投稿日:2013年10月31日 (木) 05時13分
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見切れる
TBSのドラマ『半沢直樹』の最終回が視聴率42.2%を記録した。これに関連する記事を読んでいて、初めて目にする言葉に出合った。全く知らないことばに出合うと、軽い戸惑いを覚える。語構成上の仕組みが解明できない。意味の透明性が理解できない。
『半沢直樹』の最終回のワンシーンに珍場面があったのである。半沢直樹が大和田常務を土下座させたあと、部屋を退出する際に画面の端にカメラマンが見切れているのである。これは制作陣も気づかなかった凡ミス。(ガジェット通信) http://getnews.jp/archives/423222
記事の中の「見切れている」である。『デジタル大辞泉』にちゃんと登録されている。知らないと調べることもできない。知って初めて調べてみた。次のように記述されている。
1 テレビ放送や演劇で、本来見えてはいけないものが見えてしまう。「裏方スタッフが―・れる」 2 写真や映像で、フレームに人物などの全体が収まらず、一部が切れている。「集合写真で端の人が―・れる」
記事での使い方は1の意味である。「見切る」も類義語のようだ。(「見切れ、見切れる、見切る」(テレビ画面や舞台において、余計なものや人がはみ出て視聴者や観客に見えてしまうこと」)(Wikipedia「業界用語」) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD%E7%95%8C%E7%94%A8%E8%AA%9E
インターネットで検索してみると、次のような説明が出てくる。 舞台用語で、「舞台裏をお客様の視線から隠すためにつく道具」のことを「見切り」という。「客席から見えるものを切る、といった意味あい」だという。そして、「見切りが不十分で舞台裏が見えてしまうことを『見切れる』(みきれる)と言います。」とある。(「舞台・演劇用語」http://www.moon-light.ne.jp/termi-nology/meaning/mikireru.htm) この「見切る(見切り)」が「見切れる」に派生する過程に意味のねじれがある。「見切れる」を順当に理解しようとするなら、「見切る」ことができるという可能の意味になる。しかし、客の「視線から隠す」ということができるという意味ではなく、逆の、視線から隠せないという意味に「見切れる」が使われている。「見切り」という道具が「切れる」、切れてはいけないのに切れてしまう、すなわち、機能を失い、見切りの後ろにあるものが現れる、という意味になったのではないか。「見切れる」は「見切る」の可能動詞ではなく、「切れる」が自発(自然可能)として用いられているのである。 最近は本来の意味とは正反対の『デジタル大辞泉』2の意味で使われることがあるようで、頭が混乱する。 すっきりと説明できたとは言えないが、見切り発車で見解を示しておくことにする。 (2013年10月31日) |
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