、僕の連れ合いがガンであることが判明。
ダブルパンチの攻撃を受け、だいぶ凹みました。もちろん神様に従って歩いているとは思いますが、ただそれだけでなく、周辺の人に十分寄りかかって生きていたんだな、と実感しました。
触覚が触れて安心していたところに、急に触れているものが壊れそうになった恐怖、不安…。
吉田拓郎氏は、自分の闘病生活に触れて「世界で一番弱虫でした」と告白しましたが、全くその恐怖や不安にかられると、恐ろしいほどの弱虫になってしまいます。
イエスはゲッセマネの園で「不安を取り除いてください」と心中を告白します。しかし続いて「(イエスご自身の)思い通りではなく、神様のみ心のままに」と祈りを続けました。
弱虫に取り付かれると、残念ながらこの後半がなかなか祈れなくなりますね。一生懸命祈っていても、「でも…」と祈りなおしてしまう。
幸いに、知人は今も厳しい状態ながらも峠を越しました。連れ合いも、だいぶ大きくはなっているようだけれど、転移はしていないようです。
なかなか神様に全てを委ねきれない弱さと、そんな不信仰な者でも愛してくださっている事を実感しました。やっとBBSに書く元気がちょっぴり出てきました。

2003年07月01日 (火) 10時04分

No.224 回復をお祈りしています。

NAME:sato()

主の豊かな癒しの御手が働いてくださいますように、奥方とご友人が回復へ導かれますように心から祈っております。

2003年07月01日 (火) 22時07分

No.225

NAME:ショートブレッド()

Takeさん、遠くにいて、本当に祈ることしかできませんが、
お連れ合いのこと、教会のご友人のこと、
そしてお二人に関わるすべての方を覚えて
お祈りしています。
すべてに支えの御手がありますように。

2003年07月03日 (木) 06時21分






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