投稿日:2013年07月18日 (木) 05時49分
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ないべき
「べきだ」の否定形は「べきで(は)ない」であって、「ないべきだ」という形は、一般的には、ないとされる。しかし、実際には使われている。 『新潮文庫の100冊』(翻訳作品を除く)で「ないべき」の形で検索したがヒットしなかった。『国会会議録検索システム』では、昭和の約40年間で12例、平成の約25年間で68例確認できた。実数としては少ないけれど、平成年間に増加したように見える。なぜこのような表現が生まれたのだろうか。 古語の「べし」の否定形は「べからず」で、否定表現に「ざるべし」がある。否定形式の「ざる」が現代語で使われなくなったために、「ない」に置き換えられたという考え方ができる。しかし、「べきで(は)ない」という形式が安定的に使われていることからすると、「ないべきだ」は異質である。 用法を見ると、特徴があることに気付く。「原価に入るべきですか入らないべきですか。」(昭和23年12月6日衆議院予算委員会)や「変えるべきか変えないべきか」(平成25年6月6日衆議院憲法審査会)のような対比的並列用法が多い。この用法は全用例80例中67例で、約84%を占めている。「変えるべきか変えるべきでないか」という対比方式も考えられるが、表現が冗長になるきらいがある。「〜べきか…ないべきか」のように、一種脚韻を踏んだ形式のほうが語呂もよい。脚韻を踏むという点では「変えるべきか変えざるべきか」の形式もあるが、これは古いという印象を伴う。 ハムレットの悩みの表現、“To be, or not to be. That is the question.”の訳語のように、肯定表現「生きる」に対応する反対語「死ぬ」があればスムーズな対比並列ができるけれど、たいていの場合には文法的な否定形式を使うことになる。したがって、「ないべき」の形式が生まれたのだと考えられる。 「ざるべき」は古い印象が伴うと言った。昭和で「ざるべきか」の形式は150件ヒットする。「ないべき」の12例に比べるとはるかに多い。平成では53件ヒットする。「ないべき」の57例に比べてほぼ等しい。つまり、平成では「ないべき」の勢力が増してきていると言える。「ざるべき」から「ないべき」へと新旧交代しているのである。 (2013年7月18日) |
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