投稿日:2013年07月04日 (木) 05時05分
|
〜ばなと思います。
条件表現に「ば」「たら」「と」「なら」の四つの形式がある。このうち、「ば」と「たら」を対比して説明することがある。「ば」が比較的公的な場面で使われ、「たら」が比較的私的な場面で使われるといった対比は理解されやすいだろう。 この「ば」や「たら」を、条件節だけ示して、「○○すればと思います。」「○○したらと思います。」のような言い方をすることがある。「ば」や「たら」の後には「よい」とか「けっこうだ」とか「幸いだ」とかの語が省略されていると理解される。これがさらに願望の意味を込めて「○○すればなと思います。」「○○したらなと思います。」のように言う。このような形式は、どちらかと言えば私的な場面で使われるのではないかと思うのだが、そうでもないようだ。 国会会議録検索システムで検索してみた。 より厳密に対比するためにはいろんな形式も検索しなければならないが、とりあえず「ばなと思います。」と「たらなと思います。」を比べてみる。 「ばなと思います。」戦後の昭和の約40年間で0件。平成になってからは196件。 「たらなと思います。」戦後の昭和の約40年間で1件。平成になってからは63件。 (「たらな」については「だらな」の形式でも検索したが、ヒットしなかった。) ちなみに、「な」のない形式も調べてみた。「ばと思います。」が昭和で1607件、平成で8585件、「たらと思います。」が昭和で583件、平成で1771件だった。「ばと思います。」が平成になってから急激に増加していることが分かる。 さて、「ばなと思います。」に限って分析してみると、約87%が「いただければなと思います。」の形式だった。他も「できれば」「願えれば」「もらえれば」などの可能形式であり、「可能形式+ばなと思います。」の形式は98%という計算になる。すなわちほとんど固定的な、様式化した表現であることが分かった。 さらに興味深いことに、「ばなと思います。」の中で副詞の「是非」が出現している例が目立つ。「是非」は強い希望を導くものだと思う。そして、「是非なになにしていただきたいと思います。」のように使うのがふさわしいと思う。しかし、「ぜひこれは国としても取り組んでいただければなと思います。」(平成18年02月28日 衆議院予算委員会第八分科会 糸川正晃分科員の発言)のような、希望の気持が弱いと感じられるような形式で用いられているのである。用例数は196例中35例で、約18%である。 このような違和感はあるけれど、いったん様式化した表現を会得すると、その型に入れるだけで公的な表現になるという便利さもある。この便利さが平成の時代には受け入れられているのだろうと想像する。 (2013年7月7日) |
|