| No.269 11月2日の説教から |
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永眠者記念礼拝のこの日、与えられたみ言葉は、創世記3:1−5。聖書に不知な方でも知っている人が多い個所。エデンの園において、禁断の木の実を蛇の誘惑にそそのかされてアダムとイブが食べてしまうシーンだ。 目が開き、裸でいる事を恥じるようになった、という聖句。裸は、物理的な「裸」だけではなく、自分をさらけ出す、という精神的な 裸でもある、と牧師は語る。 善悪を知りたいという誘惑の結果、「裸」という本来の自然体の自分自身を受け入れることを拒むようになってしまう。自分を隠す、ごまかすという自己防衛に走り、それは高じて神の顔を避け、神から逃げ隠れる。 神は言われる、なぜ本来の姿を隠すのか、と…。ヒトは答える、アダムはイブの、イブは蛇の責任と…。責任の転嫁だ。そしてそれは他人の責任の追及という形になる。 善悪を知りたいという誘惑、神のようになりたいという誘惑に陥った結果、ヒトは自らをごまかし、ヒトに責任を押し付ける。これこそが罪におちた状態ではないか。 神はそのままで善しと言ってくれたはずだ。すべての重荷を負ってくれたはずだ。その神を信じ、心の殻を脱ぎ捨て今週も歩んでいきたい。
2003年11月03日 (月) 19時45分
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