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No.605 知と行動
NAME:Take()

とあるSiteに伺って、感銘を受けた言葉。
氏の講演の中の一言だが、「僕には話した責任がある、皆さんは聞いた責任がある。」
聖書の言葉に通じる一言。
聖書も読んだだけでは、ただの小説。それをみ言葉と信じ、従い実行するところに宗教書としての価値がある。

2005年03月25日 (金) 18時16分

No.603 意見と対話
NAME:Take()

インターネットの毎日新聞によると、
25日に行われる万博開会式の来賓招待の対象となった愛知県瀬戸市議28人のうち、万博反対派の市議、加藤徳太郎さん(55)だけに万博協会からの招待状が届いていないことが、23日分かった。 と記している。
1つのイベントをしようとする時、意見は分かれることはよくあることで、古代ギリシアでは、全員一致した出来事は認められない、というルールがあるぐらい、反対意見がないのは異常なことなのかも知れない。
それに対して反対したから、と威圧するようにこのようなことをする執行部の度量のなさを暴露したわけだ。
そもそも中部地区で万博を行いたい、という希望が発表された時に、大手トヨタが地元でと誘致してこの野鳥の宝庫で開催されることになった。開発なき万博、とか自然との融合、とか言いながらも、不十分なアセスで強引に進めた経緯もある。
・・・しかし、今日言いたいのはそのことではない。少数反対者をどう考えているか?という問題だ。マイノリティーというカタカナ語が認知されつつある今の日本において、権力を持っている人たちは、その社会情勢を無視して、あいも変わらずマイノリティーに対して威圧的に牙を向く。
昨年のプロ野球問題の渡辺氏、そしていま戦いの渦中にいる日枝氏。相手に向かって話し合いに応ずる気はない、と言い切る姿、そして憲法9条問題。
始めに言葉があった、そう僕らは神さまから言葉という大切な道具を頂いたのだから、会話を通して、話し合いを通して、物事を解決しようとしたいものだ。

2005年03月24日 (木) 18時50分

No.601 福岡地震
NAME:Take()

「福岡地震繁華街にガラスの雨」というタイトルが、今日のインターネット配信ニュースに記されている。
過日、新潟地震のときにTVでやっていた同様の地震が都心を襲ったら・・・、とのインパクトのある映像とこのタイトルがオーバーラップした。
空気には落下物に抵抗しようとする力が働くわけで、ものが落下する際はその空気抵抗を減らそうという力が働く。つまり、三角形の割れたガラス板は、とがった部分を下にして落下してくる。それが標記のように無数に振ってくるとなると、その恐怖は計り知れない。
耐久性のあるビルだから安心、といわれているが、ゆすられた圧力で割れたガラスまで考えた末の安心なのか?今回の記事で都会が一層怖くなった。

ちなみに下記URLでは、地上] mから10円玉を落下したときの威力はどの程度か?を簡単に知ることができるのでお試しあれ。

http://fleshwords.at.infoseek.co.jp/qa/qa081.htm

PS 末筆になりましたが被害にあわれた方に心からお見舞い申し上げます。

2005年03月21日 (月) 12時45分

No.600 20日の説教を聞いて
NAME:Take()

棕櫚の主日の日、僕らに与えられた聖書の箇所は、マタイによる福音書27章32−56。

兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。
折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。
しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。
その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。

小学校の際、遠足に行った後、僕らはよく作文を書く授業を受けた。同じ体験をしながら、その作文には同じ作文はもちろん一つもなかった。それは、一人一人が同じ行事を共有しながらも、個々の楽しみを享受したからだ、と思う。マルコーマタイールカ福音書も、同じ場面を書きながらも、見方、思惑、歴史的背景などから少しづつ内容が異なる。
マルコは、一緒にはりつけられた2人の強盗もイエスをあざけり、十字架上でイエスは「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」といい、神殿の垂れ幕が裂け、百人隊長が神の子としての証があった。と記している。
マタイは、一緒にはりつけられた2人の強盗もイエスをあざけり、十字架上でイエスは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」といい、神殿の垂れ幕が裂け、死んだ聖者が復活し、イエス復活と共にエルサレムに行った。また、百人隊長が証をした。と記している。
ルカは、2の強盗のうち1人はあざけるも1人はイエスの冤罪の死を悲しみ、主として仰いだ。そして十字架上でイエスは「父よ、私の霊を御手にゆだねます。」といい息を引き取り、百人隊長の証があった。と記している。

ルカは、かなり後期に宣教として記した部分も多いので、理論的に、そしてイエスの神性を重視しているが、マルコやマタイのイエスの十字架の死は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」という絶望感を含んだ孤独の死だ。そしてそれと共に垂れ幕が裂けた記載もある。この垂れ幕、聖なる物と俗なる物を分け隔てる、という意味がある。その崩壊を意味していると牧師は説かれた。

イエスの死は、ローマ帝国や祭司長らの保守、つまり自分だけよければいいという気持ちの総体制だった。人一人の命より地域住民の反乱による自分の仕事の評価の低下を、祭司長としての権力の低下を恐れて、皆でイエスを亡き者とした。これは現代においても権力者の保守の体制として根強く残っている。

いろいろな事を教えられた中身の濃いこの主日の最後、牧師は32節の記載で締めた。キレネ人のシモンという男が、たまたま田舎から出てきたところでイエスのゴルゴダへの道に出くわした。ローマ兵士に言われて無理やり十字架を担がされた。
このシモンの立場は、いまの僕らと同じだ。「たまたま」、そして「いやいや」、しかし神さまはそんなシモンに重大な役割を与えてくれた。パウロもそうなのかもしれないが、召しのきっかけはそんなものかもしれない。

2005年03月21日 (月) 02時06分

No.596 こちらでは、はじめまして!
NAME:みーやん@ひつじの家()

Takeさん、リンクから飛んできました。素敵なHPですね。出会うことが出来て、うれしいです。
Takeさんのプロフィール拝読して、胸に迫ってくるものがありました。人との触れ合いを通して、自分の姿を確認していく、元気を戴いている自分に気付いていく・・・素敵なことですね。自分の殻に閉じこもっていては、絶対に感じることのできない、喜び、葛藤・・
これまで、ずっと殻に閉じこもって、静かに周りを見回し続けてきたわたしなんですが、最近気付きました。人との交わりで、悲しいこともあるけれど、喜びを感じるのも、交わりを通してしか、味わえないと。当たり前のことなんですが、こんな基本的なこと、やっと自分のこととして受け取ることが出来て、一歩踏み出そうとしてるときに、Takeさんと出会ったので、うれしくなって、こんなにも長く書いちゃいました。これからも、お願いしますね。

2005年03月15日 (火) 00時05分

No.597 愛せれば良し、愛せなくてもそれまた良し・・・じゃあないでしょうか

NAME:Take()

釜が崎で野宿者の炊き出し支援をしている神父が、「見てみぃ、この一番後ろにイエスはんが並んでおられる」といったというのは、業界(?)では有名な話です。
そして、マザーテレサ師の言葉に、「この世で一番悲しいことは、「自分は誰からも必要とされない」と感じることです。」というのがあります。

イエス様の人生と野宿者の人生は、共通している点があると思います。聖書のイエス像は、正しいことをした結果人が寄ってきたのだが、最後には群集心理で、全ての人、一番溺愛する弟子にすら裏切られて一人死んで行きます。
野宿者も、高度成長時代には、貴重な労働力としてちやほやされながら、結局はバブルがはじけ、年を老い、福祉政策という行政からも見捨てられます。「汚い」「邪魔だ」「怖い」、どこに行っても異常な嫌悪感を抱かれます。
「誰からも必要されない」ことはテレサ師の言葉を借りるまでもなく、辛く悲しいことだと思います。しかし、イエス様は最期の時にその一番の悲しさ、辛さを味わったんですよね。僕らのために・・・。そんなイエス様だからこそ、その悲しみ、辛さをよく理解をしてくれて、真摯に愛をもって対応をしてくれるのだと思います。

砂の上の足跡
ある晩、男が夢をみていた。
夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。
そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。
どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。 ひとつは彼自身のもの、もうひとつは神のものだった。
人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。
すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。
しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、悲しいときに起きているのだった。
すっかり悩んでしまった彼は、神にそのことをたずねてみた。
「神よ、私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。
しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。
私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか」
神は答えられた。 「わが子よ。 私の大切な子供よ。 私はあなたを愛している。 私はあなたを見捨てはしない。
あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ」
作者不詳

プロフの中でも書きましたが、聖書は「隣人を(ただひたすら)愛しなさい」とは書いていなんですよね。「隣人を自分と同じように愛しなさい」という言葉、そして「自分は誰からも必要とされない」ことの恐怖。
しかし、隣人を愛せなかった、隣人との間に溝があった、と悩むならそれはある意味間違いだとも思います。イエス様は、そんな悩む僕たちを背負ってくださっているんですよね。
めぐみにただただ感謝です。

なんだか収拾のつかない文章です。支離滅裂な雑駁な文章から、読み取ってくださればありがたいです。またお越しください。

2005年03月15日 (火) 12時36分

No.598 ありがとうございます

NAME:みーやん@ひつじの家()

イエス様の十字架は、すべて丸ごとの私を引き受けてくださってる、不安いっぱいの自分も、葛藤を抱える自分も、こんなでは、だめだと、自己嫌悪に陥ってしまう自分も・・・その思いすべて、その思いとは比べ物にならないすべてを、十字架に持っていってくださった。十字架の上で、すべてを滅ぼしてくださった・・・いつもいつも、覚えていたいです。後ろ向きな思いに囚われそうになる時、いつも、十字架を覚えたいです。水戸黄門の印籠のようですね・・
砂の上の足跡、素敵ですね。背負ってくれるイエス様。あなたの大きな背中に身体をまかせて、大きな安らぎを感じたいです。

2005年03月16日 (水) 03時40分

No.595 13日の説教から
NAME:Take()

3月13日に、僕たちに与えられた聖書のみ言葉は、マタイによる福音書20章20節−28節。

そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」
イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」
ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。
そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

子どもの頃見た「鉄人28号」「ジャイアントロボ」そして「ウルトラマン」。その後もたとえば「宇宙戦艦ヤマト」・・・。映画でも「ロッキー」や「ベン・ハ−」。いずれも主人公(若しくは作品中の正義の味方)は能力の拮抗したライバル(敵)に対して、非常に困窮をしながらも最後には勝利をする。僕らは、こうした「最後には必ず勝つ」事をずっと刷り込まれながら生活をしてきた。正義は勝つ、と思い人生を過ごしてきた。しかし、所詮目の前の戦いに勝利をしたところで、心の中には相手を思いやる悲しみや苦しみが残り、ただ単純に晴れ晴れとした気持ちにはなれないものだろう。真の勝利とは目の前の勝利とは違うものなのかもしれない。
目の前の勝利にしがみつきたくなるのは、しかし、僕らだけではないのかもしれない。受難の時を目の前にして、与えられるみ言葉も、イエスの遺書のような言葉が増える。今日の箇所をみても、イエスの弟子たちは、まだ「この世的な勝利」が必ず来ると信じ、その権力の座を夢見る。
十字架に付けられた時も、たぶん弟子たちは「エリア」や「天使」がイエスを助けに来て、この世の権力者に天罰を与え、イエスが王になることを信じていたのではないだろうか?
その姿は、正義の味方が最終回以外は死なないことをどこかで知っていながらも、ワクワクドキドキしながら見ていた僕らに重なる。

しかし、イエスは十字架で死んだ。これを見てイエスが救い主になれないと思うのは、「この世的」なものの見方であり、「神」の考えより「自分」の考えが正しい、と思っているからだろう。
イエスは仕えた、全ての人の重荷を負うというミッションをうけて十字架についた。この世的には全ての重荷を負う、という損な役回りをしたのかもしれないが、それは神のみ心は真の勝利者の姿はかくあるべき、ということをイエスは既に知っていたからではないだろうか。
この日、その勝利を僕らも知った。ならば信の勝利者になろう。

2005年03月14日 (月) 21時53分

No.594 憲法9条
NAME:Take()

とあるきっかけでたどり着いた「カンバーランド長老キリスト教会」国立のぞみ教会の伝道師の方のSiteを見ていたら、ブログに憲法9条マガジンというWebSiteが3月1日から公開されている、と記載されていた。
早速、僕のSiteのmission内の「あくなき欲の追求」内のLINKに載せた。もちろんそんなややこしいところから見に行かれるのは面倒だろうから、この記事のホームページマークをClickすることでジャンプできるようにしてある。
僕の考えは基本的には改憲派だ。しかし、多くの為政者グループの改憲派の方とは意見は異なる。環境の問題、マイノリティーの方の人権問題、等々であって、9条に関しては、もっと世界に誇りを持って発信すべきものだと思う。
そして護憲派であろうが、改憲派であろうが、世界の平和に対しては同じようにYESといっているのだから、その手法に対してはもっとよく話し合うことから始めるべきではないだろうか?
そのための一つの考えなので、多くの方に見てもらいたい。

2005年03月11日 (金) 22時21分

No.593 ありがとう
NAME:Take()

「2ちゃんねる」という匿名性が強いが故に、人間のいやらしさを強く感じるSiteがあります。知っている人は思わず小馬鹿にするようなSite ですが、逆に本音を聞くにはいいので僕もちょくちょく見に行っています。
そんな中、そのスレッドの中の書き込みから生まれた「電車男」という小説が昨年末に大ヒットしました。・・・といってもお金をかけてまでは、と思い、僕は読んではいません。これは余談です。

さて、いつものように昼休みを使ってSiteをあちこち検索していたら、以下のようなSite にあたりました。2ちゃんねるのスレッドに感動して、FLASHで作り直したものらしいです。
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6133
元は以下のURL だそうです。
http://makimo.to/2ch/human5_male/1090/1090863097.html

読んで、2ちゃんねるの話として無防備に斜に構えていたので、おもわず涙腺が緩みっぱなしになりました。
考えてみれば、多くの家庭が、多くの方が、何かしら家族間でギクシャクしたこともあり、そして機を逃したこともあると思うので、冷静になれば涙流すようなことは全くないのですし、昔から格言としていい続けられている話です。でも、例えば「杜子春」に代表されるような、自分の人生以上に大切な他人の人生というシュチュエーションに僕はからっきし弱いんです。
でも、ひさびさに期待していなかったのにいい映画を観たようなさわやかな感じを抱きました。多くの人が同じように感涙を流したことも、僕はうれしかったです。きっとノンフィクションなのだと思います。出てきた全ての人に主の恵みが豊かにありますように。

2005年03月11日 (金) 12時28分

No.592 おなかいっぱい
NAME:Take()

6日の礼拝後は、いつものメンバー、老板さんとMYKさんと3人で昼食。カレー屋スーリアがなくなった今、駅前の中華料理屋ばかりだったが、ランチがあるということで久々の海雲台(ヘウンデ)に行った。
プルコギ・ビビンバ・日替わりの3種でいずれも800円。
13:30という遅めだったからなのか、韓国では当たり前のサービスだからなのかは知らないが、ご飯とキムチはお変わり自由。そしてプルコギは鍋からあふれんばかりのをオモニが鍋奉行をしてくれる。
特に絶品というほどではないが、「韓国の大衆食堂」っぽい雰囲気の中、800円というニーズナブルな価格とともに大満足!
海雲台のWebSite : http://homepage2.nifty.com/heunde/

2005年03月07日 (月) 12時30分

No.591 3月6日の説教を聞いて
NAME:Take()

3月6日の礼拝は、マタイによる福音書17章1−13節。「キリストの輝き」と題して受けた。

六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」
彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。
彼らはイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。


今日の説教の中でのポイントの一つは、いつイエスは救い主(神と同格)になったか?ということ。復活をもってという考えもあったというが、牧師は今日のこのみ言葉をもって、既にイエスはキリストだったと説く。
僕らは何か大病とか負の因子を受けた時に、不信仰とかのせいにする。自分の弱さの故に、報いを受けたと考えてしまうことがある人もいる。
がイエスは、苦難の後、奴隷の見せしめの刑である十字架につけられた。これ以上の負の因子がないほどのものを受けた。では、これは不信仰なのか?そうではない。イエスはそれを乗り越えた。復活をした。それを人生として見せることにより、僕らが後についていきやすくしたのだろう。
人生の苦難は、勝利のための一里塚なのかもしれない。困窮をしながらも勝利の日に希望をもってまい進したい。

2005年03月06日 (日) 23時35分






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