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国家権力は、宗教から相対的に中立を保つことが大切である。それが信仰の自由を守るために必要なことである。神のものは神に、
まるまる (490)投稿日:2005年08月11日 (木) 22時06分 返信ボタン

日本国憲法が政教分離を採用したのは、それが、宗教の自由の当然のコロラリーだからであるが、さらに、宗教の自由が確保されるために、精神的自由権の確保のために、欠くことができない条件だからである。
戦前の日本が宗教的自由の保障が極めて不十分であった。神社は村社、官社であっ。神社は一般の宗教から区別し、公的性格を与えた。神宮や、個々の各神社は、それぞれ公法人とされ、神官・神職は、官吏とされました。行政組職上も、一般の宗教は、文部省の所管でしたが、神社だけは、内務省神社局、後に神祗院の所管とされた。そして一般の国民に対しても、多かれ少なかれ、神社参拝が強制された。そして、宮中の儀式は神社的儀式であり、それに参列することは、関係管理にとって、職務上の義務であった。この状態を法律的にいえば、神社に対して、国教的地位が認められたということになる。政教一致または祭政一致の体制になっていた。
戦後かような戦前の日本の祭政一致の政治を反省し、全ての人がどのような宗教を信ずるかの自由を保障するために、その自由が実効性をもつために必要な原則としての政教分離を定める。(「憲法20条及び89条」)政教分に立脚する国家は、宗教的に無色でなくてはならない。そこでは、宗教は、公権力とは無縁であり、宗教は純然たる「わたくしごと」とされた。聖書の言葉に従うなら、「神のものは神へ、カエサルのものはカエサルに」がその原則になった。
ケネディ大統領が、「政教分離を守るべきだという最高裁の判決が気に入らない人たちには、きわめて容易な救済法がある。・・・われわれは、もっと家庭で祈り、もっと忠実に教会に出席し、我々の子どもたちの生活の中に祈りに対してもっと重要な意味を与えることができる」と述べた。
「宗教に関する寛容な態度及び宗教の生活における地位は教育上尊重されなくてはならない」(「憲法9条」)
これは、宗教の社会生活における重要性を否定するどころか尊重することを述べている。しかし、国家が特定の宗教を支持したり、援助することがあってはならない。宗教を尊重するためには、国家は、宗教を政治的争いに巻き込まないよう最善の努力をすべきである。
ケネディー大統領が語る如く、プライベートにおいて、大いに大切にされることではないか。宗教的信仰は良心の問題と深く関わる。



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