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[1573]新・ことばの路地裏 第358回「なまじ」 投稿者:小矢野哲夫

投稿日:2014年02月06日 (木) 05時07分

第358回 なまじ
 たぶん小学校の5年生か6年生の時だったのではないかと記憶している。国語の教科書に、黒船来航のことを扱った教材があった。その中に「なまじ応砲などして」うんぬんという表現があった。話の内容はほとんど忘れてしまっているのだが、この表現は半世紀にわたってはっきりと覚えている。先日、グーグルで検索してみたらヒットした。
 福沢諭吉の『福翁自伝』の一節にあった。読んでみると黒船来航ではなく、咸臨丸でアメリカに渡ったときのことである。咸臨丸がサンフランシスコの港に到着すると、祝意を表(ひょう)して陸から祝砲を打つというのだ。原文は次のようである。
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 着港になれば指揮官の職として万端差図(さしず)する中に、かの祝砲のことが起(おこっ)た。ところで勝の説に、ソレは迚(とて)も出来ることでない、ナマジ応砲などして遣(や)り傷(そこな)うよりも此方(こちら)は打たぬ方が宜(い)いと言う。(『新訂福翁自伝』p.112「米国人の歓迎祝砲」岩波文庫)
 ********************************
 教科書にあったのはこの箇所だったのではないか。
 「なまじ」という副詞は「なまじっか」の形でも理解しているが、自分で使うことはほとんどない。理解語彙の一つだと言ってよい。なぜこんなに鮮明に覚えているのか。時々口ずさむ歌の一節に出て来る。村田英雄が歌ってヒットした「人生劇場」の中に「義理がすたれば この世は闇だ なまじとめるな 夜の雨」とある。この歌は作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男として昭和34年(1959年)4月に出て、世に知られるようになった。筆者が10歳、小学校4年生になる年で、この年に家にテレビが来た。村田英雄の歌は「王将」(昭和36年(1961年))とともによく流れてきていたと思う。
 「なまじとめるな夜の雨」と「なまじ応砲などして」とが奇妙に合体して副詞「なまじ」の使用例として自分の中で記憶にとどめられている。
(2014年2月6日)



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