| No.617 幼児教育の方針 |
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| NAME:Take() |
昨晩は、僕が少し関わっている幼稚園のミーティングがありました。園の先生と理事3名、食事をしながら園の将来を語り合いました。 少子化や保護者の共稼ぎなどから、うちの園のように、スクールバスもなければ給食もない園は流行ではありません。でも、子どもと一緒にいる時間を増やす、子育ては家族がして園はそのサポートをすると言う姿を望む親もいくばくかいることは確かです。
その中で、園の特徴をもっとPRしよう、という話になりました。安全な食の話し、紫外線などから子どもを守る話、等々。 でも何かイマイチしっくり来ないのは、自分の子どもの保護のPRのみすることが、果たして教育の現場として正しいのか?という点を話せなかったな、と省みたときです。 憲法9条の問題、さまざまな国内の残虐な事件、取り巻く環境は、いわゆる『いい環境下で育てたい』が『負け組』になりたくない、ということが世の主流の子育て論だと思います。しかしそれに対して、世の『負け組』なんて気にしない、隣人のことを考えられる子育てをしっかりしていることのPRをどうするか、ということまで話せなかった点かもしれません。宗教教育を全面に押し出した幼稚園ですから、そこには明確にイエス様の姿があります。身を挺して神様との関係をただした姿があります。 近隣国家にも国内経済の閉塞感があり、些細な資源の奪い合いをしています。本来の信頼関係を深める外交ではなく、自国の益を主張しあう対立関係になっています。そしてその先には、今以上の緊張と不信感があります。そしてそのような関係になったときに一番の犠牲者は弱者です。 幸い園では教育の中にこの精神が含まれていて、さまざまな時々にその浸透ぶりを垣間見ることができている、と先生が話されていました。であるならば、9条に関しては護憲の姿勢が示せるようなPRをすることは、園の方針と合致している大切なことなのかもしれないと思います。 『そんなことは常識だから』どこも方針に入れていない、というのは正しくないような気がします。大政党に属する為政者は改憲やむなし、と言っていても票数は減ることのない現在。WebSiteや掲示板・ブログでは、自衛隊派遣を賛美する意見も多く見られます。 憲法9条を守ることを基盤においた考えを持っていることを明確にすると言うのは、直接の教育方針とは外れています。しかし・・・どんなものなのでしょうか? 雑談を交えた話し合いをして、そんなことを思っています。
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