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ことばの講座

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[1292]コケコッコーの語源 投稿者:MIKAN

投稿日:2005年01月05日 (水) 20時42分

むささび先生、皆様、明けましておめでとうございます。
こちらの掲示板でもよろしくお願い致しますm(__)m

ナショナルジオグラフィック日本版1月号に「コケコッコーの鳴き声はいつから?」と題したコラムが掲載されていました。
それによると、コケコッコーは標準語として明治政府が教科書に採用した言葉だったそうです。特定の地方で使われていた言葉ではなく、各地の鶏鳴を参考にして作られた「新語」ではないかと考えられています。

どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示頂けると嬉しいです。

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[1293]投稿者:のびちゃん
投稿日:2005年01月06日 (木) 17時26分
MIKANさん、こんにちは。

コケコッコーといえば、新年の某新聞の記事でも取り上げられていました。(国によって異なるオノマトペが存在する、という有名な話)

ネットで検索してみたら以下のようなページが出てきました。

http://www.ikn.co.jp/hiroba/kokekottukou/kouen.htm

参考になるかどうか分かりませんが、ご覧ください!

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[1294]投稿者:MIKAN
投稿日:2005年01月06日 (木) 21時50分
のびちゃん、こんばんは。コケコッコーの語源の記事、調べてくださいましてありがとうございます。
やはり、コケコッコーは明治政府の造語が語源であるのですね。

国や地方によって異なるオノマトペが存在するというのは良く分かるのですが、政府がオノマトペを造って教科書に採用するというのが意外でした。
明治政府は近代国家を作る為に全国共通に通じる言語を普及させるのに必死だったのでしょうね。
↑のURLには他にも鶏に関する記事がたくさんあり、とても楽しく読ませて頂きました。ありがとうございます(^^)

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[1295]投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2005年01月07日 (金) 18時36分
MIKANさん、のびちゃん、こんばんは。
酉年にちなむ話題ですね。
国定教科書で採用したのですね。
のびちゃん、調べてくださって、ありがとうございます。
「お父さん」「お母さん」という言い方も国定教科書で使用して全国に普及させたのだったと思います。
明治新政府は文明開化、富国強兵といった近代化を推進するために、言葉の近代化も行ったのですね。
それにしても、「コケコッコー」が教科書用語だったとは驚きです。

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[1296]第1期国定読本での鳴き声投稿者:オヤジ
投稿日:2005年01月07日 (金) 20時21分
複製本『小学読本便覧 第6巻』(昭和58年,武蔵野書院)を実際に見て見ましょう。
オハナ ガ、ニハトリ ノ ヱ(餌)ヲ モッテ、ニハ ニ、デマシタ。

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[1297]第1期国定読本での鳴き声(続き)投稿者:オヤジ
投稿日:2005年01月07日 (金) 20時35分
オヤドリ ハ、ココココト、ナイテ、ソノ ヱ ヲ ヒロッテヰマス。ヒヨコ モ、ピヨピヨト、ソノ ヱ ヲ ヒロッテヰマス。
(中略)
カッタ ホー ノ ヲンドリ ハ、タイソー、イバッテ、ヘイ ノウヘ ニ ノボリマシタ。ソシテ、コケコッコート ナキマシタ。

これで見ると、明治37年の第1期国定読本では、「ココココ」「ピヨピヨ」(ひよこ)、そして鬨の声が「コケコッコー」です。
ちまみに、「ウマ ハ、イツモ、ヒンヒント、ナキマス。」や、「ウグヒス ガ、ケサ、ウメ ノ キ デ、ホーホケキョート ナキマシタ。」などがあります。巻二ですから、1年生の後期に習ったことになります。
これより前から「コケコッコー」が一般的であったかどうか(これが鳴き声の標準語として示されたか否か)については調べていませんが、この教科書で全国に普及したことは確かでしょう。

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[1298]投稿者:MIKAN
投稿日:2005年01月07日 (金) 21時19分
むささび先生、のびちゃん、オヤジさん、こんばんは。
>むささび先生
「お父さん」「お母さん」という言葉も国定教科書から全国に広まったのですね。国定教科書が語源の言葉は他にもたくさんあるかもしれませんね。通信手段が乏しかった昔において、国定教科書の果たした役割は大きかったと思います。

>オヤジさん
文献を調べてくださいましてありがとうございます。
やはり、これが最初に国定教科書で使われた鶏の鳴き声なのですね。
ナショナルジオグラフィックにもオヤジさんが調べてくださった「尋常小学読本 二」(明治37年)の写真が載っていました。

国が検定をした教科書を学校が使うというスタイルは現在も続いており、教科書編集という仕事の責任の重さをひしひしと感じます。
皆様に色々とご教示頂きまして大変勉強になりました。ありがとうございます。

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[1299]ありがとうございます。投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2005年01月07日 (金) 21時37分
オヤジさん、MIKANさん、こんばんは。
オヤジさん、ありがとうございます。
ボクも、索引ですが、小学読本を調べてみようと思っていて、取り紛れていました。
MIKANさん、確実な情報が得られてよかったですね。
ときどき、小学読本の索引を見ています。路地裏で「電報をかける」を書いたときにも参照しました。

[1290]「へげたれ」と「ずつない」 投稿者:オヤジ

投稿日:2004年12月01日 (水) 14時53分

 路地裏の「がしんたれ」に関連して、江戸時代の用例を。
式亭三馬『浮世風呂』(文化6(1809)〜)に、「かみがたすぢの女」が、江戸女のお山さんに向かって、「上(上方)の者の目から見てはトトやくたいじやがな。自慢らしういふことが皆へこたこじや。じやによつて江戸子はへげたれじやといふはいな」と言っています(岩波古典大系p.133)
また、同じ人が「夜さり毎(ごと)に腹痛でづつないはいな」(同p.130)と言っています。
三馬の認識では、「へげたれ」「ずつない」は上方の人間が使って不自然は無かったのでしょう。
今でも使うのかな?

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[1291]ありがとうございます。投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2004年12月02日 (木) 13時49分
オヤジさん、こんにちは。
浮世風呂の用例を教えてくださいまして、ありがとうございます。
「へげたれ」は知らないのですが「づつない」は高齢の方なら使うことがあるのではないかと思います。

[1286]お久しぶりです♪ 投稿者:常磐津

投稿日:2004年11月01日 (月) 23時02分

こんばんは。本当に久しぶりにのぞきました。ご無沙汰していて申し訳ありません。今回は特にことばに関する話題はないのですが、ご挨拶に…と思い、書きこませて頂きました。とびのしん先生お元気ですか?私は「はとめ」さんと英語ミュージカルの練習に励む毎日です。彼女は風邪でダウン中。。。先生もお体を大事になさって下さいね。それでは、また来ます♪

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[1287]こんにちは。投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2004年11月02日 (火) 16時09分
常磐津さん、こんにちは。
風邪で喉をやられましたが、なんとか回復中です。
英語ミュージカルは学祭で演じるんですか?
それとも、もっとメジャーなところで?
一昨日だったかな。「かげつ」君と「つわの」君に会いました。
「はとめ」さんの風邪が早く回復するよう祈ってます。よろしくお伝えください。

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[1288]投稿者:常磐津
投稿日:2004年11月04日 (木) 03時24分
返信ありがとうございます。ミュージカルは学祭で発表の予定です♪12日(金)の15:20〜なので、よろしければいらして下さい。

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[1289]お知らせありがとうございます。投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2004年11月04日 (木) 13時56分
常磐津さん、こんにちは。
公園は12日なんですね。
行けたら見させてもらいます。

[1280]畜熱 投稿者:むささびとびのしん

投稿日:2004年10月25日 (月) 11時09分

昨日、デパートで誤字を見つけました。
「蓄熱」とすべきところを「畜熱」と、草冠のない文字が使われていました。
「ちくねつ」と入力して変換すると、ちゃんと「蓄熱」と変換する辞書もありますが、「ちく」を選ぶのもあります。これで誤字が生じたものと考えられます。
http://bbs3.as.wakwak.ne.jp/60777/1098608353.jpg

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[1281]畜生・蓄財・チクサン?投稿者:オヤジ
投稿日:2004年10月25日 (月) 13時58分
むささび先生,こんにちは。
「畜」と「蓄」については,手書きの昔,「畜」は(食える?)生き物(牛・豚・鶏・馬)で,「蓄」は財産と覚えた記憶があります。
この方式によって,「家畜」「牧畜」は「畜」,「蓄財」「貯蓄」「備蓄」は「蓄」で,漢字の書取りはセーフでした。でも,「畜産業」の書取りが出たらヤバかった。「ちく熱」ではどうするか?たぶん,「蓄電池」が「蓄」だから「蓄」とするでしょうね(なんの訳語だろ?)。

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[1282]デンチ投稿者:オヤジ
投稿日:2004年10月25日 (月) 14時30分
「蓄電池」で思い出した誤字の話題をもうひとつ(チクからずれてごめんなさい。
 昔,理科少年だった私(当時ボク)は,手近にあるデンチ,すなわちマンガン電池を分解したことがあります。マンガンを削って中の炭素棒を取り出しました。マンガンはボクから見ると「黒い土」だったので,何かの際に「電地(あげつち)」と書いてペケをもらいました。
その後,高校の物理の実験や,自動車のバッテリーを見て,「電池」という訳語はなるほどもっともだとボクは納得しました。「乾電池」という語は,実は「赤い白墨」のような語だと気づいたのもそのときでした。

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[1283]ありがとうございます。投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2004年10月26日 (火) 15時16分
オヤジさん、こんにちは。
昔は蓄音機がありましたね。備蓄食糧も必要ですね。
娘は畜産大学に行きました。
「電池」は「池」なんですよね。なんでだろう?
ボクも電池を分解して炭素棒を取り出したことがあります。
電池をなめて軽く感電したこともあります。アホです。
「乾電池」は「赤い白墨」の塁ですか。
昔は「白墨」という言葉のほうをよく使っていたと思います。今はもっぱら「チョーク」ですね。これなら「赤いチョーク」も違和感がありません。
「朱墨」というのも考えてみると変ですね。「赤い墨汁」とか。

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[1284]機械の語源いくつか投稿者:オヤジ
投稿日:2004年10月27日 (水) 11時32分
こんにちは。
>「電池」は「池」なんですよね。なんでだろう。
1800年,イタリアのボルタ(電圧の単位voltの語源の人)が,
食塩水に亜鉛板と銅板をひたして作ったのが最初の電池です。
この時点から,乾電池の登場までのあいだに,この訳語が,
(日本でか中国でかは知らないけど)作られたのでしょう。
次のURLがオススメです。
 http://www.sanyo.co.jp/cs/academy/rekisi/rekisi.html
>昔は蓄音機がありましたね。
 かつて私は父がレコードプレーヤーのことを「デンチク」と
言うのを聞いて,「電気蓄音機の略だ」と言われて,電気を使わない蓄音機があるのかと,驚いた記憶があります。手廻し蓄音機は,
その後「マイフェアレディ」で見ました。
きっと息子の世代になると,「電卓」について,不審に思うでしょう。Project Xで,シャープとカシオの物語をやってくれないかな。

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[1285]デンチク投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2004年10月27日 (水) 15時36分
オヤジさん、こんにちは。
「電池」の話をご紹介くださいましてありがとうございます。
「デンチク」懐かしいです。ソノシートというのもありました。
手回し蓄音機は子どものころ、母の実家にありました。
重たいレコード盤もあって、浪曲や漫才を聞きました。
電卓もずいぶん安価にかつ小型薄型なりましたね。
今はケータイのツールに入っていて、ときどき使っています。

[1271]雨模様 投稿者:のびちゃん

投稿日:2004年10月09日 (土) 21時19分

こちらでの書き込み、非常にお久し振りです☆
今日はある語の語義について疑問があったので書き込みます!

以前、旧・国語学会の際に「モヨウ文」についての発表があった際にも気になったことがあります。それは、「雨模様」という語の意味です。
広辞苑によれば「雨模様・・・雨の降りそうな空の様子。あまもよい。」とあります。また、「雨催い(あまもよい)」に関しても、「今にも雨の降り出しそうな空のけしき。雨模様。」とあります。そこで、要するに「雨模様」という語の意味は、実際には雨は降っておらず、あくまでも「降りそう」な景色を指しているのだと理解しておりました。
しかし、今日、某テレビ局のニュースでアナウンサーが、新しく開設された美術館を紹介する際に、「雨模様の中、大勢の入場者が・・・」のようなことを述べておりました。しかし、本日の天候は明らかに雨。
このアナウンサーのように、明らかに雨が降っている事実があるにも関わらず「雨模様」という語を使用するのは誤用なのでしょうか?それとも僕の「雨模様」の語の意味の理解に誤りがあるのでしょうか?

これに関連して、「空模様」という語ですが、こちらは広辞苑によれば「天気のようす。そらのぐあい。予想される天候。」との記述があります。この語の意味は、「天候の現状」(客観的)なのか「主体にとって予想される天候」(主観的)なのか、もしくは共に使用可能なのでしょうか?

みなさん、ぜひご教授よろしくお願いします!

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[1272]雨が降っていても投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2004年10月12日 (火) 15時26分
のびちゃん、こんにちは。
「雨模様」 ボクも雨が降っていても使えるのではないかと思っています。
読売の「日めくり」に取り上げられていました。↓
http://www.yomiuri.co.jp/himekuri/020419.htm

「空模様」は視覚でとらえられる現状にも、予想した状態にも使えるのではないかと思います。

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[1273]投稿者:のびちゃん
投稿日:2004年10月13日 (水) 23時20分
むささび先生、こんにちは!レスありがとうございます。
挙げて頂いた読売の「日めくり」によれば、意味が変わった(増えた)語として捉えてよさそうですね?

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[1275]投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2004年10月21日 (木) 13時31分
のびちゃん、こんにちは。
「雨模様」の意味については、平静15年度国語に関する世論調査で取り上げられていたと思います。Web版にはありませんけれど。

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[1277]投稿者:のびちゃん
投稿日:2004年10月24日 (日) 22時39分
平成15年度の国語に関する世論調査、見てみたいと思います。ありがとうございました!

私事ですが、先日先生にメールをお送りいたしましたが、お読み頂けましたか?もし正常に送信されていないといけませんので、確認までに・・・。

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[1278]訂正投稿者:のびちゃん
投稿日:2004年10月24日 (日) 22時41分
すみません、上記のレスのURL欄にURLを記入したのですが誤ってしまいましたので訂正しておきます。

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[1279]国語に関する世論調査投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2004年10月25日 (月) 11時04分
のびちゃん、こんにちは。
HPのお知らせありがとうございます。
正常に届いています。ご返事が遅れまして申し訳ございません。

『平成15年度 国語に関する世論調査』11.言葉の意味 の(1)に「雨模様」があります。
結果は
(ア)小雨が降ったりやんだりしている様子 45.2%
(イ)雨が降りそうな様子 38.0%
(ア)と(イ)の両方 9.4%
(ア)や(イ)とは全く別の意味 6.3%
分からない 1.1%
地域ブロック別、性・年齢別で有意な差が見られます。

[1274]アンチョコ 投稿者:オヤジ

投稿日:2004年10月21日 (木) 12時34分

「路地裏」への感想です。
30年前、「アンチョコ」について「安易にチョコっと見る」などと民間語源していた昔を思い出しました。
星霜移り、某中学校教科書の文法本文と、教師用アンチョコを書いたりしました。本文は橋本文法なのに、「時枝文法では……」などと、ちっとも安易でないことを書いちゃった。
大学で日本語の歴史の科目も持っているのですが、教師用アンチョコが欲しいなあ。

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[1276]投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2004年10月21日 (木) 13時35分
オヤジさん、こんにちは。
「路地裏」をみてくださいまして、ありがとうございます。
ご感想もいただけて、うれしいです。
実際にあんちょこを書いておられたんですね。
教師用のあんちょこなら時枝文法がでてきてもいいですね。
でも、若い先生には時枝も橋本も三上も知らない人がいるかもしれませんね。
学生さんの中には教科書に書いてあること丸ごと正しいと信じている人がいます。教科書の内容を批判すると、なんでこんな本を選んだのだとおしかりを受けることもあります。いやはや。

[1263]夕飯読み 投稿者:オヤジ

投稿日:2004年09月20日 (月) 21時05分

 しん先生、そして、はじめましての皆さん、ありがとうございました。
 MIKANさんご紹介の本では、要するに漢語を湯桶読みするのは間違いということですね。私は「なま(rawとcookedのraw)」という和語を含んだ混種語で考えていました。うさこさん、あっしーさん、あのねさんも、多分、同じ思考の方向。
 辞書には確かに「セイショク」ってあるけど、『大辞林』の例文「オレンジを生食する」には疑問符。生食がunmarkedな食品に本当に使うのだろうか。
 尚子さん、「湯桶読み」は確かに耳遠いようです。そこで思いつきました。「台所読み・夕飯読み」 「今日(けふ)」と「夕(ゆふ)」が和語ということは、気づきにくいので、学生のためにも。

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[1265]大反響でしたね。投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2004年09月20日 (月) 21時20分
オヤジさん、こんばんは。
みなさん、呼びかけにさっそくこたえてくださいました。
「なましょく」のほうが意味が取りやすいですね。
「台所読み」に「夕飯読み」定着するといいですね。

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[1266]生食は?投稿者:お拓さんの母
投稿日:2004年09月21日 (火) 09時21分
オヤジさん、はじめまして。
むささび先生の所から遅ればせながらやってきました^^;

辞書には「せいしょく」でしたか?先生の所にも書いたのですが、「せいしょく」と聞くと「生殖」を思い浮かべます^^
「生食」は「なまでたべられる食品である」を指したものと信じて疑わすこの年まで暮らしてきました^^
辞書に「生食」のよみは「せいしょく」とした人は、「せいしょく」と表示された食品が「なまで食べられる食品だ」と考えがつくかと思ったのか疑問でした。

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[1267]投稿者:オヤジ
投稿日:2004年09月21日 (火) 13時36分
こんにちは。お拓さんのお母さん,はじめまして。
>辞書に「生食」のよみは「せいしょく」とした人は【中略】疑問でした。
「せいしょく」とする根拠は,「火食」と対(つい,pair)である「生食」という漢字熟語が先にあって,それを普通の漢語として音読み+音読み した,と推測されます。
そういうわけで,現在,中国古典(つまり漢文)における「生食」と「火食」の用例を探そうとしています。
 私も「セイショク用の牡蠣」と聞いたら,「生殖用の(精がつく)牡蠣」と聞こえます(だからオヤジです)。
 レスポンス,ありがとうございました。

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[1270]投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2004年10月04日 (月) 09時51分
オヤジさん、お拓さんの母さん、こんにちは。
セイショクの音だけを聞くと別の連想が働きますね。
火食の対なんですね、生食って。

[1268]「生食」は『本草綱目』にある 投稿者:オヤジ

投稿日:2004年09月22日 (水) 17時48分

 漢方薬の草根木皮に関する学を「本草学」と言います。その代表的な書物『本草綱目』(明の李時珍著。16世紀)の南瓜(カボチャ)の項に「肉厚、色黄、不可生食」(南瓜は生で食うな。江戸時代の日本人は、おそらくセイショクスベカラズと訓じた)とあると『廣漢和』にありました。
 由緒正しい漢語であり、湯桶読みは規範的には間違い、と判明しました。よって、「なまショク」と発音する時には、分かりやすさのために、確信犯として湯桶読みするということになります。
 私は、確信犯になります。

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[1269]かなり古くから投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2004年10月04日 (月) 09時48分
オヤジさん、こんにちは。
セイショクはかなり古くからあるんですね。
ボクもナマショクと読み続けることにします。

[1252]不届き読みに浮気読み 投稿者:オヤジ

投稿日:2004年09月01日 (水) 13時36分

 新学期なので失礼して話題を変えさせてもらいます。
秋学期には「漢語と外来語」というテーマで話をするのですが,
そこで混種語に関して困ってしまった。
混種語の話をする以上,「重箱読みと湯桶読み」に触れるべきだが,「湯桶」って,私も見たことが無い。
 そこで,別の言い方を作ろうとした。
2つの意味分野は同じ(重箱と湯桶は両方とも食器がらみ)である必要がある。そこで出来たのが「不届き読みに浮気読み」。
 女房に相談したら,「浮気」のキが字音(すなわち漢語)だと
判らないかも,という。
そこで,「曜日(ヨウび)読みと日日(ひニチ)読み」と思いついた。こりすぎ?

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[1253]うまいですねぇ。投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2004年09月01日 (水) 15時08分
オヤジさん、こんにちは。ご無沙汰してます。
「ことばの講座」も半年近くのブランクになってしまいました。
たしかに「湯桶」ということばはなじみが少ないですね。蕎麦屋で蕎麦湯を入れるのに使うんですね。最近は風呂桶のことも「湯桶」と呼んでいるようです。
「不届き読みに浮気読み」 これいいですね。でも、たしかに「気」が音読みだとは意識されにくいですね。
「曜日読みと日日読み」 これもいいです。
意味分野が同じという制約が厳しいですね。
さて、授業での反応が楽しみですね。

[1251]例3は・・・ 投稿者:みっちゃん

投稿日:2004年04月13日 (火) 20時42分

そうですね、「やら」も可能ですね。てんやわんやの感じは「やら」の方が出るでしょう。前向きな感じもします。
「だの」は「余計な雑用」というイメージですね。あーめんどーくさい、という感じ。心情によって使い分けは可能でしょう。

[1248]「だの」やら「やら」だの・・・ 投稿者:みっちゃん

投稿日:2004年03月27日 (土) 17時36分

難しい質問ですねえ・・・。でも「だの」は原則、「人」には使えないんじゃないでしょうか。「物」か人間以外の「動物」に限られるのでは?もし使うとしたら、かなり「見下した感じ」になりますね。
また「だの」は、いくつかある中から、ある意図で統一されたものの代表を選んだという感じで、「だの」でつながれた前後のことば(もの)は「同じ種類のもの」です。
これに対して、「やら」は、たくさんの種類・バラエティがあることを示すためにピックアップされたものなので、「やら」で結ばれたことば(もの)は、違う種類のものでなければいけない、と思います。具体的に設問について考えていきましょう。
1、梨と柿は、種類は違うが同じ「秋の果物」なので、「だの」。でも種類が違うということに着目するなら「やら」でもいけるかも。
2の哲学と社会学は修理のバラエティを示そうとしているので、「やら」。でも「だの」は、見下した感じを伝えることも出来るので、哲学や社旗あがくをばかばかしい、という意味で使うなら「哲学だの社会学だの、役にも立たないベンキョウをした」などの文脈で「だの」も使える。
3は「だの」かな。
4は「だの」は使えない。人なので「やら」。
5はご馳走になったことに感謝の意を込めれば「やら」。たくさんご馳走になったという意味で。
ここまでは「だの」「やら」でつながれているのは、すべて「名詞」ですね。
次の6は「湯を沸かす」「人を呼ぶ」という文章をつなぐケース。この場合は、行為のバリエーションはこのほかにもいろいろとあったでしょう。そのうちの一部の例示なので「やら」でしょう。
7の「寒い」「怖い」という形容詞。これは「子どもの不安な心情」の葛藤を描いているので「やら」。多様性を示すというよりは、不安の要素であるところの心情の種類を並べ立てることで、その不安の深さを表すことが出来る。
8は、文の表す行為の内容に”否定的な”文章。だから「だの」が適当。
9はカギカッコに入るべき「あの人」の発言を直接引いている。文章のないように対して、この日とは否定的なので、つなぐのは「だの」。
10は、9と同じで「だの」。そういったことを言う友達に対して否定的な見方をしていることも想像される。この文章を書いた日とはその友達が結婚するかしないかといったことに関して関心がない。よって否定的で「だの」。
11も発言内容と取れるし「不平ばかり言っている」ことに否定的。だから「だの」。
12、上司とおぼしき3人の役職者をバカにしているのであれば、「だの」。でも原則「やら」。ここでは「役職名」が並んでいるが、これが単なる「役職名」ではなく「人」をさしているのは明白。
13は、名刺に書かれている肩書きは一つのはずなのに、それを覚えていない。会社の名前も「どこそこの」と覚えていない。これはこの名刺の人を「バカにしている」「見下している」ので「だの」。指しているのも「人」ではなく「肩書き」。「肩書き」というものを見下しているともいえる。
14は「ダイビング」「観光」。このほかにもいろいろと楽しんだのでしょう。そのうちの一部を例示しているので「やら」。
15は「だの」。9,10,11と同じような使われ方。

ということでどうでしょうか?
あー、」しんどかった。

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[1249]ご説明ありがとう投稿者:ろん
投稿日:2004年03月28日 (日) 11時12分
こんにちは、みっちゃん。

ご丁寧に説明してくださって、本当に有難うございました。
「だの」は発言の内容を否定的にとらえて使うことが多く、「やら」は「いろいろあって大変だ」を表す場合に多く用いられるようですね。みっちゃんの説明で、両者の意味特徴をよく分かるようになりました。
ただし、例3では、なぜ「だの」にしたのかはあまり分かりません。この例では、「いろいろあって大変だ」という意味合いがあるようで、「やら」を使ってもいいような気がしますが。

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[1250]投稿者:のびちゃん
投稿日:2004年03月29日 (月) 17時42分
みっちゃん、ろんさん、こんにちは。

ろんさんのおっしゃるとおり、例3では「やら」を使うことも可能ですね。
ただ、この例文では忙しくなる要因として「レポート」「試験」と同様に学問(学生生活)に関する要素を提示しており、これはみっちゃんの説明にある「ある意図で統一されたものの代表」と捉えるならば、「だの」が妥当であるかもしれません。

僕の個人的な見解では、みっちゃんの「だの」の説明はその通りであるとは思いますが、「ある意図で統一されたもの」という要因を強く打ち出す場合には「やら」より「だの」が妥当であるかもしれませんが、発話者の意図にそのような特徴をあえて含意していないような場合(単に発話者の意識を裏付ける要因となる要素を並べるような場合)は、「やら」でも「だの」でもどちらも当てはまるのでは、と思います。

[1247]「〜だの〜だの」「〜やら〜やら」 投稿者:ろん

投稿日:2004年03月15日 (月) 10時45分

はじめまして。
私は外国人の日本語学習者で、同じ「例示」を表す「だの」と「やら」の使い分けを皆さんに教えていただきたく、この掲示板に書き込ませていただきました。下記の例の( )のところに、「だの」と「やら」との入れ替えができるものと、できないものがあるように思われますが、皆さんはどう思うのでしょうか。どうして、入れ替えができたりできなかったりするのでしょうか。

 A「〜だの〜だの」   B「〜やら〜やら」

1、果物屋の店先には、梨( )、柿( )秋の果物がいっぱい並んでいる。
2、大学では哲学( )社会学( )を学んだ。
3、来月はレポート( )試験( )でひどく忙しくなりそうだ。
4、太郎( )次郎( )花子( )がやってきた。
5、コーヒー( )ケーキ( )をご馳走になった。
6、急に産気づいたので、湯を沸かす( )人を呼ぶ( )で大騒ぎだった。
7、日が沈んで、山道は寒い( )怖い( )で小さい子は泣き出してしまった。
8、恐喝した金をゲーム( )パチンコ( )に使っていた。
9、あの人は行く( )行かない( )はっきりしない。
10、最近、友達が結婚する( )しない( )言い出しました。
11、寂しい( )つらい( )と不平ばかり言っている。
12、俺は会社に帰ってから、所長( )課長( )主任( )に説明し・・・。
13、名刺にはどこそこの部長( )課長( )といった肩書きが刷られている。
14、二人はこれからダイビング( )観光( )・・とたのしそうです。
15、来るな( )近寄るな( )そばにいるのが辛い( )言っていたのに、思い切り接触してしまった。

[1242]ことばの路地裏 第45回「やおら」 投稿者:むささびとびのしん

投稿日:2004年02月13日 (金) 08時42分

やおら
 「ゆっくりと動作を始めるさま」(『大辞林』)。若い世代で「いきなり動作を始めるさま」の新しい意味で使う人が増えている。
 NHK放送文化研究所の2000年調査では20代の41%が「いきなり、急に」、18%が「ゆっくりと、静かに」と理解し、41%が「知らない」「わからない」と答えた。
 「やおら」は平安時代から使われており、音を立てないで静かにといった意味だった。ここから「ゆっくりと」の意味が派生したのだろう。1000年の時を経て意味が変わらないほうが不思議だが、反対の意味になるのも面白い。
 おそらく、多くの人が指摘するように「やにわに」との混同があったと思われる。意味の逆転も興味深いが、ことばそのものを知らない若い人が増えてきている。「消えゆくことば」の候補だ。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年2月12日夕刊)

[1241]ことばの路地裏 第44回「来ない」 投稿者:むささびとびのしん

投稿日:2004年02月05日 (木) 16時07分

来ない
 方言はお年寄りが使う変化しないことばというイメージがあるが、若い人を中心に新しい方言形が各地で発生している。
 一口に関西弁と言っても、地域差がある。標準語の「来ない」を例にとると、大阪市でケーヘン、京都市でキーヒン、神戸市でコーヘンといった分布だ。35年前、神戸で暮らしたとき、コーヘンを使った。今は、コーヘンが多用される大阪府北部に住んでいるが、ケーヘンも使う。ゆれている。
 大阪大大学院の真田信治教授が提唱する「ネオ方言」は、標準語との混交によって生じ、若い世代に使われはじめて広がりつつある新しい方言だ。コーヘンは「来ない」の「コ」と関西弁の否定形式「ヘン」との混交形だ。大阪府全域がコーヘンになる日は来るのか? ケーヘンが踏ん張るか?
(『毎日新聞』(大阪本社版)2004年2月5日夕刊)

[1234]すっきゃねん 若者ことばの会 投稿者:くろ

投稿日:2003年12月14日 (日) 09時47分

初めて参加してきましたが、こんなに面白いとは思ってもいませんでした。私は九州の佐賀出身なので九州の若者ことばには大変興味がありました。しかし、意外にも分からないことばも結構あって自分でも驚きました。ひとつ気になったのが「〜しとらす」「しよらす」という用法です。これは佐賀でもよく使うんですが、人の行為に対してのみ使っています。例えば、「○○ちゃんは今勉強しよらすよ。」みたいなかんじで第三者に対して伝えるときにつかいます。しかし今回ちょっと言われてたように「雨の降りよらす」と言うような使い方はしません。同じことばを使っていても、使い方にはさがあるんですね。

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[1237]ありがとうございます。投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2003年12月17日 (水) 06時04分
くろさん、おはようございます。
若者ことばの会に来てくださいましてありがとうございます。
佐賀の程度強調表現に「ガバ」「ガバイ」がありますね。
「〜しとらす」は、ボクは尊敬の気持ちが含まれていると思っていたのですが、そうではないようですね。
「雨の降りよらす」のような言い方は知りませんでした。
軽い丁寧な表現といったニュアンスも感じるのですが、どうなのでしょう?
若者ことばの会は幕を閉じますが、来年から新たな会が発足します。ご期待ください。

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[1238]投稿者:くろ
投稿日:2003年12月19日 (金) 23時18分
わたしは「〜しとらす」には軽い尊敬と丁寧が現れていると考えています。なぜなら親が他人に対して自分の子供のことを伝えるときには使わないからです。
また、二人称でも使うことはよくあります。「みかん好いとらすですか?持って行かっさんですか?」(みかんは好きですか?持って行きませんか?) これは丁寧な表現として捕らえていいと思います。
今回で若者ことばの会が終わると聞いて大変残念に思っていましたが、また新しい会ができると聞いて安心しました。次の会、楽しみにしています。

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[1239]〜aす投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2003年12月21日 (日) 05時28分
くろさん、おはようございます。
>軽い尊敬と丁寧が現れていると考えています。
ボクも同じ考えです。
九州の中でも、地域によって用法が変わってきていると考えることもできそうですね。
来年の新しい会にご期待ください。

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[1240]投稿者:のびちゃん
投稿日:2003年12月22日 (月) 02時04分
くろさん、先生、こんにちは。

そういえば、僕の出身地の名古屋方言の中に「〜しとらっせる」という表現があります。これも基本的には発話者が発話者よりも目上の対象に対して敬意を含めた丁寧表現として使用しています。

先生、あたらしく会を発足されるのですね!若者ことばの会は一度も参加できませんでしたが、新しい会は是非北陸から馳せ参じたいです☆

[1233]短歌 投稿者:のびちゃん

投稿日:2003年12月04日 (木) 00時58分

こちらではお久しぶりです。

最近、僕の学部の自主ゼミの中で、次のような問題を考えました。(問題の出典は森山卓郎先生の『ここから始まる日本語文法』です。)
☆次の歌の「いて」を「いる」にした場合の意味の違いを考えてみよう。

万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校(俵万智「サラダ記念日」)


ちなみにこの問題を考える際のヒントとして「連用形は、後に言葉(特に述語)が続く形であるということ」と示されています。

みなさんは、どうお考えですか?僕は漠然と、「いる」ではなく「いて」とすることで「いるからこそ」という意味が含まれる、つまり「橋本高校」への読み手(俵さん)の意志が含まれる、と考えました。(「神奈川県立橋本高校」が、「いる」に下接するより「いて」に下接するほうがより用言的な意味合いを内在させるような気がしました。)

でも、そもそもこの短歌を初めて見たので、歌に対する俵さんのお気持ちを良く知りません。(知っていらっしゃる方がいたら教えてください☆)

それにしても、「いる」→「いて」とひと文字違うだけでかなり読んだ感覚は違いますよね!(「いて」だからこそ短歌として成り立っているような気がします。)俵さんのセンスも素敵ですが、一文字違いで作用する意味が変わってしまう日本語は奥が深いし楽しいな、と改めて感じてしまいました(笑)


余談ですが、一文字違いで意味が大違いな単語はたくさんありますね。「いる」と「いて」は活用の問題ですが、活用とも関係なく全く意味が異なる単語がたくさんあります。
「いたわる」と「いたぶる」
「やさしい」と「やらしい」
・・・軽いオヤジギャクか!?(まだハタチなのに・・・)失礼しました(笑)

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[1236]投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2003年12月17日 (水) 05時58分
のびちゃん、おはようございます。
この短歌の「いて」に「いてこそ」の意味を読み込むことは、たしかにできそうですね。
でも、「こそ」はありませんから、「こそ」なしで読むのがいいのではないでしょうか。
「いて」のあとに「わたしは過ごしている」とか「わたしの世界がうごいている」とか「共同体が息づいている」とかいった内容を読みとることもできるのではないでしょうか。
シテ形接続はなかなか奥が深いですね。

[1228]ことばの路地裏 第33回「おなら」 投稿者:むささびとびのしん

投稿日:2003年11月13日 (木) 18時52分

おなら
 動詞「鳴らす」の連用形「鳴らし」に接頭語「お」が付き、「し」が省かれたものとされる。女房詞(ことば)が起源だとか。江戸時代の雑俳などに使用例がある。
 日常的な生理現象なのに、口にしにくい語だ。類義語の「屁(へ)」はもっとはばかられる。しかし、「へっぴり腰」の中に形を残し、民話の「へったれ嫁ご」「へこき女房」の名前にも使われる。「おなら」は「出る」イメージだが、「屁」は他動詞「こく」「たれる」「ひる」「ふる」などの目的語となる。
 漢語で言うと「放屁(ほうひ)」で「屁を放(ひ)る」。高校生のころ、祖父が「放屁合戦」という複製の絵巻物を見せてくれた。庶民らが男女入り乱れてさまざまな格好で放ちあい、笑い飛ばしていた。
 「おなら」は軽く小さく、「屁」は豪快。「ガス」はその中間か?
(『毎日新聞』(大阪本社版)2003年11月13日夕刊)

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[1232]カメムシを・・・投稿者:ブルコ
投稿日:2003年12月01日 (月) 22時42分
私の実家ではカメムシを・・・
ヘッピリムシと言いま〜す!
何の恥じらいもなく言えま〜す!
確かに奴等の臭いは豪快です。

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[1235]亀レスでごめんなさい。投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2003年12月17日 (水) 05時53分
ブルコさん、おはようございます。
超亀レスでごめんなさい。
「ヘッピリムシ」という言い方は初めて知りましたよ。
「へっぴり腰」も、何のためらいもなく使えますね。
強烈豪快なニオイ!! 触らぬカメムシニ祟りなし。

[1223]ことばの路地裏 第32回「ビー玉」 投稿者:むささびとびのしん

投稿日:2003年11月06日 (木) 17時13分

ビー玉
 ガラスの意味の、オランダ語由来の外来語「ビードロ」を後略した「ビー」と「玉」の複合語。「ビー」は、ビー玉のという語の中だけで使われる形態素。B級の玉という解釈は間違い。
 1950年代後半の少年時代、ビー玉遊びに興じた。「ラムネ」と称していたのは清涼飲料のラムネの栓に使われる玉と関連づけたのだろう。ビー玉は懐かしいおもちゃとして通信販売も行われている。
 ビードロは室町末期から江戸時代に使われた語だそうだが、1955年の切手趣味週間に発行された喜多川歌麿の浮世絵「ビードロを吹く娘」を覚えている人もいるだろう。これはビードロで作った「ポッペン」で、現在でも工芸品として作られている。ポッペンの音で一年の厄をはらうという意味もあるそうだ。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2003年11月6日夕刊)

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[1224]投稿者:のびちゃん
投稿日:2003年11月08日 (土) 15時25分
こんにちは。

最近大学の自主ゼミで「ビー玉」の語構成に関する話題が出てきたところでしたので興味深く読ませて頂きました。
ちなみに、僕は中学校の頃長崎に旅行に行った際に「ポッペン」を買ったのですが、「ポッペン」を「ポッペン」と呼ぶことは実は最近知りました。それまでは両親や祖父母の影響で「ポッペン」のことを「ビードロ」と呼んでいました。これはやはり誤用ですかね?「ポッペン」のことを「ビードロ」と呼ぶ方はいらっしゃいますか?

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[1225]ビードロ投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2003年11月10日 (月) 14時00分
のびちゃん、こんにちは。
「びーどろ」はちゃんとしたことばで、「誤用」ではないですよ。
熊本県・天草ではガラスのことを「ビードロ」と言うのだそうですよ。

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[1226]投稿者:のびちゃん
投稿日:2003年11月12日 (水) 02時31分
先生、ありがとうございます!誤用ではないのですね☆
(以前より、ガラス=ビードロの事実は知っていたのですが、ポッペン=ビードロ?という感じでしたので。)

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[1227]誤用投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2003年11月13日 (木) 18時51分
のびちゃん、こんにちは。
「誤用」というのは、なかなか決められないと思うのですよ。
基準の取り方でしょうか。
なんでもかんでも「共通語」を基準にするというだけでは埒があかないですからね。
「生きていることば」という観点を、ボクは大事にしてます。

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[1229]投稿者:のびちゃん
投稿日:2003年11月14日 (金) 00時51分
確かに先生のおっしゃる通りですよね。
方言にしても、共通語にしても、(若者ことばもきっとその最たるものですが)常に時代や使用者と共に変化しますよね。使用されている=生きているわけで、またそれが言葉の持つ魅力の一つかもしれませんね!

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[1230]投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2003年11月17日 (月) 14時39分
のびちゃん、こんにちは。
使われているということを大事に考えると、頭のなかだけの構築物が空疎に感じられることもありますね。

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[1231]投稿者:のびちゃん
投稿日:2003年11月17日 (月) 22時36分
確かに頭の中だけの構築が空虚、という部分もありますが、一方で日本語学(言語学)は頭の中で論を地道に構築させることも必要ですよね?将来的に学問を探求することと、その実用性を探求することとの一致点が見出せるような研究ができるといいと思っています。(国語学会の様々な研究発表もとても良い刺激になります。)

[1220]ことばの路地裏 第31回 投稿者:むささびとびのしん

投稿日:2003年10月30日 (木) 15時25分

神無月(かんなづき)

 陰暦10月の異名。「かみなづき」「かむなづき」とも。「無」の字から「八百万(やおよろず)の神々が出雲大社に集まるので、不在になる月」という説もある。出雲の国では「神在月(かみありづき)」と言ったそうだ。
 しかし、「な」は上代語の連体格助詞で、現代語の「の」に相当すると考えるのが妥当だろう。「神の月」だ。この「な」は、単語の中に残っている。「まなこ(目の子)」「まなじり(目のしり)」「たなごころ(手の心)」。「まなざし」もこの例だろう。
 「無」の字をあてたものに陰暦6月の異名「水無月」がある。水がない月とは裏腹に、田に水を引く、水の豊かな月の意。淀川に注ぐ水無瀬川も「水の瀬」だろう。そうでないと、干からびた川ということになり、大阪府民は困る。
(『毎日新聞』(大阪本社版)2003年10月30日夕刊)

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[1221]投稿者:オヤジ
投稿日:2003年11月05日 (水) 12時43分
いくつか辞書を引いたところ、『新潮国語辞典』の「かみなづき」に、「(「な」は格助詞で「神の月」の意か。)とありました。出雲大社に集まって……は「俗説では」とあり、「神無し月」は民間語源という立場を採っています。

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[1222]投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2003年11月05日 (水) 14時53分
オヤジさん、こんにちは。
原稿では「俗説」と書いていたのですが、社内の多数の声が、定説だということで、「俗」を取って「説もある」と書き直しました。
「神在月」のことも、文献にあるという声があったそうですが、文献にあるからといって、正しいとは限らないと答え、「そうだ」にしました。
>(「な」は格助詞で「神の月」の意か。
と書かざるをえないほど、はっきりしていないのですね。

[1215]誰か使いますか?? 投稿者:ユウ

投稿日:2003年10月25日 (土) 22時38分

はじめまして。ユウと申します。
今卒論で助詞の「カラ」について調べています。
「バスで学校へ行きます」というのを「バスから学校へ行きます」と「で」→「から」と使う人いらっしゃいますか?
また「犬に追いかけられた」というのを「犬から追いかけられた」と「に」→「から」と使う人はいらっしゃいますか?
おそらく長崎県独特の方言だと思うのですが・・・
私は広島人なのでデーター不足で困っています。
文献を調べたら載っているのですが、果たして今も使われているかかなり謎なので、もし「使う!」と言う人がいらっしゃったら、どのあたりの地方で使われているか教えてください!!!
よろしくおねがいします!!

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[1216]ご参考までに投稿者:はとめ
投稿日:2003年10月26日 (日) 12時17分
鹿児島市出身の者です。
上の「バスから学校へ行きます」は使いませんが、「犬から追いかけられた」というのは使います。
九州南部では「に」→「から」の用法はよく使われていると思いますよ。

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[1217]方言文法全国地図投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2003年10月27日 (月) 16時22分
ユウさん、はとめさん、こんにちは。
「バスから学校へ行きます」という言い方は知りません。
鳥取県倉吉市では、動作が行われる場所を表す格助詞が「カラ」です。
「洗面所から手を洗う」
「校庭から遊ぶ」
「犬から追いかけられた」のような表現は九州方言全般に見られるのではないでしょうか。九州南部でもよく使われるということですが、福岡でも使われます。
詳しい分布は『方言文法全国地図(第1巻)』が参考になります。

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[1218]ありがとうございます!!投稿者:ユウ
投稿日:2003年10月27日 (月) 21時53分
はとめさん、むささびとびのしんさん、こんばんわ。
書き込み有難うございます。
九州全般や鳥取で使われているとは知りませんでした。
かなり勉強になりました。
私が調べた文献には、長崎方言の特徴で、「から」が、共通語の「で」に当たるものとして用いられ、乗り物関係で使われていると書いてありました。
例えば、「車からきたの?」
    「船から通っていました」
などです。
さらにさかのぼってみるとどうやら蜻蛉日記の時代から使われているみたいで、「徒歩から参りて・・・」など使われていたみたいです。
また色々な文献で調べてみます。
もし何かいい文献があったら教えてください!!
あと、またこのあたりの地域で使っていたという情報があったら是非是非教えてください。
よろしくお願いします!!

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[1219]投稿者:むささびとびのしん
投稿日:2003年10月30日 (木) 15時22分
ユウさん、こんにちは。
「車からきたの?」
「船から通っていました」
という言い方をするんですね。初めて知りました。
蜻蛉日記では「徒歩から参りて」なんですね。
徒然草では「徒歩より詣でけり」(仁和寺にある法師)ですね。




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