投稿日:2013年12月26日 (木) 07時22分
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筋合い
「はず」「わけ」「つもり」などの形式名詞は決まった文末形式を持っている。一つは「だ」を付ける用法で、「山田さんが司会をするはずだ」「作業はこれから本格的な段階に入るわけだ」「8時までには帰るつもりだ」などとなる。もう一つは否定表現だ。これには、「だ」を否定にする「はずではない」「わけではない」「つもりではない」などと、形式名詞に「が」を付けて否定する「はずがない」「わけがない」「つもりがない」などがある。 2種類の否定表現は意味が異なる。例えば「山田さんが司会をするはずではない」と「山田さんが司会をするはずがない」のように。「はずがない」「わけがない」「つもりがない」といった表現は、可能性や予定などをはなから否定する、完全否定の勢いを持っている。「はずではない」「わけではない」「つもりではない」などと言うと腰が引けているという印象を持つ。 ところで、「筋合い」という名詞、これも形式名詞的だが、自分の頭の中には固定的な用法がある。「なになに{する/される}筋合いはない」という形式だ。これを「だ」を否定にした「筋合いではない」という形式にすると、いささか違和感を覚える。 こんな表現があった。
・閉会後は知事が各会派へあいさつに回るのが恒例だったが、公明が「疑惑が解明されておらず、あいさつを受ける筋合いではない」と拒否。中止となった。 http://www.asahi.com/articles/TKY201312130462.html?ref=com_top6_1st ・【甘口辛口】マー君175球に日本中感動! 米国人が口を出す筋合いではない http://www.sanspo.com/etc/news/20131105/amk13110505000000-n1.html
理解できなくはないけれど、違和感がある。「あいさつを受ける筋合いはない」ときっぱり表現した方がよい。断固たる態度を表すことにもなる。「米国人が口を出す筋合いではない」は、この文脈では筋が通っているようにも思えるが、「米国人に口出しされる筋合いはない」とすると、ピリッと引き締まる。 (2013年12月26日) |
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