投稿日:2013年08月15日 (木) 05時30分
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でしょうよ。
個人的にはほとんどまったく使用しない表現だが、聞くと多少の違和感を覚える形式がある。下降調のイントネーションで発音される「でしょうよ。」及び「だろうよ。」である。デショウ、ダロウによって推量の気持を表し、かつ、ヨによって主張を表していると思われる。違和感を覚える原因は、相手を非難する気持を感じることにある。「何不自由のない暮らしができるならいいでしょうよ。」とか「君はそれでいいだろうよ。」のような文の後には「でも」とか「だけど」といった逆接の関係で不満といった気持が述べられる、そんなパターンを想像するのである。 「国会会議録検索システム」でも若干ヒットした(第1回国会から現在まで全215件)。例えばこんな例がこの表現の用法にピッタリしている。
阿部(知子)委員 何が違っているのと聞いたんだから、もう少し誠意ある答弁がある【でしょうよ。】(162 - 衆 - 厚生労働委員会 - 23号 平成17年05月18日)
これが「でしょうが。」と言い切りになると、不満の気持ちがより強く感じられる。
しかし、タリバンの指導部は、アフガニスタン政府との交渉は拒否しているんですよ。話す気はないと答えているんですから。これが事実【でしょうが。】(平岡委員「アブドラ国王には仲介を依頼しようとしている」と呼ぶ)事実【でしょうが。】まずそれを認めてくださいよ、あなた。話し合いたいと言っても相手が嫌だと言っているんだから。その嫌だと言う人に我々は接触するすべがないんだから、そういった形で交渉のしようがない【でしょうが。】(麻生内閣総理大臣 170 - 衆 - 国際テロリズムの防止及… - 3号 平成20年10月17日)
ところで、「でしょうよ。」という表現が、方言として使われている地域があるそうだ。茨城県では「ここ違ってるでしょうよ。」というのは「ここ違ってますよ。」という丁寧な物言いだそうだ。(「茨城弁大辞典」http://www.ibaraking.com/basic/ibarakiben/dic.cgi?mode=frame2&cate=18)共通語と区別が付きにくいために、誤解を招く危険もありそうだ。 「でしょうよ。」と丁寧形で言うのはまだしも、「だろうよ。」の形になると、かなりきつい口調になる。これが国会でも使われた例(ヒットしたのは第1回国会から現在まで3件のみ)があるから驚く。
・結論がつかぬで終わった問題なんです。それをあなたが簡単に割り切るなんて、無理【だろうよ。】そんなことは、あなた、国際連盟でさんざん討議しても結論がつかぬです。(昭和42年03月28日) ・百株ぽんと売らずに何回かに分けて売ることもある【だろうよ。】(平成06年06月15日) ・だけれども、上限を国が決めるなんてこんなばかな話はない【だろうよ。】(平成16年04月21日)
それぞれの発言の口調まで伝わってこないけれど、読んで想像する限りでは、強い違和感を覚える。 (2013年8月15日) |
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