お久しぶりになってしまいました。この掲示板の戦線を離脱していたのは、高校の文化祭で忙しかったから。死ぬかと思いましたが、人間そう簡単には死なないものです。でもチェックはしていましたよ。
http://movie2007-50.cocolog-nifty.comblog/2008/09/post-2019.htmlそうですね。ヴォーカルを入れ替えてイメージを刷新したバンドはいくつかあります。ヴァン・ヘイレンが一番変わったかもしれないですね。ジャーニーやヴァン・ヘイレンより少し前の時代なら「レインボー」もヴォーカルが変わるたびに音楽性が変化していきましたし、「ブラック・サバス」もオジー・オズボーン時代とロニー・ジェイムズ・ディオ時代では違うバンドのようです。ただ、これらのバンドもオリジナルのシンガーの時代のヒット曲にも支えられて活動していました。「レインボー」に至っては第3期ディープ・パープルの曲もいくつかライヴで演奏していますね。ライヴのレパートリーを選ぶンは難しいですが、僕も市橋さんの、セットリストに新曲を増やす、という考えには賛成です。そもそもジャーニーもペリー加入によって大きく音楽性を変えたバンドです。
ところで、現在、ジャーニーをはじめとするベテランバンドの多くは、時間をかけて全米の地方都市をしらみつぶしに回る精力的なツアーをやっています。従来からのファン世代の中でも、むかしライヴを見られなかったファンというのがいるはずで、その人たちにとってもとても良心的な活動だと思います。
そんなファンにとって、リアルタイムで自分が見られなったパフォーマンスの代わりにいま、多くの思い出深い曲をバンドが演奏してくれるということは嬉しいことだと思うのです。それはライヴをリアルタイムで体験している人たちにとっても「あの時代」を追体験したいという意味で同じはずです。ジャーニーはグレッグ・ローリー時代含めて幅広い選曲でセットリストを組んでいるようですが、それはいろんな世代のファンに楽しんでもらいたいから、という思いが強いのではないでしょうか。
だから、市橋さんの「新曲を作っても、ライヴでやらないのなら意味がないじゃないか」という意見には、やや反対です。新曲のレパートリーは絶対に増えたほうが良いに決まってるし、過去の栄光からもなるべく距離を置いて活動できるならその方がクリエイティブです。でも、幅広いファンに楽しんでもらうライヴを作ろうと思ったら、過去のヒット曲や「隠れた名曲」もセットリストに入ると思うんです。
アイアン・メイデンは「新アルバム完全再現ツアー」と「過去の名曲を中心としたセットリストのツアー」というのをほぼ交互に打っています。理想はこれじゃないかな、と思います。過去のヒット曲に頼らずとも活動できることを見せつつ、過去のヒット曲をもっと聞きたいというファンには別の機会に対応する。
アーネルは、どっちにも対応できるシンガーだし、アーネル自体の能力以上に、バンドのテンションの維持という意味において、彼が現時点でのバンドにとってのベストチョイスであると思うのです。事実、"Change For The Better"や"What It Takes To Win"など、いままでバンドになかったアレンジや曲調の曲もあります。
ショックで忘れてしまっていたんですが、実はある月の「Burrn!」誌の輸入盤ランキングで、元ストームのケヴィン・チャルファントのジャーニーカヴァー曲集「Fly 2 Freedom」がジャーニーの「Revelation」の売り上げを上回っていたことがあるんです。一部のファンはアーネルよりもケヴィンを、そして新曲よりも過去のヒット曲を選んだということなのでしょうか。それが「多くのファン」なのでしょうか。でも僕はあの「Fly 2 Freedom」は全く好きになれません。歌い方を崩しすぎです。そしてケヴィンはそうでもしないともはや歌えない年齢にあるということだと思います。
アーネルがやめてケヴィンなんかがバンドに入った日にや、僕はブチぎれて何をしでかすかわかったもんじゃありません。
それから、全くタイプの違うヴォーカリストを入れる、という案ですが、オウジェリとアーネルの間にディーン・カストロノヴォがいて、ジェフ・スコット・ソートがいたのだというワンクッション、ツークッションを考えてください。ディーンがリードを取れないことには健康上の理由が大きいと思いますし、JSSについても違う理由があると思いますが、結局自分たちのような音楽性にはアーネルのような、「ペリータイプ」のシンガーがあうと判断したのではないでしょうか。とくに、ほかのバンドですでに名をあげているようなシンガーは、ジャーニーのバンド内の雰囲気やファンからの些細なブーイングに冷静に対応する力がないような気がします。もちろん、ごく一部にはポール・ロジャースのような人材もいますが、それって果たしてジャーニーなんでしょうか。ぼくは、かつてのヒット曲と、それに引けを取らない新曲を両方プレイできるのがジャーニーの理想像だと思います。かつてのヒット曲を過度にアレンジしたり、全くジャーニーらしくない新曲をやるのはおかしいと思います。
ちょうど先日、ブライアン・メイ、ポール・ロジャース、ロジャー・テイラーの三人が、「クイーン+ポール・ロジャース」としての新作を出しましたが、高評価の意見の中ですら、「クイーンの音楽ではない」といった意見が多く聞かれます。
ジャーニーの場合も、場合によってはやってもいいかもしれないですが、それって結局、「ジャーニーの音楽」にはならないと思うのです。
スティーヴ・ペリーのジャーニー復帰についても、残念ながらいまは時期じゃないと思います。このところ僕が投稿していたのは現ジャーニーねたが多かったですが、僕だってもちろんペリーの声が一番好きです。ただ声が似てるだけじゃ、あの「憂い」や「優しさ」のニュアンスは出せません。
でも、いま現行のジャーニーが盛り上がっているタイミングでペリーが復帰したらどうなるか。体力的、健康面での問題も難しいですが、もしすべての問題をクリアできたとしても、「商業的」と言われたとき反論できないです。ペリー自身、やりたい音楽はかつてのジャーニーのものとは違うだろうし、それがいまのジャーニーのやりたいこととも合致するとは思えないのです。
いま本当に自分たちがやりたい音楽活動はそれなのか。その問いに答えられるようなものが、アルバムが、ライヴが、はたしてつくれるでしょうか。
残念ながら無理だと思います。再起を図った大事な時期であるオウジェリ〜アーネル時代の曲をニールやロスやジョナサンが手放すか、逆にペリーが自分のために書かれたものではない、さしたるヒットもしていない曲を歌うか。それに昔みたいに3人で曲を書けるのか?互いへの複雑な感情を押し殺してライヴで最高のパフォーマンスを提供できるのか。どれも相当時間がかかると思います。
ニールが「Fuck him」と言ったことについては、僕は全文を読んでいないのでわかりません。彼のそのときの気持ちなんて、ひょっとしたら誰にもわからないかもしれない。ことフォーレタースラングのような文化を持たない日本人には、普通の人たちがごく日常的に「fuck」や「shit」を連発しているアメリカ言語文化のなかでのニュアンスを読み取ることは相当困難だと思います。でも、少なくとも「間違った言葉を選んだ」のは確かです。もし、本気で言っているなら悲しいことだけれど、つい感情が高ぶった、あるいは皮肉交じりにきつく言ったのだとしても、ファンの前で言うべき言葉ではないと思います。
まとまりのない長文を書いてしまってすみませんが、以上が現ジャーニーも、現在のペリーも両方気にかけているファンとしての、僕の意見です。