投稿日:2012年10月25日 (木) 04時55分
 |
善しにつけ悪しきにつけ
前衛短歌というのがあるが、総じて詩のほうがことばや景色を操作し、善しにつけ悪しきにつけ、何かモノをいうことを念頭に置かなければならない。(井坂洋子「原詩生活」4 ことばの莟『ちくま』499,2012.10,p.34)
「善しにつけ悪しきにつけ」というのは見慣れない言い方だ。正しくは「善きにつけ悪しきにつけ」だ。なぜこのような表現が出来たのだろう。 古語の形容詞にはク活用とシク活用とがある。ク活用の例として「寒し」「低し」「易し」「遠し」などがある。その連体形はそれぞれ「寒き」「低き」「易き」「遠き」などである。シク活用の例として「悪(あ)し」「美し」「悲し」「寂し」などがある。その連体形はそれぞれ「悪しき」「美しき」「悲しき」「寂しき」などのように、必ず「し」が入る。 古語の形容詞の特徴として終止形と連体形が異なる形になるということが言える。そして、連体形が名詞として働くことがある。例えば、「水が低きに就く」「易きに流れる」のような慣用的な表現にそれが見られる。 「〜につけ」という形式は「〜につけて」と同じで、名詞及び名詞相当語句に付く。「何かにつけ」「うれしいにつけ、悲しいにつけ」「聞くにつけ」などの言い方がある。この場合、「うれしい」「悲しい」「聞く」は名詞相当語句である。 このような決まりが意識されなくなったのだろう。「善し悪し」という言い方があるので「善し」が単独で名詞のように振る舞うという誤解が生まれたのだと解釈できる。インターネットで検索してみると、「善し(良し)につけ悪しきにつけ」という形式が少なからずヒットして驚いた。自然の変化だとみなして放置することもできるけれど、井坂洋子という、筆者と同い年の詩人が書いた文章に出てきたので驚きの度合いも大きい。 (2012年10月25日)
|
|